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第4章 苦海の章
第164話 肝胆を砕く
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――三河一向一揆の蜂起。
それは家康の想定を遥かに上回る、最悪の形で勃発してしまった。だが、家康にくよくよしている時間などあろうはずもなく、すぐにも重臣たちを招集しての評定が開かれることとなった。
「殿、皆揃っておりまする」
岡崎城内の広間へ到着した家康を出迎えたのは家老・石川与七郎数正。宿老であり、数正の祖父にあたる石川安芸守忠成、数正にとって一ツ年下の叔父にあたる家老の石川彦五郎家成をはじめとして、重臣らが緊張した面持ちで詰めている。
そこには家康の継父・久松佐渡守、岡崎城の留守を預かる鳥居伊賀守忠吉、剃髪した常源と号している宿老・大久保新八郎忠俊、常源が弟・左衛門次郎忠次、本多肥後守忠真、老臣・青山藤蔵忠門、常源の甥にあたる杉浦藤次郎時勝、米津藤蔵常春、小栗党を率いる小栗仁右衛門吉忠、高力与左衛門清長、騎射の達人で家康から偏諱を受けた内藤金一郎家長、その従兄弟で同じく弓の名手・内藤甚一郎正成、榊原弥平兵衛忠政、筋骨隆々で体術と槍術に優れる若武者・服部半蔵正成、平岩七之助親吉の実兄・金右衛門正広、設楽越中守貞通といった者らが揃い踏みしていた。
加えて、浄土真宗から浄土宗へと改宗した鳥居伊賀守忠吉の娘婿・本多作左衛門重次、石川又四郎重次、植村庄右衛門正勝、常源の甥にあたる杉浦藤次郎時勝、芝田孫七郎重政らも広間の隅で強張った面持ちで座している。
そこへ、家康が近侍の阿部善九郎正勝、平岩七之助親吉、榊原小平太、天野三郎兵衛康景、本多平八郎忠勝を伴って入室。一同の目線が家康の方へと集約される。
「皆も耳にしておろうが、いくつもの浄土真宗本願寺派の寺院が一斉に蜂起し、一向一揆を招いてしまった。このことは家康の不徳の致すところ。されど、これを放置しては民は今後も塗炭の苦しみを味わうこととなろう。ゆえに、わしは徹底抗戦することとした。多くの家臣に背かれたわしにも、改宗してまでも付き従ってくれる者が多くおること、まことに嬉しく思うておる」
「殿、宗門といえども、それを主君に刃を向ける理由とするような輩は断じて許せませぬ。ゆえに、この天野三郎兵衛は宗派を改め、無二の忠誠を尽くす所存にございまする!」
「本多平八郎忠勝、右に同じく!」
近侍の天野三郎兵衛、本多平八郎といった者たちも改宗したうえで、改めて家康への忠義を貫かんとしている武人たちであった。そんな若武者たちを笑うどころか、我も我もと忠誠を胸に一向一揆勢と戦うことを叫ぶ家臣たちが後を絶たなかった。
「皆の者、静まれっ!殿が何ぞ申されようとしておるに、それを遮るとは!身の程を弁えよ!」
常源老人の言葉は鶴の一声であった。家康が今後の方策を話そうとしている中で、各々が好き放題口を開いていては話すこともできない。それを見かねての常源の言葉であった。
そうして一同が静まる広間へ、石川右近大夫康正の正室であり、家老・石川与七郎数正の生母が来客を取り次ぐべく足早にやって来る。
「評定の最中に申し訳ございませぬ。表にお殿様にお会いしたいと申す方々が」
「おお、右近大夫の夫人か。先日の右近大夫が訃報は耳にしておる。最後まで一向宗寺院との間を取り持とうと尽力してくれておったこと、御夫人には告げおこう」
「ありがとうございます。黄泉にて夫も喜んでおりましょう」
「うむ、そうであれば良いのじゃが。さて、あいにく今は大事な評定の最中ゆえ、目通りは叶わぬと、客人にはお伝えくだされ」
「はい。しかと承りました。そうです、来客の方の名前だけでもお伝えしてもよろしゅうございますか」
「うむ。然らば、客人の名を承ろう」
石川与七郎の母と聞いても信じられないほどに血色の良い顔つきの夫人から告げられた来客の名に、家康もたまげた。
「なに、水野藤十郎忠重と水野太郎作正重と申したか!」
家康からの返答に石川夫人はこくりと頷く。彼女から告げられた水野藤十郎忠重と水野太郎作正重の名。中でも水野藤十郎忠重といえば、水野下野守信元の異母弟であり、家康の生母・於大の方にとっては同母弟にあたる、家康にとって母方の叔父に該当する人物である。
