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麗奈、妹になる

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「レーナ様。こちらの妖精の鍵を主神様から預かっております。普段から寝室に妖精の鍵を使っておけば、安心してお休みになれるだろうと、レーナ様を心配して主神様が用意してくださったものです。どうぞ、お受け取りください」


 ビロードの台に乗せられた妖精の鍵を、王妃様の手で恭しく差し出された。
 妖精の鍵は、こういった扱いが当然の特別な品ということなのだろう。
 新たに神様が与えてくださった妖精の鍵には琥珀色の大きな宝石がついていて、鍵を手に持って魔力を流すと、神様に初めて妖精の鍵をもらった時のように眩しい光を放った。


「マサキ様も妖精に愛されておりましたけれど、レーナ様もとても愛されていますね。私も妖精の鍵を持っていますが、これほどの品を見たのは初めてです。主神様がレーナ様のために自ら用意したものですから、特別製なのでしょう。レーナ様は、アイテムボックスは使えますか? 身を守るための大事な鍵ですから、アイテムボックスに入れて、常に持ち歩くようになさってください」


 神様に頼まれた鍵を私に渡せたことで、王妃様は安堵したようだ。
 食後のお茶を飲みながら、ホッと息をついていた。
 私は王妃様にアイテムボックスの使い方を習って、その中に妖精の鍵をいれたり、取り出したりと練習してみた。
 アイテムボックスの入り口がわかるわけではないけれど、入れたいと思えばどこからでも入り、出したいと思えば、出したい場所に出せるようだ。
 すぐにテーブルの上や手のひらなど、意図したところに鍵を取り出せるようになった。
 ふと気が付くと、それを微笑ましげに観察されていて、もしかしたら、こちらの世界ではアイテムボックスが使えるようになったばかりの子供がよくやるようなことなのではないかと思い至って、恥ずかしくなってしまう。
 熱くなった頬は意識しないようにして、誤魔化すようにティーカップを手に取った。
 アイテムボックスの中に知らない間に色々と入れられていることに気づいたけれど、アイテムボックスや妖精の鍵の検証は、また後でいいだろう。
 忙しい王妃様と、次にゆっくりお話しできるのがいつになるのかわからないのだから。


「鍵を渡すためにお時間を作ってくださったんですね。ありがとうございました。王妃様は毎日執務で忙しいと伺っています。貴重な時間を私のために浪費させてしまって、申し訳ないです」


 卑屈なのはよくない、そう思うけれど、感謝の気持ちと同時に申し訳ない、そんな気持ちも沸き起こってしまう。
 だって私は、何一つ役に立たないただの一般人だから。
 母の実家は元は華族だった歴史のある家柄だけど、そんなこと、こちらの人は知りようがないことだし、そうなると身分制度がある世界で私はただの平民だ。
 神様が見守っていてくれるとはいっても、王妃様経由で鍵を渡すくらいだから直接干渉できないのかもしれないし、この世界で実際に私を守ってくれるのは王妃様のご好意だけだ。


「浪費ではありませんわ。レーナ様と逢って、お話しするのを私は楽しみにしていました。どうか、私のことはアレクシアと呼んでください。主神様の大きな愛には敵いませんけれど、レーナ様を我が子とも思い、愛したいと思っているのです」


 王妃様が席を立ち、私の横に移動して膝をついた。
 慌てて立ち上がってもらおうとするけれど、王妃様は膝をついたまま、嫋やかな手で私の両手を取った。 
 翡翠色の目でまっすぐに見つめられて、さっきの言葉が王妃様の心からの言葉だと伝わってくる。


「私が勇者召喚に気づいていたら、それを止めることができていたら、レーナ様に苦労を掛けることもありませんでした。私は、レーナ様から平穏な生活を奪った国の王妃です。本来ならば、罵られ嫌われても仕方のない立場なのです。それなのにレーナ様は、罵るどころか感謝してくださいました。私は当たり前のことをしただけですのに、お礼の言葉をくださいました」

