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第5章 飛竜乗雲の章
第198話 吉田城をめぐる攻防戦
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永禄七年十一月。駿府館には今川上総介氏真から召喚された元吉田城代・大原肥前守資良が呼び出されていた。
五カ月前、家康率いる松平方の軍勢に攻められ、降伏開城した大原肥前守。彼としては、どの面下げて主君にまみえれば良いのやら、という感情が漏れ出したような顔つきになるのも無理はなかった。
「肥前守、何故呼び出されたか、分かっておるか」
「はっ、ははっ!吉田城を失いし罪、万死に値しまする!それゆえ、切腹せよとお命じになられるものと心得ております」
「愚か者、予がそのようなことを命じるために呼び出すと思うたか」
ぴしゃり、と大原肥前守を𠮟りつけると、威厳を保ったまま氏真は呼び出したことの理由を告げていく。
「良いか、そなたには吉田城の奪還を命じる」
「なんと、吉田城の奪還をと!」
「そうじゃ。飯尾豊前守との和睦が成せた今、心置きなく東三河へ軍勢を送り込めよう」
曳馬城主・飯尾豊前守連龍との和睦によって、今川軍は曳馬城攻めやその牽制に兵力を割く必要がなくなった。ゆえに、一度松平勢に奪われた東三河支配の重要拠点・吉田城の奪還を成すべく、軍勢を動かす余白が生じたのである。
「松平の調略に乗っておった宇津山城主の朝比奈真次も再び恭順の意を示して参った。ゆえに、そなたは堀江城の大澤左衛門佐とともに宇津山城へ入れ。そなたの手勢に朝比奈勢と大澤勢を加えれば、吉田城を奪い返すことも叶うであろう」
「なんと!そこまで調略が済んだおりましたか……!さすがは御屋形様!然らば、二つお願いしたき儀がございまする」
「申してみよ」
眼の前にいる大原肥前守は一体何を願い出ようというのか。そこが読み切れないままではあったが、氏真は願いだけでも聞き届けようと、申し述べることを許可する。
「はっ、まず一つは某とともに吉田城の守備についておった鵜殿新七郎と鵜殿藤三郎の兄弟も伴って参りたく。旧領奪還を宿願とする鵜殿勢も加わるとなれば、士気は大いに奮い立ちましょう」
「おお、鵜殿兄弟をとな。よかろう、連れていくがよい。して、あとの一つは?」
「はっ、三浦右衛門大夫率いる三浦勢も後詰めとして吉田城奪還へ投入していただきたく」
「ふっ、右衛門大夫はそなたの子ではないか。駿河三浦氏の名跡を継いだ我が子とともに吉田城を奪還したいと申すか」
「はっ、ははっ!」
「右衛門大夫は予の側近でもある。予の側近も三河入りするとなれば、兵らも奮起しようものぞ。良かろう、許可する。その代わり、死ぬ気で吉田城を取り戻せ。不首尾に終わった暁には――」
「はっ、その折にはこの腹かっ切ってお詫びいたしまする」
大原肥前守の覚悟を聞き届け、今川上総介氏真は吉田城奪還を改めて命じた。その恩情と期待に応えるべく、駿府を発した大原肥前守は堀江城で大澤左衛門佐と合流し、浜名湖西岸の宇津山城へ入城した。
「各々方、我らはこれより三河へ入り、吉田城を松平の手より取り戻す!城代は戸田主殿助重貞!この裏切り者を成敗し、吉田城を奪い返すのだ!」
一度奪われた城を奪い返す。大原肥前守の心意気に鵜殿新七郎氏長、鵜殿藤三郎氏次といった若者らは狂喜する。そして、父の演説を耳にした三浦右衛門大夫真明もまた笑みを浮かべていた。
「肥前守殿、この左衛門佐に策がございまする」
「ほう、策とな」
「然り。城代の戸田主殿助が居城はあくまでも二連木城にございます。まずはこの二連木城を攻め、慌てて救援に駆け付けたところを急襲し、一挙に戸田主殿助の首を挙げるというものでござる」
