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化生の群編

乱戦

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 媛寿えんじゅ結城ゆうきの肩から転がり落ちた後、得意の隠形おんぎょう術を使って姿を消し、様子を窺っていた。それというのも倒したはずの鬼が復活し、前よりも数段強くなっていたのだから、媛寿も事態の深刻さを理解していた。
 『RPGでラスボスが復活してくるみたいだ』と思いながら、媛寿はここからの作戦を思案した。これほどまでに強い鬼が相手では、もはや戦って勝てる見込みがないかもしれないからだった。
 アテナの実力を疑っているわけではないが、結城が巻き込まれるようなことになったら一溜まりもない。なので密かに脱出計画を練っていたのだが、悪路王あくろおうが結城を真っ先に攻撃してきた場面を目撃し、媛寿の気は百八十度変わった。
 『あの鬼は絶対にぶっとばす!』
 結城の命を奪おうとした悪路王を必ず成敗するという目的に、大幅な方向転換をしたというわけだった。
 まず媛寿は左袖の中からありったけの九八式柄付き手榴弾を取り出した。古屋敷の裏に打ち捨てられていた、旧日本軍の軍事基地跡から持ってきたものだ。
 手榴弾の取っ手部分を外し、針金で炸薬の詰まった円筒部分を一本の手榴弾にいくつも束ねていった。いわゆる収束装薬だ。
 それをアテナと悪路王がせめぎ合いをしているうちに、悪路王のすぐ後ろに埋め、点火用のピンに釣り糸を結わえて手元に引いておき、後は待っているだけだった。
 案の定、悪路王は後方に移動していた結城を追って走り出そうとした。ちょうど手榴弾を埋めた場所を通過する形で。
「よっ、と」
 媛寿はタイミングを合わせて釣り糸を引いた。手榴弾の環が外れ、予め点火機構をいじられていた手榴弾は、遅延時間の四秒を待たずして破裂した。
 炸薬のピクリン酸による爆発は、媛寿の仕込みを全く知らない面々をただただ驚かせた。悪路王が結城目掛けて駆け出そうとしたら、いきなりその足元が爆発したのだから、当然である。
 爆発から二、三秒のタイムラグを以って、悪路王が宙空から落下してきた。さすがに全身のいたるところから黒い煙が立ち上っている。
「よ~し」
 そんな状態の悪路王を確認して、媛寿はガッツポーズを決めた。収束装薬が真下で炸裂したとあっては、重戦車でも無事で済むはずはない。計算どおりの結果に、媛寿は少々得意顔になっていた。
「ぐう……何だ……いったい何が起こった……」
 収束装薬の至近距離での爆発を受けても、悪路王はなおも立ち上がろうとしていた。さすがにノーダメージとはいかなかったようだが、砲弾級の爆発で肉体の欠損が見られないあたり、相当な頑健さを誇っている。
「大砲でも使ったか……くそ……なめるなぁ!」
 まだ爆破による脳震盪が残っているのか、悪路王は頭を振りつつ、再度結城に襲いかかろうとした。
「むぅ!」
 だが、それを許す媛寿ではない。すかさず第二の釣り糸を引く。
「グアッ!」
 悪路王のすぐ後ろで、またも媛寿の仕掛けた即席地雷が炸裂する。背面に爆風と衝撃を受けた悪路王は、顔面から土に身体をめり込ませた。
「アアアアッ!」
 わけも分からず怒り狂う悪路王。しかし、その左手を置いていた地面がまた爆発する。
 媛寿は糸の先に『三』と書かれた札の付いた釣り糸を引いていた。残る糸はあと二本。

「うぅ……」
 鈍痛が残る腹部を抑えながら、アテナは上半身を起こした。
 千夏ちなつをぶつけられて転倒している間に、状況は予想の斜め上に動いていた。
 悪路王が地面から巻き起こる爆発に翻弄され、身動きが取れなくなっている。端の方に目を遣ると、媛寿が忙しなく糸のようなものを引いていた。
 その糸を引く度に爆発が起こっているので、アテナは目の前で引き起こされていることは媛寿が原因だと看破した。
 またどんな珍妙なものを調達してきたのか分からないが、悪路王が足止めを食っているなら好都合だった。
 アテナは立ち上がろうと身体に力を込めるが、わずかに澱みのようなものを感じた。
(これは……考えていたよりも負荷が……)
 全力で急所に撃ち込み続けた連続攻撃は、アテナにとっても負担の大きい諸刃の剣でもあった。ある程度は覚悟していたが、予測よりも早く反動が現れ始めていた。これではスピードが格段に落ちてしまう。
(何か……何か武器は……)
 先のスピードを維持できないのなら、また同じ攻撃を仕掛けても悪路王には見切られてしまう。せめて武器でも持てないかと、アテナは首を巡らせる。自前の槍はまだ悪路王の右腕に刺さったままなので使えない。
 武器にできそうなものを探していたアテナの目に、おあつらえ向きの品が留まった。それはちょうど、アテナが使ってみたいと思っていた武器だった。

