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相模湾の風
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旧名が笠懸山と呼ばれたこの山の頂付近から望む相模湾の風景は、暦が四月から五月に変わり梅雨に入るまでのこの時期が最も美しい・・・天気が良い日には眼下の足元に潜り込むような錯覚を覚えさせるような太平洋の海と山の稜線を描く色づきが濃くなり始めた若葉に溢れる木々が奏でる自然の大パノラマはどれほどの人々の目を虜にさせたのであろうか・・・筆者が今立っている場所は旧名の笠懸山から石垣山と名が変わっているのだが、その名称の所以は石垣という文字で想像が及ぶ方も多々おられるのではないかと思う、石垣・・・そう、あの城跡でよく見かけるあの石垣である。この地に時の天下人になりつつあった秀吉がこれ見よがしに小田原の住人に壮大な石垣作りの城をお目見えさせたことが山の名称変更の理由となっているのだ・・・当時小田原を治めていた北条家はもちろんそこに住まう住人達も石垣作りの城郭を見るのは初めてだったという、いや、ひょっとしたら関東の住人達が初めて石垣作りの城郭を間近に見た瞬間であったかもしれない・・・そんな豪壮で堅固な山城を秀吉は約三か月もかけて一夜で作った城のように眼下の小田原北条氏に見せつけたのだ・・・難攻不落の小田原城を拠り所に籠城する住人達を驚かせてやるという秀吉の稚気に溢れた自慢げな顔が思い浮かぶようである。そのような事を思いながら取り留めもなく石垣山城跡を歩きながら所かしこにある石垣に使われたであろう大きな岩をぼんやりと眺めていると、ふと疑念が湧いてきたのだ。
(うん? いったい、秀吉は何故にこのような大規模な城を築く必要性があったのだ・・・普通に考えれば戦の相手である北条氏の逆襲に対する備えだが・・・)
その時に、不意に頭に浮かんだ言葉が・・・【謀反】・・・という言葉。
(秀吉は、謀反にも備えてこの堅固な石垣山城を築城したのか・・・?誰が、この時、この場所で秀吉に謀反を企てるのか?・・・家康か、それとも家康と共闘した信雄か? もしくは、小牧長久手の合戦の折のように二人同時に対しての備えか・・・)
そんな仮説を立て、そこではっと思い出したのがある人物の名前であった・・・
秀吉の本陣となる石垣山城から早川口へ至るまでの間に位置する海蔵寺に本陣を構えていた人物・・・
(名人 堀 久太郎秀政・・・まさか)
これは小田原海蔵寺の陣中にて、齢三十八歳という年齢で世を去った堀久太郎秀政を偲ぶ物語である
悠々と馬をうたせながら登ってくる男の姿が見える・・・
男の背景には五月の眩いばかりの相模湾の海が広がっており、所々に散在する雲との対比が美しい風景画のようだ・・・
馬上の男は、ふいに手綱を少し引き愛馬の首筋を優しく撫でると馬を止めおもむろに振り返る。
(おお、見事な眺めじゃ・・・)
陽を受けた相模湾の海面がキラキラと光り輝く様に男は詠嘆するのであった。
路上にてたたずむ人馬を避けるように、すれ違う兵士達は馬上の男の顔を確かめるや、サッと礼をすると足早にその場を立ち去る。
男は、暫くの間その場で大自然の景観を堪能していたが、やがて姿勢を戻し馬を進めさせる・・・
辺りを見渡せば風にそよぐ道の両側に生える木々に若葉が溢れ、昨夜からの雨に打たれたせいかその若葉たちのみずみずしさに命の尊さを男は覚え、初老を過ぎた我が身と比べてなんとも言えない喜びを感じているのだ・・・。
