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そして、時の鐘が鳴り響く。
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「ほらね、みんなかえってきたでしょ」
わたしが時空の裂け目から這いでると、ユウが魔獣に言う声が聞こえた。
そこには、ユウ、ルシア先生、そしてジーナ。
三人は、すでに裂け目から出て、魔獣に対峙していたのだ。
「ライラ、……あんたさあ」
と、ジーナがわたしを見て、言う。
「もう、なにやってんのよ。あんたは、やっぱり要領が悪くて、どうにもこうにも、あたしがついていないとダメねえ……」
「なっ!」
わたしは、そくざに言い返した。
「ジーナ、あたしだって、単純なあんたのことが心配で、いつもいつも、じぶんのことなんか考えてるヒマがないんだからね! それで、今だって、あんたのために、こうやって、がんばってもどって来たんじゃないの!」
「はあっ? そのわりには、ずいぶんもたもたしてたわよ、ライラ。あたし、まちくたびれちゃったよ」
「なにおう?!」
でも、わたしには、ほんとうはよくわかっていたのだ。
ジーナ、あなたは、わたしのこと、すごく心配してくれていたんだよね。
うん、その顔を見れば、わかるよ。
——時の裂け目での魔獣の誘い。
わたし自身が知らなかった、わたしの出自に遡って、そこから生をやり直すこと。
今のわたしには記憶がなく、思い出すこともできない、わたしのお父さんやお母さん。そして、あの地で滅んだ、わたしに繋がる一族の人たち。
あの虐殺を無かったことにして、そこからやり直す。
それは確かに、心を揺さぶられる誘いではあったのだけれど。
初めて知らされた事実の衝撃に、わたしは動揺し、なんだかいつもの自分のように考えをめぐらすこともできなかったのだけれど。
そしてそんなわたしに、魔獣の誘いは、いっしゅん魅力的に思えもしたのだけれど。
それでも、その時、わたしの心の奥から浮かんできたのは
——あなたたちは、けっして離れてはだめ
そう教えてくれた、未来のわたしとジーナ。
あの、思い出すたびに切なくなるような、まなざし。
あの虐殺の荒野から歴史をやり直すということは、わたしが生きてきた、この「今」を失うということだ。
そのやり直した時間に、ジーナは、ルシア先生は、ユウは、ちゃんといるの?
わたしにはわかる。
多分、そこに、みんなは、いない。
この、素敵な、大切な、わたしの愛すべき人たちは、そのとき、こんなふうに、わたしのそばにはいない。
それが、魔獣の誘いに同意してしまった時、おちこんでしまう陥穽の顎だ。
それが、はっきりとわかったんだ。
だからわたしは、なにがあっても、こんな罠なんかには引っ掛かるもんか。
ありがとう、ジーナ、わたしの大切な友だち。
あなたがいてくれるから。
でも、まあ、そんなわたしの口から出てきたのは
「あんた、ご立派なことを言ってますけどね、だいたい短絡的なあんたのせいで、あたしはいつもハラハラしてるのよ!」
なんて言葉ではあるんだけどね。
おのれぇっ!
魔獣が、もういちど時空の裂け目を開こうと、爪をふるった。
むっ、また、くるか?!
わたしは、警戒して身構える。
だが、——何も起こらなかった。
魔獣の爪は、もはや何も切り裂かず、ただ空を切るだけだったのだ。
「グガアッ?!」
魔獣自身が驚いていた。
何度も何度も爪をふるうが、必死の試みは虚しく終わる。
なぜだ、なぜだ、なぜだあああああっ!
ゴッセン2が、惑乱する時の魔獣に、
「……時の鐘の守護をうけ、すでにあなたの罠を乗り越えたこの方たちには、もはやあなたの力は及びません。今のあなたは、この方たちの『時』に干渉する力を失っているのです」
と告げた。
なんだとぉお?!
「むしろ、力の影響をうけるのは、あなた自身……」
魔獣は、ゴッセン2の言葉を聞くや否や、身を翻して、わたしたちから逃れようとする。
おのれ、おのれ、あの『生命の火花』さえあれば、この連中など!