「召喚に巻き込んだのは勇翔です。私の手をきつく握って、離そうとしなかったから巻き込まれたんです。神様が、今までの勇者たちは、巻き込まれそうになった人がいたら、絶対に巻き込まないように魔法陣から追い出していたと言っていました。だから、王妃様……アレクシア様が気に病むことはありません。それに、私の日本での生活は、あまり幸せなものではありませんでした。だから、日本に戻れないこと自体は、どうでもいいんです。神様のおかげで、こちらで生きていく覚悟はできています」


 アレクシア様の手を握り返し、偽りのない本音だと伝わるように、しっかりと視線を合わせた。
 私のことを神様から聞かされていたのか、私の言葉に驚いた様子はなく、ただ静かに見守るように見つめられて、心が凪いでいく。


「それでも、お詫びさせてください。貴女の人生を大きく狂わせてしまったこと、心から申し訳なく思います。私にできる限りの力添えをお約束いたします。私を母と思って、母に甘えるように何なりと仰ってください」


 実の母にも甘えたことがないから、どんな風に甘えればいいのかわからないけれど、アレクシア様の気持ちはとても嬉しい。
 言葉にならず、ただ頷きを返すと、不意に食堂の扉が開いて誰かが入ってきた。


「それならば、私は兄ですね。エヴァリスト・ヴィア・フルクバルトと申します。母と同じく、私もできる限りの力で貴女を庇護すると、お約束します」


 アレクシア様によく似た黒髪の凛々しい風貌をした青年が、左手を胸に当てて、略式の礼をした。
 背が高く、細身にも見えるけれど鍛えていることが分かる体つきで、一国の王子らしい風格を持ち合わせた人だ。
 この人が、サーシャさんの乳兄弟でもある王子様なのだろうと、名を聞かなくても一目でわかったに違いない。
 それくらい、特別な存在感のある人だった。
 

「ノックもせずに入って来るなんて、失礼ですよ、エヴァ」


 王妃様に咎められても悪びれることもなく、エヴァリスト様は給仕の人にお茶を頼んでいる。
 どうやら食事は済ませてから来ているようだ。


「無作法はお詫びします。ですが、母上も酷いですよ。私のことも食事に呼んでくださったらよかったのに。私がどれだけ『可愛い』妹を欲していたか、母上はよくご存じではないですか」


 私の隣の椅子を、わざわざ私の椅子に寄せてから近い距離で座ったエヴァリスト様は、拗ねたようにアレクシア様に訴えた。
 可愛いというところに、やけに力が入っていたような気がする。
 でも私は、あまり可愛いタイプではないのだけど。


「シルヴィアーナを毛嫌いしているから、姉妹はいらないものかと思っていたわ」


 アレクシア様の面白がっているような表情が、口にした言葉を裏切っている。
 どうやら、息子をからかって遊んでいるようだ。


「アレとは、半分とはいえ血が繋がっているというのが、嫌でたまりませんから。アレとレーナ嬢は全く違います」


 エヴァリスト様がアレと呼んでいるのは、異母姉である王女のことなのだろう。
 表情や口調から、毛嫌いどころか嫌悪しているのが伝わってくる。


「あの、私のこと、家族のように思ってくださるのでしたら、レーナと呼び捨ててください」


 本当の名前は麗奈だけど、こちらの人には発音し辛いみたいだし、レーナと呼ばれるのは新しい名前をもらったみたいで嬉しい。
 元々、麗子という母の名前から一文字もらった自分の名前が、母の付属物だと言われているようで私は大嫌いだった。


「じゃあ、私のことはエヴァでいいよ。これからよろしくね、レーナ」


 生まれながらの王子様だけあって如何にも貴公子といった風情なのに、エヴァリスト様は表情豊かで、心底嬉しいといった表情でまっすぐに私を見るから、つられたように嬉しくなってしまう。
 王になるための教育を受けた人だから、多分腹芸などもできるんだろうけど、そういったことを伺わせない、好もしい態度だ。


「こちらこそよろしくお願いします。エヴァお兄様」


 要望通りお兄様と呼ぶと、照れを滲ませた表情で嬉しそうに微笑まれた。
 凛々しい美人のアレクシア様によく似た美形だから、笑顔の破壊力がすごい。
 いつもだったら、社交辞令なんじゃないだろうかとか、勇翔に好意的に見てもらうためなんじゃないだろうかとか、用心して裏を読もうとしてしまって、素直に好意を受け入れられなかったけれど、そんなことを考えずに受け入れられるのが嬉しい。

