魔法の内に咲く花は、

三ツ沢ひらく

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運命の歯車を回す

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 あれはもう一年前になるだろうか。

 わたしは戦争で両親を亡くし、幼い弟と共に小さな町の教会で暮らしていた。

 魔法薬師だった父のように、いつか魔法を学びたいと思っていたが、親と家をいっぺんに失ってその夢は諦めた。
 体の弱い弟を養うことが、わたしの最優先事項となったからだ。

 教会の手伝いをしながら住まわせてもらえることになったのは幸運だった。
 老神父は弟の面倒をよく見てくれ、わたしは働きに出ることができた。

 そんな暮らしの中、小さな町の掲示板にエスター城からの連絡事項が書かれた立派な紙が貼られた。

 エスター城のローズ様が病に倒れ、特効薬を探されている。

 特効薬は最高難易度の薬だが、調合法が分かる者が見つからないとのことだった。
 見つからないのは当然だ。その薬は父が発明し、満足に調合法を伝える前に亡くなってしまったから。
 
 わたしは父の遺したノートを体に括り付け、エスター城へ向かった。

 わたしのような身分の者が、エスター城を目指すなどおこがましいことは分かっていたが、もしかしたら、ローズ様にお会いできるかもしれないと思ったのだ。

 父はローズ様と面識がある事を誇りに思っていた。
 もしお会いできたら魔法薬師としての父のことを聞きたかった。

 道中は酷い雨となった。

 国中のどこからでも見えるエスター城の先端を目指して進んでいたわたしは、ひどい雷雨にそれを見失い、仕方なく近くの町に入った。

 父のノートは神父様が丁寧に布で包んでくれたおかげで濡れずに済んでいたが、わたしは頭の先から靴までびしょ濡れになっていた。

 早く城に行かなければ。

 わたしは焦っていた。何故なら道中に不穏な噂を聞いたからだ。

 ローズ様の容態が思わしくない。
 すぐに薬が必要。

 もちろん城内の話が町に伝わってくる時点で作り話が多いのだが、わたしはその話を鵜呑みにし、雨宿りもせずに歩を進めていたのだった。

 近くの店の戸を叩く。
 ずぶ濡れのまま敷居をまたぐ事がはばかられ、戸の前で待っていると恰幅の良い店員が顔を出す。

「お、お嬢ちゃんこんな雨の中どうしたんだい」

「すみません、地図を見せていただけませんか。この雨で道を見失ってしまって」

「とりあえず入りな。コーヒーでも沸かしてくる」

「いえ、お構いなく」

「近くで雷も落ちてるんだ。いいから来なさい」

 手を掴まれ店にあげられる。どうやら飲食店のようだ。店員の男性がカウンターにある布を渡してくれる。
 滴る水滴を拭っていると近くのテーブルから柔らかいバリトンの声が響いた。

