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本編
1.貴方のいない日常
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「お嬢様、おはようございます。食事の準備はできてますよ」
「ありがとう」
イルサの朝は早い。
いつも同じ時間に起き、身支度をすませ、朝食をとる。
そして、決まった時間に出勤する。
「いってきます」
「お待ちくださいイルサ様」
今まさに玄関をでようとしているイルサを止めたのは従者だった。
彼の名をレイ、という。
イルサの家はイルサとレイとメイドのアンネの三人で住んでいる。
しかし、もともと一人暮らしを始めた3年前にはイルサとアンネの二人暮らしだった。
女二人暮らしでも問題はない。騎士ではないが、王宮の近衛騎士団で働くイルサの家は、高級住宅地にあり、常に警備員が見回っているので、治安がいいのだ。
イルサとしては、もし条件がよければもう一人くらい使用人を増やそうと思っていた。ただ、当てはないことと、急いでいなかったことから、積極的に探してはいなかった。
しかし、ほんの一月前、突然従兄がその状況に口を挟んだ。
――ちょうどいい人材がいるんだが、君さえよければ、雇わないか?
イルサは詳しく聞かずに了承した。
従兄は人がよく、また思慮深い。イルサとは複雑な関係であるがゆえに、気遣いをしてくれている。
なので、彼の推薦であれば問題ないだろうと思ったのだ。
そして、やってきたのがレイだった。
癖の強い黒髪に茶色の目。礼儀正しい彼の年の頃はイルサと同じ。
眼帯に覆われた彼の左目は昔、怪我をしたんだとか。
常に清潔な身なりだが、香水などは使っていないらしく、近づいたときふわりと香るのは洗濯のりくらいだ。
彼自身は自分のことを全く話さないが、その仕事に不満はない。
しかし、色々思うところがないわけではないけども。
ただ、これはレイに向けてというよりも、従兄に言いたいことである。
ともあれ、そんな彼は珍しくイルサに声をかけてきた。
「なんでしょうか」
いぶかしげに問う。
「誕生日おめでとうごさいます」
「――」
後ろでアンネが息をのむ気配がした。レイに他意はない。ないはずだ。
イルサはすこしだまってから、「ありがとう」といった。
そして、そのまま外にでる。
職場は王宮だ。イルサの家から、歩いて対して時間はかからない。
なので、イルサは毎日歩いていく。
歩きながらイルサは唇をかんだ。
(いやだいやだいやだ)
いやなことを思い出す。うしなったもの。言いそびれたこと。後悔。
――もう二度とあえないのに。
イルサの人生には二人の“レイ”がいる。
一人は先ほど別れた執事のレイ。
もう一人は、幼なじみのレイモンド・フォルード
レイモンド・フォルードは3年前に死んだ。
それはイルサの誕生日の出来事だった。
◇◇◇
「――イルサ。ちょっといいか」
イルサが仕事をしていると同僚に声をかけられた。
黒髪で屈強な青年。グレン・グレイスだった。
近衛騎士団に属するイルサは騎士ではない。各部隊に一人ずついる文官だ。
しかし、王立学校からの旧友であるグレンは騎士である。
二人の制服は似通っているが、イルサはグレンと違って剣を佩いていない。
「なんでしょうか、グレン」
「いや、たいしたことではないんだが」
グレンはイルサの手元をみていった。
今は貯まっていた報告書の確認をしていただけだ。
「どうぞ」
グレンに向き直ると、彼は少し肩をすくめてから、「調子はどうだ?」といった
「かわりないですが」
「新しい使用人は」
「レイ、ですか。特に問題ありません。――彼と面識が?」
言い方にひっかかり問うと、グレンは少し首をふった。
「一応、チェドリン宰相補佐が心配してたから。それだけだよ」
「そうですか」
彼のいうチェドリン宰相補佐はイルサの従兄のことだ。
グレンの属する第一部隊は王宮警護の総括であり、第二部隊は警護の実働、そして、イルサの属する第三部隊は女性王族の護衛を担当している。近衛は軍に所属するが、第一部隊に限っては王宮の予定と連動するため、予定を司る宰相補佐とのつながりが深く、実質彼の直轄ともいえる。
その副隊長であるグレンは王宮全体の動きに合わせて近衛を動かすための調整が仕事なので、イルサより宰相補佐に関わることが多いのだ。
