ライオンハート

紅夜蒼星

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第一話 【異常】 1

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 エルハイム王国は1000年の歴史を誇る大国である。
 しかし記念すべき王国歴1000年の前に、この国をある異常が襲った。気温がまるで上がらないのである。その異常は半年ほど前から始まり、今では外に出るのに防寒具は欠かせない地域もあるほどだ。
 景観が四季の移り変わりとともに美しく変わっていくはずのエルハイム王国だったが、ただ荒んだ景観にになってしまっている。いつも通りならば暖かな春を迎える時期のはずなのに、花の柔らかな匂いは漂うことなく、種のまま地面に埋もれている。
 この謎の異常気象を、王国に滅ぼされた者たちの呪いだと言う者もいた。急速に発展を遂げた、海を挟んだ西国の大魔法だと、この国に警鐘を鳴らす者さえもいる。
 しかし何にせよ、今のままではどうすることもできないというのが王国上層部の見解だった。

「はぁ……何だよあの化け物! あんなのが狙ってるとか聞いてねぇぞクソ野郎……」

 そしてその国の北西にある広漠とした荒野を、一人の男が歩いていた。
 彼は炎のような橙色の髪を泥まみれにし、衣服も傷だらけで、とても清潔とはいえない格好をしている。勇ましい印象を受ける精悍な顔つきにも、浅黒い肌にも汚れが目立つ。それが関係しているのか、機嫌悪そうに先ほどからボソボソと悪態をついていた。
 彼の名はギルドルグ・アルグファストといった。

「体洗いてぇなー。早いとこ宿屋で休みてぇ……」

 足をズルズルと引き摺り、今にも倒れてしまいそうなギルドルグ。
 ついには独り言さえも無くなり、姿勢は猫背気味になり、機械的に足を動かしているだけになってしまった。全身が重くなり始め、肩にかけている袋も全部捨ててしまいたい衝動に駆られる。
 やっとのことで街に辿り着いたが、この辺りに宿屋の影は見えない。
 そして彼は疲れた頭であることに思い当たる。
 あ、これ無理だわ。と。

「倒れるってホントに……民家もあることだし、とりあえず泊めてもらおう、仕方ない」

 どうしようもなくなったギルドルグは、なんとなくもう少し歩いた先にあった家の扉を叩いた。
 最悪食べ物を恵んでもらうだけでよしとしようかと、疲れた頭で彼は返事を待つ。
 しかし待てども返事はない。念のためにもう一度叩いてみるも、やはり返事はなかった。

「いないっぽいな。次の家に……ん?」

 もしくは居留守だろうか。そうであっても責められることではないので、諦めた方が無駄が少なくて済む。
 次に向かおうと彼が扉に背を向けた瞬間、家の中からやや早めに足音が聞こえてきた。寝ていたか手が離せないことでもあったのだろうか。
 何にせよこれで助かった。ホッと安堵の溜息をつき、だんだんと近づいてくる足音の主を、扉の外にて待つ。
 そして深い茶色をした扉が少し開いた。

「……誰?」

 扉の隙間から顔を出したのは、艶やかな深い紺色の髪をした女性だった。肩まで届くほどの、夜色の髪の持ち主は彼に問う。なんとも理知的な顔で、実に整った顔立ちである。見目麗しい外見で、これまでに何人の男から言い寄られたことか。
 ギルドルグは数秒間その美しさに気を取られたが、疲れ切った表情で答えた。

「すいません、旅の者ですが……。疲れ切って限界なんです。一晩だけ泊めていただくことはできますか……?」

 とは言いながらも、彼の心は既に次の家に向かうことを考えていた。
 見た感じ、この女性は自分とほとんど同じ歳だ。
 こんなボロボロの格好をした男を泊めることにはいささか躊躇うだろう。出来れば次の家は男が出てくるといいなぁと、彼はぼんやり思いながら一応彼女の返答を待った。

「入って」

「そうですよね。それでは……って、はぁ?」

「入って」

 もう既に扉に背を向けかけていた彼は、驚いた表情で再び彼女を見た。彼女は何の躊躇もせずに、扉を大きく開けて彼を迎え入れようとしている。
 ギルドルグにとっては願ったり叶ったりだが、逆に騙されているのではと軽い疑心暗鬼に陥った。
 しかし騙すとは言っても、命の危険にさらされるほどではないだろうとたかをくくり、返答する。 

「いいんですか?」

「あなたは私を襲うつもりでもあるの?」

「いやそういうことではなく」

「まぁ別にかまわないけれど」

「そこは嫌がるところじゃないの!?」

 青年は軽く頭を下げてお辞儀をし、少し警戒して周りを見渡す。
 彼の癖になっている動作だ。こんなところで何かに巻き込まれるとは思えないが。
 そして彼は家の中へと入り、扉を閉めた。
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