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第3章 流転輪廻の章
第48話 死は身近にあるもの
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元信の岡崎滞在も三日目を迎えた。その日は朝から大樹寺にて墓参。父・広忠、祖父・清康へ思いを馳せ、己の近況を報告していく。
「父は享年二十四、祖父は享年二十五。このわしも十五となった。父や祖父のように長く生きられぬとしたら、わしは何を成すべきか」
誰しも自分の死と向き合うことは辛いものである。さらには、目の前にある墓石から『死』というものを否応なく突きつけられるのだ。余計に辛いことであるかもしれない。
しかし、それだけに元信も想うところが一つある。乱世ではいつ何時命を落とすことになるか分からぬし、死は身近にあるものなのだ、と。それを胸に行動していけば、何かが変わるのではないか。そのようなことを考えたりもする。
「おお、殿。やはりここにおられましたか」
「雅楽助ではないか。いかがした?」
「はっ、先ほど渡辺家の家人が参り、まもなく大樹寺へ参る旨、殿に取り次いでほしいと言づかりましたゆえ」
「左様であったか。であるならば、身支度を済ませておかねばならぬな」
元信は墓参を切り上げて来訪する者らの対応をするべく、支度に取り掛かっていく。その間にも、若くしてこの世を去った父や祖父のことが頭から離れなかったが、渡辺家の者らを応対する際には見事に切り替えることができていた。
その日、元信の元を訪れた渡辺家の面々は四人。壮年男性を筆頭に、元信と年の変わらぬ子どもが二人と白髪頭の老人が一人。真っ先に口を開いたのは壮年男性であった。
「お初にお目にかかります。槍を扱わせれば三河一、渡辺源五左衛門高綱にござる!」
先代・広忠の頃から仕える猛将、渡辺高綱。挨拶の声に込められた気迫も、只者ではないと元信は感じた。大久保一族とはまた違った気風を感じる武闘派である。
「こちらが某の長子、半蔵。その左隣が次男の半十郎にござる!」
兄弟そろって、父と同様に焦げ茶色に焼けた肌。筋骨隆々な二人もまた、武芸に秀でた強者なのであることを感じさせる。
「渡辺源五左衛門。そなたの子らはわしと年は近いと見受けられるが、いくつになるか」
「半蔵は殿と同じく十五の年、半十郎は二つ下の十三にございまする!半蔵は来年、殿の下へ仕官させるつもりにございまする!」
「左様か。これほど逞しい若武者が加われば、松平の大きな力となろう。半蔵、そして半十郎。よろしく頼むぞ」
「ははっ!」
「はい!」
「うむ、良き返事じゃ。今からお主ら兄弟の仕官が待ち遠しくてならぬ」
元信は同年代で武勇の誉れ高い者が少ないこともあり、渡辺半蔵・半十郎兄弟に大いなる期待を抱いていた。
「殿、名乗りが遅れました。渡辺八右衛門義綱にございまする。これなる源五左衛門が舅、半蔵と半十郎の祖父といえば伝わりましょう」
「ほほう、左様であったか」
「殿、舅は弓の名手にございまする。戦場では必ずやお役に立ちましょうぞ」
「それは良きことを聞いた。織田や水野が攻めてきた折は、得意の弓で敵を射てくれよ」
「無論にございまする!岡崎へ踏み入らんとする奴輩は、この渡辺八右衛門が仕留めてご覧にいれまするぞ!」
頼もしき老将の言葉に勇気を貰った元信。その後も大久保一族と同じく、武闘派の渡辺一族から武勇伝を聞いたり、元信から武芸について様々なことを尋ねるなど、有意義なひと時となった。
そこへ、またしても来訪者が到着。取り次いだ平岩七之助によれば、名を矢田作十郎助吉というそうな。
「ほう、矢田作十郎が参ったか」
「なんじゃ、渡辺源五左衛門はその者を存じておるか」
「はっ、矢田作十郎といえば、筧助太夫正重、蜂屋半之丞貞次と共に勇猛で知られた若武者ですからな」
筧助太夫といえば、筧三兄弟の真ん中。そして、蜂屋半之丞は大久保新八郎の娘婿。両名ともすでに面会済みの者ら。そんな彼らとともに勇名を馳せる矢田作十郎が来たというのだから、会わない選択肢はなかった。
「よし、七之助。矢田作十郎をこれへ」
「はっ、ただちに連れて参ります」
ニコリと優しさに溢れた笑顔を見せながら矢田作十郎のもとへ戻ってゆく平岩七之助。彼が矢田作十郎を連れて戻って来るのに、そう時はかからなかった。