「ふむ、それは良い。たしか今、二連木城を守っておるのは主殿助が弟の甚平であったな。そこには父や妻子らもおろうで、まずはここを攻め落とすとしようぞ」
作戦は定まった。二連木城攻めには宇津山城の朝比奈勢と堀江城の大澤勢といった遠江衆が。そして、その道中に伏せたのは、大原肥前守・三浦右衛門大夫の父子、鵜殿新七郎・藤三郎兄弟率いる部隊であった。
「今じゃ、かかれぇっ!」
齢三十九ともなる堀江城主の号令に応じ、朝比奈勢と大澤勢による二連木城攻めが突如開始された。今川勢の接近に気づくことのできなかった二連木戸田勢は慌てて城の門扉を閉ざし、急いで迎撃を開始していく。
「甚平様!敵は宇津山城の朝比奈勢、堀江城の大澤勢と見受けられまする!」
「ちっ、飯尾豊前守が降伏してこちらへ兵を回してきよったか!城に残っておる兵力では長くは持ちこたえられぬ!狼煙を上げ、このことを吉田城の兄上へ伝えるのだ!」
「はっ!ではただちに狼煙を上げまする!」
二連木城から危機を報せる狼煙が上がったことは、すぐ西の吉田城にいる戸田主殿助からもはっきりと視認できた。こうして狼煙が上がる時点で、考えられることは今川方の軍勢が攻め寄せてきたことのみ。そうでなければ、狼煙を上げる必要がない。
「よしっ、ここは弟の窮地を救いに参るぞ!留守居の兵だけを残し、あとの者はわしとともに二連木城へ向かうのじゃ!」
二連木城から昇る狼煙に、戸田主殿助はすぐにも反応した。ただちに軍勢を率いて吉田城を出陣し、弟を救うべく迅速に行軍していく。しかし、彼が二連木城から昇る火の手が見えた頃、異変は起こった。
「なにっ!これは敵の伏せ勢か!ちっ、城から火の手が上がっておるというのに、これでは進めぬではないか!」
弟・甚平忠重が留守を守る二連木城から火の手が上っているのが双眸で捉えられる距離まで来たところで敵の伏兵。戸田主殿助は馬上で歯ぎしりしながらも左右の伏兵を迎え撃つよう指示し、陣形を整えていく。
しかし、戸田主殿助の予想に反して伏兵の数は多かった。何より、目の前に翻る旗が大原肥前守や三浦右衛門大夫、上之郷鵜殿家の旗であったことに度肝を抜かれてしまっていた。
そして、動揺する戸田主殿助をあざ笑うかのように、栗毛の馬に跨り、大原肥前守が姿を現したのである。
「馬鹿な、大原肥前守自らがここで待ち伏せているというのか!」
「いかにも!さあ、大人しく首を差し出すがよい!」
「黙れっ!お主らにくれてやる首などないわ!」
不意打ちを受けながらも力戦する戸田勢であったが、次第に追い詰められていく。そして、ついに戸田主殿助も幾筋もの矢を受けて落馬してしまう。
「くそっ、このようなところで……!」
落馬し、強く腰を打ちながらも起き上がってきた戸田主殿助。しかし、そんな青年の生き抜こうとする姿を嘲笑するように矢が雨あられと浴びせられ、ほぼ全滅に近い形で戸田勢は敗退した。
「父上、憎っくき戸田主殿助を討ち取りましたな」
「これで良い。二連木城もまもなく落城となろう故、我らはこの隙に吉田城へ向かう!皆、休むのは吉田城を取り戻した後じゃ!もうひと踏ん張りじゃぞ!」
大原肥前守はやはり傑物であった。今川義元より東三河の要衝・吉田城を託されただけのことはある、というべきか。百戦錬磨の大原肥前守に励まされ、今川方の軍勢は間髪入れず吉田城攻めを決行。
戸田主殿助の首級を掲げながら進軍してきた今川方の軍勢を前に戦意喪失した城兵らは城代不在もあり、我先にと逃げ散り、大規模な城攻めをするまでもなく、今川方の軍勢によって占拠された。
この戸田主殿助討ち死にと吉田城陥落はそれぞれ二連木城の戸田甚平のもとへ、ただちに報じられた。
「なんと!兄上が討たれ、吉田城は敵の手に落ちたか……!」
二連木城救援に向かう途中、今川方の待ち伏せを受けて討たれたというのである。
――あの時、自分が狼煙を上げなければ兄も死ぬことはなく、吉田城も健在であったものを。