「御夫人、すまぬが両名をこの広間へ案内してきてはもらえぬか」
「分かりました。では、すぐにお連れいたします」
丁寧にお辞儀をしてから起立し、広間を後にした石川夫人の姿が見えなくなると、石川与七郎が口を開いた。
「殿、まことによろしいので?」
「大事な評定の折じゃが、ただの来客とも思えぬ」
「み、水野家の方々にございますからな」
石川与七郎も言ったとおり、やはり水野家の者が来たとあっては通さぬわけにもいかなかった。
そうして石川与七郎の母が広間まで案内してきた水野藤十郎と水野太郎作の両名は緊張と親しみが交わったような面持ちで入室してきた。評定の最中とはいえ、これほどの人数が広間に詰めているとは思ってもみなかったという顔でもあった。
「これは叔父上。よもや岡崎へ参られるとは思いませなんだ」
「ははは、突然の訪問となりしこと、平にご容赦願いたい。実は兄と折り合いが悪く、ここにおる太郎作とともに鷲塚に蟄居してござった」
「なんと!鷲塚におられたのですか!」
「そうじゃ。蔵人佐殿へ敵対することを表明した願随寺のある鷲塚は湊が発展し、富み栄えておるゆえ、そこでならば当面の蟄居生活には困るまいと思うてな。じゃが、そこで一揆の企てを耳にしたゆえ、太郎作とも話し合い、岡崎の蔵人佐殿のもとへ参ろうと決めたわけじゃ」
家康の一ツ上の叔父・藤十郎忠重の眼光は鋭く、本気であることを窺わせる。加えて、その右隣りに控える忠重の四ツ下で十九歳の若武者・水野太郎作も全身から真剣さをにじませている。
「無論、ただで厄介になろうとは思ってはおらぬ。わしも太郎作も槍働きに関しては覚えがあることゆえ、蔵人佐殿の家臣として奉公するつもりでおる」
「それは心強い限りじゃが、まことによろしゅうござるか」
「おう。後々、あの時に召し抱えておいて良かったと蔵人佐殿にも思ってもらえるような働きをしてみせようぞ」
「多くの家臣が離反し、人手が足らぬで困っておったところゆえ、喜んでその申し出を受けましょうぞ!ゆえに、本日付けで水野藤十郎と水野太郎作の両名を召し抱えることといたす!ひとまず、久松佐渡守が隣に席が空いてもおることゆえ、両名ともそこで此度の評定に加わるがよい」
「ありがとう存じまする!」
「殿、重臣の方々、無骨者ではございますが、今後ともよろしくお願いいたしまする!」
水野藤十郎、水野太郎作の両名は主君となった家康とその重臣たちに向けて深々と頭を下げると、軽やかな足取りで久松佐渡守の隣へと移動していく。
こうして評定の支度が整ったところで、ようやく家康は今後の方策について発言することができた。
「まずは皆、よくぞわしのもとへ残ってくれた!家康、改めて礼を申す!そのうえで、わしへ逆心した者共と一向一揆との戦いについて、わしの考えを述べていくこととしたい」
上座にてはきはきした語調で家臣らへ語りかける様子はまさしく当主そのもの。初陣の頃よりも遥かに自信に満ち、堂々とした様はこれまでの戦いを経て成長してきたことを感じさせる。
そんな家康の姿に、評定に参加する宿老たちは先代・広忠の面影が重なり、そっと袖で目元を拭っている。
「平八郎!小平太!絵図を!」
重臣たちが集まるど真ん中へ、家康の命を受けた本多平八郎と榊原小平太が絵図を広げ、そこへ一同の視線が自然集中する。
「まずは、大久保党の守る上和田砦じゃ」
家康の言葉に、本多平八郎が上和田砦へ指を動かす。その上和田砦のすぐ南には脅威ともいえるほど武闘派の門徒武士が集結した針崎勝鬘寺。そのさらに南に、三河最大の勢力を誇る土呂本宗寺が存在する。
「わしの見るところ、敵の戦力は針崎勝鬘寺が最も優れていると思われ、針崎勝鬘寺を足掛かりにここ岡崎城を狙ってくるは必定。そこで、上和田砦には常源の長子で大久保党を束ねている七郎左衛門忠勝を筆頭に、喜六郎忠豊や与一郎忠益といった七郎左衛門の弟らや、八郎右衛門忠重と阿部四郎兵衛忠政といった左衛門次郎忠次の子ら、常源の弟である平右衛門忠員とその子七郎右衛門忠世、同じく常源が弟の主水忠行といった大久保家の者らに加え、大久保家の縁者である杉浦大八郎五郎吉貞と八郎五郎勝吉父子などが籠城しておる」
