婚約破棄? あなたごときにできると思って?

碓氷雅

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35.…何事です

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 パレードは滞りなく行われ、婚約式は足早に進められた。ごく限られたストラテ王国の貴族と周辺諸国の使節とでこじんまりとしたその夜会は、ほぼ主役なしで進行していく。ノアの弟、シルバーはそもそも婚約式に興味がなく、婚約書類を餌にされ椅子に座っていたが30分が限界だった。ルークは花嫁姿を誰にも見せたくないのか、控室から出て行こうとしないからと私が呼ばれてしまった。

 あからさまにレオの顔色が暗くなったのは愉快だったけれど、侍従が困っているなら助けてやるのがノブレス・オブリージュというものだろう。エスコートされて会堂に入ってから一時たりとも手を離してくれなかったレオは眉をさげながら、送り出してくれた。

「付いていきたいんだけど、まだ少し仕事が残っててね。すぐに行く。…危険なことはしないで」

 アルと三人の侍女を連れて、私は重い足を控室に向けた。なんの気負いもないけれど、無関係の人間になってまでルークの世話をしなければならないなんて、呆れを通り越して疲労が降りかかる。

 控室の扉が見えると、様子が変なことに気づいた。護衛のための衛兵は少なくとも二人立っておくべきなのに、扉の前にはひとり。しかも衣装が乱れていた。何かと争ったかのように。

「…何事です」

「殿下にご挨拶申し上げます」

 恭しく頭を下げた衛兵はそのまま静かに語りだした。

 ルークは馬車から降りると力の限りに暴れたらしく、そのとき衛兵の衣装が乱され、破れたという。シルバーが抱えるとさすがにかなわないと思ったのか素直に着替えに応じ、今に至るが、今度は出ようとしない。あろうことか、「リリーを呼べ」と叫びまくっている、と。

 はあ、と大きくため息をつきたいところだが、そこはぐっと我慢して衛兵に合図した。

「開けなさい」

 静かに扉は開かれて、部屋の中の喧騒と散乱が飛び込んできた。床は足の踏み場のないほどに瓶やガラスの破片が散らばり、なぜか羽毛が部屋のいたるところを飾っている。血痕がないことが幸いかとさえ思えてきた。

「おい、リリー! どういうつもりだ!」

 こちらに気づくなり暴れていた手を止め、ルークは私に詰め寄ってきた。デクリート帝国にいた時とは立場が違う。即座に衛兵が間に入った。

「…貴様、何様のつもりだ」

「…」

 何をされるかもわからない相手を前に、ピクリとも動じないのはさすがだと思う。扉の前の彼よりも乱れた服装ではあるものの、王宮の衛兵としての誇りがその背に写っていた。

「俺はお前らストラテが望んだから来てやったんだ。だというのになんだ、この服は。俺を愚弄する気か? 命令を聞くメイドのひとりもいやしない」

 少しでも変わっていたなら、私の対応もそれなりだったろうに。たかだか数日で変わるはずもないかとため息がでていった。やり返してやりたいと思ったことはこの手では数えきれないほどにある。こうして重い足を運んでやったのも、何か一つでも胸のすくようなことがあればと思えばこそだ。

 真っ白なウエディングドレスに身を包むルークは、可笑しくはあるけれどその言動から哀れにすら思えてくる。

「皇子殿下。いったい何をお望みなのです? 殿下は本来であれば廃嫡されておりました。それが嫌で、こちらに嫁いでいらしたのですよね? 今この婚約式でそのドレスを着ることの何がおかしいというのでしょう」

「なっ…、いい加減にしろ!」

 私の胸倉でもつかもうと思ったのか前のめりになったルークの身体を、衛兵は重心の移動を生かして床に叩きつけた。ぐぐもった声で浅く呼吸を繰り返す。両腕を背中で抑えられ、恨めしくこちらを見上げるルークに、私は軽く微笑んでやった。

「殿下、衛兵を困らせないでくださいまし」

「おお、これはリリー様ではありませんか」

 開きっぱなしの扉から姿を見せたのはシルバーだった。

「して、これはどういう状況ですかな?」

「シルバー様、ごきげんよう。こちらの皇子殿下、シルバー様の迎えがないと皆様のところへ行きたくないとおっしゃっておいでですの」

「はあ? そんなこと、」

「おや、そうでしたか。なにぶんじっとしているのができない性分でして、外に出ておったのです。これならもっと早く来るべきでしたな」

 ルークの声は聞こえていないというようにシルバーは言う。目尻にしわのよった朗らかな笑みの裏が、気になって仕方ない。

「わたくしを呼べばシルバー様に会えるとお思いだったのでしょう。ではシルバー様、皇子殿下を会堂へお連れくださいますか?」

「無論」

 シルバーがルークの方に視線を移すとそれを合図に衛兵は素早く引き下がった。自由を得たルークはしかし、及び腰になりながらシルバーに抱えられる。

「シルバー様、そこの衛兵はわたくしを守ろうとしただけですわ。罰はご容赦を。シルバー様に会いたくてたまらないと、わたくしにせめよってこられたものですから」

「…お怪我はございませんでしたかな?」

「ええ。そこの衛兵のおかげですわ」

「それは重畳ちょうじょう。では、失礼」

 小刻みに震えて無抵抗なルークを満足げにシルバーは抱えていった。いわゆる、お姫様抱っこで。

 昔から単純明快な性格をしていたルークは、目上の者にはとことんいい顔をし、目下の者はとことん道具のように扱う。恐れをなすほどの脅威はデクリート帝国にはなく、蛇に睨まれた蛙のごとく動けない姿は新鮮だった。

 シルバーの笑った瞳の奥の闇は深い。私が助けられたのだと言わなければ衛兵はきつい罰を受けていたことだろう。どんな理由があったとしてもルークを傷つけたやつは許さない、とその目は語っていた。

「何か良いことがあったのかい?」

 声のした方を見れば、レオがにこやかに眉をさげていた。

「わたくし…笑ってました?」

「ああ。僕には見せたことのない笑みだったよ。…妬けるね。話は聞かせてもらえるだろう? 歩きながら話そうか」

「ふふ、もちろん」

 差し出された手を取り、腕に手をまわして、完璧なエスコートで私は会場にもどった。
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