「君がいいならいいんだけどね」
「――」
含みがある言い方にイルサは眉をひそめる
「――グレン、何か失礼なことを考えているのでは?」
「いや、そういうわけじゃ」
グレンはひっかかる言い方をしながら、一歩下がる。そして、
「じゃあ、俺は宰相補佐によばれているから!」
早足で去っていくグレンに胡乱な目を向けてから、イルサは肩をすくめた。
「あれーグレン君きてたの」
「きましたが意味が分かりませんでした」
イルサに声をかけたのは席を外していた上司のエレンナだった。
「めずらしーね、はっきりしっかりしてるのがグレン君なのに」
イルサはうなずく
おかしい。
そう、おかしいのだ。
ここ最近、従兄もグレンもおかしい。
それはレイが来てからだ。
「そんなことよりさー、ね!イルサちゃん!」
「なんでしょう」
「今日誕生日でしょう!いっしょにご飯しようよ。明日休みでしょ?私も休みだし、お酒のも!」
「――」
イルサは気安い上司の言葉にすこし考えてから是とうなずいた
「やった!イルサちゃんと飲める!ちょっと部内のみんなにも声かけてくるねぇ」
「小規模でお願いします」
「だいじょぶ、だいじょぶ、まかせて~」
イルサは元気にそういった上司にすこしほっとした。
これでいいのだ。
日常はどんどんそのときどきで形をかえる。
今をいきているのだ。
いろいろなものをなくしながら。
◇◇◇
誕生日会をする!と決めた上司はそのまま有能さを発揮し、王都でも有名な店の料理を調達してきた。
当日のことなのに見事手に入れることができたのはさすがとしか言えない。
近衛の女子寮の広間が解放され、みんなで飲み食い話す。
明日仕事がある者たちは既に席を外しているので、残ったものはみな自由気ままなものだった
女子寮、とはいうものの、そもそも女子が少ないので、大した広さではない。
テーブルに料理を並べ、飲み食いをすれば、自宅の居間のような安心感があった。
自宅には昼に使いを送って遅くなることは伝えてあるので、安心してゆっくりできる。
見事によっぱらいまみれになった広間をみながら、イルサはうつらうつらしていた。
(帰らないと……)
夕食はいらないといったが、泊まるとまでは言っていないのだ。アンネが心配するだろう。
(いや、アンネはあんまり心配しないかも……)
エレンナはイルサの家に来たことがあって、アンネもどんな人か分かっているし、王宮の女子寮にいるといってあるのだ。
帰らなくてもいいかな……。そう思い始めた時だった。
「ねー、イルサ」
一番騒いで飲んで、もう寝たと思っていたエレンナがイルサに声をかけた。
「なんでしょう」
「大丈夫?」
軟らかい声に、イルサは微笑んだ。
今日はなんだか、みんなに心配されてばかりだ。
「大丈夫ですよ。私は大丈夫です。だいぶ慣れてきました。色々なことに」
「そっか。誕生日なんて、うれしいだけの日にしたいよね。年々あんまり笑えなくなるけど」
「そうですね」
「私、あのね、そろそろここを去ることになるわ」
エレンナの言葉にイルサは笑みを浮かべた。
「おめでとうございます」
「ふふ、でもねまだ色々はっきりしてないのよ」
エレンナは笑みを含んだ声で言う。
地方領主で騎士を多く出す家系にうまれた彼女は結婚よりも仕事をもとめた。
貴族の家系に生まれた以上、それは家族の反発をまねく。
逃げようとして、逃げきれず。それもまぁ。いいかと思えるところまできたからいいの。とエレンナは言った。
ここにいるものはほぼみんな同じような人間だ。
「誕生日おめでとうイルサ」
「はい」
優しいエレンナの言葉に、イルサはきっと笑顔を返せていたはずだ。
誕生日は嫌いだけど、祝おうとしてくれる気持ちはとても嬉しい。
戦争のさなか、レイモンド・フォルードは死んだ。
隣国の将と一騎打ちのような形で、ともに死んだ。
その3日後、戦争は終戦となった。
3年前の今日は、イルサの誕生日で、レイモンドの死んだ日。
――誕生日おめでとうイルサ。多分、当日は言えないから先に言っておくよ。
レイモンドと話した最後の言葉だった。
どんなことを言ったレイモンドの表情を覚えている。
妙にうれしそうなその顔。そして、
――誕生日なんて、うれしいだけでいいのに
イルサの誕生日はうれしくないのだ。
むしろ大っ嫌いだ。一番気持ちが落ち込む、嫌な日だ。
「嫌いなんですか?」
うん。たんじょうびなんて、だいきらい。