「殿、お連れいたしました」
「ご苦労であった」
元信からのねぎらいの言葉を受け取ると、平岩七之助は静かに部屋の隅へ寄っていく。そして、次に言葉を発したのは、当の矢田作十郎であった。
「お初に御意を得ます。矢田作十郎助吉にございまする。以後、お見知りおきを」
「おう、そちが矢田作十郎か。うむ、確かに渡辺源五左衛門が申すように、勇猛そうな面構え。今後とも松平家のため、誠心誠意仕えてくれよ」
「はっ!松平家の御為、殿の御為、犬馬の労も惜しまずお仕えいたしまする!」
かくして、元信は槍の名手たる渡辺源五左衛門高綱、その長子・半蔵、次子・半十郎、渡辺源五左衛門が舅で弓の名手・渡辺八右衛門義綱。そして、勇猛な若武者・矢田作十郎助吉と対面を果たしたのであった。
武闘派の彼らと入れ替わるように大樹寺にる元信を訪ねてきたのは、青山藤蔵忠門。息子と甥を伴っての訪問であった。
「殿、青山藤蔵忠門にございまする。まこと、あの折の竹千代君が大きゅうなられ、嬉しき限りに……!」
「う、うむ。会うて早々泣き出されるとは思わなんだが、わしが松平次郎三郎元信じゃ」
面会して早々に号泣する青山藤蔵。四十六になり老境に差し掛かったこともあるのか、妙に涙もろかった。
「と、殿。紹介が遅れましたが、こちらが我が子、藤右衛門。その右におるのが甥の善五郎にございます」
「ほう、藤右衛門に善五郎か。藤右衛門も善五郎も聡明そうな面構えをしておる。信の置ける良き家臣となりそうじゃ」
「左様な仰せ、まこと嬉しき限り。この両名には勉学に励み、殿に信頼していただけるような家臣になるよう申し含めまする……!」
「じゃが、あまり申し含めすぎるなよ。かえって、この子らの良さが失われてしまうやもしれぬでな。して、藤右衛門と善五郎はいくつになるか」
「はっ、藤右衛門は六ツ、善五郎は八ツになりまする。ゆえ、殿にお仕えできるはまだ先のこととなりましょう」
いずれは青山家を背負っていく子供ら。そんな彼らが元信に仕える頃には二十幾つとなっている。さて、その頃に松平家はどのようになっているのか。そのようなことを夢想してしまう元信。
その後も青山藤蔵との会話は続き、元信不在の間の岡崎の様子。肌で感じた民の暮らしなど、駿府では知りえない情報を会話する中で入手していく。
そうして時は過ぎ、巳の刻となった。
「然らば、某はこれにて失礼仕る。家で妻が握り飯をこしらえておりましょうゆえ」
「左様か。家族を大切にしておるのは殊勝な心掛け。早う奥方が元へ帰るがよいぞ」
「ははっ!では、これにてご免!」
青山藤蔵が息子と甥っ子を連れて去った後、元信の頭に浮かんだのは駿府に残してきた駿河御前であった。
「御前にも我が故郷、岡崎ののどかな風景を見せてやりたいものじゃ。駿府にあるものはないが、駿府にないものは岡崎にあるゆえな」
出発した時は『数日会えないくらいどうということもなかろう』などと、安易に考えていた。されど、今こうして思い出すと胸が苦しくなる。今、何をしているであろうか。御前は自分の無事を案じてくれているのだろうか――と。
「殿!米津藤蔵常春、米津小太夫政信の両名が参りましたぞ」
「おお、彦右衛門尉か。相分かった。両名ともこれへ通すがよいぞ」
「ははっ!では、そのようにいたしまする!」
鳥居彦右衛門尉が米津兄弟を呼びに行ってしばらくして。鳥居彦右衛門尉の後に続いて、米津兄弟が到着。
「殿、某は米津藤蔵常春と申しまする!十三の頃より、松平宗家にお仕えしておりまする!」
「拙者は米津藤蔵が弟!小太夫政信にござる!腕っぷしには自信がございまするゆえ、戦場にてお役立てくだされ!」
「うむ、両名とも勇名を馳せておるゆえ、国元におらぬわしでも存じておる。両名とも、戦の折には未熟なわしを助けてくれよ」
「無論にございまする!殿の御為、粉骨砕身して参る所存!」
兄の言葉に何度も首を縦に振る弟。兄と同じく、忠義を全うすると言いたかったのであろう。そんな兄・藤蔵常春は三十三、弟・小太夫政信は二十六歳。まだまだ若い二人の武士は忠義も人一倍。
これからも多くの武功を挙げることが期待される有望株である。しかし、先ほどから米津藤蔵は元信を見て目を細めていた。
「米津藤蔵、いかがした?どこか体の具合でも悪いのか」