家康が述べた中で登場した人物名を榊原小平太が達筆な字で上和田砦の近くに書き記していく。それを見ながら重臣たちもささやき声で口々に囁きだす。それを見かねて、常源が実弟・大久保左衛門次郎が挙手する。
「殿、ここ岡崎城と上和田砦の間を乙川が隔ててもおりますれば、上和田砦が一揆勢に攻められるようなことにもなれば、いかがなされるご所存で」
「うむ。大久保党には敵が攻め寄せたら、すぐにも櫓から竹の筒貝を吹き立てるように命じてある。ゆえに、こちらも上和田砦有事の際は貝が響くとのことを足軽に至るまで伝え、耳や目の良い者を見張り番として立てるつもりでおる。加えて、上和田砦で何かあれば、たとえわし一騎だけであろうとも出陣するゆえ、そのこと皆も覚えておくように」
大久保左衛門次郎としては、息子二人をはじめ一族のほぼすべてが上和田砦に集結していることから、援軍の見込みもなく戦わせるつもりなのかと不安に感じていたらしい。だが、たとえ家康一人でも援軍に向かうとの言質が取れたことに安堵してもいる様子であった。
「加えて、岡崎城の留守居は足腰の弱っているが、戦経験の豊富な石川安芸守、常源、鳥居伊賀守、青山藤蔵といった宿老らと杉浦藤次郎に任せたい」
家康からの指名を受けた五名は深々と頭を下げ、岡崎城防備の任を拝命した。
家康としても家族の住まう岡崎城の防備が危ういままでは、心配で岡崎城から離れられなくなってもしまう。その点、彼らに任せておけば、岡崎城の守備は盤石と捉えていたため、家康も内心では安堵の息を漏らしていた。
「続けて、矢矧川西の佐々木上宮寺には鳥居党の渡城と小栗仁右衛門吉忠率いる小栗党の筒針砦を拠点とする。また、佐々木上宮寺の北に位置する桑子の明眼寺からも要請があった」
「ほう、桑子の明眼寺も浄土真宗の寺院にございましょう。よもや、一向一揆に加担すると……!」
「彦右衛門尉、落ち着け。たしかに明眼寺は寺院を要塞としたうえで立て籠もっておるが、明眼寺は此度一向一揆を蜂起した本願寺派と対立する真宗高田派じゃ。明眼寺からは当家に与し、本願寺派と一戦交える覚悟ゆえ、佐々木上宮寺攻めの際は報せが入り次第僧兵を加勢に向かわせるとのことであった」
「なんと!敵の敵は味方ということにございましたか……!」
鳥居彦右衛門尉の言葉に頷きながら、家康は笑った。一向一揆と聞けば、浄土真宗の多い西三河では周囲すべてを敵に回した心地がする。されど、敵も一枚岩ではないのだということが、高田派の明眼寺からの申し出からも分かる。
「それだけではないぞ。この岡崎城の東にある真宗高田派の菅生の満性寺も我らに味方するとの約を得ておるゆえ、上和田砦へ救援を赴く際も安心して乙川を渡河できようぞ」
上和田砦への救援に際して、敵襲の心配をせずに乙川を渡河できることの意味は大きかった。それゆえに、常源や大久保左衛門次郎といった大久保家の者らは人一倍安堵した様子であった。
「今しばらくの間は寒さの厳しい冬が続く。それゆえに、こちらから攻めることはせず、暖をとりながら敵の動きをじっくり見たうえで判断したいが、皆も異議はないであろうか」
評定の最中も寒さで震えている家臣一同、家康の様子見には大いに賛同するところであった。何より、敵の全貌や動きが掴めないのでは迂闊に動くこともできない。
「殿、一つよろしゅうござるか」
かじかむ手を高く掲げたのは、本多作左衛門重次であった。いかつい顔つきの壮年が何を口にしようというのか、家康も強張った顔のまま応じていく。
「ここにおられる皆もそうじゃが、他の松平家も一向宗寺院から米や銭を借りておる者も多うござる。そのことについては、いかがなされるご所存か伺いおきたく」
「よくぞ申してくれた。確かに米や銭を借りておる者が数多おることはわしも存じておる。ゆえに、わしに味方してくれた者に対しては、徳政を出すこととする」
――徳政が出る。
その家康の一言に、一向宗寺院からの強引な取り立てに苦しめられていた家中は喜びと安堵に包まれるのであった。
それは家康の想定を遥かに上回る、最悪の形で勃発してしまった。だが、家康にくよくよしている時間などあろうはずもなく、すぐにも重臣たちを招集しての評定が開かれることとなった。
「殿、皆揃っておりまする」
岡崎城内の広間へ到着した家康を出迎えたのは家老・石川与七郎数正。宿老であり、数正の祖父にあたる石川安芸守忠成、数正にとって一ツ年下の叔父にあたる家老の石川彦五郎家成をはじめとして、重臣らが緊張した面持ちで詰めている。
