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第三話 【依頼】 5
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暗闇であった。
冷たく、光の存在を欠片も許さない、どこまでも続く漆黒であった。諦めや絶望が気怠く揺れる、現世から断たれた空間であった。
しかし永遠とも思える闇にポツリと一つの炎が灯ると、この空間を支配する闇に抗うように、その炎はだんだんと勢い付いていった。炎は何者も通さない、無骨な壁の存在を炎の灯し主に示し、誇らしげに眩い黄色へと変わった。
灯し主は溜息をつきながら、やれやれとでも言いたげに髪の毛をかきあげて一人ごちる。
「客人が来るときは暗闇の中で護衛と共に、息をひそめて待つのが礼儀なのか? 霧厳山脈の王よ」
独り言かと思われたその言葉は、明らかに何者かへと向けられたメッセージだった。
同時に、暗闇は意思を持ったように揺れ始める。炎を掌に宿す男は全く動じる様子もなく、それどころか面白そうに暗闇の変化を見守った。
変化が終わると、そのただっぴろい空間は薄ぼんやりとしながらも本当の姿を現す。
壁は窓は一つもなく、冷気と生臭い血の匂いが滞っているのか、独特のにおいが空間を覆う。中央に道を作るように左右に六本ずつ、合わせて十二本の柱が天井を支え、閉ざされた空の崩落を防いでいる。二階には廊下が設置されており、その真下にはいくつかの松明が火を灯していた。
今男が立っている通路と広間の境、その直線上。数段の階段を昇ったところに置かれる玉座には、暗闇の王とでも言いたげに、自らの力を誇示するように足を組んでふんぞり返る初老の男。彼から発せられる禍々しくも刺すようなオーラを一身に受け、侵入者は王の間を進む。
「我が招く客人は、そのように無礼な物言いはするまい」
「いい加減に夢から醒めたらどうだ? 無礼かどうかは、お前が決めることじゃない」
男が柱の一本に手を置き、玉座に座する男は不審げに目を細めた。
すると天井を支えるはずの柱が、忽然と消失した。
柱の消失によって危うい均衡が破れたのか、閉ざされた天から不安を醸し出す地鳴りのような音が聞こえ始めた。
侵入者は絶対的な自信とともに再び歩を進める。玉座でそれを迎え撃つ男は、表情を微塵も変えない。
「かつての戦争の総指揮者、首謀者、その成れの果て。名を上げたはずのお前が、亡霊のように孤独へ捕らわれているのは何故だ」
「捕らわれている? 今お前はそう言ったのか」
「そうだな。お前は捕らわれているのだと、そう言った」
玉座に坐す初老の男はしばし黙り込み、それから押し殺したように小さく笑い始めた。それはこの世の全てという全てを嘲笑うように、沈黙が落ちる暗闇へと溶け込む。
侵入を続ける男は足を止め、玉座の方向を見据えて“何か”に備える。
くくく、くくくと長い間笑い続けると、男は呆れ返ったように深く息を吐いた。
「捕らわれたのはお前の方だ、魔狼よ」
魔狼と呼ばれた男が迅速に振り向くが、天井でも落とされたのか、そこに自分が通ってきた入口はなかった。
ゆっくりと再び前へ向き直ると、人間のような“何か”が彼の方へと疾駆してきているのが視認できた。男は松明を床に落とすと同時に前方へと駆け出し、再び炎を顕現させて迎撃する。
男は腕を引き、炎の拳を命中させるが、肉と骨というにはあまりに柔らかい感覚――否、実際に彼の炎拳は空を切った。しかし襲撃者の腹部には彼の拳によって風穴が開いており、そこから弾けるように広間へと消える。
襲撃者をまずは片付けたものの、彼は息を継ぐ暇すらも与えられなかった。柱の陰から覗くように、十数体ほどの“何か”が姿を現したのである。