相模湾から吹く海風に男のほつれた鬢がなびく・・・その鬢には白いものが目立ち男の過ごしてきた幾星霜の証のように映っている・・・
(うん? 風の匂いが変わったか・・・)
五月に入り、梅雨までのこの時期の小田原海蔵寺付近では相模湾から吹いてくる湿った海風と笠懸山山頂より吹き降ろしてくる箱根からの乾いた山風がぶつかり合うためその一瞬、一瞬で頬に浴びる風の匂いが違うように感じられるのだ。
男は、その微妙な違いを感じようと目を細めて意識を集中させる・・・
(ふむ・・・心地良いのう・・・)
馬上にて自然が奏でる刹那の一瞬一瞬を男は楽しんでいるように見える・・・
この馬上の男の名は柴田源左衛門尉勝定といい、源左はこの日、主である堀久太郎秀政に召され自らが詰める早川口の陣から堀が本陣を構える小田原海蔵寺へ向かう途中であった。
源左が時を忘れて相模湾からの風を楽しんでいるこの時期は天正十八年五月、時の天下人である関白秀吉が日の本統一の集大成として関東の覇者である北条氏を攻めその居城である小田原城を包囲してから一か月近くになろうとする頃である。
(・・・本当に、心地良い風じゃ・・・)
鳥のさえずりを耳にし、風にそよぐ濃くなった新緑の木々を眺めながら源左はふと思い起こす・・・
(殿からの急な呼び出し、はて・・・)
源左がそう考えているとやがて視界の先には海蔵寺の山門が見えてくるのであった・・・そのまま馬上にて門をくぐり抜けると境内の入り口の端に巨木がそそり立っている様子が源左の視野に映った。
(いつもながら、見事な巨木じゃ・・・)
源左は興を覚え、その巨木の前まで近づくと馬の背から降り
「そなたも、ご苦労であったな暫し休むがいい」
と、愛馬に声をかけ首筋を優しく撫でてやるとその巨木の前に立ち止まり見上げる・・・
(ここの住職から聞いたところ、樹齢は数百年は経つとのこと・・・確か【バクチ】の木だと申しておったな・・・)
源左は赤褐色の木肌を堂々と見せつけこの場に屹立する巨木を黙々と眺め続ける・・・
源左の動きが止まったようなので、ここで改めてこの男、柴田源左衛門尉勝定の略歴を紹介したいと思う。
源左の姓、柴田が示すように織田信長を頂く織田家の中で宿老であった柴田勝家の一族に繋がる可能性が高いが実際のところよく分からないのが現状である。その織田家において筆頭家老の柴田勝家の下で源左は重臣として勝家に仕えておったようで、勝家の居城であった北ノ庄城で勝家不在時は城代家老を務めるほど勝家からの信頼も厚かったと思われる。その推察を示すように現福井市にある西蓮寺には勝家の名でなく源左(勝定)の名前で所領安堵、禁制の書状を天正三年に発行しているのが現存している。また天正五年には越前の織田氏の氏神神社である劔神社にも当時劔神社管理役を務めていた信長の近習の一人であった菅谷長頼から勝家、勝定両名名指しで劔神社に対しての不当な行為に対する𠮟責の書状が当神社に保管されているように勝定こと源左は柴田家の中では重鎮中の重鎮であり席次としては当時ひょっとしたら家中次席であった可能性が高いと思われるのだ。ところが突然源左は柴田家を逐電、嘘か眞か寒い所が嫌になったという理由で・・・。その後一族郎党を率いて明智光秀の下に身を寄せるといきなり丹波柏原城を預けられる。そして光秀の起こした本能寺の変にも帯同、更に秀吉との山崎の合戦では明智家先鋒の宿将斎藤利三の隣脇に兵二千を率い堂々と陣を構え、秀吉側の先鋒である高山右近、中川清秀の軍勢と激突。またさらに、落ち延びる光秀や利三の追撃の任を秀吉から命ぜられた堀秀政の軍勢と光秀の本陣があった勝龍寺付近において撤退戦を敢行。