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第九話 【英雄】 2
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「おおおおおおお!」
ギルドルグと優が叫んだのは、全くの同時だった。目の前に立つ悪鬼を全て薙ぎ払いながら、彼らは駆ける。
視界の先、彼らの進路上でピーストルクと剣を交えるダズファイルは、まだこちらに気付いていない。もし奴を殺せる機会があるのなら、おそらくこの時しかないだろう。
それを知ってか知らずか、霧の悪鬼たちは二人を見逃さない。進行方向に、二人の悪鬼が躍り出た。
「餓狼鋭爪!」
悪鬼の邪魔は、振るわれた爪によって防がれた。
人の形を成してはいないが、あの時とは違う。今は完全なる意思を持って、ゼルフィユ・アブゾはその力で敵を蹂躙する。
瞳には情熱が踊る。湧き上がる人外の力が、人狼の身体を突き動かす。
「いけえええええええええ!」
咆哮。決意と誓いの叫びがどうどうと響き渡り、夜の山脈を震わせた。彼の背を向けて走る二人の鼓膜が振動し、昂りを覚え、鳥肌が立つ。
そして遂に、ダズファイル・アーマンハイドを魔法の射程範囲に捉えた。玉座は今やどこかへと埋もれたが、置かれていた最上段にダズファイルはいる。対して二人は階段に足をかけようとしている位置づけだ。
だが彼は魔法を使うつもりは更々なかった。この戦いの決着は、自らの剣によってのみ成されるのだから。父親の形見によってのみ、敵討ちは完了するのだから。
憎き仇は隻眼の双剣使い、ピースベイク将軍と剣を交えている。この隙を突けば、あるいは一太刀を浴びせることが出来るかもしれない。
しかし最初から気づかれていたのか、霧の王はピースベイクを踏みつけにして吹き飛ばすと、高笑いしながらこちらを向いた。
「来るがいいアルグファスト!」
瞬間、優の手のひらから火球が何個も飛び出した。彼女はギルドルグの出方を窺っていたのだろうか。ダズファイルに気付かれたとなった今ではギルドルグの攻撃を待つ必要はないと考えたのか。彼女らしく、先手必勝とばかりに炎は走る。
ダズファイルの顔を目がけて火球は飛ぶ。あくまでも目潰し程度の一撃だ。傷を与えるなど期待していない。
出会ったその日に、同じように攻撃されたギルドルグは避けるので精一杯だった。故にギルドルグも、あるいは優も、ダズファイルは同じようにすると考えたのかもしれない。
だから考えもしなかった。頭に浮かびもしなかった。
まさか避けるだけでなく、こちらに反撃してくるなど。
そのうえ反撃のために、二人の眼前に突如出現するなどと。
「がッ……!?」
優の柔らかい腹に、ダズファイルの情け容赦ない拳が炸裂した。
「最大の隙というものは、攻撃の間に訪れる」
ダズファイルの右の拳は優を吹き飛ばし、積みあがった瓦礫の山へと運ぶ。
そして彼はギルドルグの方へと改めて向き直る。どこまでも不適で、不快な笑みだ。敗北という文字は、最初から頭にないとでも言いたげだ。
瓦礫の方を確認したい。優の無事を確認したい――だが、この男はその一瞬の隙をも見逃さないだろう。
反撃も、ここまでだろうか。
最後の攻防だと、ギルドルグは腹をくくる。その時だった。
「どこを見てるの」
向かい合う両者、その側面。吹き飛ばされたはずの優が突如としてダズファイルの左側から飛び出してきた。瓦礫の上段へと吹き飛ばされたが、積み上がった瓦礫を上手く凍らせることで坂にし、滑り落ちてきたのだ。
優の構えは初めて見る形だ。滑り落ちた勢いそのままに跳躍すると、大上段の構えからさらに上体を反るようにし、彼女の目線はダズファイルを見下すようになっている。
ダズファイルはしまったとばかりに舌打ちをすると、彼女の剣の軌跡を予測し防御姿勢をとった。
「月下乙女」