そう自責する戸田甚平を励ましたのは、老父・全香であった。
「甚平よ。かくなるうえは二連木城も捨てるほかあるまい」
「しかし!ここは当家の居城!それを捨てて逃げよと!?」
「そうじゃ!生きてさえおれば、いつかまた奪い返すことも叶おう!今は岡崎城の蔵人佐殿へこのことを一刻も早く伝えることじゃ!ここにはそなたの妻子だけでなく、身ごもっておる主殿助が妻もおるのじゃ。ここで皆が討たれては戸田の嫡流は断絶ともなる。それだけは絶対に避けねばならぬ!」
その老父の説得に、意地を張って抵抗を続けようとする戸田甚平も折れるほかなかった。そうして戸田甚平はわずかな手勢に守られながら、一族を連れて二連木城を脱出。吉田城に続き、二連木城もまた今川方の手に渡ったのである。
この一大事は二連木城を脱した戸田甚平と全香によって、晩秋を迎え、落葉が目立つ時分の岡崎城へと報告されたのであった。
「殿!此度の失態、まこと面目次第もございませぬ!」
「良いのじゃ、甚平。これは両城を手薄にしておった家康の落ち度。来年早々にはわし自ら東三河へ出兵し、吉田城も二連木城も奪い返すと約束しようぞ」
自らの落ち度であると認めた家康の発言に、戸田甚平は悔し涙をこぼす。しかし、家康の言葉に誇張表現は一切なかった。守りが手薄になっていたことは紛れもない事実であり、ただその隙を敵に突かれただけなのである。
「じゃが、主殿助を失ったは吉田城を失ったよりも痛手じゃ。わが継母から見て、主殿助は甥。わしにとっては血の繋がりこそないが、主殿助も甚平も従兄弟同然じゃと思うておる」
「その言葉を聞き、兄もあの世で大層喜んでおりましょう」
「うむ。その兄は二連木戸田家の当主。当主不在のままにはしておけぬゆえ、家督を実弟である甚平、そなたが継承せよ。そのうえで、二連木城奪還に向けての戦に備えてもらいたい」
「お、お待ちください!」
当主である戸田主殿助重貞が戦死した。これを受けて、実弟の戸田甚平忠重が家督を継承する。家康が命じたのはつまりそういうことであった。しかし、これに待ったをかけたのは当の戸田甚平であった。
「いかがした、甚平。何か不都合なことを申したか」
「そうではございませぬ。されど、家督を某が継ぐわけには参りませぬ」
「それは何故じゃ」
「兄には身ごもっておる妻がおりまする。それゆえ、家督はその子へ継がせていただきたいのです」
戸田甚平の申し出はもっともであった。前当主の弟が家督を継承するよりも、子どもが継承する方が自然な流れである。それを擁護するように、後ろで控えていた隠居の全香が口を開く。
「恐れながら、生まれてくる子こそが二連木戸田家の嫡流。ゆえに、そちらへ家督継承するようお命じいただけぬでしょうか」
「それは無理な相談じゃ。まだ生まれてくる子が男子か女子かも分からぬのではな。男子であれば、当主として認められようが、女子であったならば、どのみち甚平、そなたが当主となる」
「ならば、その子が生まれてから家督のことを命じていただければ……」
「ならぬ。今の二連木戸田家は当主が戦死し、家臣らの心はまとまっておらぬ。そこへ、当主は赤子が産まれるまで待っておっては、家中の混乱は広まるばかり。であるならば、弟である甚平が継承し、家中を統制するが至極当然の対応であろう」
家康の言うことは道理に適っていた。それだけに、戸田甚平も全香も口をつぐむよりほかはなかった。
「それに甚平。そなたにはすでに虎千代という嫡男がおる。齢はたしか三ツであったか」
「はい。永禄五年の生まれにございますゆえ」
「すでに嫡男もおるそなたが継いだ方が二連木戸田家は安泰であろう。それもあって、わしはそなたに家督を継承するよう命じておるのじゃ」
そこまで言われては、戸田甚平も二連木戸田家の当主を引き受けないわけにはいかなかった。だが、兄をみすみす死なせてしまったと考える戸田甚平にとって、心のうちに大きなしこりを残すことにもなる。