「いえ、昔から視界がかすむことがあり、今がまさにそうなのです」
「むっ、目が悪くては戦場では満足な働きはできまい」
「なんのこれしき。こうして目を細めればしっかと見えまするゆえ、ご案じなされますな」
「左様か。ならばよいが、くれぐれも無理はするでないぞ」
「お気遣い、痛み入りまする」
礼儀正しく一礼する米津藤蔵。当の本人は問題ないと言い切っているが、元信が気にかかったのは弟・小太夫の反応であった。もしかすると、重傷なのではないか。そのような嫌な予感が元信の脳裏をよぎる。
「米津藤蔵。よいか、少しでも戦場で視界が悪くなったならば、遠慮のう申せ。何ぞ力になれることがあれば力になるゆえな」
「然らば、もしそのような事態になったならば、お頼み申しまする」
「うむ。よいな、決して遠慮してはならぬぞ」
「はっ、はは!肝に銘じておきまする!」
そう言いつつ、遠慮するのであろうなと直感する元信。しかし、これ以上は自分にはどうすることもできないと判断し、後の事は当の本人らに委ねるほかなかった。
「そうじゃ、殿。酒井左衛門尉はいつ頃こちらに到着いたしまするか?」
「おお、十日後に岡崎へ到着し、その後に福谷へ入る予定じゃ」
「左様にございまするか。それならば安心じゃ」
「何ぞ織田か水野に動きでもあったか」
「はい。何やら戦支度を始めた様子。もしや、三河侵攻を企てておるのではないかと」
――織田の三河侵攻。
元信は米津藤蔵の言葉に違和感を覚えた。それは、長田平右衛門重元の言葉を思い出したからでもあった。
「藤蔵、わしは大浜砦を守っておる長田平右衛門より織田は兄弟喧嘩が勃発しておると耳にしておるが」
「然らば、戦支度というは織田弾正忠家内の内訌にございましょうや」
「おそらくはそうであろう。何より、織田弾正忠家は尾張国内にも大勢敵を抱えておるゆえ、三河侵攻を企てる余裕などなかろう」
「左様にございましたか。然らば、某の報告内容はお忘れくださいませ」
「いや、頭の片隅に留め置くことといたそう。ひょっとすると、ひょっとするでな」
万が一、米津藤蔵からの報告が真実であった場合、何の備えもしていないのでは甚大な被害が出ることは必定。ゆえに、元信は彼の意見を聞かなかったことにするわけにもいかなかった。
かくして、米津藤蔵・小太夫兄弟との面会を終えた元信は三河へ向かっている酒井左衛門尉に宛てて織田の三河侵攻があり得る旨を記した書状をしたためた。
「植村新六郎はおるか」
「はっ、これにおりまする!」
「そなたは一足早く駿府へ立ち戻り、この書状を酒井左衛門尉に届けてはくれまいか」
「この書状を酒井さまにお渡しすれば良いのですな。承知いたしました!然らば、ただちに支度し、駿府へ向かいまするゆえ、これにて失礼仕る!」
「うむ、頼むぞ」
元信よりの書状を預かった植村新六郎は早足で退出し、己の荷物が置かれている場所へと戻っていく。
そんな植村新六郎と入れ替わるようにやってきたのは、酒井雅楽助であった。
「今、新六郎が飛び出していきましたが、何事かあったので?」
「うむ、左衛門尉への書状を託したところよ。織田領国内で戦支度があると米津藤蔵より報告を受けたゆえな」
「左様にございましたか。兄弟喧嘩の真っただ中、三河へ目を向けてくるとは驚きですな」
「そうじゃな。して、何ぞ用でもあったのではないか?」
「はい。殿に会わせたい者がおりまするゆえ、これへ連れて参りました」
酒井雅楽助によれば、もう隣の間まで来ているという。そうなれば、元信としても会わないわけにもいかず、ひとまず会ってみることとなった。
「お初に御意を得ます、本多庄左衛門光俊にございます」
「本多庄左衛門か。いかにも武勇に優れているといった風貌であるが……」
いかにも武芸に秀でているという筋肉質な体、日に焼けた精悍な顔つき。そうしたところから猛将の雰囲気を漂わせる若武者と元信は対面を果たしたのであった。
「父は享年二十四、祖父は享年二十五。このわしも十五となった。父や祖父のように長く生きられぬとしたら、わしは何を成すべきか」
誰しも自分の死と向き合うことは辛いものである。さらには、目の前にある墓石から『死』というものを否応なく突きつけられるのだ。余計に辛いことであるかもしれない。
