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竜の恩讐編
出雲大社の奥の奥 その2
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『さぁーて! 次が大一番! 挑戦者は天手手力男神様だー! しかーし! その前に休憩時間! 試合開始は三十分後! それまではアテナ様にはご休憩いただき、観戦の皆々様には賭けをご熟考いただきたいと思いまーす!』
審判の予告を聞きながら、アテナは格技場から休憩スペースに行くための通路へと歩いていく。
その間も、
「アテナ様がんばってー!」
「次はもっと大技をお願いしまーす!」
と、観覧席の女神たちからも、アテナへの黄色い声援が飛んでくる。
男神たちを圧倒的な力で薙ぎ倒していくアテナの姿に、最近では女神や女の神使たちからもファンが続出しているほどだった。
それ自体は悪い気はしないのだが、アテナとしては求婚を断るために出した条件が、ここまで大々的なイベントに発展してしまっていることに、どうにも複雑な思いだった。日本の武神たちと手合わせできることは、戦女神として充実しているのだが。
「勝った割には随分と浮かない顔をしているな、アテナ殿」
通路の壁にもたれかかっていた男神に声をかけられ、アテナは伏せていた目を上げた。
消炭色をベースに左肩から右腰に向かって落ちる稲妻の意匠をあしらった狩衣。金の装飾が施された黒漆拵えの太刀を佩き、長身のアテナよりも頭一つ高い偉丈夫。野太すぎず、しかし繊細すぎもしない、その独特な声だけでも、アテナには誰か判った。
「そうではありません。ただ、どの国の神もお祭り好きであることは変わらないと思っていただけです、タケミカヅチ様」
アテナの返答に、建御雷神は面白そうに口角を上げた。
「其方が来日してから三年になるか。おかげで神無月には男神も女神も、この嫁取り試合に大盛り上がりだ。我も面白く観させてもらっている」
「アマテラス様から出された条件と、私の出した条件が合わさった結果とはいえ、このような形になってしまったことは複雑な気分です。ところで」
アテナは建御雷神の顔をちらりと見た。いまだ建御雷神の顔は微笑を湛えている。
「何か用があったのではありませんか?」
「お? 用がなければ来てはならぬというものでもあるまい?」
「では用もなく来たと?」
「そうさな、強いて言うならば――――――」
全てを言い終わる前に、建御雷神は左手を通路の壁に押し当てた。自身と壁でアテナを挟むようにして。
「美しき戦女神の唇を奪うため、では如何だろうか?」
「……」
「アテナ殿とて、戦いの後では疲弊もあろう。今なら、その唇を我がものとするのも適うのではないか?」
「本気であるならば……」
アテナは静かに右拳を握った。
「この場で貴方の顎が石榴の如く砕けるでしょう」
握られた拳から、小さな電撃が空気を弾く音が立つ。
「さて、どうであろうな。我もまた雷を司る者。果たしてどちらがより速いか」
建御雷神の右手からも、小さな電撃が走る。それに加え、手首から数本の刀身までもが枝のように生えてくる。
アテナが動くが速いか。それとも建御雷神が避けて返すが速いか。
戦女神と雷神の場外戦の幕が切って落とされ――――――
「ふっ……戯言だ」
――――――ることはなく、建御雷神はあっさりとアテナから数歩距離を取った。
「失敬失敬。人の世で最近流行りの『壁ドン』なるものを試してみたかっただけだ。いやはや其方には通じぬな」
建御雷神は軽く笑い飛ばしながら、手首から生えていた刀身をすんなりと収めた。
「あまり今の流行りでもありません」
「おや、そうであったか。これなら其方も少しは心が動くと思うたが、やはり生まれついての戦女神は一筋縄ではいかんな」
「以前より気がかりだったのですが……なぜあなたは私に試合を申し込まないのですか?」
どこか飄々としている建御雷神の背に、アテナは気になっていた疑問をぶつけた。
「三年間、あなたはこうして何かしら理由をつけて会いに来ても、一度たりとて私に挑むことはしなかった。あなたほどの武神、いえ、その力はすでに戦神に近い。それほどの力を持ちながら――――――」
アテナの言葉は、建御雷神が眼前に差し出した右手によって遮られた。その手中には、小さな小箱が握られている。
「試合を挑み、仮に其方に勝ったならば、其方を我の伴侶として迎えることはできよう。しかし其方の心まで我に向くわけではない」
