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23.返してもらおうか
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答えられない。その一言は目の前のヴィクトル自身を追い詰めるものだ。これで彼の身内が計画を立てたことが明白となった。
「そう、ですか。では、これからどうなさるおつもり?」
「え…?」
「まさか今まで通りに誰かの指示を仰いで行動、なんてできないでしょう?」
おそらくこれを計画した者はヴィクトルを単独犯とし、己に害がないよう切り捨てるつもりだろう。その可能性にヴィクトルも気づいているはずだ。私は教育の賜物である愛想笑いをより柔らかくして見せ、ヴィクトルの思案を促した。
しばらくぶつぶつ言っていたヴィクトルははっとして、私の縄をほどいていった。
「今更謝ったところで許されるものでないことは重々承知の上で申し上げます。…まことに申し訳ありません」
「…」
すべてをほどき終わると、ヴィクトルはためらいもなく両膝をついて頭を下げる。
「俺が…したことは許されざることです。甘んじて、罰は受けます」
ヴィクトルの言葉に嘘はないと思った。ここまで正直で、潔い人間は見たことがない。惜しい人材ではあるけれど罪は罪。そんなことを考えている自分に気づいて苦笑した。案外私は肝が据わっているのかもしれない。
静かに頭を下げて僅かにも動かないヴィクトルを見、見張りや手下がこの近くにいないことが分かった。ため息をつきながら赤く擦れた手首をさすり、ふとレオナルドの言っていた言葉が頭をよぎる。
『その命、僕に預けてもらおうか』
私が拐かされたのは、レオナルドの指示?
もしそうならヴィクトルが頼まれた相手を私に「言えない」のも納得がいくが、レオナルドにはメリットがない。軍事力だけを手に入れて、邪魔な権力者となりえる私たちをつぶそうと考えるのはいくら何でも愚考すぎる。お父様がその気になれば、その身一つでこの国は消滅する。それくらい、この国には力がない。
合理的で、多数の利益を常に考えるレオナルドらしくない行動にも思えた。
「謝罪は、今は受け入れがたいですわ。また正式な場で、述べていただきます」
「承知いたしました」
「ところで、わたくしが夜会の会場から出てどれくらい経ちまして?」
右腕の時計を見て、ヴィクトルは目を合わさぬまま言う。
「およそ二時間半ほどかと」
「ここはストラテ王国内ですね?」
「はい」
そろそろか。デクリート帝国にいたときにも誘拐されたことが何度かある。さすがに王太子妃として婚約者になってからはないが、幼い時はままあった。それはわざとの時もあれば、完全に不意を突かれたものもある。
いずれも誘拐されてから三時間以内には保護された。お父様直属の騎士によって。初めて専属の騎士を持たせてもらった日にも騎士の隙をついて、連れ去られた。その時は一時間も持たなかったけれど、屋敷に戻って今のヴィクトルのように頭を最後まで上げなかった騎士が、なかなかどうして可愛かった。
ふふ、と思わず笑いがこぼれた。不思議そうにしながらも、恐る恐るこちらを見上げてくるヴィクトルはいかがなさいましたか、と静かに言う。
「なんでもないわ。…ねぇ、ここは一体どこの地下室ですの?」
「ストラテには象徴の時計塔がございます。ここはその地下です」
「へぇ…。この時計塔はいつ建てられまして?」
「言い伝えでは紀元前、と」
「まあ! そんなに。デクリートより歴史がありますのね」
「この地にはかつて、今よりも優れた技術を持った先住民がいたといいます。なんでも、精霊とも日常的に会話し、その力をもって長い間平和であったとか…っも、申し訳ありませんっ! 勝手に長々と…」
「いいわ。あなたはこの地の歴史に詳しくて?」
歴史を語ろうとしたその表情は、どう見ても楽しそうだった。
「僭越ながら、研究しておりましたのでそれなりには…」
話が違う、とレオナルドを恨んだ。これのどこがぼんくらなのだ。もしかしたら、金遣いが荒いというのは研究のためだったのかもしれない。甘ったれや勉強嫌いというのも、貴族の義務や歴史以外の貴族の嗜みとしての教養よりも歴史の研究を優先しただけではないのか。
「歴史は、お好き?」
「え、あ、えっ…と」
この王国での歴史学の重要性は著しく低いのだろうか。ストラテ王国は商人が興した国なだけあって、利益を最重要視する。その点歴史は利益がないことはないが、あからさまなメリットはなくわかりにくいから、考えられないことではない。
「わたくしは、デクリートにいた身ですわ。遠慮することなくお答えなさい」
「お、俺は…っ!」
鉄製のドアが破壊されたけたたましい音に、自然と身がこわばった。階段を駆け下りてくる複数の足音は、果たして味方か、敵か。ヴィクトルは身体を震わせながらも私に背を向け、迎え撃つ姿勢をとっている。
「リリー嬢、発見しましたっ!」
同じ鎧を身に着けた男たちは大声で言い、牢に響いた。味方であったことにひそかに安堵し、肩から力が抜けた。
「陛下…」
固まって動けないヴィクトルの肩の向こうには、目の笑っていないレオナルドが不気味な笑みを浮かべている。その口から出る声音は凍てつくように冷たかった。
「やあ。リリー嬢を返してもらおうか」
「そう、ですか。では、これからどうなさるおつもり?」
「え…?」
「まさか今まで通りに誰かの指示を仰いで行動、なんてできないでしょう?」
おそらくこれを計画した者はヴィクトルを単独犯とし、己に害がないよう切り捨てるつもりだろう。その可能性にヴィクトルも気づいているはずだ。私は教育の賜物である愛想笑いをより柔らかくして見せ、ヴィクトルの思案を促した。
しばらくぶつぶつ言っていたヴィクトルははっとして、私の縄をほどいていった。
「今更謝ったところで許されるものでないことは重々承知の上で申し上げます。…まことに申し訳ありません」
「…」
すべてをほどき終わると、ヴィクトルはためらいもなく両膝をついて頭を下げる。
「俺が…したことは許されざることです。甘んじて、罰は受けます」
ヴィクトルの言葉に嘘はないと思った。ここまで正直で、潔い人間は見たことがない。惜しい人材ではあるけれど罪は罪。そんなことを考えている自分に気づいて苦笑した。案外私は肝が据わっているのかもしれない。
静かに頭を下げて僅かにも動かないヴィクトルを見、見張りや手下がこの近くにいないことが分かった。ため息をつきながら赤く擦れた手首をさすり、ふとレオナルドの言っていた言葉が頭をよぎる。
『その命、僕に預けてもらおうか』
私が拐かされたのは、レオナルドの指示?
