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竜の恩讐編

幕間 監視者たち

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「えっ!? やばっ! 小林くん刺されたのか!?」
 結城ゆうきがラナンに短剣を突き立てられた丁度その頃、離れたビルの屋上から双眼鏡をのぞいていた人物が声を上げていた。
「ん? 何だ? 何か話してんのか?」
 驚きで一瞬双眼鏡から目を離していたその人物は、再び現場の様子を注視するが、
「あっ! くそっ! 雨がきつくなって――――――」
 降り出した雨が勢いを増したせいで、遠方からうかがうのが難しくなってきた。
「おっ!? あれって……かつら? ブロンド髪……か?」
 かろうじて見えた、ラナンが鬘を取り去る場面に、その人物は集中する。
「あっ! モーターボート! あれが逃走手段か。って、運転してるのは……子ども!?」
 空き地に面した川べりに到着したモーターボートに、ラナンが乗り込み、ボートは雨が立てる水煙にまぎれて消えていった。
「くっそー! 肝心なところで雨が降りやがるとは!」
 その人物の位置と雨の勢いでは、モーターボートの情報と行き先はそれ以上探ることはできなかった。
「とにかく佐権院さげんいん警視に連絡を」
 地味な色合いの帽子とトレンチコートを着用したその人物、九木洸一くきこういちはポケットからスマートフォンを取り出し、アドレス帳から番号を検索した。

 時間は二日前に戻る。
 九木は電気の通っていないテナントビルの中を、懐中電灯で照らしながらダウジングを行っていた。
「ん~、反応がないわけじゃない、けど……」
 先端に五円玉を付けたひもをあちこちに向けながら、九木は眉根を寄せて首をかしげた。
「どうなってんだ? 途切れ方が不自然すぎるぞ」
 五円玉は揺れが起こったと思えば、唐突にぴたりと止まってしまうという反応を繰り返し、決して連続で揺れ続けることはなかった。
「人間の仕業じゃないのは確かだけど、ここまで痕跡を消せるヤツ、人外でもいるのか?」
 頭を悩ませていた九木の元に、一本の電話が入った。
「誰から電話だ? あっ、佐権院警視」
 スマートフォンの表示を見た九木は、なるべく待たせないように応答した。
「もしもし、九木です。警視、そちらの方で何か?」
『九木くん、君はいま何の捜査に当たっていたかな?』
「え? 先月に裏動画をさばいてた半グレ集団が急に消息を絶った一件で、いま現場のテナントビルにに来てるトコですが――――――」
『その案件は保留にしてくれて構わない。君には別の用を頼みたいのだ』
「別の?」
『小林結城くんをしばらく監視してほしい』
「はい? 小林くんを?」
『そうだ。もちろん彼が古屋敷から出ている時だけでいい。あとは定期的に報告をすることと……何が起きても監視だけに留めること』
「何が起きてもって……小林くんに何か起こるんですか?」
『現時点では不明だ。そして私も動けない。だから君に頼みたいのだ』
「う~ん……分かりました。しばらく小林くんに張り付いてみます」
『ありがとう。君が担当している他の案件も、後任を用意しておく。君は小林くんの監視に集中してほしい』
「了解しました」
『それともう一度言うが……何が起きても監視だけに留めるようつとめてほしい』
「え? ええ、まあ」
『では、よろしく』
 そこまでで佐権院からの連絡はあっさりと切れた。
 不通状態のスマートフォンを見ながら、九木はまた別の意味で首を傾げた。
(佐権院警視はどういうつもりなんだ? 監視するだけで手は出すな、って)
 任務は承諾しょうだくしたが、あやふやな内容がに落ちないまま、九木はスマートフォンをポケットに収めた。
(そもそもあんな神霊たちかたがたが付いてる小林くんに、そうそう何かがあるわけが……)
 そう思いながら監視任務にいて二日後、小林結城はラナン・キュラスに胸を一突きにされることになる。

「ったく! 監視するだけだって!? これじゃ救急車も呼べねぇじゃんか!」
 佐権院の連絡先をタップした九木は、今さらながら文句を言いつつ、スマートフォンを耳に当てた。
「こんな時にどこ行ってんだよ! アテナ様は!」
 監視任務を続けて二日間、姿を見せていない戦女神いくさめがみに対しても、九木は怒りが込み上げていた。

「対象Bが刺されました」
 同じ頃、別のビルの屋上から、結城とラナンのやりとりの一部始終を見ていた者がいた。
 長い髪を一本の三つ編みに束ね、矢絣柄やがすりがら小紋こもんと海老茶色のはかまを身に付けた女学生風の少女が、その格好に不似合いなスマートフォンで誰かと連絡を取っている。
『そうか。対象Aの方は?』
「すでに逃走しました」
『その場で起こったことは全て記録したな?』
「記録しました」
『ではクド、お前も戻れ』
「了解しました」
 クドと呼ばれた少女は連絡を切ると、ふちにフリルがあしらわれた黒い眼帯で右眼をおおい、雨粒が叩きつけるビルの屋上を後にした。
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