建御雷神は小箱をそっとアテナの前で開いた。中には稲妻を象った小さな耳飾りが一対入っていた。
「ただ戦って手に入る虚ろろな其方ではつまらん。我は其方の心もまた手にしたいのだ」
そう語りながら建御雷神は、ゆったりとした動作でアテナに耳飾りを付けた。
「うむ、見立て通りだ。よく似合っておるぞ、アテナ殿」
「あなたはいつも私と会話をしたり、こうして贈り物をしてくるのみ。変わっていますね」
「惚れた女子に対して当然の所作であろう。其方も我が贈るものを拒みはせんからな。嬉しく思うぞ」
建御雷神はアテナに微笑えむ。先程の悪戯めいたものではなく、本当に嬉しそうな顔で。
「私も感謝はしています。が、公言している通り、私と婚姻を結べるのは私より強き者のみ」
アテナは建御雷神を見据えた。その目は、アテナの本気の、さらに先の強い意志が垣間見えていた。
「それはお忘れなきよう」
「一切承知。その時は我、建御雷神が全力をお見せしよう」
静かな闘志を滾らせながら踵を返し、建御雷神は通路の奥へと歩いて行こうとしたが、
「あぁ、そうそう」
何か思い出したことがあったのか、すぐに建御雷神は振り向いた。
「次の試合が今回の最後の相手であろう? 早々に片付けて、酒場で建御名方神の怨念を退けた話でも聞かせてはもらえぬか? ぜひ聞きたい」
今後は満面の笑みで言ってくる建御雷神に、アテナは張り詰めていた空気を打ち消された気になった。
「分かりました。チーズケーキも用意していただけるなら」
「任されよ。上物を注文しておくとしよう」
「今年こそ某の想いを! 受け取っていただくでござー!」
『おーっとぉ! 天手手力男神様とアテナ様! いきなり組んだー! 三度目の正直! 天手手力男神様の力はアテナ様に届くのかー!』
「天手手力男神。純粋な力だったら八百万の神の中でも一、二を争うから、いつもイイ線いくんだけどなぁ~」
VIP席でジュースを飲みながら、天照は眉根を寄せていた。
「でも武神じゃないから戦い方がちょっと……」
『おぉ~! これはぁ~! アテナ様! 組んだ状態からの反り投げ! 巨体の天手手力男神様だと! なおさらド迫力だ~!』
「いまいちなのよね~」
格技場に頭からめり込んだ天手手力男神を眺めながら、天照は空になったグラスを置いた。
「今年もアテナちゃんの全勝か~。次あたりはホントに建御雷神兄ちゃんにお願いしちゃおっかなぁ」
天照は困っているようでいて、どこか楽しげに次回を思案しているのだった。
審判の予告を聞きながら、アテナは格技場から休憩スペースに行くための通路へと歩いていく。
その間も、
「アテナ様がんばってー!」
「次はもっと大技をお願いしまーす!」
と、観覧席の女神たちからも、アテナへの黄色い声援が飛んでくる。
男神たちを圧倒的な力で薙ぎ倒していくアテナの姿に、最近では女神や女の神使たちからもファンが続出しているほどだった。
それ自体は悪い気はしないのだが、アテナとしては求婚を断るために出した条件が、ここまで大々的なイベントに発展してしまっていることに、どうにも複雑な思いだった。日本の武神たちと手合わせできることは、戦女神として充実しているのだが。
「勝った割には随分と浮かない顔をしているな、アテナ殿」
通路の壁にもたれかかっていた男神に声をかけられ、アテナは伏せていた目を上げた。
消炭色をベースに左肩から右腰に向かって落ちる稲妻の意匠をあしらった狩衣。金の装飾が施された黒漆拵えの太刀を佩き、長身のアテナよりも頭一つ高い偉丈夫。野太すぎず、しかし繊細すぎもしない、その独特な声だけでも、アテナには誰か判った。
「そうではありません。ただ、どの国の神もお祭り好きであることは変わらないと思っていただけです、タケミカヅチ様」
アテナの返答に、建御雷神は面白そうに口角を上げた。
「其方が来日してから三年になるか。おかげで神無月には男神も女神も、この嫁取り試合に大盛り上がりだ。我も面白く観させてもらっている」
「アマテラス様から出された条件と、私の出した条件が合わさった結果とはいえ、このような形になってしまったことは複雑な気分です。ところで」
アテナは建御雷神の顔をちらりと見た。いまだ建御雷神の顔は微笑を湛えている。
「何か用があったのではありませんか?」
「お? 用がなければ来てはならぬというものでもあるまい?」
「では用もなく来たと?」
「そうさな、強いて言うならば――――――」
