前世

かつエッグ

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前世

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 バックヤードで、少なくなったペットボトルを補充し、レジに戻った。
 
「ありあしたー」

 リナが、買い物をすませてでていくお客さんに、声をかけたところだった。
 いきなり、サイレンが鳴り響いた。
 警告灯を赤く点滅させたパトカーが、店の前の道路を走りすぎるのを、俺とリナは並んで見ていた。

「そこの白のけい、道の脇に停まってくださいー」

 警察官がマイクで告げる。

「あっ、またやられましたね」

 リナが言う。

「だな」
「今日はこれで三台目ですねえ」
「気の毒にな」

 俺たちがバイトをしているこのコンビニの前の通り。
 横断歩道があるのだが、パトカーがそのすぐ脇の路地で待機しており、歩行者がいるのに一時停止しない車を、次々に摘発する。
 地元の人は皆知っているので、その場所をこれ以上ないくらいに慎重に通過するのだが、よそからきた運転手は、まんまとひっかかる。それはもう、見事なくらい次々に捕まっている。
 このコンビニでバイトを始めたときは、とてもびっくりした。
 なにか事件が起きたのかと焦ったのだが、前からいるパートのおばさんが、にこにこしながら事情を説明してくれたのだった。

 リナは俺の大学の後輩だ。
 俺は教授に命じられて、ゼミの説明会のスタッフをやった。
 その説明会にリナは顔を出し、そしてなにが気に入ったのか、このゼミを選んだのだ。選択は決まったが、まだ専門課程のカリキュラムは始まっていないので、毎日顔を合わせるようなことはなく、お互い、名前と顔を知っている程度の薄い関係だった。
 ところが、たまたま俺が働いているときに、この店に買い物にきて、それがきっかけでリナもここでバイトをするようになったのだ。

 深夜だった。

「あっ、安井センパイ、ここでバイトしてたんだ」

 と、レジに立つ俺を見て、驚いた顔をした。
 そのときリナは、彼氏なのだろうか、俺より若そうなひょろりとした男と二人で買い物にきたのだった。なにしろ時刻は夜中の2時をまわっていた。童顔で小柄なリナが、そんな時間に動き回っていると補導されかねない気もする。
 そんな時刻に、二人でやってくるところをみると、やっぱりあれは彼氏なんだろう。
 その彼氏は、俺はなんだかあまり好きになれない感じの男だった。缶ビールやら、レンジでチンするパスタやらといっしょに、電子タバコを買っていった。
 なんだかなあと思ったが、まあ、他人の俺が口を出すような話でもなく、俺は普通に応対したのだった。

「おまえさあ」

 と、二人が買い物を終えて、出て行き、店の自動ドアが閉まるとき、男がリナに何事か言うのが聞こえた。
 その横柄な口調に、ますます俺の、彼氏に対する好感度は下がっていったのだが。

 それからしばらくして、俺がいつものように勤務に入ると、店長が言った。

「この子、新しく入ったから。お前の後輩らしいな。面倒見ろよ」
「センパイ、よろしくね!」

 研修中の札をつけた、リナだったのだ。

 リナはすぐに仕事を覚え、独り立ちし、よく働いた。
 ときどきシフトが重なってリナといっしょになる。
 客がとぎれたときなど、世間話をするが、彼氏の話題はでない。
 リナは、辞めてしまうこともなく、バイトを続けていた。
 まあ、それは俺も同じなのだけれど。

 そんな深夜のバイトで。
 夜中の2時過ぎ。
 そういえば、リナがあの男とやってきたのも、こんな時間だったなと思っていたら、ドアが開く。

「いらっしゃいませー」

 声をかけて気付いた。
 あの男だ。
 しかし、男と一緒に入ってきたのは、リナではなかった。
 そいつは、リナより背が高く、大人びた感じの女の子を連れていた。
 男は相変わらず、電子タバコを買った。そして、酎ハイの缶や、砂肝といっしょに超薄スキンも一箱、籠に放り込んで、女の子に買わせていた。
 
 次のシフトでリナと一緒になった。
 俺はかってになんだか気まずかった。もちろん男のことなど聞けないままだ。
 リナは、そんな俺の内心には気付かず、いつも通りにきびきび働く。
 客がいなくなった合間に、リナが、唐突に言った。

「センパイ、前世療法ってしってますか?」
「ぜんせいりょうほう? なんだそりゃ」

 俺は頭をひねる。

「前世っていったら、生まれ変わりですよ」
「はあ?」
「つまりですね」

 とリナが言う。

「自分がこの世に生まれてくる前の生では、どんな人間だったのか。いつごろ、どこに生まれて、どういう一生を送ったのかってことです」
「それが?」
「それを教えてくれるんです。そういうカウンセリング? 占い? みたいなのがあるんですよ」
「いや、そんな」

 俺は手を振った。

「ほんとかよ。なんだか、うさん」

 胡散くさいと言おうとしたが、リナがその前に言った。

「予約しました。来週、いってきます」
「そ、そうなのか」

 大丈夫なんだろうか、これは。
 詐欺とかじゃないのか?
 俺は心配した。
 しかし、リナはやる気満々だった。

「それって……いくらするの? ただってことはないよな?」
「アドバイスもしてくれて、一時間で八千円だそうです」
「うーん……」

 高いのか安いのか、さっぱりわからない。

「けっこう人気なんですよ。友だちも、何人も行ってます」
「で、どうだったって?」
「みんな、納得してました。ヨーロッパのお姫さまとか言われて、なるほど、そうだったのかあって」

