27 / 38
27.手、動かそうか
しおりを挟む
時はさかのぼって、リリーが気持ちよく夢の中にいる頃。
「盗品を婚約者にあげるなんて、男として終わってるよね」
俺は最高の侮蔑を込めて笑いながら、縛られた男のこめかみを殴った。固定された椅子に座らせられた男は抵抗の余地もないまま、白目をむき気を失う。すぐさま氷まじりの冷水を頭にかけて起こす。
「あれ、何寝ちゃってんの? ほら、起きろ」
「へぶっ…」
二時間前、ルアー公爵邸で次男のオリヴァーが拘束された。その時の罪状は盗品の所持および譲渡だったが、王宮の客間にひとりで閉じ込めて数十分、オリヴァーは『俺がすべてやった』と近衛に自白した。すぐさま証拠固めに走らせ、オリヴァーを地下牢に連行し、より詳しく吐かせるよう指示して俺も地下に降りた。ふつふつと煮えたぎる怒りを携えて。
「そこまでしとけ、レオ」
「…もう少し、したかったんだけどな」
「お前の仕事はそれだけじゃない。今からしとかないと、明日の夜になってもリリー嬢に会えないぞ」
「それは、耐え難いな」
無造作につかんでいた髪の毛を放った。力なくうなだれるオリヴァーのその顔は片目が青く腫れあがり、歯は折れて顎のラインがわからなくなるほど腫れてしまっている。もはや抵抗する気力も見えない。
「行こう、ノア。仕事、溜まってるんだろ?」
ノアは黙って足元を照らしてくれた。
「お…れ、は…まちが、てな、い…。おと、さま…おれが、がはっ」
オリヴァーの戯言は、俺の頭の片隅に残ることもなかった。
執務室の椅子に座り、メイドの用意した紅茶で喉を潤す。尖り切った殺意が、一つ一つ取り除かれていくような気がした。
「俺は…やりすぎたかい?」
「いや。やり方がまずかっただけだ」
「やり方、ね」
「オリヴァーの動機は結局、権力だったのか?」
ノアはおかわりの紅茶をサーブしながら聞いてきた。黙って頷く。
ルアー公爵が次男、オリヴァーはもともとルアー公爵の持つ商会の頭を継ぐ予定だったらしい。ストラテ王国は始まりが始まりだけに、貴族はもともと持っていた商会と新たにできた領土を同時に運営せざるを得なくなった。それは俺とて同じだ。
両立できる者はそのまま子が受け継ぐが、生粋の商人には領主は向かない。自らの子供にそれぞれ分けることが多くなっていく。ルアー公爵がしたことは妥当なものだった。
自分が商会を持つことに不満を持ったオリヴァーは、自分の叔母が王妃になれば新しく家門を起こせるかもしれないと考えたという。何と浅はかなことか。邪魔になっているリリーがいなくなればと、とんちんかんな思考を巡らせことに至ったと白状した。
「ノア。腕のいい拷問官を遣って『催眠』とやらは聞き出しておいてくれ。いずれ使えるかもしれない」
「ああ、わかった。表向きは事件についての尋問にしておく。外に漏れることはないから安心しろ」
「さすがだね、わかってんじゃん」
こんこんと戸が鳴った。緩みかけたノアの顔が再び大宰相のそれになる。
「入れ」
「失礼いたします。デクリート帝国より新書が届いております」
執事はトレイの上の親書をノアに渡すと、わずかに震えながら部屋を出て行った。
「…顔、怖いぞ」
はっとして口の端に手をやり、無理やり上に引っ張る。
「これでどう?」
「まあ…ましだな」
新書には先の提案を受け入れること、それにあたりいくつか条件を付けて欲しいことが書かれていた。
「ほう? デクリートは受け入れるらしい。しかも、あのぼんくら皇子の自由を制限してほしいときた。よほど嫌われてるんだな」
「当然だろうな。犯罪に走ってないことだけが唯一の取柄だろう? …で、どうするんだ」
「何を」
「リリー嬢に伝えないとだろ。元、とはいえ婚約者だ。しかもレオ、あれをまだいってないだろ?」