もしそうならヴィクトルが頼まれた相手を私に「言えない」のも納得がいくが、レオナルドにはメリットがない。軍事力だけを手に入れて、邪魔な権力者となりえる私たちをつぶそうと考えるのはいくら何でも愚考すぎる。お父様がその気になれば、その身一つでこの国は消滅する。それくらい、この国には力がない。
合理的で、多数の利益を常に考えるレオナルドらしくない行動にも思えた。
「謝罪は、今は受け入れがたいですわ。また正式な場で、述べていただきます」
「承知いたしました」
「ところで、わたくしが夜会の会場から出てどれくらい経ちまして?」
右腕の時計を見て、ヴィクトルは目を合わさぬまま言う。
「およそ二時間半ほどかと」
「ここはストラテ王国内ですね?」
「はい」
そろそろか。デクリート帝国にいたときにも誘拐されたことが何度かある。さすがに王太子妃として婚約者になってからはないが、幼い時はままあった。それはわざとの時もあれば、完全に不意を突かれたものもある。
いずれも誘拐されてから三時間以内には保護された。お父様直属の騎士によって。初めて専属の騎士を持たせてもらった日にも騎士の隙をついて、連れ去られた。その時は一時間も持たなかったけれど、屋敷に戻って今のヴィクトルのように頭を最後まで上げなかった騎士が、なかなかどうして可愛かった。
ふふ、と思わず笑いがこぼれた。不思議そうにしながらも、恐る恐るこちらを見上げてくるヴィクトルはいかがなさいましたか、と静かに言う。
「なんでもないわ。…ねぇ、ここは一体どこの地下室ですの?」
「ストラテには象徴の時計塔がございます。ここはその地下です」
「へぇ…。この時計塔はいつ建てられまして?」
「言い伝えでは紀元前、と」
「まあ! そんなに。デクリートより歴史がありますのね」
「この地にはかつて、今よりも優れた技術を持った先住民がいたといいます。なんでも、精霊とも日常的に会話し、その力をもって長い間平和であったとか…っも、申し訳ありませんっ! 勝手に長々と…」
「いいわ。あなたはこの地の歴史に詳しくて?」
歴史を語ろうとしたその表情は、どう見ても楽しそうだった。
「僭越ながら、研究しておりましたのでそれなりには…」
話が違う、とレオナルドを恨んだ。これのどこがぼんくらなのだ。もしかしたら、金遣いが荒いというのは研究のためだったのかもしれない。甘ったれや勉強嫌いというのも、貴族の義務や歴史以外の貴族の嗜みとしての教養よりも歴史の研究を優先しただけではないのか。
「歴史は、お好き?」
「え、あ、えっ…と」
この王国での歴史学の重要性は著しく低いのだろうか。ストラテ王国は商人が興した国なだけあって、利益を最重要視する。その点歴史は利益がないことはないが、あからさまなメリットはなくわかりにくいから、考えられないことではない。
「わたくしは、デクリートにいた身ですわ。遠慮することなくお答えなさい」
「お、俺は…っ!」
鉄製のドアが破壊されたけたたましい音に、自然と身がこわばった。階段を駆け下りてくる複数の足音は、果たして味方か、敵か。ヴィクトルは身体を震わせながらも私に背を向け、迎え撃つ姿勢をとっている。
「リリー嬢、発見しましたっ!」
同じ鎧を身に着けた男たちは大声で言い、牢に響いた。味方であったことにひそかに安堵し、肩から力が抜けた。
「陛下…」
固まって動けないヴィクトルの肩の向こうには、目の笑っていないレオナルドが不気味な笑みを浮かべている。その口から出る声音は凍てつくように冷たかった。
「やあ。リリー嬢を返してもらおうか」
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