しかし、それだけに元信も想うところが一つある。乱世ではいつ何時命を落とすことになるか分からぬし、死は身近にあるものなのだ、と。それを胸に行動していけば、何かが変わるのではないか。そのようなことを考えたりもする。
「おお、殿。やはりここにおられましたか」
「雅楽助ではないか。いかがした?」
「はっ、先ほど渡辺家の家人が参り、まもなく大樹寺へ参る旨、殿に取り次いでほしいと言づかりましたゆえ」
「左様であったか。であるならば、身支度を済ませておかねばならぬな」
元信は墓参を切り上げて来訪する者らの対応をするべく、支度に取り掛かっていく。その間にも、若くしてこの世を去った父や祖父のことが頭から離れなかったが、渡辺家の者らを応対する際には見事に切り替えることができていた。
その日、元信の元を訪れた渡辺家の面々は四人。壮年男性を筆頭に、元信と年の変わらぬ子どもが二人と白髪頭の老人が一人。真っ先に口を開いたのは壮年男性であった。
「お初にお目にかかります。槍を扱わせれば三河一、渡辺源五左衛門高綱にござる!」
先代・広忠の頃から仕える猛将、渡辺高綱。挨拶の声に込められた気迫も、只者ではないと元信は感じた。大久保一族とはまた違った気風を感じる武闘派である。
「こちらが某の長子、半蔵。その左隣が次男の半十郎にござる!」
兄弟そろって、父と同様に焦げ茶色に焼けた肌。筋骨隆々な二人もまた、武芸に秀でた強者なのであることを感じさせる。
「渡辺源五左衛門。そなたの子らはわしと年は近いと見受けられるが、いくつになるか」
「半蔵は殿と同じく十五の年、半十郎は二つ下の十三にございまする!半蔵は来年、殿の下へ仕官させるつもりにございまする!」
「左様か。これほど逞しい若武者が加われば、松平の大きな力となろう。半蔵、そして半十郎。よろしく頼むぞ」
「ははっ!」
「はい!」
「うむ、良き返事じゃ。今からお主ら兄弟の仕官が待ち遠しくてならぬ」
元信は同年代で武勇の誉れ高い者が少ないこともあり、渡辺半蔵・半十郎兄弟に大いなる期待を抱いていた。
「殿、名乗りが遅れました。渡辺八右衛門義綱にございまする。これなる源五左衛門が舅、半蔵と半十郎の祖父といえば伝わりましょう」
「ほほう、左様であったか」
「殿、舅は弓の名手にございまする。戦場では必ずやお役に立ちましょうぞ」
「それは良きことを聞いた。織田や水野が攻めてきた折は、得意の弓で敵を射てくれよ」
「無論にございまする!岡崎へ踏み入らんとする奴輩は、この渡辺八右衛門が仕留めてご覧にいれまするぞ!」
頼もしき老将の言葉に勇気を貰った元信。その後も大久保一族と同じく、武闘派の渡辺一族から武勇伝を聞いたり、元信から武芸について様々なことを尋ねるなど、有意義なひと時となった。
そこへ、またしても来訪者が到着。取り次いだ平岩七之助によれば、名を矢田作十郎助吉というそうな。
「ほう、矢田作十郎が参ったか」
「なんじゃ、渡辺源五左衛門はその者を存じておるか」
「はっ、矢田作十郎といえば、筧助太夫正重、蜂屋半之丞貞次と共に勇猛で知られた若武者ですからな」
筧助太夫といえば、筧三兄弟の真ん中。そして、蜂屋半之丞は大久保新八郎の娘婿。両名ともすでに面会済みの者ら。そんな彼らとともに勇名を馳せる矢田作十郎が来たというのだから、会わない選択肢はなかった。
「よし、七之助。矢田作十郎をこれへ」
「はっ、ただちに連れて参ります」
ニコリと優しさに溢れた笑顔を見せながら矢田作十郎のもとへ戻ってゆく平岩七之助。彼が矢田作十郎を連れて戻って来るのに、そう時はかからなかった。
「殿、お連れいたしました」
「ご苦労であった」
元信からのねぎらいの言葉を受け取ると、平岩七之助は静かに部屋の隅へ寄っていく。そして、次に言葉を発したのは、当の矢田作十郎であった。
「お初に御意を得ます。矢田作十郎助吉にございまする。以後、お見知りおきを」
「おう、そちが矢田作十郎か。うむ、確かに渡辺源五左衛門が申すように、勇猛そうな面構え。今後とも松平家のため、誠心誠意仕えてくれよ」
「はっ!松平家の御為、殿の御為、犬馬の労も惜しまずお仕えいたしまする!」
かくして、元信は槍の名手たる渡辺源五左衛門高綱、その長子・半蔵、次子・半十郎、渡辺源五左衛門が舅で弓の名手・渡辺八右衛門義綱。そして、勇猛な若武者・矢田作十郎助吉と対面を果たしたのであった。