ノアの言う『あれ』は、リリー嬢のことを思えば伝えづらいことこの上なかった。一般的に女性の幸せと言われるそれが、彼女にはできないという残酷な事実。それがあったからこそ、俺とノアはリリー嬢を王妃にと計画したというのも言わないといけないかと思うと、時間を経るごとに口は堅くなっていく。
「やっぱり…言わないと、だよな…」
「当然だ。ほかのどこの骨ともわからない令嬢にからかわれるように言われるのと、お前から言われるの、どっちがいいかなんてわかっているだろう?」
「確かに」
親友の顔で、諭すように言ってくれるノアに、ふっと笑う。
「なんだ、気持ち悪い」
「ひどいな! …そういえば、オリヴァーに加担した者たちはどうなってる?」
「ひとり残らず地下牢にいる。いい機会だ。王家から分離させた司法を使ってやろう」
数年前に行政、立法、司法のすべてが王家にあることで俺は過労死しそうになったことがある。それを王家の権威に関わると考えたノアが司法を独立した機関として作り直したのだ。ただ、国民に周知させるには大きな事件がなく、実際宙づり状態だ。
「司法官たちにはいい経験になりそうだね。…これでマレルガファル公爵に殺されなくてすむよ」
あの公爵の殺気は、鍛錬されたそれで両手で足りないほどの戦場を潜り抜けてきた俺でも怯みそうになった。
「それを言うなら僕もだろ。最初に説明した時、殺されるかと思ったんだからな」
「あれは傑作だったね。あそこまでおびえた君を見たことがなかったよ」
「うるさい」
リリー嬢を迎えに行った街で、ノアには両親だけにすべてを説明しておくように頼んだ。反乱分子あぶり出しのためにリリー嬢の存在を使わせてほしいこと、子供ができにくいことを承知の上で王妃になってほしいこと、その先の計画。あとで聞いた話では殴りかかりそうになっていたマレルガファル公爵を公爵夫人がどうにか抑えていたらしい。もはや涙目寸前のノアは幼さがよみがえったかの如く、可愛らしかった。
「お前…失礼なこと考えてるだろ」
「そんなことはない…かもしれない」
思い出してしまって、ぶはっと笑ってしまう。ジト目で部屋を出て行ったかと思えば、山のような書類を抱えて戻ってきた。重さを強調するかのように机に叩きつけて置く。
「手、動かそうか」
ニコリと目を三日月にするノアに、何も言い返すことはできず黙々と手を動かす。ひと段落ついた頃には陽は高く昇っていた。
「盗品を婚約者にあげるなんて、男として終わってるよね」
俺は最高の侮蔑を込めて笑いながら、縛られた男のこめかみを殴った。固定された椅子に座らせられた男は抵抗の余地もないまま、白目をむき気を失う。すぐさま氷まじりの冷水を頭にかけて起こす。
「あれ、何寝ちゃってんの? ほら、起きろ」
「へぶっ…」
二時間前、ルアー公爵邸で次男のオリヴァーが拘束された。その時の罪状は盗品の所持および譲渡だったが、王宮の客間にひとりで閉じ込めて数十分、オリヴァーは『俺がすべてやった』と近衛に自白した。すぐさま証拠固めに走らせ、オリヴァーを地下牢に連行し、より詳しく吐かせるよう指示して俺も地下に降りた。ふつふつと煮えたぎる怒りを携えて。
「そこまでしとけ、レオ」
「…もう少し、したかったんだけどな」
「お前の仕事はそれだけじゃない。今からしとかないと、明日の夜になってもリリー嬢に会えないぞ」
「それは、耐え難いな」
無造作につかんでいた髪の毛を放った。力なくうなだれるオリヴァーのその顔は片目が青く腫れあがり、歯は折れて顎のラインがわからなくなるほど腫れてしまっている。もはや抵抗する気力も見えない。
「行こう、ノア。仕事、溜まってるんだろ?」
ノアは黙って足元を照らしてくれた。
「お…れ、は…まちが、てな、い…。おと、さま…おれが、がはっ」
オリヴァーの戯言は、俺の頭の片隅に残ることもなかった。
執務室の椅子に座り、メイドの用意した紅茶で喉を潤す。尖り切った殺意が、一つ一つ取り除かれていくような気がした。
「俺は…やりすぎたかい?」