そこには家康の継父・久松佐渡守、岡崎城の留守を預かる鳥居伊賀守忠吉、剃髪した常源と号している宿老・大久保新八郎忠俊、常源が弟・左衛門次郎忠次、本多肥後守忠真、老臣・青山藤蔵忠門、常源の甥にあたる杉浦藤次郎時勝、米津藤蔵常春、小栗党を率いる小栗仁右衛門吉忠、高力与左衛門清長、騎射の達人で家康から偏諱を受けた内藤金一郎家長、その従兄弟で同じく弓の名手・内藤甚一郎正成、榊原弥平兵衛忠政、筋骨隆々で体術と槍術に優れる若武者・服部半蔵正成、平岩七之助親吉の実兄・金右衛門正広、設楽越中守貞通といった者らが揃い踏みしていた。
加えて、浄土真宗から浄土宗へと改宗した鳥居伊賀守忠吉の娘婿・本多作左衛門重次、石川又四郎重次、植村庄右衛門正勝、常源の甥にあたる杉浦藤次郎時勝、芝田孫七郎重政らも広間の隅で強張った面持ちで座している。
そこへ、家康が近侍の阿部善九郎正勝、平岩七之助親吉、榊原小平太、天野三郎兵衛康景、本多平八郎忠勝を伴って入室。一同の目線が家康の方へと集約される。
「皆も耳にしておろうが、いくつもの浄土真宗本願寺派の寺院が一斉に蜂起し、一向一揆を招いてしまった。このことは家康の不徳の致すところ。されど、これを放置しては民は今後も塗炭の苦しみを味わうこととなろう。ゆえに、わしは徹底抗戦することとした。多くの家臣に背かれたわしにも、改宗してまでも付き従ってくれる者が多くおること、まことに嬉しく思うておる」
「殿、宗門といえども、それを主君に刃を向ける理由とするような輩は断じて許せませぬ。ゆえに、この天野三郎兵衛は宗派を改め、無二の忠誠を尽くす所存にございまする!」
「本多平八郎忠勝、右に同じく!」
近侍の天野三郎兵衛、本多平八郎といった者たちも改宗したうえで、改めて家康への忠義を貫かんとしている武人たちであった。そんな若武者たちを笑うどころか、我も我もと忠誠を胸に一向一揆勢と戦うことを叫ぶ家臣たちが後を絶たなかった。
「皆の者、静まれっ!殿が何ぞ申されようとしておるに、それを遮るとは!身の程を弁えよ!」
常源老人の言葉は鶴の一声であった。家康が今後の方策を話そうとしている中で、各々が好き放題口を開いていては話すこともできない。それを見かねての常源の言葉であった。
そうして一同が静まる広間へ、石川右近大夫康正の正室であり、家老・石川与七郎数正の生母が来客を取り次ぐべく足早にやって来る。
「評定の最中に申し訳ございませぬ。表にお殿様にお会いしたいと申す方々が」
「おお、右近大夫の夫人か。先日の右近大夫が訃報は耳にしておる。最後まで一向宗寺院との間を取り持とうと尽力してくれておったこと、御夫人には告げおこう」
「ありがとうございます。黄泉にて夫も喜んでおりましょう」
「うむ、そうであれば良いのじゃが。さて、あいにく今は大事な評定の最中ゆえ、目通りは叶わぬと、客人にはお伝えくだされ」
「はい。しかと承りました。そうです、来客の方の名前だけでもお伝えしてもよろしゅうございますか」
「うむ。然らば、客人の名を承ろう」
石川与七郎の母と聞いても信じられないほどに血色の良い顔つきの夫人から告げられた来客の名に、家康もたまげた。
「なに、水野藤十郎忠重と水野太郎作正重と申したか!」
家康からの返答に石川夫人はこくりと頷く。彼女から告げられた水野藤十郎忠重と水野太郎作正重の名。中でも水野藤十郎忠重といえば、水野下野守信元の異母弟であり、家康の生母・於大の方にとっては同母弟にあたる、家康にとって母方の叔父に該当する人物である。
「御夫人、すまぬが両名をこの広間へ案内してきてはもらえぬか」
「分かりました。では、すぐにお連れいたします」
丁寧にお辞儀をしてから起立し、広間を後にした石川夫人の姿が見えなくなると、石川与七郎が口を開いた。
「殿、まことによろしいので?」
「大事な評定の折じゃが、ただの来客とも思えぬ」
「み、水野家の方々にございますからな」
石川与七郎も言ったとおり、やはり水野家の者が来たとあっては通さぬわけにもいかなかった。
そうして石川与七郎の母が広間まで案内してきた水野藤十郎と水野太郎作の両名は緊張と親しみが交わったような面持ちで入室してきた。評定の最中とはいえ、これほどの人数が広間に詰めているとは思ってもみなかったという顔でもあった。