武闘派の彼らと入れ替わるように大樹寺にる元信を訪ねてきたのは、青山藤蔵忠門。息子と甥を伴っての訪問であった。
「殿、青山藤蔵忠門にございまする。まこと、あの折の竹千代君が大きゅうなられ、嬉しき限りに……!」
「う、うむ。会うて早々泣き出されるとは思わなんだが、わしが松平次郎三郎元信じゃ」
面会して早々に号泣する青山藤蔵。四十六になり老境に差し掛かったこともあるのか、妙に涙もろかった。
「と、殿。紹介が遅れましたが、こちらが我が子、藤右衛門。その右におるのが甥の善五郎にございます」
「ほう、藤右衛門に善五郎か。藤右衛門も善五郎も聡明そうな面構えをしておる。信の置ける良き家臣となりそうじゃ」
「左様な仰せ、まこと嬉しき限り。この両名には勉学に励み、殿に信頼していただけるような家臣になるよう申し含めまする……!」
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「はっ、藤右衛門は六ツ、善五郎は八ツになりまする。ゆえ、殿にお仕えできるはまだ先のこととなりましょう」
いずれは青山家を背負っていく子供ら。そんな彼らが元信に仕える頃には二十幾つとなっている。さて、その頃に松平家はどのようになっているのか。そのようなことを夢想してしまう元信。
その後も青山藤蔵との会話は続き、元信不在の間の岡崎の様子。肌で感じた民の暮らしなど、駿府では知りえない情報を会話する中で入手していく。
そうして時は過ぎ、巳の刻となった。
「然らば、某はこれにて失礼仕る。家で妻が握り飯をこしらえておりましょうゆえ」
「左様か。家族を大切にしておるのは殊勝な心掛け。早う奥方が元へ帰るがよいぞ」
「ははっ!では、これにてご免!」
青山藤蔵が息子と甥っ子を連れて去った後、元信の頭に浮かんだのは駿府に残してきた駿河御前であった。
「御前にも我が故郷、岡崎ののどかな風景を見せてやりたいものじゃ。駿府にあるものはないが、駿府にないものは岡崎にあるゆえな」
出発した時は『数日会えないくらいどうということもなかろう』などと、安易に考えていた。されど、今こうして思い出すと胸が苦しくなる。今、何をしているであろうか。御前は自分の無事を案じてくれているのだろうか――と。
「殿!米津藤蔵常春、米津小太夫政信の両名が参りましたぞ」
「おお、彦右衛門尉か。相分かった。両名ともこれへ通すがよいぞ」
「ははっ!では、そのようにいたしまする!」
鳥居彦右衛門尉が米津兄弟を呼びに行ってしばらくして。鳥居彦右衛門尉の後に続いて、米津兄弟が到着。
「殿、某は米津藤蔵常春と申しまする!十三の頃より、松平宗家にお仕えしておりまする!」
「拙者は米津藤蔵が弟!小太夫政信にござる!腕っぷしには自信がございまするゆえ、戦場にてお役立てくだされ!」
「うむ、両名とも勇名を馳せておるゆえ、国元におらぬわしでも存じておる。両名とも、戦の折には未熟なわしを助けてくれよ」
「無論にございまする!殿の御為、粉骨砕身して参る所存!」
兄の言葉に何度も首を縦に振る弟。兄と同じく、忠義を全うすると言いたかったのであろう。そんな兄・藤蔵常春は三十三、弟・小太夫政信は二十六歳。まだまだ若い二人の武士は忠義も人一倍。
これからも多くの武功を挙げることが期待される有望株である。しかし、先ほどから米津藤蔵は元信を見て目を細めていた。
「米津藤蔵、いかがした?どこか体の具合でも悪いのか」
「いえ、昔から視界がかすむことがあり、今がまさにそうなのです」
「むっ、目が悪くては戦場では満足な働きはできまい」
「なんのこれしき。こうして目を細めればしっかと見えまするゆえ、ご案じなされますな」
「左様か。ならばよいが、くれぐれも無理はするでないぞ」
「お気遣い、痛み入りまする」
礼儀正しく一礼する米津藤蔵。当の本人は問題ないと言い切っているが、元信が気にかかったのは弟・小太夫の反応であった。もしかすると、重傷なのではないか。そのような嫌な予感が元信の脳裏をよぎる。
「米津藤蔵。よいか、少しでも戦場で視界が悪くなったならば、遠慮のう申せ。何ぞ力になれることがあれば力になるゆえな」
「然らば、もしそのような事態になったならば、お頼み申しまする」
「うむ。よいな、決して遠慮してはならぬぞ」
「はっ、はは!肝に銘じておきまする!」