 まだ幼かった頃、『勇翔が大事にしているから、仕方なく社交辞令で挨拶しただけなのに、真に受けて図々しい』と罵られたことがあって、好意的な言葉も誉め言葉も、聞き流すようになってしまった。
 そのせいで、誉め言葉も素直に受け取れない可愛げのない娘と言われるようになって、勇翔に目をかけて可愛がっている大人世代の人には余計に嫌われた。
 中には娘婿にと勇翔のことを欲しがっている人もいて、そうした人たちにとっては、私は邪魔者でしかない。
 だから、些細なことでもねちねちと嫌味を言われて、人目のあるところでわざと貶められることもあった。
 そういったときに勇翔が一緒にいても、『いつも優しい〇〇さんを怒らせるなんて、麗奈が悪い。目上の人に対する礼儀はきちんとしなければならないよ』と、私を窘めるだけで、決して味方にはなってくれなかった。
 そうなると事情を知らない周囲の人も、勇翔は礼儀正しい好人物で、私は礼儀も知らない小娘という印象を持つようになる。
 そんな悪循環が積み重なって、私の評判は悪くなるばかりだった。
 その結果、政略結婚にも使えず、評判の悪い私に父は見切りをつけて、一人っ子だったのに後継者からは外された。
 理不尽だと思っても声を上げることも反論することもできない。その辛さを理解してくれる人は、今まで誰もいなかった。
 

「レーナ、どうかした? 何か憂いごとでもある?」


 私の表情が暗く翳っていたのか、心配そうに顔を覗き込まれた。
 知らず俯いていた顔を上げると、アレクシア様もよく似た表情で私を見つめている。


「――家族のようにって言われて、それを素直に受け取れたことが、嬉しかったんです。今までは似たようなことを言われても、社交辞令だと受け流さなければ、後で辛い思いをするだけだったので……」


 楽しい話ではないから、誤魔化してしまおうかとも思った。
 けれど隠し事はよくない気がして、過去の傷を言葉にした。


「王族が、社交辞令で家族のようになんて言わないよ。私たちは、自分の言葉の重みを知っているからね。些細な言葉一つで、人の人生を大きく狂わしてしまうこともあるんだ。感情に任せて言葉を発することはしないようにしているよ」

 
 王族として生まれ育ってきた、人生の重みを感じさせる言葉だった。
 さっき顔を合わせたばかりで、まだほとんどエヴァお兄様のことを知らないけれど、信じても大丈夫だと思えた。
 本音で話していい、心を許せる人がここにいる。


「まぁ、家族や友人相手には、八つ当たりをしたり我儘を言ったりもするけどね。幸いなことに私は友人にも恵まれていて、私的な場では遠慮なく叱りつけてくる友人や、拳で語り合える幼馴染がいるんだよ。レーナにも早く紹介したいな。私にも可愛い妹ができたのだと、あいつらに自慢してやりたい」


 沈みそうになっていた気持ちが、簡単に浮上していく。
 妹だと言われたことが嬉しくて、泣いてしまいそうになった。


「私もいますよ、レーナ。いっそ本当に養子縁組をしてしまいたいけれど、それをしないのは、レーナの自由を妨げないためです。世界中を見て回って、レーナに好きなように生きてほしいというのが、主神様のお望みですから」


 アレクシア様に優しく髪を撫でられて、胸がいっぱいになってしまう。
 大人の女性にこんなに優しく触れられたことは、今まで一度もない。
 今までとの違いに気づくことで、この先、これまでとは全く違った人生が歩めるのだと実感することができた。
 過去を思い出して悲しくなることは、きっと少しずつなくなっていくのだろう。
 今までと違って、私には心強い味方がいるのだから。
 その筆頭は、私にたくさんのものを与えてくれた神様だ。
 主神様と呼ばれているし、他に神様がいることも知っているけれど、でも、私の神様はあの少年の姿をした優しい神様だけだ。
 だから私は主神様とは呼ばずに、ずっと神様と呼び続ける。
 今後、幾度となく神様に感謝しながら、私は生きていくことになるのだろう。


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