不屈の葵

ヌマサン

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第4章 苦海の章

第85話 五井松平家と長沢松平家

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 風を受けて靡く丸に鳩酸草の旗。その先頭を行くのは立派な白髭を蓄えた老人。それを心配そうに見守る青年が後に続いてきていた。

「七之助。先頭の老人は五井松平家の長老、太郎左衛門元心もとむね殿であろうか」

「おそらくはそうでございましょう。たしか、御年八十ではなかったかと」

「齢八十の御仁か……!まぁ、系図を見れば、わしを竹千代と名付けた高祖父の道閲入道とは従兄弟なのじゃ。その年齢も納得できようものぞ」

 二年前の初陣の折に出会った能見松平傳七郎重親と並ぶ高齢の人物。そう思うと、緊張せずにはいられない元康。

 だが、元康がそのようなことを考えている間にも、一行は一歩、また一歩と近づいてきている。そうして、一行は大樹寺の前にて馬を止めた。

「これはこれは松平蔵人佐元康殿。お出迎えいただきかたじけない」

「いえいえ、こちらこそ遠く宝飯郡よりお越しいただき感謝の念に堪えませぬ」

「ほほほ、左様にございますか。そうじゃ、わしは松平太郎左衛門元心じゃ。そして、この者が曾孫にあたる弥九郎景忠じゃ」

「お初にお目にかかります。松平弥九郎景忠にございます」

 好々爺然としている松平太郎左衛門に接することで、ようやく元康も緊張がほぐれ、自然に笑顔を見せられるようになっていた。

 そして、そんな好々爺から紹介を受けた松平弥九郎は礼儀正しく一礼し、若いながらもしっかりと教養を身につけているといった風な印象を与える。

「太郎左衛門殿、弥九郎殿。この度はよくぞ大樹寺までお越しくださいました。ささ、立ち話もなんでございましょう。中へお入り下され」

「ほほほ、ではお言葉に甘えさせていただきましょうかのぅ」

「では、曾爺様。某の手を取ってくださいませ。転んでお怪我をなされては一大事にございまするゆえ」

「弥九郎、すまぬのぅ。では、お願いしようかの」

 曾孫からのエスコートを受け入れて歩き出す松平太郎左衛門。そんな曽祖父と曾孫の光景に、見ている元康らの心も和ませるものがあった。

 そうして落ち着ける寺内の一室へと移ったのち、改めて両家の間で会話が開始されていく。

「松平弥九郎殿、某とさほど年も離れておらぬとお見受けいたした。齢はおいくつか、聞いてもよろしいでしょうや」

「聞かれて減るような事柄でもございませぬゆえ、喜んでお答えいたしまする。某は今年で二十歳。まだまだ若輩者にございますれば」

「となると、某より一ツ上にございまするな」

 思っていた以上に年が近いことに驚きつつも、元康は親睦を深めるためにも質問を重ねていく。

「昔、岡崎の重臣たちより聞き及んだことではございますが、なんでも弥九郎殿は七ツで家督を相続したと」

「はい。我が父、松平外記忠次は十三年前の渡河原合戦において討ち死にしておりますれば。この青江の刀こそ、父が戦死した折に身につけていた遺品にございまする」

「そうであったか。遺品を見ると、生きていたことがより鮮明に伝わってくる心地がいたす」

 別に青江の刀が口を開いて何かを語るわけではないのだが、ただそこにある、というだけで今を生きている者たちへ何かを訴えているような、そのような不思議な存在感を放っていた。

「然らば、昨年の九月に十三回忌を営まれたか」

「は、はい!何故、そのことをご存じなので?」

「ははは、わしは松平家の動きを見通す不思議な眼力を持っておる――というのは嘘じゃ。単純なことよ、松平忠次公が亡くなった渡河原合戦において同じく壮絶な戦死を遂げた鳥居源七郎忠宗の十三回忌法要が営まれた時期から推測したまでのこと」

