不屈の葵

ヌマサン

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第6章 竜吟虎嘯の章

第227話 囁き千里

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 永禄十一年四月十五日。越前国にて朝倉左衛門督義景の庇護を受ける一人の壮年が元服式を執り行おうとしていた。そう、その壮年とは次なる征夷大将軍の座を狙い、上洛の機会を窺う足利義秋である。

「義秋様、京より先の関白、二条晴良公がご来駕にございます」

「与一郎か。うむ、報せ大儀。ただちに出迎えねばならぬな」

 足利将軍家の血筋とはいえ、足利義秋の官位は従五位下・左馬頭。それに比べ、二条晴良は従一位であるため、官位の上では足利義秋の方が格下といって良かった。

「それにしても、兄上が御存命の頃は近衛家が外戚として後ろ盾となり、二条家と九条家は敵対する立場であったというに、予はその二条家と九条家に支援されることになろうとは」

「まこと、分からぬものでございますな。されど、原因ははっきりしておりますれば」

「うむ。その近衛家が三好三人衆に擁立された義親めを支援しておるからにほかならぬ」

「ええ、二条家と九条家は近衛家と不仲にございますからな。これまで支援してきた義親を近衛家が支援したというだけで、我らに与するほどにございますゆえ」

「まこと、奇妙なものよ」

 足利義秋は貴族社会の側面を聞き、複雑な気持ちを抱いたまま歩みを進めていく。

「ふっ、我が母慶寿院は近衛家の出であり、現関白の近衛前久は予にとって母方の従兄であるというに、その関白からは支持されぬとは屈辱であることよ」

「さようなこと、仰ってはなりませぬ。亡き慶寿院様も泉下で悲しまれましょう」

「そう言われては何も言えぬではないか」

 義秋の生母・慶寿院は永禄の変にて兄・義輝とともに死去している。義秋にとって、あの日母と兄を自分から奪った三好や松永らは断じて許すことなどできなかった。だからこそ、兄を殺した者らが担ぎ出した足利義栄が征夷大将軍として君臨しているのは許せないのだ。

 ともあれ、足利義秋は京より招いた前関白・二条晴良を出迎え、挨拶の言葉を述べると、朝倉家の出迎え役が駆けつけたため、足利義秋は元服式が始まるまで控えの間にて待機することとなり、元服式が執り行われる一乗谷の朝倉館へは朝倉家臣らが案内役を務めていった。

「与一郎、たしか足利義親めの将軍宣下の使者となっておった山科言継は来ぬのであったな」

「はい。参られるおつもりだったようですが、費用の問題から二条晴良公のみとなりましてございます」

「左様か。将軍宣下の使者となったこと、一言申してやりたかったのじゃが、おらぬのではいたしかたないか」

 行動派の公家として現関白の近衛前久は関東管領・上杉輝虎を支援するため、越後や関東へ下向したことで知られるが、この山科言継もまた、細川与一郎藤孝の知る限り、かなりの行動力を持ち合わせた公家であった。

 家業である有職故実や笙、製薬のみならず、和歌、蹴鞠から漢方医学や酒宴、双六など、実に多彩な才能の持ち主でもあるが、山科言継は内蔵頭として後奈良・正親町両天皇下で逼迫した財政の建て直しを図る中で桁違いの功績を上げた人物である。

 尾張国を訪問して織田備後守信秀や平手中務丞政秀以下の家臣団に和歌や蹴鞠の伝授を行って人脈を深め、天皇の即位式に対する信秀からの献金獲得の基盤を作り、父の正室・黒木の方の叔母にあたる寿桂尼とその息子である今川義元のいる駿河国を訪問し、献金の確約を得るなど、東海道にまで足を延ばし、多くの朝廷献金を獲得している。

 一昨年の永禄九年には結城氏重臣・水谷正村に働きかけて禁裏御料所回復に成功するなど、朝廷の財政に関わる対外交渉で多くの功績を上げてきた人物であり、御年六十二なれど決して侮れない人物であるというのが細川与一郎の見立てであった。

