婚約破棄? あなたごときにできると思って?

碓氷雅

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27.手、動かそうか

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 時はさかのぼって、リリーが気持ちよく夢の中にいる頃。

「盗品を婚約者にあげるなんて、男として終わってるよね」

 俺は最高の侮蔑を込めて笑いながら、縛られた男のこめかみを殴った。固定された椅子に座らせられた男は抵抗の余地もないまま、白目をむき気を失う。すぐさま氷まじりの冷水を頭にかけて起こす。

「あれ、何寝ちゃってんの? ほら、起きろ」

「へぶっ…」

 二時間前、ルアー公爵邸で次男のオリヴァーが拘束された。その時の罪状は盗品の所持および譲渡だったが、王宮の客間にひとりで閉じ込めて数十分、オリヴァーは『俺がすべてやった』と近衛に自白した。すぐさま証拠固めに走らせ、オリヴァーを地下牢に連行し、より詳しく吐かせるよう指示して俺も地下に降りた。ふつふつと煮えたぎる怒りを携えて。

「そこまでしとけ、レオ」

「…もう少し、したかったんだけどな」

「お前の仕事はそれだけじゃない。今からしとかないと、明日の夜になってもリリー嬢に会えないぞ」

「それは、耐え難いな」

 無造作につかんでいた髪の毛を放った。力なくうなだれるオリヴァーのその顔は片目が青く腫れあがり、歯は折れて顎のラインがわからなくなるほど腫れてしまっている。もはや抵抗する気力も見えない。

「行こう、ノア。仕事、溜まってるんだろ?」

 ノアは黙って足元を照らしてくれた。

「お…れ、は…まちが、てな、い…。おと、さま…おれが、がはっ」

 オリヴァーの戯言は、俺の頭の片隅に残ることもなかった。

 執務室の椅子に座り、メイドの用意した紅茶で喉を潤す。尖り切った殺意が、一つ一つ取り除かれていくような気がした。

「俺は…やりすぎたかい?」

「いや。やり方がまずかっただけだ」

「やり方、ね」

「オリヴァーの動機は結局、権力だったのか?」

 ノアはおかわりの紅茶をサーブしながら聞いてきた。黙って頷く。

 ルアー公爵が次男、オリヴァーはもともとルアー公爵の持つ商会の頭を継ぐ予定だったらしい。ストラテ王国は始まりが始まりだけに、貴族はもともと持っていた商会と新たにできた領土を同時に運営せざるを得なくなった。それは俺とて同じだ。

 両立できる者はそのまま子が受け継ぐが、生粋の商人には領主は向かない。自らの子供にそれぞれ分けることが多くなっていく。ルアー公爵がしたことは妥当なものだった。

 自分が商会を持つことに不満を持ったオリヴァーは、自分の叔母が王妃になれば新しく家門を起こせるかもしれないと考えたという。何と浅はかなことか。邪魔になっているリリーがいなくなればと、とんちんかんな思考を巡らせことに至ったと白状した。

「ノア。腕のいい拷問官を遣って『催眠』とやらは聞き出しておいてくれ。いずれ使えるかもしれない」

「ああ、わかった。表向きは事件についての尋問にしておく。外に漏れることはないから安心しろ」

「さすがだね、わかってんじゃん」

 こんこんと戸が鳴った。緩みかけたノアの顔が再び大宰相のそれになる。

「入れ」

「失礼いたします。デクリート帝国より新書が届いております」

 執事はトレイの上の親書をノアに渡すと、わずかに震えながら部屋を出て行った。

「…顔、怖いぞ」

 はっとして口の端に手をやり、無理やり上に引っ張る。

「これでどう?」

「まあ…ましだな」

 新書には先の提案を受け入れること、それにあたりいくつか条件を付けて欲しいことが書かれていた。

「ほう? デクリートは受け入れるらしい。しかも、あのぼんくら皇子の自由を制限してほしいときた。よほど嫌われてるんだな」

「当然だろうな。犯罪に走ってないことだけが唯一の取柄だろう? …で、どうするんだ」

「何を」

「リリー嬢に伝えないとだろ。元、とはいえ婚約者だ。しかもレオ、あれをまだいってないだろ?」

 ノアの言う『あれ』は、リリー嬢のことを思えば伝えづらいことこの上なかった。一般的に女性の幸せと言われるそれが、彼女にはできないという残酷な事実。それがあったからこそ、俺とノアはリリー嬢を王妃にと計画したというのも言わないといけないかと思うと、時間を経るごとに口は堅くなっていく。

「やっぱり…言わないと、だよな…」

「当然だ。ほかのどこの骨ともわからない令嬢にからかわれるように言われるのと、お前から言われるの、どっちがいいかなんてわかっているだろう?」

「確かに」

 親友の顔で、諭すように言ってくれるノアに、ふっと笑う。

「なんだ、気持ち悪い」

「ひどいな! …そういえば、オリヴァーに加担した者たちはどうなってる?」

「ひとり残らず地下牢にいる。いい機会だ。王家から分離させた司法を使ってやろう」

 数年前に行政、立法、司法のすべてが王家にあることで俺は過労死しそうになったことがある。それを王家の権威に関わると考えたノアが司法を独立した機関として作り直したのだ。ただ、国民に周知させるには大きな事件がなく、実際宙づり状態だ。

「司法官たちにはいい経験になりそうだね。…これでマレルガファル公爵に殺されなくてすむよ」

 あの公爵おっさんの殺気は、鍛錬されたそれで両手で足りないほどの戦場を潜り抜けてきた俺でも怯みそうになった。

「それを言うなら僕もだろ。最初に説明した時、殺されるかと思ったんだからな」

「あれは傑作だったね。あそこまでおびえた君を見たことがなかったよ」

「うるさい」

 リリー嬢を迎えに行った街で、ノアには両親だけにすべてを説明しておくように頼んだ。反乱分子あぶり出しのためにリリー嬢の存在を使わせてほしいこと、子供ができにくいことを承知の上で王妃になってほしいこと、その先の計画。あとで聞いた話では殴りかかりそうになっていたマレルガファル公爵を公爵夫人がどうにか抑えていたらしい。もはや涙目寸前のノアは幼さがよみがえったかの如く、可愛らしかった。

「お前…失礼なこと考えてるだろ」

「そんなことはない…かもしれない」

 思い出してしまって、ぶはっと笑ってしまう。ジト目で部屋を出て行ったかと思えば、山のような書類を抱えて戻ってきた。重さを強調するかのように机に叩きつけて置く。

「手、動かそうか」

 ニコリと目を三日月にするノアに、何も言い返すことはできず黙々と手を動かす。ひと段落ついた頃には陽は高く昇っていた。
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