魔獣は諦めない。
『天秤の間』に続く扉に向かって、魔獣の本体、乱れた渦が動き出す。
コマ落としに移動して、逃げようと——
しかし、その進路を、すっと移動したユウが阻んだ。
「通さないよ」
立ちふさがったユウの胸では、時の鐘が光を放っている。
魔獣は、あわてて向きを変え、ユウの横をすり抜けようとした。
だが、そのとき、時の鐘に引かれるように、わたしとジーナの体も、すべるように移動して、魔獣の左右を塞いだのだ。
「「「逃がさない」」」
魔獣の背後に、凜として立つのは、ルシア先生だ。
いまや、魔獣は、前をユウ、左右をわたしとジーナ、後ろをルシア先生に囲まれていた。
いや、ただしくは、『現在』、『過去』、『未来』、そして『希望』の、四つの時の鐘が、魔獣を包囲したというべきだろう。
時の鐘からは、緑の光があふれている。
今、鐘の音が鳴り響く。
強く、激しく、すべてを包むように。
あああああああ!!
魔獣はもはや、どちらにも動けなかった。
わたしたちに囲まれて、苦悶し、沸き立ち、乱れる、光と闇の乱流。
おおおおおおおぅ!
魔獣がうめく。
やめろ……やめろ……やめろ……
「あなたの時が、満ちたのですよ。ヴェレミア……」
ゴッセン2が、魔獣に呼びかけた。
鳴り続ける四つの時の鐘から溢れた光の流れが、魔獣に流れこんでいく。
ああああああああああ!
魔獣は絶叫した。
そして、わたしたちの目の前で、魔獣が、その姿を変えていった。
おどろおどろしく乱れていた、魔獣の渦に、少しずつ、秩序が現れた。
大きな渦、小さな渦が、関係し合い、同調し、一見するとすべてがばらばらに動いているようだけれども、全体としてみるとそこには、なにか美しい統一があらわれる。
たくさんの要素が、何の脈絡もなく、それぞれを叫んでいるかのような、それまでの状態とは、あきらかに様相が変わったのだ。
「ああ、鐘が溶けていく……」
ここに至り、時の鐘それ自身も光の粒に分解して、わたしたちを離れると、魔獣の中に吸いこまれていった。
そして——魔獣は、完全にその姿をかえた。
わたしたちの前に、今、存在しているのは、美しい光の渦であり、そして全体として見ると、ちいさな人の形をした何か……。
わたしたちが、この通路にとびこんだとき、扉をどんどんとたたいていた小さな子どもにも似た、何か。
「……ヴェレミア、あなたが、百五十年間、この『時の大伽藍』でさがしていた『わたし』。それはけして、あなたをここに封じ込めるために騙られただけの、偽りではないのですよ。今なら、わかるでしょう?」
ゴッセン2が、やさしく、魔獣だったものに語りかけた。
魔獣だったものは、ちいさくうなずく。
「では、行きましょう、ヴェレミア。あなたの時間へ。『天秤の間』を抜けて……」
ゴッセン2が、その手をさしのべた。
「わたくしが、あなたをお連れします」
かつて魔獣だったもの——ヴェレミアも、小さなその手をのばして。
そして、二人は、手をつないで歩き出した。
扉に向けて。
わたしたちが見まもる前で、『天秤の間』の扉が開く。
あふれる光。
その光は、時の鐘の光と同じものだ。
これこそがエラン・ヴィタール。
その光の中に、ゴッセン2に手を引かれ、ヴェレミアは踏み込んでいく。
「みなさま、ありがとうございました。ここで、お別れです」
ゴッセン2が、わたしたちをふりかえって言った。
小さなヴェレミアもこちらを見た。
二人は頭を下げた。
そして、静かに、扉が閉まる。
「お別れって……ちょっと、どうなってるのこれ?」
と、ジーナが我に返って、口にした。
「あの人たち、勝手に、どこか行っちゃったみたいですけど?」
「うーん、よくわからないけど、めでたし、めでたしじゃないのかな」
「うん、わたしもそう思うわ、ユウ。よかったわねえ」
「ちょっと、ちょっと、ユウさん、ルシア先生。お二人はなんだか納得してるみたいですけど、あたしには、なにがなんだかサッパリわからないよ!」