「大丈夫かい?」

 返事をしようと声の主を見るが、わたしは言葉に詰まる。
 美しい藍色の瞳がわたしを見ていた。

「酷い雨だね。私も雨宿りさせてもらっているんだ」

「そ、うですね。本当に、酷い雨」

 瞳だけでなく顔立ちや髪まで綺麗なその男性に、わたしはぼうっと見惚れていた。
 よく見ると服装もシンプルだが高価そうな布が使われている。

 きっと偉い方なのだ。

 わたしは自分のみすぼらしい格好が恥ずかしくなったが、きっともう会うことはないお方なのだと思い、恥を捨て思い切って声をかけた。

「あの、わたしはシェラといいます。貴方は……」

「私はルイン。探し物をしている途中で雨に降られてここで雨宿りをしているのだが……なかなか止みそうにない」

「そう、なんですね」

 ルイン様、
 心の中で静かにその名を繰り返す。

「貴女は急いでいるようだけれど、しばらく待った方がいい。これから雷が酷くなるんだ」

 まるで雷が落ちると分かっているような口振りを不思議に思ったが、わたしはとにかく気が急いていた。

「いえ、わたしは今すぐエスター城へ行かなければならないんです」

「エスター城へ? それはまた何故」

「ローズ様が必要とされている薬の調合法レシピをお届けするんです」

「なんだって?」

 ルイン様は穏やかだった表情を一変させて驚く。
 わたしはその変わりように一歩身を引いてしまう。

「お嬢ちゃん、このお方はまさにそれを探しているんだ」

 その様子を見ていた店員がわたしにコーヒーを手渡しながらこそりと言った。

「それは本当なのか」

「は、はい」

 席を立ち詰め寄ってくるルイン様に仰け反りながらわたしは返事をする

「何故貴女がそれを持っている?」

「父がその薬を作ったからです」

 ルイン様は信じられないと言った様子なので、わたしは体に括り付けたノートをテーブルに広げる。

「本物なのか……? あれだけ探して見つからなかったものが」

「本物です! 父はローズ様と面識がありました。ローズ様ならこれを見たら分かってくださるはずです!」

「貴女のお父上はいまどちらに」

「父は……亡くなりました。その薬を発明してすぐのことだったので、調合法を伝えられなかったのです」

「そうか。……ならばそれを私に預けてくれないか。必ず薬を作りローズ様へお届けする」

 わたしはその言葉に戸惑った。
 もしそうすれば、もうローズ様にお会いできる機会は無いに等しいからだ。
 わたしはローズ様にお会いし、父の話を聞きたかった。

 もう誰とも共有することのできない大切な思い出のかけらを、少しでも拾い集めたかったのだ。

 わたしの目から涙が溢れた。

「お願いします。わたしがお届けしたいのです。わたしのようなものがローズ様に近づけるとは思っていませんが、ローズ様に亡くなった父のことをお聞きしたいんです」

 全身ずぶ濡れで涙まで流して、わたしはさぞ滑稽こっけいに見えたことだろう。
 しかしルイン様はそんなわたしを笑わずに、わたしの頬を伝う涙をその指で拭った。

「貴女はローズ様とお父上のためにひとりでここまできたのか……こんな雨の中」

 わたしは頷けなかった。
 そんな綺麗な理由ではないのだ。
 ローズ様に元気になってもらって、あわよくば少しだけお話がしたい。

 ただのわたしのわがままだった。

「分かった。私の馬に乗るんだ。雨や雷を受ける心配はない。それを飲んだら出よう」

「あ、ありがとうございます!」

 こうしてルイン様に抱えられるようにして空を飛ぶ馬に乗ったわたしだったが、この辺りの記憶は必死すぎて曖昧になってしまっている。

 その時に初めてルイン様が魔法騎士だということを知り、生まれて初めて空を飛んだのだ。

 そして事もあろうにエスター城についたわたしはそのまま気絶してしまい、次に目を覚ました時には横に元気になったローズ様がいらっしゃった。

 わたしをここまで送り届けて下さったルイン様は、わたしが目覚める少し前に自国へ戻られたらしい。

 どうやらルイン様は異国の魔法騎士様で、以前からエスター城と親交があり、今回のローズ様の危機に駆け付けたのだという。

 異国の方だったのだ、ときらめく藍色の瞳を思い出し、わたしは切なさを訴える胸に手を当てた。

 そうこうしている間に、ローズ様とお会いするというわたしは望みが叶っただけではなく、なんと幸運なことに、エスター城で勤めさせていただくことになった。

 わたしが弟を養っていることを知ったローズ様の計らいで、何も得手がないにも関わらず城仕えになることができたのだ。

 そのおかげで弟に仕送りをしながら、少しずつ貯金をすることができている。
 
 いつか魔法を学ぶためのお金だ。

 一度諦めた夢だったが、今は少しだけ希望が見える。
 ローズ様に尽くし、エスター城の普段の暮らしをを支える。
 それがわたしの生きがいにもなっていた。

 それなのに、不毛な恋をすることになるなんて。

 ルイン様が少し砕けた口調でお話して下さったのは、この城に着くまでだけだった。
 思えばあのひとときだけは魔法騎士と小間使いではなく、ルイン様とわたしという人間としての時間だったのかもしれない。
 
 けれど、いまはもうそうはいかない。
 城に入ってからわたしはわたしの立場をはっきりと自覚した。
 ルイン様はわたしの憧れていたローズ様の横に立つようなお方だったのだ。

 わたしはほのかな想いを封じ込め、仕事に励んだ。
 しかしそうすればそうするほどルイン様はわたしに優しい言葉をくださるのだ。

 わたしはそうされるたびに嬉しくて、悲しくなる。

 そして心の中で泣きながら叫ぶのだ。

 どうか、わたしに優しくしないで
 どうか、その瞳にわたしを映さないで

 と。

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