「遊んでやるぞ魔狼よ! お前がここにやって来た理由は分からんが、お前はここで狩ってくれよう! そして再び、この世界を霧で閉ざしてやるのだ! かつてのエルハイム、かつての帝都、あの愚かな英雄気取りのように! そして我は真の英雄となるのだ、憎きエルハイムを滅ぼして!」
耳障りな、金属がぶつかったような音が広間いっぱいに響いていた。
広間へと侵犯した男の姿は玉座から見えなくなり、次々に湧き出る“何か”に覆われていた。
今侵入者は必死で、攻撃を受け流しているところだろう。だがここまでの圧倒的な物量差があっては長くは続かない。
玉座に鎮座し、空間の支配者は余裕の笑みを浮かべる。
だが。
「そうそう、夢から醒めてはどうだとも言ったぞ。ダズファイル・アーマンハイド」
ダズファイルと呼ばれた男は自らの兵隊を、彼から侵入者の姿が見えなくなるほど強襲させたはずだった。それなのに文字通り全てが一瞬で雲散霧消と化していた。
さらにちょっとした余興のように、ついでとばかりに柱をもう一本消してみせる。
思わず彼は玉座から立ち上がり、嫌な汗を背中から流す。
ありえない。たった今、自らの支配するこの空間では一体何が起こったのだ。あの侵入者は何をしてくれたのか。
先程よりも大きな揺れが広間を襲う。天井の崩落は今のところ見られないが、柱を二本も失ってしまえば、いつ崩落するか分かったものではない。
「お前のような男が英雄とは笑わせる。ただの敗北者風情が、偉そうに」
ダズファイルは、自らの首元に鋭い冷気を感じた。この部屋に漂う冷気とはまた別の、形容し難い邪悪に満ちた冷気である。
邪悪の権化のような侵入者は玉座が位置する階段の下で、彼に向けて刃をかざしている。
ただそれだけの動作であったはずなのに。ダズファイルは一切の動きを、呼吸すらも数秒止めて立ちすくんだ。
そして理解した。把握した。
この男は、自分と同格。あるいは、それ以上だと。
ダズファイルは玉座へ再び座り、男を睨みつけるように見据えた。
冷たく、光の存在を欠片も許さない、どこまでも続く漆黒であった。諦めや絶望が気怠く揺れる、現世から断たれた空間であった。
しかし永遠とも思える闇にポツリと一つの炎が灯ると、この空間を支配する闇に抗うように、その炎はだんだんと勢い付いていった。炎は何者も通さない、無骨な壁の存在を炎の灯し主に示し、誇らしげに眩い黄色へと変わった。
灯し主は溜息をつきながら、やれやれとでも言いたげに髪の毛をかきあげて一人ごちる。
「客人が来るときは暗闇の中で護衛と共に、息をひそめて待つのが礼儀なのか? 霧厳山脈の王よ」
独り言かと思われたその言葉は、明らかに何者かへと向けられたメッセージだった。
同時に、暗闇は意思を持ったように揺れ始める。炎を掌に宿す男は全く動じる様子もなく、それどころか面白そうに暗闇の変化を見守った。
変化が終わると、そのただっぴろい空間は薄ぼんやりとしながらも本当の姿を現す。
壁は窓は一つもなく、冷気と生臭い血の匂いが滞っているのか、独特のにおいが空間を覆う。中央に道を作るように左右に六本ずつ、合わせて十二本の柱が天井を支え、閉ざされた空の崩落を防いでいる。二階には廊下が設置されており、その真下にはいくつかの松明が火を灯していた。
今男が立っている通路と広間の境、その直線上。数段の階段を昇ったところに置かれる玉座には、暗闇の王とでも言いたげに、自らの力を誇示するように足を組んでふんぞり返る初老の男。彼から発せられる禍々しくも刺すようなオーラを一身に受け、侵入者は王の間を進む。
「我が招く客人は、そのように無礼な物言いはするまい」
「いい加減に夢から醒めたらどうだ? 無礼かどうかは、お前が決めることじゃない」
男が柱の一本に手を置き、玉座に座する男は不審げに目を細めた。