「なんでですか?」
レイがいないから。
「レイがいないから嫌いなんですか」
そう。だいきらい。
――本人に伝えることができなかった言葉。
レイがすきだから。いないことをおもいだすから、きらい。
頭を撫でられた気がした。優しい手に頬を摺り寄せる。
低い笑い声。そうだ、この暖かさがほしかった。
そして、イルサは気づく。この手の持ち主は懐かしいにおいがする。
この匂いは、大好きなひとのにおいとおんなじだ。
「お休み、イルサ」
額に優しい感触。イルサはすこしくすぐったくて笑った。
◇◇◇
朝起きると自宅だった。
イルサは瞬きのあと、ベッドから勢い良くおきあがった。
「あら、お嬢様。おはようございます」
廊下に出るとアンネと出くわした。イルサの様子を見に来たらしい。
「アンネ、わ、私昨日?」
「そうそう、お嬢さまが今日は遅くなりますという話だったので、おまちしていたのですがなかなかお帰りにならず」
「ごめんなさい、私はそのまま――、いや、なんでここに?」
「お帰りにならないお嬢さまはきっと女子寮でお休みになられるのだろうから、明日迎えに行こうと思ったのですが、レイ様が確認するといって聞かず」
「え」
「女子寮まで聞きにいってくるといって出ていかれたら、そのままお嬢様を連れて帰ってきてしまわれたのです」
「……」
嫌な予感がした。予感というか記憶というか。
――たんじょうびだいきらい!
上司に泣きついていたが、途中からなんか。
「お嬢様?」
「い、いえ別に」
そういいながらもイルサは額を押さえて壁に手をつく。
たぶん、たぶん!何か余計なことを言ってしまったはずだ!なんでなんで!
はずかしすぎる!!
固まりこんだイルサにアンネは肩をすくめた。
「お嬢様、頭が痛いんですか?だめですよ。頭が痛くなるまで飲むなんて」
「おはようごさいます。イルサ様」
「お、おはようございます
はたして、レイは今日もそつなく食堂にいた。
イルサの顔をみた彼の表情はいつも通りのにこやかな笑み。何を考えているのか。わかるのは新聞にアイロンをかけていたらしいという状況だけ。
イルサはびくびくしながら彼の前に立ち、咳払いをした。
「昨日は、その、わざわざありがとうございます。迎えに来てくれたみたいで。それとあと……酔って変なこといっちゃったみたいで……ごめんなさい」
「はて」
イルサの絞り出すような声にレイは首を傾げた。
「私は特にイルサ様のおっしゃる“変なこと”に覚えはありません」
「………そ、そう?ならいいけど」
イルサはいたたまれず、席につく。
ぜったいうそ。
昨日声がわらっていたもの。彼の声を聞いたら確信してしまった。絶対彼に私は変なことを言ってしまった。
顔が赤くなるのがわかる。
――いやだいやだ落ち着かない。
レイがきて、色々助かることは多い。でも、正直とっても落ち着かない。
従兄が言い出した時は、きっと高齢の男性だと思ったのだ。
それなのに来てみれば、若い男性だなんて。
物腰穏やかで、外見も似てないはずなのに――どうしてもレイモンドを思い出してしまう。
髪の色も瞳の色も全然違うのに。
でも、気づいてしまったのだ。彼のにおいはレイモンドに似てる。
イルサはアンネが入れてくれた紅茶に口をつけ、小さくため息をついた。
レイはアイロンをかけ終わった新聞をイルサに渡してくる。
「ありがとう」
日常は変わっていく。
でも、まだ、これには慣れそうにはない。
「ありがとう」
イルサの朝は早い。
いつも同じ時間に起き、身支度をすませ、朝食をとる。
そして、決まった時間に出勤する。
「いってきます」
「お待ちくださいイルサ様」
今まさに玄関をでようとしているイルサを止めたのは従者だった。
彼の名をレイ、という。
イルサの家はイルサとレイとメイドのアンネの三人で住んでいる。
しかし、もともと一人暮らしを始めた3年前にはイルサとアンネの二人暮らしだった。
女二人暮らしでも問題はない。騎士ではないが、王宮の近衛騎士団で働くイルサの家は、高級住宅地にあり、常に警備員が見回っているので、治安がいいのだ。
イルサとしては、もし条件がよければもう一人くらい使用人を増やそうと思っていた。ただ、当てはないことと、急いでいなかったことから、積極的に探してはいなかった。
しかし、ほんの一月前、突然従兄がその状況に口を挟んだ。
――ちょうどいい人材がいるんだが、君さえよければ、雇わないか?