「承知いたしました。主命とあらば、謹んで拝命いたしまする」
「うむ。二連木戸田の力は東三河平定に不可欠じゃ。しかと励んでくれよ」
「ははっ!これより先、兄の分まで殿の御為、犬馬の労も惜しまず働いて参る所存にございます!」
晩秋を迎えた三河において、二連木戸田家の家督は戸田甚平が継承した。戸田主殿助を失い、吉田城も二連木城も今川方の手中に収められてしまった苦しい状況の中で、家康は逆転の一手を模索していくことになる。
かくして永禄七年も霜月から師走へと移り変わり、京では室町幕府第十三代将軍・足利義輝肝いりの二条御所の建築が始まるなどの動きが見られたが、三河では嵐の前の静けさと言わんばかりの平穏が訪れ、永禄八年を迎えるのであった――
五カ月前、家康率いる松平方の軍勢に攻められ、降伏開城した大原肥前守。彼としては、どの面下げて主君にまみえれば良いのやら、という感情が漏れ出したような顔つきになるのも無理はなかった。
「肥前守、何故呼び出されたか、分かっておるか」
「はっ、ははっ!吉田城を失いし罪、万死に値しまする!それゆえ、切腹せよとお命じになられるものと心得ております」
「愚か者、予がそのようなことを命じるために呼び出すと思うたか」
ぴしゃり、と大原肥前守を𠮟りつけると、威厳を保ったまま氏真は呼び出したことの理由を告げていく。
「良いか、そなたには吉田城の奪還を命じる」
「なんと、吉田城の奪還をと!」
「そうじゃ。飯尾豊前守との和睦が成せた今、心置きなく東三河へ軍勢を送り込めよう」
曳馬城主・飯尾豊前守連龍との和睦によって、今川軍は曳馬城攻めやその牽制に兵力を割く必要がなくなった。ゆえに、一度松平勢に奪われた東三河支配の重要拠点・吉田城の奪還を成すべく、軍勢を動かす余白が生じたのである。
「松平の調略に乗っておった宇津山城主の朝比奈真次も再び恭順の意を示して参った。ゆえに、そなたは堀江城の大澤左衛門佐とともに宇津山城へ入れ。そなたの手勢に朝比奈勢と大澤勢を加えれば、吉田城を奪い返すことも叶うであろう」
「なんと!そこまで調略が済んだおりましたか……!さすがは御屋形様!然らば、二つお願いしたき儀がございまする」
「申してみよ」
眼の前にいる大原肥前守は一体何を願い出ようというのか。そこが読み切れないままではあったが、氏真は願いだけでも聞き届けようと、申し述べることを許可する。
「はっ、まず一つは某とともに吉田城の守備についておった鵜殿新七郎と鵜殿藤三郎の兄弟も伴って参りたく。旧領奪還を宿願とする鵜殿勢も加わるとなれば、士気は大いに奮い立ちましょう」
「おお、鵜殿兄弟をとな。よかろう、連れていくがよい。して、あとの一つは?」
「はっ、三浦右衛門大夫率いる三浦勢も後詰めとして吉田城奪還へ投入していただきたく」
「ふっ、右衛門大夫はそなたの子ではないか。駿河三浦氏の名跡を継いだ我が子とともに吉田城を奪還したいと申すか」
「はっ、ははっ!」
「右衛門大夫は予の側近でもある。予の側近も三河入りするとなれば、兵らも奮起しようものぞ。良かろう、許可する。その代わり、死ぬ気で吉田城を取り戻せ。不首尾に終わった暁には――」
「はっ、その折にはこの腹かっ切ってお詫びいたしまする」
大原肥前守の覚悟を聞き届け、今川上総介氏真は吉田城奪還を改めて命じた。その恩情と期待に応えるべく、駿府を発した大原肥前守は堀江城で大澤左衛門佐と合流し、浜名湖西岸の宇津山城へ入城した。
「各々方、我らはこれより三河へ入り、吉田城を松平の手より取り戻す!城代は戸田主殿助重貞!この裏切り者を成敗し、吉田城を奪い返すのだ!」
一度奪われた城を奪い返す。大原肥前守の心意気に鵜殿新七郎氏長、鵜殿藤三郎氏次といった若者らは狂喜する。そして、父の演説を耳にした三浦右衛門大夫真明もまた笑みを浮かべていた。