山崎の合戦の翌年には賤ケ岳の合戦において秀吉方の軍勢で最先鋒の位置に陣構えした堀秀政配下の一将として旧主筋である柴田勝家自ら率いる本隊と戦いこれを退ける。その翌年にも小牧・長久手の合戦では大失敗の結果になった三河奇襲作戦においても主である堀秀政をよく輔弼し敗走する秀吉軍の中で唯一、追撃する徳川の軍勢を破るという殊勲にも貢献する・・・山崎 賤ケ岳 小牧長久手 どれもこれも秀吉が天下取りのための重要な合戦でありその三大合戦で仕える主を変えても常に最前線に身を置いてこの男は戦ったのだ。それだけでさえも凄い経歴なのだが、更にはあの本能寺の変においても当事者として現場で経験しているのだ・・・この小田原の地に秀吉が動員した兵員の数は二十万余と称せられているがその上方の軍勢の中でも源左のような凄まじい経歴を持った人物は他には存在してなかったであろう・・・。当時生きながら謎多い伝説の人物と噂されたこの男は半生をかけて余人には経験できない自身の歴史を紡いできたのだ。そんな苛烈な生き様に興味に惹かれ源左のもとを密かに訪れ彼との会話を望む者が後を絶たなかったらしい。同時期を生きた武者達にとって彼の戦歴、キャリアが彼等の琴線に触れる好奇の対象になったからであろう・・・。
さて、その源左だが今、小田原海蔵寺の境内の入り口に屹立する赤褐色の木肌の巨木をじっと眺め続けている。
やがて源左は見上げたままの首が疲れたのかそっと視線を落とすと、
「おお、そなたたちも息災であったか? 雨は辛うなかったか?」
源左は巨木の根元に供えられている四体の地蔵に語りかける。
この男が持つ心根の優しや機知に富むユーモアが垣間見れる良い情景である・・・
地元の住人が着せたのか四体の可愛らしい地蔵には赤い涎掛けが着けられている。
源左は懐から手ぬぐいを取り出すと地蔵の顔に付いた水滴を拭い始めた。
その時である。やや離れた場所から声を掛けられたのであった。
「何を、やっておられるのですか源左殿!?」
源左は声の方角を見ると騎乗の男が境内から降りてくるのがわかる・・・
男は、源左の近くまで来ると馬から降り従者に手綱を渡すと興味深そうに源左の手に持つ手ぬぐいを見る・・・
「やや、これは監物殿! ちと、恥ずかしい所を見られもうしましたかな? ハッハッハ・・・」
「地蔵を拭われておられたのですか?」
「ハハハ、左様にござる」
監物と呼ばれた男は、源左の言葉にその精悍な表情を一瞬破顔させると懐から手ぬぐいを取り出し
「加勢致します」
と、言うや地蔵の顔を優しく拭い始めたのであった・・・
(監物殿・・・)
呆気にとられた表情で源左が見つめる男の名は堀直政といい源左が仕える主の堀秀政の従兄にあたり二人は幼少のころから一緒に生を共にしある時期から直政は秀政を補佐し続けて今に至る。秀吉から後に天下の仕置きができる三大陪臣の一人とまで評価された直政は堀秀政にとって無二の臣でありまた莫逆の友であった。毛利家の小早川隆景、上杉家の直江兼続等と並び称せられたこの器量人は越前北ノ庄城に主城を置く堀家18万石の筆頭家老でもあった。地蔵の顔を拭うのを手伝い始めた直政を見て慌てて再び自らも手を動かし始めた源左もまた堀家の家老職を務めている。堀家の双翼を担う二人が黙々と地蔵の体を拭っている様子を何か困った様子で従者達が見守っているのだが、彼らはどんな心中で眺めていたのであろうか・・・
「こんなところでしょうか、源左殿?」
「いやぁ、かたじけない監物殿」
自分が仕上げた成果を確かめるように源左に尋ねる直政、ひょっとしたら彼はやる以上手抜きはしたくない性分なのかもしれない・・・
