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豪宴客船編

乗船前

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「ん~、こうかな?」
「ユウキ、少しタイが曲がっていますよ」
 姿見を見ながら蝶ネクタイをいじっていた結城ゆうきに、アテナが後ろから手を回して正しい位置に調整した。
「さぁ、これで良いでしょう」
「あ、ありがとうございます、アテナ様」
 アテナに後ろから腕を回されたせいで、結城は少し顔を赤くしながら礼を言った。
 改めて姿見を見る。純白のシャツに漆黒のタキシード、赤い蝶ネクタイに身を包んだ結城が写っている。知り合いでもなければ、どこからどう見ても上流階級の紳士だった。
「似合っていますよ、ユウキ」
「そ、そうですか? あ、あはは」
「ユウキ、笑う時はあまり口を開かず、声を大きくしないことです。それで優美さを演出できます」
「あ、はい」
「受け答えも落ち着いて。慌てる必要はありません」
「はい」
 アテナのレクチャーを、結城は注意しながら心に留めていく。ここからの結城は、明治から続く華族の末裔として振舞わなければいけないのだ。
 結城が恵比須えびすの依頼を受けると決めてから十日後、結城たちは船が寄港する場所の近くにあるホテルにいた。古屋敷ふるやしきから直接乗り込むには遠かったので、チェックインした部屋でアテナ特製の衣装に着替え、乗船する算段となっていた。
「あとは少し髪を整えるだけです」
 結城に正対したアテナは、手に持ったブラシに整髪料を塗布し、結城の髪を梳いた。
 アテナは古代ギリシャのペプロスを元にした、純白のドレスを纏っていた。ノースリーブのワンピースに似た仕立てで、髪をアップにしている髪紐と同じ、赤い腰紐がアクセントとなっている。シンプルな金色のブレスレットとアンクレットも身に着け、まるでレッドカーペットを歩く映画女優に見間違うほどだった。
 問題はボディラインが強調されすぎているせいで、あまり直視していると結城は鼻血が出そうになるという点だったが。
「ゆうき、『どいるくん』のねくたいつけてる! かっこいい!」
「あ、ありがとう、媛寿えんじゅ
 媛寿も仕度が終わり、クロランの手を引いて結城の元へやって来ていた。
 媛寿は普段から着ている桜色の着物とは打って変わり、重ねえりの付いた青い着物に着替えていた。白の被布ひふと着物の色に合わせた紫陽花の髪飾りで、いつもより華やかさが映えていた。
(少し七五三っぽい、かな?)
 クロランが着ているのは赤毛によく似合う真紅のワンピースドレスだった。獣耳を隠す意味合いで付けている、ダークブルーの大きなリボンを乗せたカチューシャが、結城をちらちらと見る度に揺れている。
 着飾った媛寿とクロランの愛らしさに、結城も自然と微笑ましさを覚えていた。
「OΘ4↓、SΠ6↓BB(やれやれ、窮屈な格好させられたもんだぜ)」
「ワタシも、いつものが、よかった」
 マスクマンとシロガネも衣装を変えて準備を終えていた。
 マスクマンは黒の燕尾服に白手袋も付けた、いかにも執事といった出で立ちになっているが、顔はいつもの仮面ではない。褐色黒髪のいかめしい青年の姿になっていた。
 さすがに仮面のままで乗船するわけにいかないので、幻術に似た能力で認識を変えているらしい。結城たちも驚いたが、普段は面倒なのでやりたくないのだそうだ。
 シロガネは真白いメイド服から、黒のロングドレスと白いエプロンのヴィクトリアンメイド風になっていた。メイドキャップも完備した本格的なエプロンドレスなのだが、シロガネ本人は名前に倣った『白』のエプロンドレスに拘りがあるらしい。
「私たちはこれから『潜入』をするのです。あまり悪目立ちするような格好をするわけにもいきません」
「UΨ5→。SΞ9←(分かってるよ。恵比須の奴も変な設定付けやがって)」
「気に入ってないわけじゃ、ない」
 アテナの言葉に、マスクマンとシロガネも少し渋々ながら納得した。
 今回の依頼において、乗船にはドレスコードがあるということで、アテナは全員分の衣装を製作した。機織はたおりもまた権能として持っているアテナにとっては、材料と道具さえあれば、あとは写真を見れば大抵の服飾は作れるらしい。日本に来てからは、『ミシンのおかげでかつての百倍速く作れるようになった』と大層喜んでいた。
 ちなみにアテナも含めた結城たちの普段着は、アテナが雑誌などを見て作っているお手製である。
「全員用意はできましたね。ではユウキ」
「はい」
 アテナに促され、結城は皆を一望できる位置に立って宣言した。
「それじゃあ、これからクイーン・アグリッピーナ号に乗り込む。皆、力を貸してほしい」
 媛寿、アテナ、マスクマン、シロガネは、結城に対して力強く頷いて見せた。

 仮宿にしていたホテルからタクシーに乗り、結城たちは船が停泊している港の手前まで来た。
 本来ならそこは港が存在していない場所であり、周囲2キロ圏内は私有地として立ち入れないようになっている。
 存在しない港であるため、もちろん正式な港名もない。
 しかし、クイーン・アグリッピーナ号を知っている者たちは、密かにこう呼んでいた。『ネアポリス』と。
「おお~、おっきい~」
「確かに……」
 整地され、倉庫棟も設けられたネアポリスの海岸線に、客船『クイーン・アグリッピーナ号』が貝紫色の船体を悠然と浮かび上がらせていた。
 300メートルを優に超えるその圧倒的なスケールに、媛寿はシンプルに感嘆し、結城は船ではなく建造物を見ているような気になっていた。
 ただ、アテナだけはその超大型船を見つめて、
「アグリッピーナ……ですか」
 と、なぜか苦い顔を見せていた。
「ユウキ、そろそろ」
「はっ! あ、はい」
 アテナに声をかけられて我に返った結城は、上着の内ポケットに手をいれ、恵比須から受け取ったチケット袋を取り出した。
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