小林結城は奇妙な縁を持っている

木林 裕四郎

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化生の群編

反証

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 シロガネの運んできた水差しの水を何度もコップに注いで飲み干し、雛祈ひなぎはようやく口内の正常な感覚に戻すことができた。
「っはぁ~」
 雛祈は大きく息を吐いて正面を見る。そこにはテーブルを挟んだソファに座る結城ゆうきとアテナがいた。
 アテナは特に何をするでもなく、雛祈が回復するのを目を閉じて静かに待っていた。それは波一つない海を思わせる雰囲気ではあったが、逆にどんな変化を起こすか分からない危うさを秘めているようでもあった。
 結城にいたっては膝の上に座らせた媛寿えんじゅと他愛もない会話をしている。
「媛寿、別に僕の分のお茶を取らなくたって、言えば媛寿の分だって出してもらえるのに」
「ゆうきのがいいんだもん」
「も~、いっつも僕の分もう一回頼まなきゃいけないんだから」
「♪~」
 結城はともかく、媛寿はこれから真剣な話に入ろうことなど一切意に介していない。それだけに、機嫌を損ねた場合の反応がなおさら恐ろしくなってくる。
 多少腕に覚えのある霊能者ならば、この古屋敷の面子に喧嘩を売ろうとは思わないだろう。売ったが最期、まさに天命が尽きる時と心得るしかない。まして、雛祈は祀凰寺家しおうじけの次期当主となる者である。挑めばどうなるか、誰よりもよく理解していた。
 だが、雛祈にも信念がある。たとえ相手が神であろうとも、意見しなければならないことがあるなら、退いて敗北するよりも進んで己を貫き通す。
 祀凰寺家の者として持つ誇りも大事だが、一人の人間、祀凰寺雛祈として持っている誇りもまた、捨てることができない緊要だった。
「待たせたわね、小林結城。では、返答を聞かせてもらえるかしら?」
 度重なる驚愕と二度に渡る失神を経れば、雛祈も一定の感覚を通り越して平静な状態に戻ることができた。最初に古屋敷に来た時と比べれば、格段に落ち着いて話を進められている。
(こうなったら怖いものなしね。さぁ、どう出る?)
 一応結城に回答を促す形にしたが、雛祈が実質的に警戒すべきはまずアテナだった。
 雛祈はここまでの状況を分析し、アテナこそが古屋敷におけるブレーンであると確信していた。実際に要求を突きつけてから、結城は回答を思考する様子は全くなく、アテナはどこかへ連絡を取るという行動に出た。
 つまり、対処を講じている。
 アテナの口から出る答え。それが古屋敷に住む者たちの総意。
 雛祈はアテナの口が開く瞬間を、固唾を呑んで見守った。
「シオウジヒナギ……と言いましたか?」
 いよいよアテナが動いた。数十分前までの雛祈なら心臓が止まるほど動揺していただろうが、ここまで来ればもう土壇場である。ほんの数秒後には、アテナから要求の回答を得ることになるのだ。
「結論から申しましょう。あなたの要求は―――」
 誰にも気付かれることなく、雛祈はごくりと喉を鳴らした。
「却下します」
「っ!?」
「理由はあなたが述べた要求に整合性が見られなかったからです」
「そっ! そんなわけ―――」
 雛祈は思わず立ち上がり、『そんなわけあるか!』と言いかけたが、寸でのところで抑えられた。いくら頭が沸騰したとはいえ、神にそこまで強く出ることはできない。
「コ、コホン……それはどういうことですか、女神アテナ?」
 ソファに座り直し、努めて冷静に説明を求める雛祈。女神アテナがただ否というだけならいざ知らず、要求に整合性がないとまで言われては、到底納得できる話ではない。ひとまず雛祈はどこに整合性がなかったのか、その真意を伺うことにした。
「あなたが先の要求を述べるに至った事由は、結城と私たちがあなたの所領にて許可なく依頼を受け、その役務の対価として報酬を受け取っていること……でよろしかったでしょうか?」
「えっ? ええ、そういうことになる……と思いますが……」
「ですが、ここはあなたの所領ではありません。故にあなたの要求は受け入れられないのです」
「そんなはずはありません。谷崎町たにさきちょうは確かにこの私、祀凰寺雛祈が管理を任されている土地です。当然、この屋敷の敷地も含まれ―――」
「タニサキチョウの95%はあなたの所領であることは確認しました。しかし、残りの5%、この山の3分の2は別の者の所領に含まれています。この屋敷はその中に建っているのです」
「なっ!?」
 アテナが告げてきた事実に、雛祈は声を詰まらせた。谷崎町の大部分は確かに、雛祈が管理する土地にすっぽり収まっていた。ただしその外縁、他家との境界線となる非常に細かな部分までは、まだ確認しきれていなかった。古屋敷が建つ山は、途中から雛祈の管轄から外れていたのだ。
「先程サゲンインレンリに連絡を取り、この場があの者の所領であると保障されました。そして私の記憶では……あなたの領内で活動したことは一度もなかったはずです」
「さ、佐権院さげんいん!?」
 その名が出たことで、雛祈の顔に動揺が走った。祀凰寺家と同じく、平安期より護国鎮守を任された家系の一つ。谷崎町より外は佐権院家の若当主の管理地だったことを、雛祈は今この瞬間に思い出した。それがこんな微妙な場所で区切られていたことも意外だったが、雛祈にはもう一つ意外なことがあった。
(れ、蓮吏れんりの奴と知り合いだったなんて! いったいどこで!? どうやって!? いえ、それよりも……)
 雛祈にとって、この状況は非常にまずい方向に傾いていた。
 古屋敷の位置する場所が、雛祈の管理する土地ではなかったこと。加えてその土地で結城たちが何かしらの活動を行った過去がなかったこと。
 これではアテナの言う通り、雛祈の追求は正当とは言えない。つまりは言いがかりに落ちてしまった。
 そして、それは戦女神や座敷童子ざしきわらしに無意味に矢を引いたことになる。どんなお咎めが降ってくるのか、雛祈の想像できる域を完全に超えていた。
 そこでアテナはソファから腰を浮かせ、右手をゆっくり突き出してきた。
「ひいっ!」
 雛祈はあと一歩のところで恐慌に陥るところだった。思い違いで戦女神に誤った訴えをした以上、魂を引きずり出されても文句は言えない。そうやって自分の最期を想像してしまった雛祈だったが、アテナが手に取ったのが陶製のティーポットだったので、何とか精神的に踏みとどまれた。
「せっかくここまで足を運んだのです。改めてお茶を楽しんで行きなさい。後ろのお二方の分も用意しましょう」
 アテナは手に持ったティーポットを傾け、新しく用意された雛祈のカップにお茶をゆるゆると注いだ。
「あ、あの……お咎めは?」
「? 何を咎める必要があるのです?」
「わ、私は勘違いで女神アテナに楯突いたことに……」
「単なる勘違いをいちいち咎めてなどいられません。神とてそこまで暇ではないのですから。そんなことよりもお茶の時間にしましょう。結城、あなたもカップを出しなさい」
「あっ、は~い。媛寿、カップ返して」
「おかわりくれるの?」
「だから僕のだって」
 ここまでの緊張のやり取りを、特に何でもないこととして流された雛祈だったが、腹を立てるよりも空虚さで頭の中が真っ白になっていた。
 目の前ではただの人間と座敷童子と戦いの女神が、和気藹々とお茶の用意をしている。そんなあり得ないはずの光景を見ながら、雛祈はとんでもない連中に関わってしまったのだと、わずかに残った意識で考えていた。
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