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豪宴客船編

第二試合 その3

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(な、何だ!? オレの剣を受け止めやがったのか!? 指だけで!? 完全に見切って!? そんなバカな!?)
 三日月刀による双撃をいとも簡単に受けられた事実を認識したクローバーは、アテナの持つ技量に戦慄した。
(と、とにかく離れ―――!?)
 下がって間合いを取ろうとしたクローバーだったが、後方へ跳ぼうとしたところで、またしても驚愕に襲われた。
(う、動けねぇ!? 何で!? どうして動け―――!)
 その場から跳び退すさろうとしても、まるで縫い止められたように動けないことに疑問を持ったクローバーは、すぐにその原因に思い当たった。動こうとしているクローバーを止めてしまっている力の正体。それは、
(ま、まさか!?)
 クローバーが握っている一対の三日月刀。それをつまんでいるアテナの指だった。
(そ、そんな!? 指で摘んでいるだけで、剣がビクともしないだと!?)
 アテナの指は、刀身を摘んだまま微動だにしていない。その摘まれた刀身も一切動く気配がない。動こうとしているのはクローバーのみだった。
「ぐっ! このっ! は、離せ!」
「……」
「ぐっ!? うおぉ!?」
 双刀を引き離そうと躍起になっているクローバーをよそに、アテナは刀身を摘んだまま力を入れ、クローバー諸共に宙に持ち上げてしまった。
「バ、バカな!? こんなことが!?」
 第一試合のグロースと比べれば、クローバーはまだ細身といえた。が、それでもアテナと比べれば、ずっと体格も重量もある。そのクローバーを、アテナは三日月刀を介して持ち上げている。
 アテナが発揮する信じがたい膂力りょりょくに、クローバーは困惑し、空中で脚をばたつかせた。
「う!? ぐあっ! がぁ!」
 クローバーを持ち上げたまま、アテナは双刀を掴んでいた両手を左右に開き始めた。そうなれば、双刀を握っているクローバーの両手も自然と開かれることになる。
「剣を離さなければその縫い傷から腕が外れてしまいますよ?」
「ぎいっ!? いっ!?」
 アテナは的確に力をコントロールし、クローバーの両肩に最も力が加わるようにしていた。両腕が左右に開かれていく力は、徐々に両肩へ作用し、強まっていく。
「がぁっ!」
 ついに両肩の縫い傷がきしみだし、クローバーの脳裏には両腕が引き千切られるイメージが鮮明に浮かんだ。瞬間、双刀を離して着地する。
「ハア……ハア……」
 着地からすぐに後ろに跳んで間合いを取ったクローバーは、今しがた味わった恐怖におののき、荒い呼吸を繰り返す。三日月刀を離していなければ、間違いなく両腕を引き千切られていたのだ。
(な、何だこれは? 『恐れ』? オレはこの女を『恐れて』いる!? バカな!? 戦場でも、『死んだ時』でさえ、恐怖なんか感じていなかったはずだ! 蛙魅場あみばのダンナに蘇らせてもらってからは、そんなものはオレにとって無縁になったはずだ! それが、こんな華奢な女に!?)
 両腕が千切れかかった肉体的なダメージよりも、アテナに味わわされた恐怖が精神的ダメージとなって、クローバーに しかかっていた。移植された心臓が早鐘を打ち、生命活動が希薄になっているはずのゾンビの肉体が、脂汗をじわじわとにじませている。
(だ、だが! 三日月刀そいつを取ったのは失敗だぜ!)
「ハッ! オレから剣を取れば勝ったと思ったか? その剣には蛙魅場のダンナが特別な呪いをかけててな! オレ以外が持ったら、かけられた呪いに意識を奪われるのさ! クケケケ! あとはオレの言いなりだ! さぁ! ひざまずいてオレの靴を舐め―――」
 品のない笑い声を響かせながら右足を持ち上げたクローバーだったが、目の前の光景を見てその笑いはぴたりと止まった。
 アテナは奪った双刀を重心から回転させて柄を握ると、そのまま素振りをして刀の使い心地を確かめていた。
「それなりに良い刃物であるようですね。私の好みではありませんが」
 刀身をじっくりと観察しているアテナは、どう見ても呪いに意識を乗っ取られているようには見えない。それを目の当たりにしたクローバーは、今度は呆気に取られる羽目になった。
(そ、そんなバカな!? どうして呪いが発動しないんだ!? 蛙魅場のダンナは何かトチったのか!?)
 命すらも賭けにする試合の真っ最中であるはずが、アテナはのんびりと奪った双刀を品定めし、クローバーはそれを呆然と見つめているという、あるまじき状況がそこにあった。審判の野摩やまをはじめ、その試合を見る観客たちは、不思議なものを見るように目を丸くしていた。
(だ、だが、まだだ!)
「い、いい気になるなよ! オレは相手の武器を奪って瞬時に攻撃する技を持っているんだからな! オレが剣を掴んだ瞬間、テメェが切り刻まれて―――」
「! そのような技があるのですか? 興味深い」
 クローバーが口上を述べ立てている途中で、アテナはクローバーが持つ技が気になったらしく、左手に持っていた三日月刀を無造作に構えた。
「では、その技を披露してください」
「はっ?」
 アテナの言葉に、クローバーは目が点になった。
 アテナはクローバーが言った、『相手の武器を奪って攻撃する技』が出しやすいように、あえて三日月刀を差し出している。構えているというよりは、ただ切っ先を向けているだけ、といったポーズだった。
 クローバーにしてみれば、これ以上ないほど技を出しやすい体勢をされているわけだが、むしろあまりに都合が良すぎるために尻込みしてしまうほどだった。
(な、何だ!? オレの返し技を受けて立つっていうのか!? チクショウが! 舐めやがって! いいだろう! 返し技でその左腕もらってやるぜぇ!)
「しゃあぁ!」
 クローバーはアテナの左側に素早く回りこむと、三日月刀を掴んでいる左手と、差し出されている左腕の肘を押さえた。
「さぁ! お望み通り見せてやろう! オレの返しわ―――ざ…………あ、あれ?」
 自信たっぷりに技をかけようとしたクローバーだったが、再び脂汗が滲ませることになってしまった。押さえたアテナの腕は、まるで鉄でできているように、1ミリも動かない。
「な、なんで?」
「どうしました? 早く技を見せてください」
「バカな!? そんなバカなぁ!」
「……技を見せないなら、今度は私の番です」
「はっ」
 アテナは右手に持っていた三日月刀を構えると、切っ先をクローバーの額に目がけて突き込もうとした。
「うわあぁ!」
 クローバーの剣技よりもさらに速い刺突つきが迫り、クローバーは恐怖で反射的に後ろへ退いた。皮肉にも『死の恐怖』が、迫ってくる『死』を回避せしめた。
「ハア……ハア……バカな……バカなバカなバカなぁ!」
(オ、オレは切り裂きクローバーと恐れられ、蘇ってからはさらに強くなったはずなんだ! そ、それがこんな……こんなぁ……)
 生前で味わうことなく、死屍人ゾンビとなってから初めて味わう圧倒的な恐怖が、クローバーの冷え切った身体をより凍えさせようとむしばんでいた。
「テ、テメェは……いったい……何なんだぁ!」
 歯をカチカチと鳴らす震え声を搾り出し、クローバーはアテナに問いただした。
「ミネルヴァ・カピトリーノ。ただの従者です……今は」
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