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麗奈、妖精の鍵をもらう 1

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「帰りたいとは思わないから、謝らないでください。ただ、あちらで何とか自活できるようにしていただけると嬉しいです」


 単純かもしれないけど、勇翔と縁が切れるかもしれないと思ったら、生きる希望も湧いてきた。
 私が今まで培ってきた能力で、何とか仕事を得られるといいのだけど。
 誰かに養われて、誰かに頼って生きていくのは絶対に嫌だ。
 もう余計なしがらみに縛られず、自由に生きていきたい。


「それは、当然のことだよ! 資産家の一人娘だった君の寿命が尽きるまでに得られるはずだったものは、最低限でも補償したいし、せっかくだから、君の夢を叶える手伝いもしたい。何か希望はない? 遠慮しないで、やってみたいこととか、何でも言ってみて」


 神様が膝の上で向かい合わせに私を座らせて、笑顔で問いかけてくる。
 自分の望みを口にするのは慣れてない。けれど、遠慮は必要ないのだと、むしろ、遠慮してはいけないのだと伝わってきたから、今までは封じ込めていた想いを口にしてみることにした。


「まずは勇翔から逃げたい」

「うん。それは最優先事項だよ」

「逃げられたら、何か仕事をしたいです。ちゃんと、自分の力で生きていけるようになりたい。誰にも束縛されずに、自由に生きるの」


 監視されることも強制されることもなく、自分の好きに生きていけるなんて、考えるだけで心が躍る。
 好きな時に好きなところに出かけて、読みたいときに本を読んで、好きなように交友関係を広げる。
 お気に入りのお店を見つけたり、趣味に没頭したりすることもできるのかもしれない。
 今まで、それは決して許されないことだったから、考えるだけでもワクワクする。


「仕事は、どんな仕事がしたい? あぁ、君が渡る世界だけど、魔物がいる他はそれなりに文明も発達しているよ。今までの勇者たちが残した知識のおかげで、便利なものがたくさん発明されていて、街の中でなら安全に暮らせるし、街と街を繋ぐ列車に乗れば、魔物と遭遇することもなく旅行もできるんだ。街も、街を繋ぐ線路も強力な結界で守られているからね」


 魔物がいて、魔王が生まれる世界だから危険かと思っていたけれど、安全に生活することもできるのだとわかってホッとした。
 護身術を習おうとしたこともあったけど、『麗奈は俺が守るから必要ない』という勇翔の一言で習わせてもらえなかったから、私に戦う術はない。
 安全な世界を作ってくれた過去の勇者たちに感謝しなければ。

 今までとそう変わりない生活ができるのだとしたら、どんな仕事が私にできるだろう?
 ピアノとバレエは3歳の時から続けているけれど、プロになれるような資質は持ち合わせていない。
 茶道や華道に関しては、あちらにそういった文化があるのかどうかすらわからないし、仕事に結びつけるのは難しいだろう。
 となるとやっぱり、料理教室で培った料理の腕を生かすべきだろうか?
 私も女子高生の端くれなので、友達はいなくてもインスタ映えする料理やデザートを食べに行くこともあったし、自分で作ってみることもあった。
 料理教室で基礎から習っているので、それなりのレベルの料理が作れると思う。
 あちらの食文化がすごく発展していて、私の料理がありふれたものだとしても、飲食店で雇ってもらうことくらいはできるだろう。
 バイト一つしたことがないので、働くことに対しての不安はあるけれど。
 ティーブレンダーの資格取得にも興味があったけど、資格試験を受けることすら絶対に無理だと諦めていたから、お気に入りの紅茶専門店に通うだけで我慢していた。
 あちらで似たような資格があるのなら、頑張って取得できるだろうか?
 いっそ、茶葉を育てるような仕事に就くのもいいのかもしれない。


「ティーブレンダーという職業はないけれど、面白そうだからスキルを作ってあげる。茶葉を加工して、自分で好きなようにブレンドしたり、君の好きなフレーバーティーを作ったりできるスキルだよ。紅茶だけでなく、烏龍茶や緑茶、それから珈琲やココアも面倒な手間をかけることなくスキルで作れるようにして、有益な効能を持たせられるようにしようか。安眠効果だったり、疲労回復だったり毒を防ぐ効果だったり、付加価値があれば、とても役に立つだろうから。それで、カフェの経営でもするのはどう? お客さんの好みに合わせた茶葉を売る、お茶屋さんでもいいと思うけど。店を構えるのが面倒なら、商業ギルドに販売を委託することもできるよ」