全てを言い終わる前に、建御雷神は左手を通路の壁に押し当てた。自身と壁でアテナを挟むようにして。
「美しき戦女神の唇を奪うため、では如何だろうか?」
「……」
「アテナ殿とて、戦いの後では疲弊もあろう。今なら、その唇を我がものとするのも適うのではないか?」
「本気であるならば……」
アテナは静かに右拳を握った。
「この場で貴方の顎が石榴の如く砕けるでしょう」
握られた拳から、小さな電撃が空気を弾く音が立つ。
「さて、どうであろうな。我もまた雷を司る者。果たしてどちらがより速いか」
建御雷神の右手からも、小さな電撃が走る。それに加え、手首から数本の刀身までもが枝のように生えてくる。
アテナが動くが速いか。それとも建御雷神が避けて返すが速いか。
戦女神と雷神の場外戦の幕が切って落とされ――――――
「ふっ……戯言だ」
――――――ることはなく、建御雷神はあっさりとアテナから数歩距離を取った。
「失敬失敬。人の世で最近流行りの『壁ドン』なるものを試してみたかっただけだ。いやはや其方には通じぬな」
建御雷神は軽く笑い飛ばしながら、手首から生えていた刀身をすんなりと収めた。
「あまり今の流行りでもありません」
「おや、そうであったか。これなら其方も少しは心が動くと思うたが、やはり生まれついての戦女神は一筋縄ではいかんな」
「以前より気がかりだったのですが……なぜあなたは私に試合を申し込まないのですか?」
どこか飄々としている建御雷神の背に、アテナは気になっていた疑問をぶつけた。
「三年間、あなたはこうして何かしら理由をつけて会いに来ても、一度たりとて私に挑むことはしなかった。あなたほどの武神、いえ、その力はすでに戦神に近い。それほどの力を持ちながら――――――」
アテナの言葉は、建御雷神が眼前に差し出した右手によって遮られた。その手中には、小さな小箱が握られている。
「試合を挑み、仮に其方に勝ったならば、其方を我の伴侶として迎えることはできよう。しかし其方の心まで我に向くわけではない」
建御雷神は小箱をそっとアテナの前で開いた。中には稲妻を象った小さな耳飾りが一対入っていた。
「ただ戦って手に入る虚ろろな其方ではつまらん。我は其方の心もまた手にしたいのだ」
そう語りながら建御雷神は、ゆったりとした動作でアテナに耳飾りを付けた。
「うむ、見立て通りだ。よく似合っておるぞ、アテナ殿」
「あなたはいつも私と会話をしたり、こうして贈り物をしてくるのみ。変わっていますね」
「惚れた女子に対して当然の所作であろう。其方も我が贈るものを拒みはせんからな。嬉しく思うぞ」
建御雷神はアテナに微笑えむ。先程の悪戯めいたものではなく、本当に嬉しそうな顔で。
「私も感謝はしています。が、公言している通り、私と婚姻を結べるのは私より強き者のみ」
アテナは建御雷神を見据えた。その目は、アテナの本気の、さらに先の強い意志が垣間見えていた。
「それはお忘れなきよう」
「一切承知。その時は我、建御雷神が全力をお見せしよう」
静かな闘志を滾らせながら踵を返し、建御雷神は通路の奥へと歩いて行こうとしたが、
「あぁ、そうそう」
何か思い出したことがあったのか、すぐに建御雷神は振り向いた。
「次の試合が今回の最後の相手であろう? 早々に片付けて、酒場で建御名方神の怨念を退けた話でも聞かせてはもらえぬか? ぜひ聞きたい」
今後は満面の笑みで言ってくる建御雷神に、アテナは張り詰めていた空気を打ち消された気になった。
「分かりました。チーズケーキも用意していただけるなら」
「任されよ。上物を注文しておくとしよう」
「今年こそ某の想いを! 受け取っていただくでござー!」
『おーっとぉ! 天手手力男神様とアテナ様! いきなり組んだー! 三度目の正直! 天手手力男神様の力はアテナ様に届くのかー!』
「天手手力男神。純粋な力だったら八百万の神の中でも一、二を争うから、いつもイイ線いくんだけどなぁ~」
VIP席でジュースを飲みながら、天照は眉根を寄せていた。
「でも武神じゃないから戦い方がちょっと……」
『おぉ~! これはぁ~! アテナ様! 組んだ状態からの反り投げ! 巨体の天手手力男神様だと! なおさらド迫力だ~!』
「いまいちなのよね~」
格技場に頭からめり込んだ天手手力男神を眺めながら、天照は空になったグラスを置いた。
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