「肥前守殿、この左衛門佐に策がございまする」
「ほう、策とな」
「然り。城代の戸田主殿助が居城はあくまでも二連木城にございます。まずはこの二連木城を攻め、慌てて救援に駆け付けたところを急襲し、一挙に戸田主殿助の首を挙げるというものでござる」
「ふむ、それは良い。たしか今、二連木城を守っておるのは主殿助が弟の甚平であったな。そこには父や妻子らもおろうで、まずはここを攻め落とすとしようぞ」
作戦は定まった。二連木城攻めには宇津山城の朝比奈勢と堀江城の大澤勢といった遠江衆が。そして、その道中に伏せたのは、大原肥前守・三浦右衛門大夫の父子、鵜殿新七郎・藤三郎兄弟率いる部隊であった。
「今じゃ、かかれぇっ!」
齢三十九ともなる堀江城主の号令に応じ、朝比奈勢と大澤勢による二連木城攻めが突如開始された。今川勢の接近に気づくことのできなかった二連木戸田勢は慌てて城の門扉を閉ざし、急いで迎撃を開始していく。
「甚平様!敵は宇津山城の朝比奈勢、堀江城の大澤勢と見受けられまする!」
「ちっ、飯尾豊前守が降伏してこちらへ兵を回してきよったか!城に残っておる兵力では長くは持ちこたえられぬ!狼煙を上げ、このことを吉田城の兄上へ伝えるのだ!」
「はっ!ではただちに狼煙を上げまする!」
二連木城から危機を報せる狼煙が上がったことは、すぐ西の吉田城にいる戸田主殿助からもはっきりと視認できた。こうして狼煙が上がる時点で、考えられることは今川方の軍勢が攻め寄せてきたことのみ。そうでなければ、狼煙を上げる必要がない。
「よしっ、ここは弟の窮地を救いに参るぞ!留守居の兵だけを残し、あとの者はわしとともに二連木城へ向かうのじゃ!」
二連木城から昇る狼煙に、戸田主殿助はすぐにも反応した。ただちに軍勢を率いて吉田城を出陣し、弟を救うべく迅速に行軍していく。しかし、彼が二連木城から昇る火の手が見えた頃、異変は起こった。
「なにっ!これは敵の伏せ勢か!ちっ、城から火の手が上がっておるというのに、これでは進めぬではないか!」
弟・甚平忠重が留守を守る二連木城から火の手が上っているのが双眸で捉えられる距離まで来たところで敵の伏兵。戸田主殿助は馬上で歯ぎしりしながらも左右の伏兵を迎え撃つよう指示し、陣形を整えていく。
しかし、戸田主殿助の予想に反して伏兵の数は多かった。何より、目の前に翻る旗が大原肥前守や三浦右衛門大夫、上之郷鵜殿家の旗であったことに度肝を抜かれてしまっていた。
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「馬鹿な、大原肥前守自らがここで待ち伏せているというのか!」
「いかにも!さあ、大人しく首を差し出すがよい!」
「黙れっ!お主らにくれてやる首などないわ!」
不意打ちを受けながらも力戦する戸田勢であったが、次第に追い詰められていく。そして、ついに戸田主殿助も幾筋もの矢を受けて落馬してしまう。
「くそっ、このようなところで……!」
落馬し、強く腰を打ちながらも起き上がってきた戸田主殿助。しかし、そんな青年の生き抜こうとする姿を嘲笑するように矢が雨あられと浴びせられ、ほぼ全滅に近い形で戸田勢は敗退した。
「父上、憎っくき戸田主殿助を討ち取りましたな」
「これで良い。二連木城もまもなく落城となろう故、我らはこの隙に吉田城へ向かう!皆、休むのは吉田城を取り戻した後じゃ!もうひと踏ん張りじゃぞ!」
大原肥前守はやはり傑物であった。今川義元より東三河の要衝・吉田城を託されただけのことはある、というべきか。百戦錬磨の大原肥前守に励まされ、今川方の軍勢は間髪入れず吉田城攻めを決行。
戸田主殿助の首級を掲げながら進軍してきた今川方の軍勢を前に戦意喪失した城兵らは城代不在もあり、我先にと逃げ散り、大規模な城攻めをするまでもなく、今川方の軍勢によって占拠された。