 要望を口にしない内に思いがけない提案をされて、あまりの好待遇に驚いてしまう。
 私のためにスキルを作ってくれるなんて、いくら神様だからって大盤振る舞いしすぎのような気がする。
 私にしてみれば夢のような能力だけど、いいのかな?という不安が先に立つ。


「大丈夫、僕に任せなさい!」


 明るく言い切って、神様がいたずら気な表情でウィンクした。
 それだけでふわりと心が軽くなって安心してしまう。


「大体、君の生まれ育った家なら、カフェの一つや二つ、問題なく作れるだけの資産があったでしょ? だから、僕がスキルを作ってカフェ経営の手伝いをしたとしても、まだまだ補償分には足りないよ。もちろん、他の仕事がしたいのなら、それでもいいんだよ? 僕は一つでも多くの選択肢を君に与えたいだけだから。僕は君に何も強制しない。君は自由だ。これからは、好きなように生きていいんだ」


 励ますような力強い言葉に頷きを返すと、優しく頭を撫でられた。
 撫でられるのが心地よくて、もっととねだるように手に頭を摺り寄せてしまう。
 

「お茶を作ったりするのは、凄く楽しそうで、やりがいのある仕事になると思います。カフェの経営にも興味はあるんですけど、カフェを経営するということは、簡単に引っ越しができないということでもあります。必要な時に身動きが取りづらいのは、ちょっと不安です」


 今まで逃げることばかりを考えていたからか、自分の店を持つことに、身動きできなくなるような不安や息苦しさを感じる。
 勇翔が日本に帰ってしまえば、もう逃げる必要はなくなるのに、絶対に大丈夫だと実感できるまで、この強迫観念は私に付きまとうのだろう。


「向こうでは、簡単に引っ越しできるアイテムがあるから、何の心配もいらないよ。これを君にあげる」


 何もないところから、金色の凝った装飾の鍵を神様が取り出した。
 古い童話に出てくるような形の鍵で、持ち手のところにサファイアのような宝石がついている。
 この宝石は、神様の瞳と同じ色だ。


「これは『妖精の鍵』と呼ばれるアイテムなんだ。ダンジョンの宝箱から稀に出るからそれなりに流通しているけれど、妖精に好かれる性質の人でなければ使えない。瘴気に強い異世界人の周囲は清浄な空気で満ちているから、妖精には好かれやすいんだよ。それに善良だったり、心優しい人や誠実な人に妖精は惹かれるから、妖精の鍵の持ち主は、社会的信用も得やすいんだ。さっき話した列車にも、妖精の鍵の持ち主専用の車両が必ずあるんだよ」


 心優しく誠実でありたいと思うけれど、その通りに生きていられるのか自分ではわからない。
 妖精に嫌われたりしないだろうかと不安になりながら差し出された鍵を恐る恐る受け取り、神様に言われるがままに魔力を流すと、鍵の宝石が眩しい光を放った。
 魔力を流すという初めての経験に感想を抱く余裕もないほどに、放たれた光が眩しくも心地よくて、うっとりと目を閉じて受け入れた。


「妖精の鍵がここまでの光を放つのは珍しいね。妖精たちが、新たな鍵の持ち主に大歓迎だと伝えているよ。今の光は、鍵の持ち主として認められた証なんだ。鍵を持つに値しない人が手にすると、まったく反応しないし、時には鍵が真っ黒に染まってしまう。妖精の鍵を手にして、鍵全体が真っ黒に染まってしまうような人物は危険だから、近づかないようにしてね」


 妖精に認められた嬉しさで、思わず頬が緩む。
 宝物を持つように、妖精の鍵を両手で握った。
 それにしても、悪人判定もできるアイテムが出回っているなんて、凄い世界だ。


