小林結城は奇妙な縁を持っている

木林 裕四郎

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化生の群編

斑の怪物

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 マスクマンを追って来たかのように、それは茂みの植物を手折りながら姿を見せた。
 その場にいた全員が、それを見た瞬間に眉根を寄せ、相対したものが何なのかを考察しようとした。
 だが、答えは出ない。それもそのはず、居合わせた誰もが、出現したそれを見たことがなかったのだ。
 背格好は人の範疇であり、シルエットもかろうじて人の形を留めている。ただ、異様だったのは、それは全身がまだら模様になっている点だった。厳密には二種類の色に分けられ、非常に不規則な配置で塗りたくられている、という印象だった。
 まず目に付くのは、黒に近い青だった。その色が所々をカビのように侵食し、肉体の大部分を染め上げている。
 残るもう一方の色は、マスクマンや雛祈ひなぎたちにも馴染み深い色だった。肌色である。もっと言えば、肌色が下地にあり、その上に黒青が醜く混ざりこんでいる、という構成だった。
 つまり、目の前に現れた者は、『人間』だった。
 しかし、黒青色に半分以上を侵食された顔は、濁った光を放つ眼をギラつかせ、刃のように尖った歯が並ぶ口は、どう見ても人間のものではない。
 右腕は二の腕から先が完全に塗りつぶされているが、その先端に生えた爪は、どの肉食獣のものより長く太い。
 元が人間であったことが分かっても、目の前のそれは明らかに人間ではない。さりとて、別の何かと考えても、その答えが浮かばない。
 ただ、はっきり言えることがある。肌を刺すような攻撃的な気を向けてくるそれは、確実に敵だということだ。
 武装したマスクマンに続き、桜一郎と千冬も持参した武器を構え、雛祈の前に進み出た。
「シャアァッ!」
 斑模様の怪物は、金切り声の雄叫びを上げると、右腕の爪を振りかぶって突進を敢行した。狙いは一番前にいたマスクマンだった。
 爪が振り下ろされる直前、マスクマンは左手に持っていたブーメランを、爪の軌道上に掲げた。空気を切り裂く爪の一撃は、盾代わりになったブーメランに受け止められ、乾いた音を立てた。
 樫の木から削りだされた大型のブーメランは、怪物の攻撃を受けても破損することはなかったが、そこに加わる衝撃力は別だった。防御したマスクマンの両足が、地面に少しめり込むほどの膂力が付加されていた。
「OΛ(おぉ!)」
 すかさずマスクマンは右手に持った石斧を振り上げた。分厚い黒曜石の刃は、怪物の脇腹にジャストミートするはずだった。が、石斧は空を切り、怪物の姿は消えていた。
 マスクマンの切り返しに気付いた怪物は、すぐに後ろに跳び退り、斧の攻撃を回避したのだ。
「PΣ2→(馬鹿力の上に素早いな)」
 マスクマンは武器を構え直し、怪物を再び見た。どちらかと言えば細身の体型なので、素早さがあるのは分かっていたが、そこに似つかわしくないほどの怪力が備わっていた。
 マスクマンもそれなりにパワーはあるので、初撃を何とか受け止めたが、そのマスクマンをおしてなお『馬鹿力』と言わしめるほどの力を持っている。
 正体以上に戦闘能力が尋常ではない。それがマスクマンを始めとした全員の、共通の認識となった。
 マスクマンはすかさずブーメランを放った。相手が距離を取った以上、中距離武器での攻撃が有効となる。
 だが、ここまでの一連の流れを見る限り、ブーメランによる攻撃は通じない。マスクマンはそのことをよく解っていた。
 だからこそ、マスクマンはブーメランが可能な最高速度で、怪物の脇腹を狙った。手を離れたブーメランは、風を切る音を轟かせながら急襲する。弾丸には及ばないまでも、普通の人間ならば視覚で反応するのがせいぜいであるほどの速度。
 その恐るべき飛来物と化したブーメランを、怪物は宙に跳ぶことで難なく避けた。
 しかし、その反応はマスクマンの予想通りだった。
 ブーメランが狙う位置は、怪物の体の中心付近。身を屈めて避けるには難しく、横に避けようにも、迫るスピードが左右二択を許さない。ならば、上に跳ぶしかない。
 そして、その絶好のタイミングを、二人の鬼が見逃すはずがない。
 宙空に跳んだ怪物に、得物を携えたメイドが肉薄する。手に持つ武器はそでがらみ。木製の棒の先端に、いくつもの鉄の棘と碇状の突起を生やした、見るからに痛々しい武具。しかも通常よりも太く作られたそれは、大の男でも扱いに苦慮するであろうことが、ありありと想像できる代物だった。
