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第一部

第一話 蜘蛛(4)

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「実に面白い綺譚が聞けたよ。わたしは満足だね」

「事件が解決してねえじゃねえか」

「わたしは探偵じゃないよ。さあ、部屋に戻るとしよう」


 ルナは歩き出した。ズデンカはすぐ後ろに続いた。


「いや、こっちはおさまらねえぜ」

「君が興味があるんだったら、明日はリーザの夫に聞いてみるとしよう」

「そりゃそうだ。決着のない話があってたまるもんか」

「決着がつかないお話の方が面白いんだよ。人生だってそんなもんだろ」


 ルナは笑った。


「また、とぼける」

「さて、今夜のベッドメイクは寝心地良くやってくれるのだろうね」

「お前……」


 ズデンカは呆れた。


 

「はい、リーザはだんだんおかしくなっていきました。それは町長さんも言ったとおりです」


 言葉少なながら、木訥に靴屋は答えた。


「ここ一週間ばかり、ろくに食事も作らなくなって」

「リーザの飯はいつもまずいですよ」


 居合わせた野次馬たちが言った。


「ほう。オットーさんの家で、他の人が食事することがあったんですね」

「評判の良い靴屋ですよ。人を招いて食事することなんてしょっちゅうです。町長さんだって来てましたさ」

「全部リーザさんが作っていたのですか?」


 と訊くルナ。

 ズデンカは目をつぶり腕を組んでいた。昨日の話を思い返すかのように。


「当たり前でしょう。食事は妻が作るものと決まってますからね。わたしらだって家で持てなすときは女房がちゃんと用意しますさ」

「偉人に毎日料理を作っていた人の名前は歴史には残らない。でも、それはなくてはならない行いのはずでは」

「わたしら男は単純ですからね。料理なんざ細やかなことは女の専売特許なんでさあ」


 野次馬たちは笑った。


「なるほど。じゃあマルタさんはどんな方だったんですか?」


 ルナはめんどくさそうだった。


「マルタは母親に似て大人しい娘でした」


 オットーは答えた。


「リーザさんに虐待されているってご存じでしたか?」


 オットーはしばらく呆気にとられた顔をした。 


「何か二人の間であったとは知っていました。ですが、そこまで詳しく知りませんでした。今初めて訊かされましたほどで」


「へえ、ずいぶん他人事なんですね」

「オットーは本当に腕の良い職人なんです。こいつなしでは町がやっていけません。ペルッツさまが偉大な方だとは重々存じ上げていますが、負担を掛けるようなことは言わないでやってくれませんか!」


 と、言うようなことを代わる代わる野次馬連中が叫んだ。


「そうですか。ほんとうにオットーさんは物静かな方だ」


 明らかに皮肉を込めてルナは言った。


「職人とはそういうものですよ。喋るなんて野暮です。仕事さえちゃんとすればいいんだ」


 野次馬たちは何としてもオットーを守るようだ。


「でも、リーザさんとの間ではどうだったんです。わたしは知りませんが夫婦はもっと会話をしているものでは」

「いえ、結婚以来、俺とリーザが話をすることは……あまりありませんでした」


 オットーはそれだけ答えて黙った。


 「なるほど」


 ルナのモノクルが光った。


 「マルタもね、母親をどこか恐がっていたんですよ」


 町長は言い張った。


「やけにマルタさんのことをご存じなんですね」

「お聞きではありませんでしたか、家に何度か行ったのでね。あんな、不気味な女と暮らしていたら、そりゃどこかおかしくなりますよ。オットーもさっさと離縁して家から出していれば、あんなことにならずに済んだんだ」

「一度二人の家に伺わせて頂いてもよろしいですか」

 「何も見つからないと思いますけどね」


 町長は溜息を吐いた。
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