この戸田主殿助討ち死にと吉田城陥落はそれぞれ二連木城の戸田甚平のもとへ、ただちに報じられた。
「なんと!兄上が討たれ、吉田城は敵の手に落ちたか……!」
二連木城救援に向かう途中、今川方の待ち伏せを受けて討たれたというのである。
――あの時、自分が狼煙を上げなければ兄も死ぬことはなく、吉田城も健在であったものを。
そう自責する戸田甚平を励ましたのは、老父・全香であった。
「甚平よ。かくなるうえは二連木城も捨てるほかあるまい」
「しかし!ここは当家の居城!それを捨てて逃げよと!?」
「そうじゃ!生きてさえおれば、いつかまた奪い返すことも叶おう!今は岡崎城の蔵人佐殿へこのことを一刻も早く伝えることじゃ!ここにはそなたの妻子だけでなく、身ごもっておる主殿助が妻もおるのじゃ。ここで皆が討たれては戸田の嫡流は断絶ともなる。それだけは絶対に避けねばならぬ!」
その老父の説得に、意地を張って抵抗を続けようとする戸田甚平も折れるほかなかった。そうして戸田甚平はわずかな手勢に守られながら、一族を連れて二連木城を脱出。吉田城に続き、二連木城もまた今川方の手に渡ったのである。
この一大事は二連木城を脱した戸田甚平と全香によって、晩秋を迎え、落葉が目立つ時分の岡崎城へと報告されたのであった。
「殿!此度の失態、まこと面目次第もございませぬ!」
「良いのじゃ、甚平。これは両城を手薄にしておった家康の落ち度。来年早々にはわし自ら東三河へ出兵し、吉田城も二連木城も奪い返すと約束しようぞ」
自らの落ち度であると認めた家康の発言に、戸田甚平は悔し涙をこぼす。しかし、家康の言葉に誇張表現は一切なかった。守りが手薄になっていたことは紛れもない事実であり、ただその隙を敵に突かれただけなのである。
「じゃが、主殿助を失ったは吉田城を失ったよりも痛手じゃ。わが継母から見て、主殿助は甥。わしにとっては血の繋がりこそないが、主殿助も甚平も従兄弟同然じゃと思うておる」
「その言葉を聞き、兄もあの世で大層喜んでおりましょう」
「うむ。その兄は二連木戸田家の当主。当主不在のままにはしておけぬゆえ、家督を実弟である甚平、そなたが継承せよ。そのうえで、二連木城奪還に向けての戦に備えてもらいたい」
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「いかがした、甚平。何か不都合なことを申したか」
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「それは何故じゃ」
「兄には身ごもっておる妻がおりまする。それゆえ、家督はその子へ継がせていただきたいのです」
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「ならば、その子が生まれてから家督のことを命じていただければ……」
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「ははっ!これより先、兄の分まで殿の御為、犬馬の労も惜しまず働いて参る所存にございます!」
晩秋を迎えた三河において、二連木戸田家の家督は戸田甚平が継承した。戸田主殿助を失い、吉田城も二連木城も今川方の手中に収められてしまった苦しい状況の中で、家康は逆転の一手を模索していくことになる。
かくして永禄七年も霜月から師走へと移り変わり、京では室町幕府第十三代将軍・足利義輝肝いりの二条御所の建築が始まるなどの動きが見られたが、三河では嵐の前の静けさと言わんばかりの平穏が訪れ、永禄八年を迎えるのであった――
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公式HP:アラウコの叫び
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