 そうして細川与一郎と談義している間にも元服式の準備は進み、ついに足利義秋も正装に身を包み、大広間へと向かう定刻となった。

 足利義秋がやや緊張を浮かべた面持ちで入室すると、齢四十三の前関白・二条晴良や加冠役を務める朝倉左衛門督義景が座する広間を見渡しながら静かに膝を折り、着座する。

「これより足利義秋殿の元服式を執り行う。元服に際し、義秋殿は諱の『秋』の一字は不吉であるとのことから、『昭』と改められることとなります」

 二条晴良の口上を承り、足利義秋改め足利義昭は深々と頭を下げ、それを受ける。そして、ついに朝倉左衛門督義景の手で足利義昭の頭上へ烏帽子がのせられる。

 朝倉左衛門督義景は足利義昭の加冠役を務めるにあたり、先代義輝が六角定頼を管領代として加冠役にした前例に倣って管領代に任じられたうえで行われた。

 越前入りしてからの足利義昭の文書に副状を出し続け、実質的に管領の職務を遂行してきたことを誰もが理解していることもあり、朝倉左衛門督義景が管領代となることに異議を唱える者は誰一人いなかった。

 無事に足利義昭の元服式を終えることができると、広間では祝いの酒が振る舞われ、皆が酒をたしなみ酒宴に興じる。

 そのなかで義昭は管領代として加冠役を務めた朝倉義景の前へと進み出る。よもや、義昭自らが自分のもとへ来るとは予想だにしなかったのか、驚き入ったとばかりの表情で朝倉義景が手にしていた酒を置き、義昭と視線を合わせる、

「左衛門督殿、加冠役を務めてくれたこと、感謝しておるぞ」

「はっ、勿体なきお言葉!某こそ、義昭様の加冠役となれましたこと、武門の誉れにございまする!」

「左様か。なに、この役に相応しい功績を持つのは貴殿をおいてほかになし。今後とも上洛のことでは世話になろうが、何卒よろしく頼むぞよ」

「はっ!この朝倉左衛門督義景に万事お任せくださいませ!必ずや越前の屈強な強者どもを引き連れ、京に巣くう国賊どもを掃討してご覧に入れまする!」

「その意気じゃ、左衛門督殿。さっ、予が一献つごう」

「何と!ありがたき仕合わせ……!」

 足利義昭が上洛するにあたり、旗頭となりつつある越前国主・朝倉左衛門督義景の機嫌をここぞとばかりに取りながら、足利義昭は心を遠く京へ馳せていた。

 自分がこうして越前にて足止めをくっている間も、自分の兄を討ち果たした三好三人衆らに担ぎ出された足利義栄が征夷大将軍として君臨しているなど、気が狂いそうな思いであった。

 そうして足利義昭は朝倉義景へ礼を申すと、わざわざ京より足を運んだ前関白・二条晴良へ謝辞を述べ、何卒京の正親町天皇へよろしく取り次いでくださるように、と言伝を頼み、それからは他の朝倉一門衆らとも交流を深めるなど、上洛の準備に余念がなかった。

 足利義昭が依然として越前国にて庇護を受け、その中で元服式を執り行った四月から皐月へと月が移り変わった頃。

 季節は夏に入り、徳川三河守家康と敵対する今川上総介氏真の本国・駿河では昨年も流行した風流踊が再び流行していた。

「こうも堅苦しいことばかりでは気が狂いそうになる」

 そう言い残し、氏真自らが太鼓を叩いて興じるなど、氏真すらも気が滅入りそうになるほど武田家との関係は緊迫感を増していた。

 そのような情勢下の今川家へ変わらず奉公を続ける今川重臣・岡部次郎右衛門尉正綱のもとへ、三河国岡崎城より一通の書状が届けられていた。

「兄上、その書状は?」

「これか。なに、三河の旧友からの書状よ」

「三河の旧友にございますか?」

 兄が持つ書状の差出人を見た岡部治部右衛門は驚愕した。その書状は五月十一日付で出された徳川家康直筆の書状だったのだから。

「よもや、兄上!今川を裏切るご所存か!」

「たわけたことを申すな。わしが裏切るとは聞き捨てならぬ。これは旧友からの頼りじゃと申すに」

「旧友と申してもいつお会いになられたのじゃ!」

「ふん、そなたもまだ童であった、そうあれは十七年も前のことよ」

 岡部次郎右衛門尉は遠く、十七年も昔。今川義元も太原雪斎も健在であった頃の駿府を思い出していた。

「なんと、それほど前に会ったことがあるのですか!?」

「駿府の街中でばったりの。たしか、その時側におったは鳥居彦右衛門尉元忠と平岩七之助親吉であったか。ほんの一言二言交わしただけであったが、その後も幾度となく駿府館でも会っておる」