わたしもそう思う。
そして、もう一つの疑問。
「ねえ、ゴッセンさんはいなくなっちゃったし、時の鐘もなくなっちゃったし、あたしたち、ここから、どうやって帰るんですか?」
「あっ!」
わたしが時空の裂け目から這いでると、ユウが魔獣に言う声が聞こえた。
そこには、ユウ、ルシア先生、そしてジーナ。
三人は、すでに裂け目から出て、魔獣に対峙していたのだ。
「ライラ、……あんたさあ」
と、ジーナがわたしを見て、言う。
「もう、なにやってんのよ。あんたは、やっぱり要領が悪くて、どうにもこうにも、あたしがついていないとダメねえ……」
「なっ!」
わたしは、そくざに言い返した。
「ジーナ、あたしだって、単純なあんたのことが心配で、いつもいつも、じぶんのことなんか考えてるヒマがないんだからね! それで、今だって、あんたのために、こうやって、がんばってもどって来たんじゃないの!」
「はあっ? そのわりには、ずいぶんもたもたしてたわよ、ライラ。あたし、まちくたびれちゃったよ」
「なにおう?!」
でも、わたしには、ほんとうはよくわかっていたのだ。
ジーナ、あなたは、わたしのこと、すごく心配してくれていたんだよね。
うん、その顔を見れば、わかるよ。
——時の裂け目での魔獣の誘い。
わたし自身が知らなかった、わたしの出自に遡って、そこから生をやり直すこと。
今のわたしには記憶がなく、思い出すこともできない、わたしのお父さんやお母さん。そして、あの地で滅んだ、わたしに繋がる一族の人たち。
あの虐殺を無かったことにして、そこからやり直す。
それは確かに、心を揺さぶられる誘いではあったのだけれど。
初めて知らされた事実の衝撃に、わたしは動揺し、なんだかいつもの自分のように考えをめぐらすこともできなかったのだけれど。
そしてそんなわたしに、魔獣の誘いは、いっしゅん魅力的に思えもしたのだけれど。
それでも、その時、わたしの心の奥から浮かんできたのは
——あなたたちは、けっして離れてはだめ
そう教えてくれた、未来のわたしとジーナ。
あの、思い出すたびに切なくなるような、まなざし。
あの虐殺の荒野から歴史をやり直すということは、わたしが生きてきた、この「今」を失うということだ。
そのやり直した時間に、ジーナは、ルシア先生は、ユウは、ちゃんといるの?
わたしにはわかる。
多分、そこに、みんなは、いない。
この、素敵な、大切な、わたしの愛すべき人たちは、そのとき、こんなふうに、わたしのそばにはいない。
それが、魔獣の誘いに同意してしまった時、おちこんでしまう陥穽の顎だ。
それが、はっきりとわかったんだ。
だからわたしは、なにがあっても、こんな罠なんかには引っ掛かるもんか。
ありがとう、ジーナ、わたしの大切な友だち。
あなたがいてくれるから。
でも、まあ、そんなわたしの口から出てきたのは
「あんた、ご立派なことを言ってますけどね、だいたい短絡的なあんたのせいで、あたしはいつもハラハラしてるのよ!」
なんて言葉ではあるんだけどね。
おのれぇっ!
魔獣が、もういちど時空の裂け目を開こうと、爪をふるった。
むっ、また、くるか?!
わたしは、警戒して身構える。
だが、——何も起こらなかった。
魔獣の爪は、もはや何も切り裂かず、ただ空を切るだけだったのだ。
「グガアッ?!」
魔獣自身が驚いていた。
何度も何度も爪をふるうが、必死の試みは虚しく終わる。
なぜだ、なぜだ、なぜだあああああっ!
ゴッセン2が、惑乱する時の魔獣に、
「……時の鐘の守護をうけ、すでにあなたの罠を乗り越えたこの方たちには、もはやあなたの力は及びません。今のあなたは、この方たちの『時』に干渉する力を失っているのです」
と告げた。
なんだとぉお?!
「むしろ、力の影響をうけるのは、あなた自身……」
魔獣は、ゴッセン2の言葉を聞くや否や、身を翻して、わたしたちから逃れようとする。
おのれ、おのれ、あの『生命の火花』さえあれば、この連中など!