「ところで、源左殿。ここには殿から呼び出されたのでござるか?」
「いかにもでござる。殿からの遣いの者が参って本陣に参るよう言付かってましてな」
「そうでありましたか・・・」
直政はそこで少し考える風情であったが、
「源左殿、それがしからもお願いにござるが、今日は殿の許でゆっくりと過ごされてはくれませぬか?」
「ふむ?」
「早川口の陣へは、それがしが参りしっかりと務めまするゆえにご安心を。殿の気晴らしに、愚痴にも付き合ってくだされ、フフフ・・・」
「殿の気晴らし?」
「ええ、宜しゅうお願い申しあげまする」
「・・・」
「では、私はこれにて」
「直政殿・・・」
問いかける源左に軽く頭を下げるや直政は背を向ける・・・
(気になる、物言いいにござるな監物殿・・・)
源左は遠ざかる直政の背に、そう問うた・・・。
(うん? いったい、秀吉は何故にこのような大規模な城を築く必要性があったのだ・・・普通に考えれば戦の相手である北条氏の逆襲に対する備えだが・・・)
その時に、不意に頭に浮かんだ言葉が・・・【謀反】・・・という言葉。
(秀吉は、謀反にも備えてこの堅固な石垣山城を築城したのか・・・?誰が、この時、この場所で秀吉に謀反を企てるのか?・・・家康か、それとも家康と共闘した信雄か? もしくは、小牧長久手の合戦の折のように二人同時に対しての備えか・・・)
そんな仮説を立て、そこではっと思い出したのがある人物の名前であった・・・
秀吉の本陣となる石垣山城から早川口へ至るまでの間に位置する海蔵寺に本陣を構えていた人物・・・
(名人 堀 久太郎秀政・・・まさか)
これは小田原海蔵寺の陣中にて、齢三十八歳という年齢で世を去った堀久太郎秀政を偲ぶ物語である
悠々と馬をうたせながら登ってくる男の姿が見える・・・
男の背景には五月の眩いばかりの相模湾の海が広がっており、所々に散在する雲との対比が美しい風景画のようだ・・・
馬上の男は、ふいに手綱を少し引き愛馬の首筋を優しく撫でると馬を止めおもむろに振り返る。
(おお、見事な眺めじゃ・・・)
陽を受けた相模湾の海面がキラキラと光り輝く様に男は詠嘆するのであった。
路上にてたたずむ人馬を避けるように、すれ違う兵士達は馬上の男の顔を確かめるや、サッと礼をすると足早にその場を立ち去る。
男は、暫くの間その場で大自然の景観を堪能していたが、やがて姿勢を戻し馬を進めさせる・・・
辺りを見渡せば風にそよぐ道の両側に生える木々に若葉が溢れ、昨夜からの雨に打たれたせいかその若葉たちのみずみずしさに命の尊さを男は覚え、初老を過ぎた我が身と比べてなんとも言えない喜びを感じているのだ・・・。
相模湾から吹く海風に男のほつれた鬢がなびく・・・その鬢には白いものが目立ち男の過ごしてきた幾星霜の証のように映っている・・・
(うん? 風の匂いが変わったか・・・)
五月に入り、梅雨までのこの時期の小田原海蔵寺付近では相模湾から吹いてくる湿った海風と笠懸山山頂より吹き降ろしてくる箱根からの乾いた山風がぶつかり合うためその一瞬、一瞬で頬に浴びる風の匂いが違うように感じられるのだ。
男は、その微妙な違いを感じようと目を細めて意識を集中させる・・・
(ふむ・・・心地良いのう・・・)
馬上にて自然が奏でる刹那の一瞬一瞬を男は楽しんでいるように見える・・・
この馬上の男の名は柴田源左衛門尉勝定といい、源左はこの日、主である堀久太郎秀政に召され自らが詰める早川口の陣から堀が本陣を構える小田原海蔵寺へ向かう途中であった。
