ライオンハート

紅夜蒼星

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第一話 【異常】 6

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 優の家から霧厳山脈の方角、北へと歩を進めてしばらく経つと、密集していた住宅が少なくなり始める。どうやら町の外に出たようで、人の気配はあまり感じられない。
 町といっても城壁や柵のような境界は存在しないので、本当に外に出たのかと言われれば怪しいが。それでもよく伸びた草木をよく見かけるようになり、だんだんと整備されていない土地に入ってしまっていたのは確かだった。
 てっきり預言者は住宅地、町中にいるものだとばかり思っていたギルドルグは、ややがっかりして口を開く。

「預言者サマは一人で住んでんのか? こんな人目を忍ぶようなトコでよ」

「そうだな。あのじーさんはホントに年とってんのか怪しいくらい元気だからよ、時々街に顔見せたりもするぜ」

 そしてまたしばらく歩いていくと、少し開けた土地に、一つだけ寂しげに佇立する家が見えてきた。家の壁は蔦が生い茂り、長い間手入れがされていないような印象を受ける。周りの木に日光が遮られ、ところどころに苔も生えているようだ。一人暮らしの老人の家と言ってしまえばそれまでだが、何か当たりに漂っている気配に、よくないものが感じられた。
 棒立ちになっているギルドルグを尻目に、先を歩く優は家の扉を叩く。ギルドルグはハッとし、軽く走って優とゼルフィユのもとへと合流する。
 その瞬間に、扉は錆びた音を響かせて開いた。

「やぁ優ちゃんにゼルフィユ君。久しぶりだね。そして宝狩人君もよく来てくれた。さぁ中へ入るといい。宝狩人君は、名前を聞かせておくれよ」

 扉の向こうに立っていたのは、優しげな風貌をした老人だった。短く刈り揃えられた髪の毛はほとんど白髪となっており、扉を開けた腕や優しげな顔には、皺が深く刻まれている。しかしヨボヨボの老人という印象は感じられず、むしろこの世の全てを知った仙人のような印象を受けた。
 そしてギルドルグは驚愕する。
 どうしてこの老人は、俺の職業を知っている?
 彼は一抹の不安を覚えたが、老人はそれ以上話すことなく、背を向けて家の中へと入っていってしまった。
 優とゼルフィユの後に続いて彼は家に入ったが、その疑問が頭から離れずにグルグルと渦巻く。二人は自分の家のように椅子に座ってくつろぎ始めたが、どうもそんな気にはなれない。得体の知れない預言者という存在からして、警戒を怠らないにこしたことはない。
 しばらくギルドルグが立ちすくんでいると、老人はお茶を持って彼らのもとへとやって来た。

「宝狩人君よ、そんなに警戒することはないだろう。私が君に害を加えることはないよ。君が私たちに害を加えない限りはね」

 老人は静かに、ギルドルグへと顔を向ける。その瞬間ギルドルグの背中には、嫌な汗が一筋流れた。
 別に彼は、老人のことを本気で敵視しているわけではない。害をなそうとしているわけではない。ギルドルグを警戒へと導いているのは、今までに積み重ねた戦闘の勘だ。
 この老人の内側には、なにかとんでもない怪物が飼いならされている。
 皺だらけで、年相応の痩躯だと思っていたが、よく見れば顔や手の甲には傷跡が視認でき、腰が曲がっているわけでもなく、動きは若い男のそれである。何度も死線を掻い潜ってきたギルドルグだからこそ、この老人が隙を見せるべき相手ではないと判断した。

「アンタが噂の預言者かな? 俺はギルドルグ・アルグファスト。アンタの言うとおり、宝狩人だ。名刺いる?」

「一応もらっておこうかな。……さて、ギルドルグ君は私のことをご存知かい?」

「名前くらいはな。メルカイズさん、だろ? 他にも情報は出回っているとは思うが、生憎そっちは興味がなくてね」

 預言者。その言葉通りに、神の言葉を預かる者。
 突如としてとんでもない秘宝の存在を預言し、表舞台へと姿を現した老翁、預言者メルカイズ。

「まぁ私の身の上から教えてあげようか。そもそもいきなり重大な話題に入ったところで、ボケた老人くらいにしか思われないだろう?」
 
「そういやじーさん、いくら聞いても俺たちには教えてくれなかったじゃねぇか。何で今になって」

「それは後々に教えてあげよう。……ギルドルグ君。私はエルハイム王国の最上軍師だったのだ」

「!?」

 三人はそれぞれ驚愕する。エルハイム王国の最上軍師と言えば、真の天才にしかなることを許されないといわれる役職であった。戦場での軍隊の指揮はもちろん、この国の行く末をも決定するとされ、影の国王といっても何の差支えもない。
 しかし最上軍師は表舞台に出ることは許されない。大々的に戦果を挙げたことを称賛されるわけではない。あくまでも王の影。このエルハイム王国を照らす光が国王だとしたら、それを後ろから支える影こそが最上軍師。
 血の繋がりにより決定する国王と違い、完全な実力でのし上がってきた者だけが許される、実質的な国民の最上級職であった。

「メルカイズさん、どうして教えてくれなかったの? 私とメルカイズさんの仲じゃない」

「この国のほとんどトップに君臨していた人間によくそんな口がすぐ叩けるな!?」

「構わんよギルドルグ君。私と優ちゃんの仲なのにすまんの優ちゃん」

「いいってことよ」

「おい優。さっきからアンタの人格がブレにブレてるぞ。ちゃんと安定させてくれ」

 というか預言者も預言者でどんだけ優に甘いんだよ。
 ゼルフィユはと言えば完全に気の抜けた顔をしているし、どうやらこれがいつもの光景のようだ。納得はあまり出来ないが。

「そして私が最上軍師となっていたのは15年間。今から45年前からじゃな。そして30年前に私は後を譲り、私は余生を過ごすことにした。私が最上軍師まで上り詰めたのは理由がある――私は、絶対を預言することが出来る」

 絶対の預言。未来の預言。神からの言葉を預かる者、預言者。
 それが意味するところはただ一つ。
 この世の全てを知ることができ、この世を全て掌握することができる。

「そんなの、無敵の能力すぎやしねぇか? 国の明暗から戦闘、人との駆け引きまで思うがままだ」

「言っただろうゼルフィユ君、預言できるのはあくまで“絶対”のみ。絶対に起こることのみを知ることができる。さらに時系列は不明な故に、いつ起こるかまでは分からんのだよ」

「それじゃ意味なんてあるのかよ」

「私ができるのはそれを遅らせるということだ。絶対を知れば対策が打てる。悪く言えば後回しかな」

 ギルドルグは老人の皺が微かに歪むのを見逃さなかった。そしてわずかな違和感を覚える。
 自分の絶対の預言を誇ることなく、あまつさえ後回しと言ってのけた。何人もの人間を救ったであろうその能力を、ひどく後ろ向きな方向へ解釈しているのだ。普通の人間には有り余るほど強大な、その能力を。

「……アンタ、一体」

 ギルドルグは眉をひそめ、目の前の老翁を、かつての最上軍師を見やった。
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