「これは叔父上。よもや岡崎へ参られるとは思いませなんだ」
「ははは、突然の訪問となりしこと、平にご容赦願いたい。実は兄と折り合いが悪く、ここにおる太郎作とともに鷲塚に蟄居してござった」
「なんと!鷲塚におられたのですか!」
「そうじゃ。蔵人佐殿へ敵対することを表明した願随寺のある鷲塚は湊が発展し、富み栄えておるゆえ、そこでならば当面の蟄居生活には困るまいと思うてな。じゃが、そこで一揆の企てを耳にしたゆえ、太郎作とも話し合い、岡崎の蔵人佐殿のもとへ参ろうと決めたわけじゃ」
家康の一ツ上の叔父・藤十郎忠重の眼光は鋭く、本気であることを窺わせる。加えて、その右隣りに控える忠重の四ツ下で十九歳の若武者・水野太郎作も全身から真剣さをにじませている。
「無論、ただで厄介になろうとは思ってはおらぬ。わしも太郎作も槍働きに関しては覚えがあることゆえ、蔵人佐殿の家臣として奉公するつもりでおる」
「それは心強い限りじゃが、まことによろしゅうござるか」
「おう。後々、あの時に召し抱えておいて良かったと蔵人佐殿にも思ってもらえるような働きをしてみせようぞ」
「多くの家臣が離反し、人手が足らぬで困っておったところゆえ、喜んでその申し出を受けましょうぞ!ゆえに、本日付けで水野藤十郎と水野太郎作の両名を召し抱えることといたす!ひとまず、久松佐渡守が隣に席が空いてもおることゆえ、両名ともそこで此度の評定に加わるがよい」
「ありがとう存じまする!」
「殿、重臣の方々、無骨者ではございますが、今後ともよろしくお願いいたしまする!」
水野藤十郎、水野太郎作の両名は主君となった家康とその重臣たちに向けて深々と頭を下げると、軽やかな足取りで久松佐渡守の隣へと移動していく。
こうして評定の支度が整ったところで、ようやく家康は今後の方策について発言することができた。
「まずは皆、よくぞわしのもとへ残ってくれた!家康、改めて礼を申す!そのうえで、わしへ逆心した者共と一向一揆との戦いについて、わしの考えを述べていくこととしたい」
上座にてはきはきした語調で家臣らへ語りかける様子はまさしく当主そのもの。初陣の頃よりも遥かに自信に満ち、堂々とした様はこれまでの戦いを経て成長してきたことを感じさせる。
そんな家康の姿に、評定に参加する宿老たちは先代・広忠の面影が重なり、そっと袖で目元を拭っている。
「平八郎!小平太!絵図を!」
重臣たちが集まるど真ん中へ、家康の命を受けた本多平八郎と榊原小平太が絵図を広げ、そこへ一同の視線が自然集中する。
「まずは、大久保党の守る上和田砦じゃ」
家康の言葉に、本多平八郎が上和田砦へ指を動かす。その上和田砦のすぐ南には脅威ともいえるほど武闘派の門徒武士が集結した針崎勝鬘寺。そのさらに南に、三河最大の勢力を誇る土呂本宗寺が存在する。
「わしの見るところ、敵の戦力は針崎勝鬘寺が最も優れていると思われ、針崎勝鬘寺を足掛かりにここ岡崎城を狙ってくるは必定。そこで、上和田砦には常源の長子で大久保党を束ねている七郎左衛門忠勝を筆頭に、喜六郎忠豊や与一郎忠益といった七郎左衛門の弟らや、八郎右衛門忠重と阿部四郎兵衛忠政といった左衛門次郎忠次の子ら、常源の弟である平右衛門忠員とその子七郎右衛門忠世、同じく常源が弟の主水忠行といった大久保家の者らに加え、大久保家の縁者である杉浦大八郎五郎吉貞と八郎五郎勝吉父子などが籠城しておる」
家康が述べた中で登場した人物名を榊原小平太が達筆な字で上和田砦の近くに書き記していく。それを見ながら重臣たちもささやき声で口々に囁きだす。それを見かねて、常源が実弟・大久保左衛門次郎が挙手する。
「殿、ここ岡崎城と上和田砦の間を乙川が隔ててもおりますれば、上和田砦が一揆勢に攻められるようなことにもなれば、いかがなされるご所存で」
「うむ。大久保党には敵が攻め寄せたら、すぐにも櫓から竹の筒貝を吹き立てるように命じてある。ゆえに、こちらも上和田砦有事の際は貝が響くとのことを足軽に至るまで伝え、耳や目の良い者を見張り番として立てるつもりでおる。加えて、上和田砦で何かあれば、たとえわし一騎だけであろうとも出陣するゆえ、そのこと皆も覚えておくように」