イルサは詳しく聞かずに了承した。
従兄は人がよく、また思慮深い。イルサとは複雑な関係であるがゆえに、気遣いをしてくれている。
なので、彼の推薦であれば問題ないだろうと思ったのだ。
そして、やってきたのがレイだった。
癖の強い黒髪に茶色の目。礼儀正しい彼の年の頃はイルサと同じ。
眼帯に覆われた彼の左目は昔、怪我をしたんだとか。
常に清潔な身なりだが、香水などは使っていないらしく、近づいたときふわりと香るのは洗濯のりくらいだ。
彼自身は自分のことを全く話さないが、その仕事に不満はない。
しかし、色々思うところがないわけではないけども。
ただ、これはレイに向けてというよりも、従兄に言いたいことである。
ともあれ、そんな彼は珍しくイルサに声をかけてきた。
「なんでしょうか」
いぶかしげに問う。
「誕生日おめでとうごさいます」
「――」
後ろでアンネが息をのむ気配がした。レイに他意はない。ないはずだ。
イルサはすこしだまってから、「ありがとう」といった。
そして、そのまま外にでる。
職場は王宮だ。イルサの家から、歩いて対して時間はかからない。
なので、イルサは毎日歩いていく。
歩きながらイルサは唇をかんだ。
(いやだいやだいやだ)
いやなことを思い出す。うしなったもの。言いそびれたこと。後悔。
――もう二度とあえないのに。
イルサの人生には二人の“レイ”がいる。
一人は先ほど別れた執事のレイ。
もう一人は、幼なじみのレイモンド・フォルード
レイモンド・フォルードは3年前に死んだ。
それはイルサの誕生日の出来事だった。
◇◇◇
「――イルサ。ちょっといいか」
イルサが仕事をしていると同僚に声をかけられた。
黒髪で屈強な青年。グレン・グレイスだった。
近衛騎士団に属するイルサは騎士ではない。各部隊に一人ずついる文官だ。
しかし、王立学校からの旧友であるグレンは騎士である。
二人の制服は似通っているが、イルサはグレンと違って剣を佩いていない。
「なんでしょうか、グレン」
「いや、たいしたことではないんだが」
グレンはイルサの手元をみていった。
今は貯まっていた報告書の確認をしていただけだ。
「どうぞ」
グレンに向き直ると、彼は少し肩をすくめてから、「調子はどうだ?」といった
「かわりないですが」
「新しい使用人は」
「レイ、ですか。特に問題ありません。――彼と面識が?」
言い方にひっかかり問うと、グレンは少し首をふった。
「一応、チェドリン宰相補佐が心配してたから。それだけだよ」
「そうですか」
彼のいうチェドリン宰相補佐はイルサの従兄のことだ。
グレンの属する第一部隊は王宮警護の総括であり、第二部隊は警護の実働、そして、イルサの属する第三部隊は女性王族の護衛を担当している。近衛は軍に所属するが、第一部隊に限っては王宮の予定と連動するため、予定を司る宰相補佐とのつながりが深く、実質彼の直轄ともいえる。
その副隊長であるグレンは王宮全体の動きに合わせて近衛を動かすための調整が仕事なので、イルサより宰相補佐に関わることが多いのだ。
「君がいいならいいんだけどね」
「――」
含みがある言い方にイルサは眉をひそめる
「――グレン、何か失礼なことを考えているのでは?」
「いや、そういうわけじゃ」
グレンはひっかかる言い方をしながら、一歩下がる。そして、
「じゃあ、俺は宰相補佐によばれているから!」
早足で去っていくグレンに胡乱な目を向けてから、イルサは肩をすくめた。
「あれーグレン君きてたの」
「きましたが意味が分かりませんでした」
イルサに声をかけたのは席を外していた上司のエレンナだった。
「めずらしーね、はっきりしっかりしてるのがグレン君なのに」