 どうも信じがたいのだが。

「行ったら、センパイに報告しますよ!」

 リナは、力強く言った。

「あ、お客さん。イラッシャイアセー!」

 スマホで検索してみたら、「前世療法」という項目で大量にヒットする。
 知らなかったが、けっこう流行っているのかもしれない。
 リナが行くといっていた、前世カウンセリングルーム「アカシックワールド」の名前も出ていた。
 口コミ欄をみると評判はよいが、まあ、当てにはならない。

 そのあと、俺とリナのシフトはなかなか重ならず、大学でも会うこともなく、気にはなっていたが、話を聞く機会がなかった。
 リナはその前世療法のところに行ったのだろうか。
 行って、何を言われたのだろう。
 リナの前世は、どんな人間なのか。
 いやそもそも、なぜリナは前世を知りたがるのか?
 なにかいろいろなことを、もやもやと考えてしまったのだ。

 ようやく、シフトが一緒になった。
 しかし、その日はなんだか客が多くて、なかなか俺たちは、私事を話す時間がない。
 客が途切れたのは、また、夜中過ぎだった。

「で……」

 俺の方から切り出した。

「行ったのか?」

 リナはうなずく。

「行きました」
「そっか……で、どうだった?」
「ううん……」

 リナは微妙な顔をした。

「だめだったのか? 前世見つけられなかったのか?」
「そんなことはないんですが……でもなあ……」

 歯切れが悪いのだ。

「言いにくいような前世だったとか?」
「——アトランティス」
「えっ?」
「あたし、アトランティスの、王女だっていうんですよ」
「アトランティスっていったら、お前」
「そうなんですよ。古代の哲学者プラトンが記録に残している、大地震で海に沈んだ幻の大陸アトランティス。そのアトランティス王朝の、最後の王女だって」
「すごいじゃないか」
「アトランティスが滅亡したとき、王宮と運命を共にしたらしいです」
「お前……高貴なお方だったのか……」

 思わず、俺は口に出し、まじまじとリナを見た。
 アトランティスの王女の面影を、リナの中に探したのだった。
 だが、リナは少しもうれしそうじゃなかった。
 たとえそれがインチキだったとしても、あなたは前の世で王女様だったんですよと言われたら、いやな気はしないんじゃないかと俺なんか思う。
 でも、リナはそのお告げに喜ぶ気配はなかった。

「どうした? 思ってたのと違ったのか」
「どうなんですかねえ……なんだかしっくりこなくて」

 納得のいかない顔をするリナ。
 だが、俺になにかいえるわけでもない。

「そうか……せっかく八千円も払ったのにな。残念だったな」

 その日のシフトが終わって、先に上がるリナに、俺は店の自動機で作った蜜芋ソフトをおごってやった。

「ああ甘い。生き返るー。センパイ、ありがとうございます」

 リナは蜜芋ソフトを舐めながら、思い出したように言った。

「あ、そうだった」
「どうした」
「その、前世カウンセリングの人といろいろ話したんですが」
「うん」
「この世で身近な人は、前世でもやっぱり、身近にいて縁のあるひとなんだそうです」
「ほう」
「それで、あたし、質問したんですよ。家のみんな、お父さんは前世ではあたしとどんな関係だったか、お母さんは、弟は、友達のはどうかとか」
「それは聞くだろうな」
「センパイのことも聞きましたよ」
「おう、聞いてくれたのか」
「はい、今バイトをいっしょにやってる安井センパイはどうですか、って」

 すこしうれしかった。

「どうだった、どんなご縁だったんだい?」
「あの……気を悪くしないでくださいね」
「えっ、なんか、俺ひどいやつだったのか?」
「いえ……そうじゃないんですが……ほんとに、怒らないでくださいね」
「怒るわけないだろ、そのカウンセラーがいう事なんだし」
「はい。あの、センパイは、前世では」
「うん」
「犬」
「はあっ?」
「センパイ、犬だって」

 その瞬間、俺の頭の中には、まるで落雷をうけたかのようにありありと、ひとつの光景が浮かんだのだ。
 きれいな薄絹のドレスをまとい、額に輝くフェロニエールをつけた、臈長ろうたけた王女様がさっそうと歩いていく。
 その姿を、道端に腹ばいになって、だらんと舌を出し、ボンヤリ眺めている、茶色い野良犬。雑種であろう。
 そんな映像が、まざまざと再現されてしまったのだ。
 俺を直撃したその光景に呆然となっていると、すみません、センパイ、ひどいですよね、とリナが謝った。

 ちがう、そうじゃないんだよリナ。
 君の言葉に気分を害したんじゃないんだ。
 俺は頭に浮かんだイメージに驚いただけなんだ。

 ——さて。
 あのとき俺の脳裏に閃いた光景はなんなのか。
 前世は存在するのか。
 俺もその前世療法をうけてみるべきなのか。
 結論はまだでていない。
 俺とリナは、今日もバイトを続けている。

 パトカーのサイレンが鳴る。

「あっ、またやられた」
「ああ、今日は、これで四台か」
「気の毒ですねえ」
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