大久保左衛門次郎としては、息子二人をはじめ一族のほぼすべてが上和田砦に集結していることから、援軍の見込みもなく戦わせるつもりなのかと不安に感じていたらしい。だが、たとえ家康一人でも援軍に向かうとの言質が取れたことに安堵してもいる様子であった。
「加えて、岡崎城の留守居は足腰の弱っているが、戦経験の豊富な石川安芸守、常源、鳥居伊賀守、青山藤蔵といった宿老らと杉浦藤次郎に任せたい」
家康からの指名を受けた五名は深々と頭を下げ、岡崎城防備の任を拝命した。
家康としても家族の住まう岡崎城の防備が危ういままでは、心配で岡崎城から離れられなくなってもしまう。その点、彼らに任せておけば、岡崎城の守備は盤石と捉えていたため、家康も内心では安堵の息を漏らしていた。
「続けて、矢矧川西の佐々木上宮寺には鳥居党の渡城と小栗仁右衛門吉忠率いる小栗党の筒針砦を拠点とする。また、佐々木上宮寺の北に位置する桑子の明眼寺からも要請があった」
「ほう、桑子の明眼寺も浄土真宗の寺院にございましょう。よもや、一向一揆に加担すると……!」
「彦右衛門尉、落ち着け。たしかに明眼寺は寺院を要塞としたうえで立て籠もっておるが、明眼寺は此度一向一揆を蜂起した本願寺派と対立する真宗高田派じゃ。明眼寺からは当家に与し、本願寺派と一戦交える覚悟ゆえ、佐々木上宮寺攻めの際は報せが入り次第僧兵を加勢に向かわせるとのことであった」
「なんと!敵の敵は味方ということにございましたか……!」
鳥居彦右衛門尉の言葉に頷きながら、家康は笑った。一向一揆と聞けば、浄土真宗の多い西三河では周囲すべてを敵に回した心地がする。されど、敵も一枚岩ではないのだということが、高田派の明眼寺からの申し出からも分かる。
「それだけではないぞ。この岡崎城の東にある真宗高田派の菅生の満性寺も我らに味方するとの約を得ておるゆえ、上和田砦へ救援を赴く際も安心して乙川を渡河できようぞ」
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「今しばらくの間は寒さの厳しい冬が続く。それゆえに、こちらから攻めることはせず、暖をとりながら敵の動きをじっくり見たうえで判断したいが、皆も異議はないであろうか」
評定の最中も寒さで震えている家臣一同、家康の様子見には大いに賛同するところであった。何より、敵の全貌や動きが掴めないのでは迂闊に動くこともできない。
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かじかむ手を高く掲げたのは、本多作左衛門重次であった。いかつい顔つきの壮年が何を口にしようというのか、家康も強張った顔のまま応じていく。
「ここにおられる皆もそうじゃが、他の松平家も一向宗寺院から米や銭を借りておる者も多うござる。そのことについては、いかがなされるご所存か伺いおきたく」
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前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。
未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!?
小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!
対米戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。
そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。
3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。
小説家になろうで、先行配信中!
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歴史・時代
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HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
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