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豪宴客船編

控え室にて

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 エレベーターの到着音とともに扉が開き、結城ゆうき媛寿えんじゅ、クロランを伴ってボックスへと乗り込んだ。
 手にはアテナから持ってくるように頼まれていた物が入った紙袋がげられている。作戦の説明に時間を要したので、アテナは先に選手控え室に行き、試合に必要な物品を結城たちが届けることになっていた。
 アテナが言うには、船内を探っている者が多すぎれば目立ってしまうので、まずはマスクマンとシロガネに探索を先行してもらうということだった。
 そしてアテナは例のトーナメントに参加し、結城たちも試合を観戦する。そこでアテナは可能な限り派手な試合運びを見せ、観客を釘付けにし、トーナメントが佳境に入る頃には結城たちが試合会場を抜けて探索に加わる。
 格闘トーナメントはクイーン・アグリッピーナ号の人気のイベントであるらしく、大多数の乗客が集まるらしい。船員も例外ではないようで、非番の者や時間が空いている者も試合を観ようと詰めかけるので、船内は極力手薄になるというのだ。
 そうなれば船内も探りやすくなるというのが、アテナの想定だった。
 ただ、結城としては、
(半分はアテナ様の趣味が入ってるような気がする……)
 と、微妙に懐疑的だった。
 アテナは戦女神ではあっても、別に好戦的なわけではない。奔放さに振り回されたりもするが、普段は物静かに過ごすことの方が多い。
 しかし、こと勝負であったり、強者を前にした時は、異様に熱くなるという部分がある。例に挙げれば、媛寿とのゲーム勝負や、千夏ちなつに会った時などだ。
 今回にしても、アテナが格闘トーナメントへの参加を勧められた際には、トーナメントという響きだけで心惹かれたことは容易に想像できる。
 作戦自体はまっとうであっても、多分にアテナの嗜好が反映されているというのは、結城もそれなりの付き合いから察していた。
 あるいはこういうイベントがあることも含めて、恵比須えびすは依頼を持ち込み、アテナが作戦を立案するのも織り込み済みであったのではないか。
 邪推とは分かっていても、結城はどうにも恵比須の手の上を歩かされているような気分が抜けなかった。
(そりゃアテナ様が出場すれば、とんでもなく目立つだろうし、観客も釘付けだろうけど……)
 結城はアームレスリング大会の時のことを思い出し、アテナがやり過ぎ・・・・ないように、と祈るばかりだった。
 再度エレベーターの到着音がなり、自動扉が開かれる。客室フロアの一部を改装して特別に作られた、トーナメント出場選手の控え室が並ぶフロアだった。
「えーと、アテナ様の控え室は12番だったかな」
 フロアに降りた結城は、廊下を見回して12番のプレートがあるドアを探した。
「ゆうき、あそこあそこ」
「おっ」
 媛寿が指し示した方向に、12番のプレートのドアがあった。
「あったあった。助かったよ、媛寿」
「えへへ~」
 結城に礼を言われ、媛寿は嬉しそうに相好を崩した。
 12番の部屋の前まで移動すると、軽く拳を作った右手を前に出し、結城はドアをノックする。
「どうぞ」
 中からアテナの声が聞こえ、結城はドアを開けて入室した。
「アテナ様、失礼しま―――ぶっ!」
「ユウキ、頼んでいた物を持ってきてくれたのですね。感謝します」
 控え室に入ってきた結城に、アテナは両腕を上に大きく伸ばしながら振り返った。なぜか一糸纏わぬ姿で。
「な、な、な、何してるんですか!?」
「? 見ての通り試合前のストレッチです」
「な、何で、その、何も着てないんですか!?」
「すぐに着替えるのです。先に脱いでおいた方が都合が良いでしょう。ストレッチの効率も上がります」
 アテナはそう言うと、今度は腕を横に伸ばし、肩甲骨周りをストレッチする。
 結城は手に持った紙袋を前にかざし、なるべくその光景を見ないように努めた。モデル並のスタイルを持つアテナが、何も身に着けない状態でストレッチをしているところを直視しては、間違いなく鼻血を噴いてしまう。
 小林結城、二十五歳。童貞である。
「ふぅ、このくらいですね。ではユウキ、頼んでいた物を」
「は、はい~」
 アテナに呼ばれ、結城は紙袋で自身の視界を遮りながら、それを手渡した。アテナが受け取ったのを確認すると、すぐに回れ右して背を向ける。
 後に聞こえてきたのは、紙袋の中身がまさぐられる音と、そこから衣擦れのような音を立てて何かが取り出される気配だった。結城はそれが、アテナがいつも戦いで着用しているペプロスだろうとは分かっていたが、
(いつもの服は分かるけど、『アレ』は何に使うんだろう?)
 持ってくるように言われたもう一つの物については、結城も見当がつかなかった。
「こういう催しは久しぶりで心が躍りますね。ではユウキ、お願いします」
「え? お願いしますって、何を?」
「このオリーブオイルを塗ってください」
 アテナは背を向けている結城に、オリーブオイルの入ったガラス瓶を差し出した。それは結城がペプロスと一緒に持ってくるように言われていた、アテナ特製エクストラ・バージン・オイルだった。
「? 塗るって……どなたに?」
「私にです」
「僕が……ですか?」
「そうです」
 簡潔に、そして明瞭に、結城の問いに答えるアテナの口調から、結城はそれが本気だと察した。
「かつて古代ギリシャのレスリング選手たちは、体にオリーブオイルを塗って試合に臨みました。私は単に甘熟オリーブライプの香りを好んで付けているだけですが」
 と、アテナが説明するも、当の結城は受けた衝撃と早鐘を打つ心音でそれどころではない。
「前はある程度私でも塗れますが、後ろは届きません。そこのベッドに横になるので、背中側を塗ってください。エンジュとクロランも手伝ってもらえますか?」
「わかった~」
「っ、っ」
 媛寿は右手を大きく上げて応え、クロランもこくこくと頷いて見せる。
 媛寿とクロランを連れて、アテナはベッドに歩いていくが、結城は顔を真っ赤にしながら、直立不動で頭から煙を上げている。
「ユウキ、あまり時間がありません。早く」
「は、はいっ!」
 アテナに急かされ、結城は反射的に振り向くが、そこでベッドにうつ伏せになっているアテナの姿が目に入り、いよいよ頭が爆発しそうな感覚に陥る。スタイル抜群の戦女神が、素肌でベッドに横たわっているのだから無理もない。
「ゆうき、はやくはやく」
 媛寿も大振りに手招きして結城を呼ぶ。クロランはすでにアテナの腿裏にオイルを塗りこんでいる。
「う……うぅ……」
 頭と顔から煙を立ち昇らせながら、結城は油の切れたロボットの如く、ギチギチと動きづらそうにベッドまで歩み寄っていく。
「ゆうき、はい」
 ベッドの縁まで来た結城に、媛寿がオイルの瓶を差し出す。カクカクとした動きながら、何とか両手を出した結城の掌に、媛寿はオイルを数滴垂らした。
 結城は掌を合わせてオイルを手に馴染ませつつ、その先にあるアテナの白い背中に目をやった。もはや興奮しすぎて、鼻血どころか脳が煮え滾ってしまいそうだった。
「ではユウキ、お願いします」
ふぁはいふぁい……」
 ほとんど高熱に浮かされている状態と変わらない結城は、顔から出る湯気のせいか、それとも熱で意識が朦朧としたか、視界が曇り始めていた。
 そこから先は記憶が曖昧になり、結城がまともに意識を取り戻すのはトーナメント開始直前である。
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