荒々しい距離の詰め方と見た目とは裏腹に、月の光のようなあまりにも静謐な一太刀。太刀筋はまさに半月の弧を描くように。そしてその一振りは音もなく、ダズファイルの持つ剣を叩き折った。
想定外とでも言いたげに、ダズファイルの顔は驚愕に染まる。だがすぐにその顔も余裕の表情へと変貌した。当然のことだ。いくら得物が折られようと、壊れようと、攻撃が当たらないのであれば彼の勝利は揺らがないのだから。
自分さえ助かればいいのだ。自分さえ生き残ればいいのだ。
彼の本質を現したかのようなその能力は、どこまでもギルドルグ達に牙を剥き、嘲笑った。
「刃一本折ったところで、図に乗るなよ小娘」
刃は折れ、柄の部分だけを持っているというのに、ダズファイルは横へとそれを薙ごうとする。先程の不可視の剣だと、ギルドルグは直感した。彼にとっては得物など、いくらでも生み出せる。
優は着地を決めたが、すぐには動けない。防御しようにも、間に合わない。
その瞬間。ギルドルグの視界の中で、全ての動きがゆっくりと、緩慢とし始める。最終局面において、ギルドルグは一歩先の領域へと踏み出したのだ。ライド戦でも影は見え隠れしていたが、ここにきてようやく到達したのだ。
極限の集中状態による、“究極の加速領域”へと。
ダズファイルがそのまま剣を振るったのならば、優の首が飛ぶ。そしてダズファイルは、ギルドルグの剣が届く範囲にいる。
つまり、決めるなら今しかない。決めるのは自分しかいない。
だが不安要素が一つだけあると、全てが停止に等しい時の中、自分だけが加速していく世界を感じながらギルドルグは頭を回す。
一撃で決めなければならないのだから、先程のような謎の空振りは今回許されない。声は確かにあのダズファイルから聞こえたはずだ。だが斬撃は空を切っただけだった。
ならば、どこにいるというのか。
ギルドルグは右足を踏み出し、英雄の懐刀の構えへと移行するために右足に力を込める。
そして聞こえてきた。思い出した。この場所へ足を踏み入れる切欠をつくった、あの預言者の別れ際の一言を。
“足りないのは、あと一歩じゃよ”
全身の毛が逆立つような、身の毛もよだつ鳥肌をギルドルグは感じ取った。
あの言葉は、単なる彼なりの激励ではなかったのだ。
預言。ここしかない瞬間に対する、正確なアドバイス。“運命”とやらはメルカイズに預けたのだ。未来を変える言葉を。運命を変える力を持った、言霊を。
ダズファイル・アーマンハイドは霧を実体化させ、操り、攻撃へと転じる霧の使い手だ。
しかし吹き付ける風の中で、分身を作ることは思うようにいかないだろう。ただ、自らのすぐそばで霧を操るぐらいならば可能だろう。自らを霧で覆い隠し、攻撃を防ぐという芸当も――!
ついさっき、ピースベイクに対して不可視の剣で攻撃したように。最初の邂逅の際、洞窟の入り口が消失したときのように。
霧を操ることによる創造だけでなく、同じように消失も、彼にとって可能なのだ。
ギルドルグは全体重を乗せた右足での跳躍を一瞬で中断して、左足を再度踏み出す。そしてもう一度、右足に体重を乗せて踏み出した。全ては一歩先での攻勢のため。英雄の懐刀を、もう一歩先で冷笑を浮かべているであろう、不可視の敵へと命中させるため。
ダズファイルがこちらを向いた。狙いは最初からギルドルグだったのだ。
しかし――今さらそんなことは、関係ない。
「今、一歩下がったろ?」
「!?」
見えていた。見えない敵が、見えていた。ギルドルグ・アルグファストには、霧のほんのわずかなゆらぎが見えた。
それはいつもの彼なら、気のせいですませてしまっていたかもしれない微々たる違和感。だが彼は、確信を持ってそれが敵の移動によって生じたものと断定した。
偽物のダズファイルの表情は冷たく張り付いた笑いだ。だがすぐ後ろのダズファイルは、一体どんな顔を浮かべているのか。
「無駄だぜ? 英雄の懐刀には――」