「いや。やり方がまずかっただけだ」
「やり方、ね」
「オリヴァーの動機は結局、権力だったのか?」
ノアはおかわりの紅茶をサーブしながら聞いてきた。黙って頷く。
ルアー公爵が次男、オリヴァーはもともとルアー公爵の持つ商会の頭を継ぐ予定だったらしい。ストラテ王国は始まりが始まりだけに、貴族はもともと持っていた商会と新たにできた領土を同時に運営せざるを得なくなった。それは俺とて同じだ。
両立できる者はそのまま子が受け継ぐが、生粋の商人には領主は向かない。自らの子供にそれぞれ分けることが多くなっていく。ルアー公爵がしたことは妥当なものだった。
自分が商会を持つことに不満を持ったオリヴァーは、自分の叔母が王妃になれば新しく家門を起こせるかもしれないと考えたという。何と浅はかなことか。邪魔になっているリリーがいなくなればと、とんちんかんな思考を巡らせことに至ったと白状した。
「ノア。腕のいい拷問官を遣って『催眠』とやらは聞き出しておいてくれ。いずれ使えるかもしれない」
「ああ、わかった。表向きは事件についての尋問にしておく。外に漏れることはないから安心しろ」
「さすがだね、わかってんじゃん」
こんこんと戸が鳴った。緩みかけたノアの顔が再び大宰相のそれになる。
「入れ」
「失礼いたします。デクリート帝国より新書が届いております」
執事はトレイの上の親書をノアに渡すと、わずかに震えながら部屋を出て行った。
「…顔、怖いぞ」
はっとして口の端に手をやり、無理やり上に引っ張る。
「これでどう?」
「まあ…ましだな」
新書には先の提案を受け入れること、それにあたりいくつか条件を付けて欲しいことが書かれていた。
「ほう? デクリートは受け入れるらしい。しかも、あのぼんくら皇子の自由を制限してほしいときた。よほど嫌われてるんだな」
「当然だろうな。犯罪に走ってないことだけが唯一の取柄だろう? …で、どうするんだ」
「何を」
「リリー嬢に伝えないとだろ。元、とはいえ婚約者だ。しかもレオ、あれをまだいってないだろ?」
ノアの言う『あれ』は、リリー嬢のことを思えば伝えづらいことこの上なかった。一般的に女性の幸せと言われるそれが、彼女にはできないという残酷な事実。それがあったからこそ、俺とノアはリリー嬢を王妃にと計画したというのも言わないといけないかと思うと、時間を経るごとに口は堅くなっていく。
「やっぱり…言わないと、だよな…」
「当然だ。ほかのどこの骨ともわからない令嬢にからかわれるように言われるのと、お前から言われるの、どっちがいいかなんてわかっているだろう?」
「確かに」
親友の顔で、諭すように言ってくれるノアに、ふっと笑う。
「なんだ、気持ち悪い」
「ひどいな! …そういえば、オリヴァーに加担した者たちはどうなってる?」
「ひとり残らず地下牢にいる。いい機会だ。王家から分離させた司法を使ってやろう」
数年前に行政、立法、司法のすべてが王家にあることで俺は過労死しそうになったことがある。それを王家の権威に関わると考えたノアが司法を独立した機関として作り直したのだ。ただ、国民に周知させるには大きな事件がなく、実際宙づり状態だ。
「司法官たちにはいい経験になりそうだね。…これでマレルガファル公爵に殺されなくてすむよ」
あの公爵の殺気は、鍛錬されたそれで両手で足りないほどの戦場を潜り抜けてきた俺でも怯みそうになった。
「それを言うなら僕もだろ。最初に説明した時、殺されるかと思ったんだからな」
「あれは傑作だったね。あそこまでおびえた君を見たことがなかったよ」
「うるさい」
リリー嬢を迎えに行った街で、ノアには両親だけにすべてを説明しておくように頼んだ。反乱分子あぶり出しのためにリリー嬢の存在を使わせてほしいこと、子供ができにくいことを承知の上で王妃になってほしいこと、その先の計画。あとで聞いた話では殴りかかりそうになっていたマレルガファル公爵を公爵夫人がどうにか抑えていたらしい。もはや涙目寸前のノアは幼さがよみがえったかの如く、可愛らしかった。