すると天井を支えるはずの柱が、忽然と消失した。
柱の消失によって危うい均衡が破れたのか、閉ざされた天から不安を醸し出す地鳴りのような音が聞こえ始めた。
侵入者は絶対的な自信とともに再び歩を進める。玉座でそれを迎え撃つ男は、表情を微塵も変えない。
「かつての戦争の総指揮者、首謀者、その成れの果て。名を上げたはずのお前が、亡霊のように孤独へ捕らわれているのは何故だ」
「捕らわれている? 今お前はそう言ったのか」
「そうだな。お前は捕らわれているのだと、そう言った」
玉座に坐す初老の男はしばし黙り込み、それから押し殺したように小さく笑い始めた。それはこの世の全てという全てを嘲笑うように、沈黙が落ちる暗闇へと溶け込む。
侵入を続ける男は足を止め、玉座の方向を見据えて“何か”に備える。
くくく、くくくと長い間笑い続けると、男は呆れ返ったように深く息を吐いた。
「捕らわれたのはお前の方だ、魔狼よ」
魔狼と呼ばれた男が迅速に振り向くが、天井でも落とされたのか、そこに自分が通ってきた入口はなかった。
ゆっくりと再び前へ向き直ると、人間のような“何か”が彼の方へと疾駆してきているのが視認できた。男は松明を床に落とすと同時に前方へと駆け出し、再び炎を顕現させて迎撃する。
男は腕を引き、炎の拳を命中させるが、肉と骨というにはあまりに柔らかい感覚――否、実際に彼の炎拳は空を切った。しかし襲撃者の腹部には彼の拳によって風穴が開いており、そこから弾けるように広間へと消える。
襲撃者をまずは片付けたものの、彼は息を継ぐ暇すらも与えられなかった。柱の陰から覗くように、十数体ほどの“何か”が姿を現したのである。
「遊んでやるぞ魔狼よ! お前がここにやって来た理由は分からんが、お前はここで狩ってくれよう! そして再び、この世界を霧で閉ざしてやるのだ! かつてのエルハイム、かつての帝都、あの愚かな英雄気取りのように! そして我は真の英雄となるのだ、憎きエルハイムを滅ぼして!」
耳障りな、金属がぶつかったような音が広間いっぱいに響いていた。
広間へと侵犯した男の姿は玉座から見えなくなり、次々に湧き出る“何か”に覆われていた。
今侵入者は必死で、攻撃を受け流しているところだろう。だがここまでの圧倒的な物量差があっては長くは続かない。
玉座に鎮座し、空間の支配者は余裕の笑みを浮かべる。
だが。
「そうそう、夢から醒めてはどうだとも言ったぞ。ダズファイル・アーマンハイド」
ダズファイルと呼ばれた男は自らの兵隊を、彼から侵入者の姿が見えなくなるほど強襲させたはずだった。それなのに文字通り全てが一瞬で雲散霧消と化していた。
さらにちょっとした余興のように、ついでとばかりに柱をもう一本消してみせる。
思わず彼は玉座から立ち上がり、嫌な汗を背中から流す。
ありえない。たった今、自らの支配するこの空間では一体何が起こったのだ。あの侵入者は何をしてくれたのか。
先程よりも大きな揺れが広間を襲う。天井の崩落は今のところ見られないが、柱を二本も失ってしまえば、いつ崩落するか分かったものではない。
「お前のような男が英雄とは笑わせる。ただの敗北者風情が、偉そうに」
ダズファイルは、自らの首元に鋭い冷気を感じた。この部屋に漂う冷気とはまた別の、形容し難い邪悪に満ちた冷気である。
邪悪の権化のような侵入者は玉座が位置する階段の下で、彼に向けて刃をかざしている。
ただそれだけの動作であったはずなのに。ダズファイルは一切の動きを、呼吸すらも数秒止めて立ちすくんだ。
そして理解した。把握した。
この男は、自分と同格。あるいは、それ以上だと。
ダズファイルは玉座へ再び座り、男を睨みつけるように見据えた。
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