源左が時を忘れて相模湾からの風を楽しんでいるこの時期は天正十八年五月、時の天下人である関白秀吉が日の本統一の集大成として関東の覇者である北条氏を攻めその居城である小田原城を包囲してから一か月近くになろうとする頃である。
(・・・本当に、心地良い風じゃ・・・)
鳥のさえずりを耳にし、風にそよぐ濃くなった新緑の木々を眺めながら源左はふと思い起こす・・・
(殿からの急な呼び出し、はて・・・)
源左がそう考えているとやがて視界の先には海蔵寺の山門が見えてくるのであった・・・そのまま馬上にて門をくぐり抜けると境内の入り口の端に巨木がそそり立っている様子が源左の視野に映った。
(いつもながら、見事な巨木じゃ・・・)
源左は興を覚え、その巨木の前まで近づくと馬の背から降り
「そなたも、ご苦労であったな暫し休むがいい」
と、愛馬に声をかけ首筋を優しく撫でてやるとその巨木の前に立ち止まり見上げる・・・
(ここの住職から聞いたところ、樹齢は数百年は経つとのこと・・・確か【バクチ】の木だと申しておったな・・・)
源左は赤褐色の木肌を堂々と見せつけこの場に屹立する巨木を黙々と眺め続ける・・・
源左の動きが止まったようなので、ここで改めてこの男、柴田源左衛門尉勝定の略歴を紹介したいと思う。
源左の姓、柴田が示すように織田信長を頂く織田家の中で宿老であった柴田勝家の一族に繋がる可能性が高いが実際のところよく分からないのが現状である。その織田家において筆頭家老の柴田勝家の下で源左は重臣として勝家に仕えておったようで、勝家の居城であった北ノ庄城で勝家不在時は城代家老を務めるほど勝家からの信頼も厚かったと思われる。その推察を示すように現福井市にある西蓮寺には勝家の名でなく源左(勝定)の名前で所領安堵、禁制の書状を天正三年に発行しているのが現存している。また天正五年には越前の織田氏の氏神神社である劔神社にも当時劔神社管理役を務めていた信長の近習の一人であった菅谷長頼から勝家、勝定両名名指しで劔神社に対しての不当な行為に対する𠮟責の書状が当神社に保管されているように勝定こと源左は柴田家の中では重鎮中の重鎮であり席次としては当時ひょっとしたら家中次席であった可能性が高いと思われるのだ。ところが突然源左は柴田家を逐電、嘘か眞か寒い所が嫌になったという理由で・・・。その後一族郎党を率いて明智光秀の下に身を寄せるといきなり丹波柏原城を預けられる。そして光秀の起こした本能寺の変にも帯同、更に秀吉との山崎の合戦では明智家先鋒の宿将斎藤利三の隣脇に兵二千を率い堂々と陣を構え、秀吉側の先鋒である高山右近、中川清秀の軍勢と激突。またさらに、落ち延びる光秀や利三の追撃の任を秀吉から命ぜられた堀秀政の軍勢と光秀の本陣があった勝龍寺付近において撤退戦を敢行。山崎の合戦の翌年には賤ケ岳の合戦において秀吉方の軍勢で最先鋒の位置に陣構えした堀秀政配下の一将として旧主筋である柴田勝家自ら率いる本隊と戦いこれを退ける。その翌年にも小牧・長久手の合戦では大失敗の結果になった三河奇襲作戦においても主である堀秀政をよく輔弼し敗走する秀吉軍の中で唯一、追撃する徳川の軍勢を破るという殊勲にも貢献する・・・山崎 賤ケ岳 小牧長久手 どれもこれも秀吉が天下取りのための重要な合戦でありその三大合戦で仕える主を変えても常に最前線に身を置いてこの男は戦ったのだ。それだけでさえも凄い経歴なのだが、更にはあの本能寺の変においても当事者として現場で経験しているのだ・・・この小田原の地に秀吉が動員した兵員の数は二十万余と称せられているがその上方の軍勢の中でも源左のような凄まじい経歴を持った人物は他には存在してなかったであろう・・・。当時生きながら謎多い伝説の人物と噂されたこの男は半生をかけて余人には経験できない自身の歴史を紡いできたのだ。そんな苛烈な生き様に興味に惹かれ源左のもとを密かに訪れ彼との会話を望む者が後を絶たなかったらしい。同時期を生きた武者達にとって彼の戦歴、キャリアが彼等の琴線に触れる好奇の対象になったからであろう・・・。