「鍵の使い方を説明するよ」


 そう言って神様は、細い腕で軽々と私を抱き上げた。
 私が幼児のように小さくなっているとはいえ、片腕だけで苦も無く抱いて、書斎の扉に向かって歩いていく。


「鍵穴がなくても、扉なら何でもいいんだ。扉のどの部分でもいいから、鍵を差し込むみたいに先端をあててみて」


 神様に子供抱っこされたまま、手にした鍵を扉にあてると、先端が吸い込まれるように扉に入っていった。
 驚きのあまり鍵を凝視していると、神様がおかしそうに笑いだす。


「鍵を右に回してから引き抜いて。そうすると、この扉の向こうが君だけの部屋に早変わりするから」


 鍵を右に回すと、カチッと軽い音がした。
 鍵を引き抜いて、神様に促されるままにドアノブに手をかけて扉を開ける。
 

「わぁ……。広いけど、真っ白……」


 扉の向こうは、床も壁も天井も真っ白い部屋が広がっていた。奥にもう一つ扉があって、その扉も白いので、金色のドアノブがなければ扉だと気づかなかったかもしれない。


「初めて鍵を使う時に、何も想像せずに鍵を使うとこうなるんだ。壁や床、天井の色は、鍵を使う時にイメージすれば、その通りに設定されるようになってる。部屋の設定をした後、好きなように家具を置いて、自分の家や店を作り上げていくんだよ。妖精の鍵は、どこにでも部屋や店を持ち歩くためのアイテムなんだ。許可しなければ誰も入ってこれないから、旅先でも安心して休むことができると、女性の冒険者の間でも重宝されているようだよ。お店として使うときは、外観に凝ることができないという欠点があるけど、妖精の鍵を使われている間は建物が劣化しないし強度も上がるから、店舗用の建物を安く借りたりできるんだ」


 説明されればされるほどに、この鍵の便利さに驚かされる。
 妖精が鍵の持ち主を選ぶのも、鍵を悪用されないようになのだろう。
 この鍵を使って犯罪者などに立て籠もられたら、誰も捕まえられなくなる。
 

「……あれ? もしかして、この鍵で、勇翔から逃げられる?」


 食糧問題さえ何とかなれば、勇翔が日本に帰るまでこの部屋に引きこもっていれば、絶対に私を見つけることができないはずだ。
 そうするためには、この部屋を住めるように整えて、食料の備蓄もしないといけないけれど。


「逃げられるだろうね。でも、その方法はあまりお勧めできないな。彼の執着が妄執になってしまうと、生まれ変わって君のいるところにまた転生しそうだから。それにね、逃げるから追うんだよ。辛いかもしれないけれど、逃げずに対峙することも必要なんだ。あぁ、もちろん、説得する必要はないよ。彼に話が通じないのはわかってる。でも、周囲にはっきりと伝わるように、拒絶することは大事だ」


 神様の言葉が正しいのはわかるけれど、勇翔と対峙するのは怖い。
 何を言っても何をしても、今までみんなが勇翔の味方をして私の言葉は聞いてもらえなかったし、小さな頃に勇翔とケンカするたびに母に叱られて、躾と称して暴力を振るわれたこともトラウマになっている。
 幼い頃は、母に愛されたいと願っていた。
 だから、勇翔とケンカをしたり勇翔に逆らうと母に嫌われるのだとわかってからは、できるだけ勇翔のいうことを聞くようにした。
 母に愛されることを諦めてからは、勇翔の言いなりになるのはやめたけれど、勇翔に反発する私に対する周囲の目は冷たく厳しいものだった。
 勇翔に大事にされているのをいいことに、我儘すぎると非難されることもあった。
 異世界で、勇者として崇められるに違いない勇翔に逆らうのは怖い。
 勇翔がただの学生だった今までよりもひどいことになるのではないかと思うと、不安で押しつぶされそうになる。


「大丈夫。絶対に同じことにはならない。だって今度は、神に愛されているのは彼ではなく君なんだから。ちゃんと周囲の人に伝わるように、自分の気持ちを言葉にして、味方を作るんだ。彼がいなくなった後も、君は一人で生きていかなければならないんだから、味方は多い方がいい。君は優しい子だ。だから、心を開けば親しくなれる人もたくさんいるよ」


 不安でいっぱいの心を神様が救い上げてくれる。
 私のためを思っての言葉だとわかるから、不安には思っても受け入れられた。
 トラウマというのは簡単に消えるものではないし、克服できるものでもない。
 けれど、神様が味方なんだから大丈夫だと信じられる。
 怖いと思うことは止められないけど、きっと頑張れる。


「頑張ってみます。……私はずっと、友達が欲しかった。本音を話しても、受け止めてくれる人が欲しかった。すべてを肯定されなくていい、間違ってるときは指摘してくれていい。ただ頭ごなしに否定せずに話を聞いてほしかった。友達と学校帰りに遊びに行ったりしたかった。お昼に一緒にお弁当を食べて、休みの日の予定を相談したりしてみたかったし、放課後に友達と寄り道をしてみたかった。これからでも、間に合いますか? 私が頑張って心を開けば、応えてくれる人がいるのかなぁ?」


 頑張れば、常々羨ましく見ているだけだった極当たり前の女子高生の日常を、私も手に入れることができるのだろうか?
 もう学校に通うことはないだろうけど、少女らしく一緒に過ごせる友達ができたらいいのにな。


「まだ間に合うよ。君はたった17年しか生きていないんだから、これからいくらでも取り戻せる。僕だってずっと見守っているからね」


 額に、祝福のような優しいキスをされて、目を閉じながら頷いた。
 神様に見守られているのは心強い。
 怖くて不安で逃げたくなっても、きっと踏みとどまれるはずだ。


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