 岡部治部右衛門は得心した。兄の表情を見れば嘘を言っているのではないことくらい分かる。なにせ、本当に昔の友を脳裏に描いている穏やかな面持ちであったのだから。

「して、その書状にはいかなることが書かれておるので?」

「まあそなたになら良かろう。読んでみよ」

 其方御身儀、ぶさた是有間敷候、委細作左衛門可申候、小平太を以可申と存候へ共、さきへ越候間不申候、此内書を御かくし尤候、恐々謹言
 五月十一日 家康 御判
 岡次郎右まいる

「ふっ、家康は兄上のことを忘れたわけではないと詫びておるではありませぬか」

「そうなのじゃ。苦しい言いぐさじゃが、詳しいことは重臣の本多作左衛門重次を通じて伝達すると書かれてもおる」

「たしかにそのように書かれておりますな。しかも、この手紙は秘密にした方がよいとも記されてもおりますが……」

「無論、そうであろうな。これが御屋形様へ漏れ伝われば、我らも井伊肥後守直親、飯尾豊前守連龍、水野弥平大夫忠勝と同じく誅殺されるであろう」

 動じることなく言い放った兄の一言に、弟・岡部治部右衛門は身震いがする想いであった。そして、そんな弟を見やりながら、岡部次郎右衛門尉は家康からの追而書を見せる。そこには、このように書かれていた。

 尚々、前々より御ちいんの事ニ候間、すこしもぶさた有間敷候、此書見申え候へども、すいれうニ御よみ可有候

「なお、この書面に書くことはできないが、どうか推量しながらお読みいただきたい、とかように書かれておりまするな」

「おそらくは、三河守殿が申したきことを推量しながら先ほどの書状をお読みいただきたいと書いておるのであろう。まったく回りくどいことをなされる方じゃが、我らに万が一のことが起こらぬよう配慮しておられるのが良く分かる書状ではないか」

「たしかに兄上の申す通りにございまする。ともすれば、三河守はなんと旧友想いな方じゃ……」

 弟の中で抱いていた徳川家康像が塗り変わっていくのが面白いのか、岡部次郎右衛門尉はくすりと笑みをこぼす。

「良いか、三河守殿は我らを使い捨ての駒とは思っておらぬということ、この書状からも分かるであろう」

「はい。某はどうやら徳川三河守という人物を見誤っておったようにございます。されど、そこまで三河守殿を高く評されていながら兄上は此度の調略には乗られぬのですか?」

「武士としての意地じゃ。主君を見限り鞍替えするなど、その辺の国衆ならいざ知らず、譜代の重臣がすべきことではないわ。公私の分別を弁えぬ者など武士にあらず!」

「なんと、さすがは兄上にございまする!」

 可愛がりがいのある弟に賛辞を送られ、照れくさそうに頬をかく岡部次郎右衛門尉はその後、徳川重臣・本多作左衛門重次から送られてきた書状を受け取るも、一読するのみにとどめ、特に返書は出さなかった。

「兄上、何故返書を出されないので?」

「この書状に迂闊に否と記すは危険ぞ」

「それは何故に?」

「ははは、近ごろの駿府の空気からひしひしと感じる緊迫感。あちらこちらで御屋形様が放った密偵がうろついておるわ。徳川の忍びは優秀ゆえ見つからずに当家の屋敷までたどり着いたが、わしは忍びなど抱えておらぬし、当家の家臣や下人に託したところで、駿府を出たところで捕まるに決まっておる。ともすれば、密書を受け取ったというだけでいかなる罰を下されるか、知れたものではない」

 まさしく岡部次郎右衛門尉の申すことは、その通りであった。それは若き弟・岡部治部右衛門にも察知できるほどに、駿府は内外の出入りに敏感になっていた。

 何より、誰かが内通して裏切っているという状況に、互いが疑心暗鬼を生じているのが、不穏な空気に拍車をかけていた。

「それゆえ、わしは黙殺することとした。これが当家にとって最善の道なのだ。三河守殿もわしの事情は存じておるであろうで、それ以来、何も申してこぬであろうが」

「たしかにその通りにございまする。では、兄上はこのまま今川家と命運をともにされるおつもりで……?」

「いかにも、そのつもりじゃ。これが今川譜代の家柄に生まれついた者の宿命よ」

 齢二十七となった岡部次郎右衛門尉正綱は覚悟を決めたといった表情で、硬く拳を握る。生きて友の手助けをしたいという気持ちを心の奥底に封じ込めながら――
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