 六度に渡る爆発は悪路王を相当に苦しめたが、それでも決定的なダメージを与えるには至らなかった。
 即席地雷を使い果たした媛寿は、次の手段がないかと左袖の中をまさぐるが、噴進砲ふんしんほうも手榴弾も使い切ってしまったので、有効な道具は簡単に見つからない。
 それだけ悪路王の肉体の頑強さは並外れていた。掛け矢ハンマー程度では話にならない。
 媛寿がまごついていると、全身から煙をくすぶらせた悪路王が眼前に仁王立ちしていた。先程までの爆発が媛寿によるものだと気付かれたらしい。
(や、やば―――)
 左袖から道具を出す余裕もなく、媛寿目掛けて太い鉤爪が振り下ろされた。
 だが、爪は媛寿を切り裂くことはなかった。その前に悪路王の頭部には、痛烈な一撃が加えられ、狙いは大幅に逸れてしまったからだ。
「なっ!?」
 予期せぬ攻撃に悪路王は驚いた。それを見舞った相手に目を向ける。
 大型の袖絡そでがらみを携えた小柄なメイド、雛祈ひなぎの御側付きである千冬ちふゆだった。
 ただ、今の千冬からは常日頃の弱々しい雰囲気はなく、頬を赤く染め、熱の籠もった吐息を繰り返す、まるで飢えた獣のような気配を漂わせていた。
「よしっ! 『暴走』が始まったわ」
 状況を見守っていた雛祈は、してやったりという顔で拳を握った。
 普段は弱気でおどおどしている千冬ではあるが、それは表向きの性質。伝説の鬼神、酒呑童子しゅてんどうじの血を受け継ぐ千冬もまた、鬼としての本性を心の奥に眠らせていた。むしろ、姉妹たちの中では最も強い影響が出ているといえる。
 袖絡、別名やがらもがらという武器を愛用しているのも、その本性ゆえである。相手により痛みを与えることで、抵抗を受けずに退かせるためと本人は言っているが、本音はより相手が痛みで苦しむ様を見るのが目的だった。
 そして加虐心の高まりがピークを超えると、表の性質で眠らせていた鬼の本性が暴走を起こす。他者をいたぶることで快楽と悦楽に酔う、本物の鬼神の血が目を覚ますのだ。
(これで自分は精も根も吸い尽くされるな。今回の仕事は本当に辛い)
 千冬の参戦を眺めつつ、桜一郎おういちろうはげんなりとして肩を落とした。
 『暴走』は戦闘能力が上がる分反動も大きく、敵を倒した後は性欲が抑えられなくなり、手近な男を手当たり次第にはけ口にしてしまう欠点もある。人間の男では確実に死亡してしまう勢いのため、桜一郎が相手をして宥めることになっているのだが、同じく鬼神の血を引いている桜一郎でも厳しいものがあった。
「お前も邪魔をするの―――かッ!?」
「アハハハハッ!」
 悪路王が言い終わる前に、千冬は甲高い哄笑を上げながら袖絡を叩きつける。
 アテナが浴びせかけた猛攻ほどではないにしても、鬼の腕力と袖絡による一撃は尋常ではなく重い。
 悪路王はもはや媛寿を狙う余裕もなくなっていた。
 
 突然の千冬の乱入に、媛寿は目をぱちくりさせながら立ち尽くしていた。
 危ないところを救われたのは確かだが、その相手があまりにもひどい凶暴性を放っているため、素直に感謝したものか迷っていた。
「エンジュ、いまのうちです!」
「あ、あてなさま」
 その場から動けないでいた媛寿に、アテナが声をかけた。
 再び立ち上がったアテナの手には、シロガネが日頃から愛用している日本刀、同田貫どうたぬきが握られている。
「少し下がっていなさい」
「う、うん」
 アテナに言われ、媛寿は邪魔にならない程度に距離を置いた。
 媛寿が離れたことを確認したアテナは、同田貫をゆっくりと正眼に構えた。
日本刀そんなもんをギリシャのメガミサマがうまく扱えるのかよ」
 悪路王に対して切っ先を向けるアテナの横に、起き上がってきた千夏が並んだ。
「『ミヤモトムサシ』と『流浪の闘神ヘラクレス』は全巻読破しています」
「それ、どっちも漫画だよな?」
「あなたこそ、片手でそのようなものを振れるのですか?」
 千夏の右手には、シロガネが使っていた大剣ツヴァイヘンダーが握られていた。身の丈も超えそうな十字の両手剣は、左腕を潰された千夏には運用が難しいように見える。
「はっ! 金棒と比べたら人の武具なんか紙っぺらだ」
 言って千夏は手首だけで大剣を一回転させて見せた。
「結構。では、行きますよ!」
 正眼から八相に直したアテナは、勢いよく地面を蹴って悪路王へと斬り込んでいく。急所には充分に撃ち込んだ。次は戦法の第二段階へ入るために。
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