月(ルナ)は笑う――幻想怪奇蒐集譚

浦出卓郎

文字の大きさ
9 / 541
第一部

第一話 蜘蛛(9)いちゃこらタイム

しおりを挟む
オルランド公国南端エンヒェンブルグ――



「おい、ルナ!」


 シャワー室の磨りガラスが嵌められた扉をノックする音。

 何度も繰り返されるが返事はない。


 激しく扉が蹴破られ、ズデンカは中へ躍り込む。


「こりゃ、また弁償だな。って、おい、ルナ」


 ルナが突っ立ったまま青い顔になって、天井に設置された鉄の管に開いた穴から流れるシャワーの滴りを見つめていた。


「いきなりどうした? 固まって」


 撒かれる水に打たれるまま、ルナは返事がなかった。目はうつろになっていた。傍目からわかるほど震え、怯えていることが分かった。


「あ……君か」

「何が『あ』だ! どうしたんだよ。水、冷たいんじゃないのか?」


 ズデンカは水滴を手で受けたが、その肌は熱さや冷たさを感じ取ることができない。ただ、ルナの唇の色と全身が震えていることから判断したまでだ。


 急いで蛇口を捻り、水の流出を止める。


「お前ら生身の人間は……風……邪引いちまうだろ。肺炎、だったか? になったらどうする」


 と言いながら掛けてあったタオルでルナをくるみ、外へと連れ出した。


「せっかく設備の整っているホテルにしたのに、こんなざまじゃ元が取れねえ。さあ、暖炉に当たれ」


 ズデンカはタオルを足してルナをグルグル巻きにした。


 ルナはなかなか答えなかった。ズデンカは不安になり、あたりを見回した。


 ルナと一年近く旅をしているズデンカだったが、いつも強気なルナがこんな状態になったことは初めてだった。まあ、ズデンカにとって一年などあっという間だが。


「やっぱり、風邪を引いたのかも知れないな」


「そんなんじゃないよ」


 タオルにくるまったルナが答えた。その声は弱々しかった。


「何かあったんだろ? 教えろ」


 髪を綺麗に拭いてやりながらズデンカは訊いた。


「大したことじゃない」

「じゃない、じゃないって、そればっかだな!」


 ズデンカの声はわずかに潤んでいた。


「涙もろいな、君は」


 軽口を叩ける程度は余裕が戻ってきたのか、ルナは言った。


「過去に何かあったんだろ?」


 ズデンカはぽつりと言った。


「言いたくないんだ」

「あたしにもか」

「君は、わたしの何だっけ?」


 珍しくルナは顔を伏せていた。


「さあ、なんだろうな。家族でも友達でもない。ただ旅してる相手だ」

「なら、言う義理はない」


 ルナは強情だった。


「言わないならいい」


 ズデンカは黙った。二人はしばらくの間黙っていた。


「……抱きしめて」


「は?」


 ズデンカは驚いてルナに振り返った。いきなり何を言い出すのだと思ったからだ。


「二度は言わない」


 ズデンカは無言でルナに近づき、両腕を広げてタオルごと覆った。


「これで……いいのか」

「ありがと」

「怖かったんだろ」


「ちょっとね」

「ちょっと、じゃねえだろ」

「うん」

「やっぱり」


 ズデンカの長いウェーブする黒髪はルナの顔をすっかり隠していた。


「息苦しい」

「そうか」


 ズデンカは退けなかった。


「もういいだろ。ちょっとやって貰いたかっただけなんだ」

「いや、ルナはもっとこうしたがってる」

「そんなこと……」


「あたしには言えないけど、昔怖いことあったのを思い出したんだろ。抱きしめてもらいたいんだろ、なら、そうしてやるよ」

「……」


 ルナは何も言わなかった。


「お前の言う通り、人は誰もが他人の人生の傍観者だ。あたしは人なのかも分からないけどな。お前のことは何もわかんねえよ。でも苦しいなら、あたしがこうしておいてやろう」


 ルナは黙って俯いたままでいた。

 何も言わないまま二人はそうやって過ごした。ときおりズデンカは、


「寒くないか」


 とルナの耳元で囁く。


「むしろ暑いぐらいだ。バスローブが欲しい」

「あたしが着換えさせてやるよ」

「いい。自分でする」


 だが、なかなかズデンカはルナを離そうとしなかった。


「まだ身体が凍えてる」

「……」


 沈黙が続いた。ズデンカはいつしかルナが寝息を立てていることに気付いた。

 名残惜しく身を離し、自分のベッドにあったものも剥ぎ取り二重にした毛布を掛ける。


「明日は軍事パレードか。まったく金ばかりかけやがる」


 暖炉の炎を見つめながらその熱さを感じ取ることの出来ないズデンカは、皮肉屋のルナならパレードで雇用が発生するなら御の字じゃないか、と言うだろうと思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! 仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。 カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

MP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

リーマンショックで社会の底辺に落ちたオレが、国王に転生した異世界で、経済の知識を活かして富国強兵する、冒険コメディ

のらねこま(駒田 朗)
ファンタジー
 リーマンショックで会社が倒産し、コンビニのバイトでなんとか今まで生きながらえてきた俺。いつものように眠りについた俺が目覚めた場所は異世界だった。俺は中世時代の若き国王アルフレッドとして目が覚めたのだ。ここは斜陽国家のアルカナ王国。産業は衰退し、国家財政は火の車。国外では敵対国家による侵略の危機にさらされ、国内では政権転覆を企む貴族から命を狙われる。  目覚めてすぐに俺の目の前に現れたのは、金髪美少女の妹姫キャサリン。天使のような姿に反して、実はとんでもなく騒がしいS属性の妹だった。やがて脳筋女戦士のレイラ、エルフ、すけべなドワーフも登場。そんな連中とバカ騒ぎしつつも、俺は魔法を習得し、内政を立て直し、徐々に無双国家への道を突き進むのだった。

第1王子だった私は、弟に殺され、アンデットになってしまった

竹桜
ファンタジー
第1王子だった主人公は、王になりたい弟に後ろから刺され、死んでしまった。 だが、主人公は、アンデットになってしまったのだ。 主人公は、生きるために、ダンジョンを出ることを決心し、ダンジョンをクリアするために、下に向かって降りはじめた。 そして、ダンジョンをクリアした主人公は、突然意識を失った。 次に気がつくと、伝説の魔物、シャドーナイトになっていたのだ。 これは、アンデットになってしまった主人公が、人間では無い者達と幸せになる物語。

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

処理中です...