魔獣は諦めない。
『天秤の間』に続く扉に向かって、魔獣の本体、乱れた渦が動き出す。
コマ落としに移動して、逃げようと——
しかし、その進路を、すっと移動したユウが阻んだ。
「通さないよ」
立ちふさがったユウの胸では、時の鐘が光を放っている。
魔獣は、あわてて向きを変え、ユウの横をすり抜けようとした。
だが、そのとき、時の鐘に引かれるように、わたしとジーナの体も、すべるように移動して、魔獣の左右を塞いだのだ。
「「「逃がさない」」」
魔獣の背後に、凜として立つのは、ルシア先生だ。
いまや、魔獣は、前をユウ、左右をわたしとジーナ、後ろをルシア先生に囲まれていた。
いや、ただしくは、『現在』、『過去』、『未来』、そして『希望』の、四つの時の鐘が、魔獣を包囲したというべきだろう。
時の鐘からは、緑の光があふれている。
今、鐘の音が鳴り響く。
強く、激しく、すべてを包むように。
あああああああ!!
魔獣はもはや、どちらにも動けなかった。
わたしたちに囲まれて、苦悶し、沸き立ち、乱れる、光と闇の乱流。
おおおおおおおぅ!
魔獣がうめく。
やめろ……やめろ……やめろ……
「あなたの時が、満ちたのですよ。ヴェレミア……」
ゴッセン2が、魔獣に呼びかけた。
鳴り続ける四つの時の鐘から溢れた光の流れが、魔獣に流れこんでいく。
ああああああああああ!
魔獣は絶叫した。
そして、わたしたちの目の前で、魔獣が、その姿を変えていった。
おどろおどろしく乱れていた、魔獣の渦に、少しずつ、秩序が現れた。
大きな渦、小さな渦が、関係し合い、同調し、一見するとすべてがばらばらに動いているようだけれども、全体としてみるとそこには、なにか美しい統一があらわれる。
たくさんの要素が、何の脈絡もなく、それぞれを叫んでいるかのような、それまでの状態とは、あきらかに様相が変わったのだ。
「ああ、鐘が溶けていく……」
ここに至り、時の鐘それ自身も光の粒に分解して、わたしたちを離れると、魔獣の中に吸いこまれていった。
そして——魔獣は、完全にその姿をかえた。
わたしたちの前に、今、存在しているのは、美しい光の渦であり、そして全体として見ると、ちいさな人の形をした何か……。
わたしたちが、この通路にとびこんだとき、扉をどんどんとたたいていた小さな子どもにも似た、何か。
「……ヴェレミア、あなたが、百五十年間、この『時の大伽藍』でさがしていた『わたし』。それはけして、あなたをここに封じ込めるために騙られただけの、偽りではないのですよ。今なら、わかるでしょう?」
ゴッセン2が、やさしく、魔獣だったものに語りかけた。
魔獣だったものは、ちいさくうなずく。
「では、行きましょう、ヴェレミア。あなたの時間へ。『天秤の間』を抜けて……」
ゴッセン2が、その手をさしのべた。
「わたくしが、あなたをお連れします」
かつて魔獣だったもの——ヴェレミアも、小さなその手をのばして。
そして、二人は、手をつないで歩き出した。
扉に向けて。
わたしたちが見まもる前で、『天秤の間』の扉が開く。
あふれる光。
その光は、時の鐘の光と同じものだ。
これこそがエラン・ヴィタール。
その光の中に、ゴッセン2に手を引かれ、ヴェレミアは踏み込んでいく。
「みなさま、ありがとうございました。ここで、お別れです」
ゴッセン2が、わたしたちをふりかえって言った。
小さなヴェレミアもこちらを見た。
二人は頭を下げた。
そして、静かに、扉が閉まる。
「お別れって……ちょっと、どうなってるのこれ?」
と、ジーナが我に返って、口にした。
「あの人たち、勝手に、どこか行っちゃったみたいですけど?」
「うーん、よくわからないけど、めでたし、めでたしじゃないのかな」
「うん、わたしもそう思うわ、ユウ。よかったわねえ」
「ちょっと、ちょっと、ユウさん、ルシア先生。お二人はなんだか納得してるみたいですけど、あたしには、なにがなんだかサッパリわからないよ!」
わたしもそう思う。
そして、もう一つの疑問。
「ねえ、ゴッセンさんはいなくなっちゃったし、時の鐘もなくなっちゃったし、あたしたち、ここから、どうやって帰るんですか?」
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