「左様にございましたか。家臣の法要より推定なさったとは感服の至り」

 分家の動向を把握していたわけではなくとも、家臣の法要から自分の父の法要のことを当てられようとは思わなかった五井松平家当主・弥九郎景忠は自然とひれ伏していた。

「弥九郎殿、その鳥居源七郎が弟もこの場におる」

「な、なんと!?」

「そこに座しておる近侍の鳥居彦右衛門尉元忠こそ、鳥居源七郎が弟。それゆえに、彦右衛門尉から法要の事を聞いておったのだ」

 思いがけず、父と同じ戦で戦死した人物の弟が同じ部屋にいる。そのような偶然に驚く松平弥九郎なのであった。

「そうじゃ、蔵人佐殿。酒井将監は達者にしておるか」

 次に口を開いたのは、松平弥九郎ではなく、彼の曽祖父・太郎左衛門元心の方であった。

「ええ、昨日会った折には壮健でありました。されど、織田軍の動静を警戒せねばならぬとのことで、二言三言話した程度にございます」

「左様にございましたか。それならば良いのです。わしも齢八十を超えた身。面識のある人間が達者にしておるかが気になって仕方ないのじゃ」

「なるほど。そのお言葉を聞けば、酒井将監も喜びましょう」

「そうじゃのう」

 どうして急に酒井将監の話などをし始めたのか、元康は理解に苦しんだが、その答えは曾孫の方から聞くこととなった。

「蔵人佐殿、実は某の妻は小栗正重の娘なのですが、某に輿入れする前に酒井将監殿の養女となっておりまする。ゆえに、当家とも縁の深い方なのです」

「そうであったか。うむ、次に会うた時には、わしからもそなたら父子が壮健であるか案じておったと申し伝えるとしようぞ。じゃが、なるべく自分の口で、言葉で伝えるのがよかろう」

「まこと、その通りにございます。尾張表での戦が片付いた暁には対面して言葉をかわすことも叶いましょう。何より、今年に入って酒井将監殿の養女となった某の正室との間に嫡男も産まれたところにございますゆえ、良い土産話となりまする」

「ほう、それは酒井将監も喜ぶことであろうぞ。そのこと、伝えてやるがよい」

「はっ、ははっ!そういたしまする!」

 かくして、五井松平家当主・弥九郎景忠と高祖父の従兄弟・太郎左衛門元心との面会を終えた元康は再び寺門より、その姿が見えなくなるまで見送った元康。陽も傾きつつある中で、傍らの鳥居彦右衛門尉へ話しかけていく。

「彦右衛門尉、松平弥九郎殿をその眼で見ていかがであった」

「はっ、頼もしき御仁であると。何より、兄と共に同じ戦で討ち死にした御仁の子息があのように成長した若武者になっているのだと思うと、兄の戦死が遠い昔の事であるように感じてしまい……」

「すまぬ、亡くなった兄の事を思い出させてしまったか。ほれ、涙を拭くがよい」

「いえ、殿の懐紙を使わせていただくなど……いえ、ありがたく使わせていただきまする」

 鳥居彦右衛門尉の涙に、自らの懐から懐紙を取り出した元康。はじめ、鳥居彦右衛門尉は受け取ろうとはしなかったのだが、断った時に元康の表情が強張ったのを見て懐紙を受け取ることとしたのであった。

 さてさて、本日面会する松平家も残すところあと一つ。長沢松平家のみとなっていた。

 その長沢松平家も、五井松平家が去ったちょうどその時、花丁子の旗指物をつけた一団とともに姿を現したのであった。

「殿、長沢松平家が参られました」

「うむ、そのようじゃ」

 元康は鳥居彦右衛門尉、平岩七之助らとともに長沢松平家の一行を出迎えた。先頭の馬に跨った武者が当主であろうことは、誰の目から見ても明らかであった。

「これは、蔵人佐殿。お会いできて嬉しゅうございます。某が長沢松平家当主を務めております、松平政忠にございまする」

「叔父上、それは元康とて同じ事。改めて、よくぞ長沢よりお越しくださいました。ささっ、積もる話は寺内にて承りたく」

「おお、そうさせていただこう」

 長沢松平家からは当主・松平政忠、ところどころに白髪が混じっている五十近い老人と、まだ三十路と見受けられる女性が元康より少し年下の少年を伴って続いてくる。

 これまで通り、寺内の一室へと一行を導いた元康は、改めて名乗り始める。

「某は松平宗家当主、松平蔵人佐元康にございまする」

「これはご丁寧にかたじけない。某が長沢松平家当主の政忠にございまする。右手に控えるは某の老父、上野介親広。そして、左手に控えておりますのが正妻の於久と嫡男の源七郎にございまする」