イルサはうなずく
おかしい。
そう、おかしいのだ。
ここ最近、従兄もグレンもおかしい。
それはレイが来てからだ。
「そんなことよりさー、ね!イルサちゃん!」
「なんでしょう」
「今日誕生日でしょう!いっしょにご飯しようよ。明日休みでしょ?私も休みだし、お酒のも!」
「――」
イルサは気安い上司の言葉にすこし考えてから是とうなずいた
「やった!イルサちゃんと飲める!ちょっと部内のみんなにも声かけてくるねぇ」
「小規模でお願いします」
「だいじょぶ、だいじょぶ、まかせて~」
イルサは元気にそういった上司にすこしほっとした。
これでいいのだ。
日常はどんどんそのときどきで形をかえる。
今をいきているのだ。
いろいろなものをなくしながら。
◇◇◇
誕生日会をする!と決めた上司はそのまま有能さを発揮し、王都でも有名な店の料理を調達してきた。
当日のことなのに見事手に入れることができたのはさすがとしか言えない。
近衛の女子寮の広間が解放され、みんなで飲み食い話す。
明日仕事がある者たちは既に席を外しているので、残ったものはみな自由気ままなものだった
女子寮、とはいうものの、そもそも女子が少ないので、大した広さではない。
テーブルに料理を並べ、飲み食いをすれば、自宅の居間のような安心感があった。
自宅には昼に使いを送って遅くなることは伝えてあるので、安心してゆっくりできる。
見事によっぱらいまみれになった広間をみながら、イルサはうつらうつらしていた。
(帰らないと……)
夕食はいらないといったが、泊まるとまでは言っていないのだ。アンネが心配するだろう。
(いや、アンネはあんまり心配しないかも……)
エレンナはイルサの家に来たことがあって、アンネもどんな人か分かっているし、王宮の女子寮にいるといってあるのだ。
帰らなくてもいいかな……。そう思い始めた時だった。
「ねー、イルサ」
一番騒いで飲んで、もう寝たと思っていたエレンナがイルサに声をかけた。
「なんでしょう」
「大丈夫?」
軟らかい声に、イルサは微笑んだ。
今日はなんだか、みんなに心配されてばかりだ。
「大丈夫ですよ。私は大丈夫です。だいぶ慣れてきました。色々なことに」
「そっか。誕生日なんて、うれしいだけの日にしたいよね。年々あんまり笑えなくなるけど」
「そうですね」
「私、あのね、そろそろここを去ることになるわ」
エレンナの言葉にイルサは笑みを浮かべた。
「おめでとうございます」
「ふふ、でもねまだ色々はっきりしてないのよ」
エレンナは笑みを含んだ声で言う。
地方領主で騎士を多く出す家系にうまれた彼女は結婚よりも仕事をもとめた。
貴族の家系に生まれた以上、それは家族の反発をまねく。
逃げようとして、逃げきれず。それもまぁ。いいかと思えるところまできたからいいの。とエレンナは言った。
ここにいるものはほぼみんな同じような人間だ。
「誕生日おめでとうイルサ」
「はい」
優しいエレンナの言葉に、イルサはきっと笑顔を返せていたはずだ。
誕生日は嫌いだけど、祝おうとしてくれる気持ちはとても嬉しい。
戦争のさなか、レイモンド・フォルードは死んだ。
隣国の将と一騎打ちのような形で、ともに死んだ。
その3日後、戦争は終戦となった。
3年前の今日は、イルサの誕生日で、レイモンドの死んだ日。
――誕生日おめでとうイルサ。多分、当日は言えないから先に言っておくよ。
レイモンドと話した最後の言葉だった。
どんなことを言ったレイモンドの表情を覚えている。
妙にうれしそうなその顔。そして、
――誕生日なんて、うれしいだけでいいのに
イルサの誕生日はうれしくないのだ。