そう言いつつ、遠慮するのであろうなと直感する元信。しかし、これ以上は自分にはどうすることもできないと判断し、後の事は当の本人らに委ねるほかなかった。
「そうじゃ、殿。酒井左衛門尉はいつ頃こちらに到着いたしまするか?」
「おお、十日後に岡崎へ到着し、その後に福谷へ入る予定じゃ」
「左様にございまするか。それならば安心じゃ」
「何ぞ織田か水野に動きでもあったか」
「はい。何やら戦支度を始めた様子。もしや、三河侵攻を企てておるのではないかと」
――織田の三河侵攻。
元信は米津藤蔵の言葉に違和感を覚えた。それは、長田平右衛門重元の言葉を思い出したからでもあった。
「藤蔵、わしは大浜砦を守っておる長田平右衛門より織田は兄弟喧嘩が勃発しておると耳にしておるが」
「然らば、戦支度というは織田弾正忠家内の内訌にございましょうや」
「おそらくはそうであろう。何より、織田弾正忠家は尾張国内にも大勢敵を抱えておるゆえ、三河侵攻を企てる余裕などなかろう」
「左様にございましたか。然らば、某の報告内容はお忘れくださいませ」
「いや、頭の片隅に留め置くことといたそう。ひょっとすると、ひょっとするでな」
万が一、米津藤蔵からの報告が真実であった場合、何の備えもしていないのでは甚大な被害が出ることは必定。ゆえに、元信は彼の意見を聞かなかったことにするわけにもいかなかった。
かくして、米津藤蔵・小太夫兄弟との面会を終えた元信は三河へ向かっている酒井左衛門尉に宛てて織田の三河侵攻があり得る旨を記した書状をしたためた。
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「うむ、頼むぞ」
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「今、新六郎が飛び出していきましたが、何事かあったので?」
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「そうじゃな。して、何ぞ用でもあったのではないか?」
「はい。殿に会わせたい者がおりまするゆえ、これへ連れて参りました」
酒井雅楽助によれば、もう隣の間まで来ているという。そうなれば、元信としても会わないわけにもいかず、ひとまず会ってみることとなった。
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影武者の天下盗り
井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」
百姓の男が“信長”を演じ続けた。
やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。
貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。
戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。
炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。
家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。
偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。
「俺が、信長だ」
虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。
時は戦国。
貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。
そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。
その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。
歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。
(このドラマは史実を基にしたフィクションです)
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