 その大袖がらみを、一見すると華奢な少女にしか見えない千冬ちふゆが、構えたまま宙に跳び、あまつさえ布団叩きでも振るうように軽々と左に薙いでみせた。
 振りぬかれた大袖がらみを、怪物は異形の右腕で受け止めた。
「ガアァッ!」
 無論、突き立った鉄の棘が、掌全体を余すことなく貫いた。拷問のような痛みが走り、怪物は短い叫びを上げる。
 爪のある右腕を封じられた間隙を、もう一人の鬼が見逃さなかった。
 怪物が地に落ちてくるよりも速く、桜一郎おういちろうが間合いを詰める。充分に距離が縮まった瞬間、脇に構えていた武器を振り上げる。大木さえ一振りで薙ぎ倒せそうな、巨大な刃を光らせるまさかり。人間が使うには大き過ぎるその鉞も、鬼である桜一郎は物ともせずに振り切る。
 重力による落下と振り上げられた鉞の力によって、怪物の左腕は肘からばっさりと斬り落とされた。
「グガアァッ!」
 今度は右手の比ではないダメージが、怪物におそましい叫声を上げさせる。
 片腕を失った怪物は着地もできずに地面に落ち、痛みを紛らわせようと転げ回った。
 その動きが止まった時を狙って、一本の縄が投げ放たれた。等間隔で紙垂しでが結わえられた、穢れを封じて通さぬ注連縄しめなわ。ミリタリーリュックに入っていたその道具を投げたのは、後方に控えていた雛祈だった。
 怪物の周りをぐるりと囲むように注連縄が落ちると、雛祈は『ハッ!』と裂帛の気合を放つ。
 注連縄の余りを握っていた雛祈の手を通し、その末端にまで気が注ぎ込まれていく。これによって怪物を囲った注連縄は、妖魔を逃さぬ強固な結界と化した。
「言葉が解るなら答えなさい。お前はいったい何?」
 結界を維持したまま、雛祈は蹲る怪物に近付いていった。その正体を問いかけるが、怪物は背を曲げたまま微動だにしない。それが言葉が通じていないのか、あえて黙秘しているのかは判断できなかったが、答えようとしない以上、雛祈はそれ以上追求することをやめた。
「まぁ、いいわ。答えないならその身体を調べ尽くすまで。だいたいの検討はついて――」
「お嬢!」
 桜一郎が声と同時に雛祈を突き飛ばし、雛祈は背中から地面に倒れた。咄嗟に受身を取って直に転倒するのは避けたが、その際に視界の端で捉えたのは、桜一郎のスーツの袖に鋭い傷が生じる瞬間だった。振り上げられた爪の先が、雛祈を突き飛ばすために伸ばした桜一郎の腕を掠めたのだ。
 雛祈は驚愕に目を丸くした。怪物はいとも簡単に結界を突破してみせた。そんなことはあり得るはずがない、と思いかけて、雛祈は怪物の正体を確信した。
「桜一郎さん!」
 桜一郎の窮地に、千冬は大袖がらみを一閃する。が、怪物はその攻撃をあっさりとかわし、森の茂みへと大きく跳躍した。
「WΠ3↑(待ちやがれ!)」
 逃すまいとマスクマンもブーメランを放つが、怪物は飛来するブーメランを爪で弾き返すと、そのまま森の茂みの中へ消えていった。
(完全に逃げに徹しやがった。森の中であのすばしっこさじゃ、もう追えねぇな)
 手元に戻ってきたブーメランを受け止め、マスクマンは雛祈に向き直った。
「HΦ1↓(おい、平気か?)」
「私は大丈夫です。それより桜一郎――」
「袖を掠めただけだ、お嬢。大事ない」
「よ、良かった~」
 誰も大した怪我がないと分かり、事態を見守っていた千冬がへなへなと腰を着いた。先程までの戦いぶりはどこへやらである。
「あの結界を容易く破るとは。お嬢、あれの正体は……」
「ええ、そうね……」
 雛祈は手に持ったままの注連縄を見ながら眉をひそめた。即席の簡易結界だったとはいえ、あれほど簡単に突破されるわけはない。つまり、結界は機能していながら、あの怪物を素通したことになる。結界が通じなかったとなれば、あの怪物の正体は――、
(あれはまだ……人間)
 信じがたいことだが、あれほど異形の姿を持ちながら、怪物は『まだ人間を保っている』という結論に達する。妖魔を封じる結界は、どれほどの悪人であろうとも人間には効果がない。
 恐るべき戦闘力と姿を持つだけの、『ただの人間』。そんな者が存在するのか。
(もしもあれが蟲毒こどくで造られたものだとして、あんなものができるの?)
 人間を材料に本格的な蟲毒が試されたという事例は極端に少ない。なので確実なことは言えないとしても、先程の斑の怪物が関係している可能性は大きい。ただ、結果として何に変じたのか、実際に交戦した雛祈たちでさえ、これ以上の見当はつかなかった。
「Oξ4↓(やれやれ、随分と厄介なヤツが攻めてきたもんだ)」
 そう一人ごちたマスクマンは、腰のホルダーからペットボトルを取り、中身を一口煽った。
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