 松平政忠に紹介され、松平上野介、於久、松平源七郎の順に元康に対して一礼していく。

「蔵人佐殿、噂にたがわず、先々代の清康公に似ておられまする」

「左様にございまするか。生憎、祖父には会ったことがないのですが、祖父を知る方々からはよく言われまする」

 生き写しとまでは行かずとも、身に纏う雰囲気が似ている。そう付け加えた松平上野介。だが、そう言われて、元康も悪い気はしないどころか、内心では大層喜んでいた。

「蔵人佐殿、ご成長なされた姿を拝見できましたこと、まこと嬉しく思います」

「叔母上も達者なようで、元康も安堵いたしました。某が今年で十九となりますゆえ、叔母上も三十二となられまするか」

「ええ、すっかり朽ちて、枯れ尾花となりましてございます」

「ははは、叔母上はご冗談も上手にございまするな。教養溢れる返答ができる品のある叔母上が腹を痛めて御生みになられたのが、そちらの源七郎殿にございましょう。顔立ちは御父上に、身に纏う雰囲気は叔母上に似ておるように見受けられまする」

 元康を曇りない眼で見つめる松平源七郎を見て、元康は感じたことをそのまま口にした。されど、叔母である於久には世辞であると軽く流されてしまう。

「源七郎殿、今年でいくつになられたか」

「はい!源七郎は今年で十五になりましてございます!」

「十五か。ではまもなく元服となろうか」

 数えで十五ともなれば、そろそろ元服を迎える頃合いでもあった。そのあたりはどう考えているのかと、元康は視線で当主・政忠へと訴えかけていく。

「此度の尾張表への出陣が済んで後、落ち着いて元服の儀を執り行おうと考えております」

「それは良い。元服後の諱もいかにするか、考えておるか」

「それがまだにございまする。某の諱から一字を与えるつもりではおりまするが」

「そうであったか。名については、某も少し考えてみることといたしましょう。某にとっては、数少ない従弟にあたる者。身内として、少し骨を折らせていただきまするぞ」

「それはかたじけない。そのためにも、来る尾張表での合戦においても手柄を挙げてみせまするぞ」

 我が子のために骨を折ろうとしている甥のためにも、来る織田軍との合戦においても手柄を挙げてみせる。そう意気込む、松平政忠なのであった。

 そして、息子に代わって、老父が若き宗家当主・元康へと語りかけていく。

「そうじゃ、蔵人佐殿。岡崎城におられるご家族とはお会いになられましたかな」

「それが生憎、まだ会えておらぬのです。某も戦の支度のため三河入りをしておりますから、どうしてもそちらを優先せざるを得ないのです」

「左様にございましたか。こうも近くにおるのに会えぬとは、今川家親類衆のお立場も大変にございまするな」

「はい。されど、妹らからもあまり好かれてはおりませぬゆえ、某と会わずとも生き生きとしておりましょう。戦が終わりし後、少し顔を出せばよいかと思っております」

 あくまでも戦の支度をするための三河入り。主君からもそのうえで了承を得ているのだから、私事は後回し。道理ではあるものの、仕事優先の寂しい生き方でもあるように思えてならない。

 そのことは元康自身も分かってはいるが、表に出してはならない。先ほどからの松平上野介への返答も、目の前にいる松平上野介へ返しているようで、自分に言い聞かせているかのようでもあった。

「では、蔵人佐殿。我らもこの辺りで失礼いたしまする。次にお会いするのは出陣の折となりましょう。当日は何卒、よろしくお願い申し上げまする」

「こちらこそ、来る尾張表への遠征に合力いただき、まこと感謝しておりまする。来たる大戦では、共に大手柄を挙げて、恩賞に預かりましょうぞ」

 かくして甥と叔父は別れた。次に会うのは共に尾張へ攻め上る時。そう約して別れた二人は、近日中に再会できることが分かっているからなのか、あまり寂しさを感じなかった。

「殿、ご苦労様にございました。これで、三河におられる松平家の方々とは一通り面会できましたな」

「うむ。目的の一つは達した。この分ならば、尾張への出兵の折にも従っていただけそうじゃ。あとは、苅谷の伯父と会わねばならぬな」

 残すは苅谷にいる藤九郎信近との面会。長沢松平の叔父とはうまくやれた元康も、苅谷水野の伯父と上手くやれるかどうか、不安で胸がいっぱいの松平元康なのであった。
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