さて、その源左だが今、小田原海蔵寺の境内の入り口に屹立する赤褐色の木肌の巨木をじっと眺め続けている。
やがて源左は見上げたままの首が疲れたのかそっと視線を落とすと、
「おお、そなたたちも息災であったか? 雨は辛うなかったか?」
源左は巨木の根元に供えられている四体の地蔵に語りかける。
この男が持つ心根の優しや機知に富むユーモアが垣間見れる良い情景である・・・
地元の住人が着せたのか四体の可愛らしい地蔵には赤い涎掛けが着けられている。
源左は懐から手ぬぐいを取り出すと地蔵の顔に付いた水滴を拭い始めた。
その時である。やや離れた場所から声を掛けられたのであった。
「何を、やっておられるのですか源左殿!?」
源左は声の方角を見ると騎乗の男が境内から降りてくるのがわかる・・・
男は、源左の近くまで来ると馬から降り従者に手綱を渡すと興味深そうに源左の手に持つ手ぬぐいを見る・・・
「やや、これは監物殿! ちと、恥ずかしい所を見られもうしましたかな? ハッハッハ・・・」
「地蔵を拭われておられたのですか?」
「ハハハ、左様にござる」
監物と呼ばれた男は、源左の言葉にその精悍な表情を一瞬破顔させると懐から手ぬぐいを取り出し
「加勢致します」
と、言うや地蔵の顔を優しく拭い始めたのであった・・・
(監物殿・・・)
呆気にとられた表情で源左が見つめる男の名は堀直政といい源左が仕える主の堀秀政の従兄にあたり二人は幼少のころから一緒に生を共にしある時期から直政は秀政を補佐し続けて今に至る。秀吉から後に天下の仕置きができる三大陪臣の一人とまで評価された直政は堀秀政にとって無二の臣でありまた莫逆の友であった。毛利家の小早川隆景、上杉家の直江兼続等と並び称せられたこの器量人は越前北ノ庄城に主城を置く堀家18万石の筆頭家老でもあった。地蔵の顔を拭うのを手伝い始めた直政を見て慌てて再び自らも手を動かし始めた源左もまた堀家の家老職を務めている。堀家の双翼を担う二人が黙々と地蔵の体を拭っている様子を何か困った様子で従者達が見守っているのだが、彼らはどんな心中で眺めていたのであろうか・・・
「こんなところでしょうか、源左殿?」
「いやぁ、かたじけない監物殿」
自分が仕上げた成果を確かめるように源左に尋ねる直政、ひょっとしたら彼はやる以上手抜きはしたくない性分なのかもしれない・・・
「ところで、源左殿。ここには殿から呼び出されたのでござるか?」
「いかにもでござる。殿からの遣いの者が参って本陣に参るよう言付かってましてな」
「そうでありましたか・・・」
直政はそこで少し考える風情であったが、
「源左殿、それがしからもお願いにござるが、今日は殿の許でゆっくりと過ごされてはくれませぬか?」
「ふむ?」
「早川口の陣へは、それがしが参りしっかりと務めまするゆえにご安心を。殿の気晴らしに、愚痴にも付き合ってくだされ、フフフ・・・」
「殿の気晴らし?」
「ええ、宜しゅうお願い申しあげまする」
「・・・」
「では、私はこれにて」
「直政殿・・・」
問いかける源左に軽く頭を下げるや直政は背を向ける・・・
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