むしろ大っ嫌いだ。一番気持ちが落ち込む、嫌な日だ。
「嫌いなんですか?」
うん。たんじょうびなんて、だいきらい。
「なんでですか?」
レイがいないから。
「レイがいないから嫌いなんですか」
そう。だいきらい。
――本人に伝えることができなかった言葉。
レイがすきだから。いないことをおもいだすから、きらい。
頭を撫でられた気がした。優しい手に頬を摺り寄せる。
低い笑い声。そうだ、この暖かさがほしかった。
そして、イルサは気づく。この手の持ち主は懐かしいにおいがする。
この匂いは、大好きなひとのにおいとおんなじだ。
「お休み、イルサ」
額に優しい感触。イルサはすこしくすぐったくて笑った。
◇◇◇
朝起きると自宅だった。
イルサは瞬きのあと、ベッドから勢い良くおきあがった。
「あら、お嬢様。おはようございます」
廊下に出るとアンネと出くわした。イルサの様子を見に来たらしい。
「アンネ、わ、私昨日?」
「そうそう、お嬢さまが今日は遅くなりますという話だったので、おまちしていたのですがなかなかお帰りにならず」
「ごめんなさい、私はそのまま――、いや、なんでここに?」
「お帰りにならないお嬢さまはきっと女子寮でお休みになられるのだろうから、明日迎えに行こうと思ったのですが、レイ様が確認するといって聞かず」
「え」
「女子寮まで聞きにいってくるといって出ていかれたら、そのままお嬢様を連れて帰ってきてしまわれたのです」
「……」
嫌な予感がした。予感というか記憶というか。
――たんじょうびだいきらい!
上司に泣きついていたが、途中からなんか。
「お嬢様?」
「い、いえ別に」
そういいながらもイルサは額を押さえて壁に手をつく。
たぶん、たぶん!何か余計なことを言ってしまったはずだ!なんでなんで!
はずかしすぎる!!
固まりこんだイルサにアンネは肩をすくめた。
「お嬢様、頭が痛いんですか?だめですよ。頭が痛くなるまで飲むなんて」
「おはようごさいます。イルサ様」
「お、おはようございます
はたして、レイは今日もそつなく食堂にいた。
イルサの顔をみた彼の表情はいつも通りのにこやかな笑み。何を考えているのか。わかるのは新聞にアイロンをかけていたらしいという状況だけ。
イルサはびくびくしながら彼の前に立ち、咳払いをした。
「昨日は、その、わざわざありがとうございます。迎えに来てくれたみたいで。それとあと……酔って変なこといっちゃったみたいで……ごめんなさい」
「はて」
イルサの絞り出すような声にレイは首を傾げた。
「私は特にイルサ様のおっしゃる“変なこと”に覚えはありません」
「………そ、そう?ならいいけど」
イルサはいたたまれず、席につく。
ぜったいうそ。
昨日声がわらっていたもの。彼の声を聞いたら確信してしまった。絶対彼に私は変なことを言ってしまった。
顔が赤くなるのがわかる。
――いやだいやだ落ち着かない。
レイがきて、色々助かることは多い。でも、正直とっても落ち着かない。
従兄が言い出した時は、きっと高齢の男性だと思ったのだ。
それなのに来てみれば、若い男性だなんて。
物腰穏やかで、外見も似てないはずなのに――どうしてもレイモンドを思い出してしまう。
髪の色も瞳の色も全然違うのに。
でも、気づいてしまったのだ。彼のにおいはレイモンドに似てる。
イルサはアンネが入れてくれた紅茶に口をつけ、小さくため息をついた。
レイはアイロンをかけ終わった新聞をイルサに渡してくる。
「ありがとう」
日常は変わっていく。
でも、まだ、これには慣れそうにはない。
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