そんな小細工は通用しない。
ギルドルグは跳躍した。
ギルドルグと優が叫んだのは、全くの同時だった。目の前に立つ悪鬼を全て薙ぎ払いながら、彼らは駆ける。
視界の先、彼らの進路上でピーストルクと剣を交えるダズファイルは、まだこちらに気付いていない。もし奴を殺せる機会があるのなら、おそらくこの時しかないだろう。
それを知ってか知らずか、霧の悪鬼たちは二人を見逃さない。進行方向に、二人の悪鬼が躍り出た。
「餓狼鋭爪!」
悪鬼の邪魔は、振るわれた爪によって防がれた。
人の形を成してはいないが、あの時とは違う。今は完全なる意思を持って、ゼルフィユ・アブゾはその力で敵を蹂躙する。
瞳には情熱が踊る。湧き上がる人外の力が、人狼の身体を突き動かす。
「いけえええええええええ!」
咆哮。決意と誓いの叫びがどうどうと響き渡り、夜の山脈を震わせた。彼の背を向けて走る二人の鼓膜が振動し、昂りを覚え、鳥肌が立つ。
そして遂に、ダズファイル・アーマンハイドを魔法の射程範囲に捉えた。玉座は今やどこかへと埋もれたが、置かれていた最上段にダズファイルはいる。対して二人は階段に足をかけようとしている位置づけだ。
だが彼は魔法を使うつもりは更々なかった。この戦いの決着は、自らの剣によってのみ成されるのだから。父親の形見によってのみ、敵討ちは完了するのだから。
憎き仇は隻眼の双剣使い、ピースベイク将軍と剣を交えている。この隙を突けば、あるいは一太刀を浴びせることが出来るかもしれない。
しかし最初から気づかれていたのか、霧の王はピースベイクを踏みつけにして吹き飛ばすと、高笑いしながらこちらを向いた。
「来るがいいアルグファスト!」
瞬間、優の手のひらから火球が何個も飛び出した。彼女はギルドルグの出方を窺っていたのだろうか。ダズファイルに気付かれたとなった今ではギルドルグの攻撃を待つ必要はないと考えたのか。彼女らしく、先手必勝とばかりに炎は走る。
ダズファイルの顔を目がけて火球は飛ぶ。あくまでも目潰し程度の一撃だ。傷を与えるなど期待していない。
出会ったその日に、同じように攻撃されたギルドルグは避けるので精一杯だった。故にギルドルグも、あるいは優も、ダズファイルは同じようにすると考えたのかもしれない。
だから考えもしなかった。頭に浮かびもしなかった。
まさか避けるだけでなく、こちらに反撃してくるなど。
そのうえ反撃のために、二人の眼前に突如出現するなどと。
「がッ……!?」
優の柔らかい腹に、ダズファイルの情け容赦ない拳が炸裂した。
「最大の隙というものは、攻撃の間に訪れる」
ダズファイルの右の拳は優を吹き飛ばし、積みあがった瓦礫の山へと運ぶ。
そして彼はギルドルグの方へと改めて向き直る。どこまでも不適で、不快な笑みだ。敗北という文字は、最初から頭にないとでも言いたげだ。
瓦礫の方を確認したい。優の無事を確認したい――だが、この男はその一瞬の隙をも見逃さないだろう。
反撃も、ここまでだろうか。
最後の攻防だと、ギルドルグは腹をくくる。その時だった。
「どこを見てるの」
向かい合う両者、その側面。吹き飛ばされたはずの優が突如としてダズファイルの左側から飛び出してきた。瓦礫の上段へと吹き飛ばされたが、積み上がった瓦礫を上手く凍らせることで坂にし、滑り落ちてきたのだ。
優の構えは初めて見る形だ。滑り落ちた勢いそのままに跳躍すると、大上段の構えからさらに上体を反るようにし、彼女の目線はダズファイルを見下すようになっている。
ダズファイルはしまったとばかりに舌打ちをすると、彼女の剣の軌跡を予測し防御姿勢をとった。
「月下乙女」
荒々しい距離の詰め方と見た目とは裏腹に、月の光のようなあまりにも静謐な一太刀。太刀筋はまさに半月の弧を描くように。そしてその一振りは音もなく、ダズファイルの持つ剣を叩き折った。
想定外とでも言いたげに、ダズファイルの顔は驚愕に染まる。だがすぐにその顔も余裕の表情へと変貌した。当然のことだ。いくら得物が折られようと、壊れようと、攻撃が当たらないのであれば彼の勝利は揺らがないのだから。
自分さえ助かればいいのだ。自分さえ生き残ればいいのだ。
彼の本質を現したかのようなその能力は、どこまでもギルドルグ達に牙を剥き、嘲笑った。
「刃一本折ったところで、図に乗るなよ小娘」
刃は折れ、柄の部分だけを持っているというのに、ダズファイルは横へとそれを薙ごうとする。先程の不可視の剣だと、ギルドルグは直感した。彼にとっては得物など、いくらでも生み出せる。
優は着地を決めたが、すぐには動けない。防御しようにも、間に合わない。
その瞬間。ギルドルグの視界の中で、全ての動きがゆっくりと、緩慢とし始める。最終局面において、ギルドルグは一歩先の領域へと踏み出したのだ。ライド戦でも影は見え隠れしていたが、ここにきてようやく到達したのだ。
極限の集中状態による、“究極の加速領域”へと。
ダズファイルがそのまま剣を振るったのならば、優の首が飛ぶ。そしてダズファイルは、ギルドルグの剣が届く範囲にいる。
つまり、決めるなら今しかない。決めるのは自分しかいない。
だが不安要素が一つだけあると、全てが停止に等しい時の中、自分だけが加速していく世界を感じながらギルドルグは頭を回す。
一撃で決めなければならないのだから、先程のような謎の空振りは今回許されない。声は確かにあのダズファイルから聞こえたはずだ。だが斬撃は空を切っただけだった。
ならば、どこにいるというのか。
ギルドルグは右足を踏み出し、英雄の懐刀の構えへと移行するために右足に力を込める。
そして聞こえてきた。思い出した。この場所へ足を踏み入れる切欠をつくった、あの預言者の別れ際の一言を。
“足りないのは、あと一歩じゃよ”
全身の毛が逆立つような、身の毛もよだつ鳥肌をギルドルグは感じ取った。
あの言葉は、単なる彼なりの激励ではなかったのだ。
預言。ここしかない瞬間に対する、正確なアドバイス。“運命”とやらはメルカイズに預けたのだ。未来を変える言葉を。運命を変える力を持った、言霊を。
ダズファイル・アーマンハイドは霧を実体化させ、操り、攻撃へと転じる霧の使い手だ。
しかし吹き付ける風の中で、分身を作ることは思うようにいかないだろう。ただ、自らのすぐそばで霧を操るぐらいならば可能だろう。自らを霧で覆い隠し、攻撃を防ぐという芸当も――!
ついさっき、ピースベイクに対して不可視の剣で攻撃したように。最初の邂逅の際、洞窟の入り口が消失したときのように。
霧を操ることによる創造だけでなく、同じように消失も、彼にとって可能なのだ。
ギルドルグは全体重を乗せた右足での跳躍を一瞬で中断して、左足を再度踏み出す。そしてもう一度、右足に体重を乗せて踏み出した。全ては一歩先での攻勢のため。英雄の懐刀を、もう一歩先で冷笑を浮かべているであろう、不可視の敵へと命中させるため。
ダズファイルがこちらを向いた。狙いは最初からギルドルグだったのだ。
しかし――今さらそんなことは、関係ない。
「今、一歩下がったろ?」
「!?」
見えていた。見えない敵が、見えていた。ギルドルグ・アルグファストには、霧のほんのわずかなゆらぎが見えた。
それはいつもの彼なら、気のせいですませてしまっていたかもしれない微々たる違和感。だが彼は、確信を持ってそれが敵の移動によって生じたものと断定した。
偽物のダズファイルの表情は冷たく張り付いた笑いだ。だがすぐ後ろのダズファイルは、一体どんな顔を浮かべているのか。
「無駄だぜ? 英雄の懐刀には――」
そんな小細工は通用しない。
ギルドルグは跳躍した。
応援ありがとうございます!
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