「お前…失礼なこと考えてるだろ」
「そんなことはない…かもしれない」
思い出してしまって、ぶはっと笑ってしまう。ジト目で部屋を出て行ったかと思えば、山のような書類を抱えて戻ってきた。重さを強調するかのように机に叩きつけて置く。
「手、動かそうか」
ニコリと目を三日月にするノアに、何も言い返すことはできず黙々と手を動かす。ひと段落ついた頃には陽は高く昇っていた。
2
あなたにおすすめの小説
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
婚約破棄で見限られたもの
志位斗 茂家波
恋愛
‥‥‥ミアス・フォン・レーラ侯爵令嬢は、パスタリアン王国の王子から婚約破棄を言い渡され、ありもしない冤罪を言われ、彼女は国外へ追放されてしまう。
すでにその国を見限っていた彼女は、これ幸いとばかりに別の国でやりたかったことを始めるのだが‥‥‥
よくある婚約破棄ざまぁもの?思い付きと勢いだけでなぜか出来上がってしまった。
【完結】王妃はもうここにいられません
なか
恋愛
「受け入れろ、ラツィア。側妃となって僕をこれからも支えてくれればいいだろう?」
長年王妃として支え続け、貴方の立場を守ってきた。
だけど国王であり、私の伴侶であるクドスは、私ではない女性を王妃とする。
私––ラツィアは、貴方を心から愛していた。
だからずっと、支えてきたのだ。
貴方に被せられた汚名も、寝る間も惜しんで捧げてきた苦労も全て無視をして……
もう振り向いてくれない貴方のため、人生を捧げていたのに。
「君は王妃に相応しくはない」と一蹴して、貴方は私を捨てる。
胸を穿つ悲しみ、耐え切れぬ悔しさ。
周囲の貴族は私を嘲笑している中で……私は思い出す。
自らの前世と、感覚を。
「うそでしょ…………」
取り戻した感覚が、全力でクドスを拒否する。
ある強烈な苦痛が……前世の感覚によって感じるのだ。
「むしろ、廃妃にしてください!」
長年の愛さえ潰えて、耐え切れず、そう言ってしまう程に…………
◇◇◇
強く、前世の知識を活かして成り上がっていく女性の物語です。
ぜひ読んでくださると嬉しいです!
王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~
由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。
両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。
そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。
王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。
――彼が愛する女性を連れてくるまでは。
婚約破棄?ああ、どうぞお構いなく。
パリパリかぷちーの
恋愛
公爵令嬢アミュレットは、その完璧な美貌とは裏腹に、何事にも感情を揺らさず「はぁ、左様ですか」で済ませてしまう『塩対応』の令嬢。
ある夜会で、婚約者であるエリアス王子から一方的に婚約破棄を突きつけられるも、彼女は全く動じず、むしろ「面倒な義務からの解放」と清々していた。
謹んで、婚約破棄をお受けいたします。
パリパリかぷちーの
恋愛
きつい目つきと素直でない性格から『悪役令嬢』と噂される公爵令嬢マーブル。彼女は、王太子ジュリアンの婚約者であったが、王子の新たな恋人である男爵令嬢クララの策略により、夜会の場で大勢の貴族たちの前で婚約を破棄されてしまう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる