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第一部
第二話 タイコたたきの夢(9)いちゃこらタイム
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オルランド公国南西国境付近――
「君はまだ怒ってるね」
幌を外した馬車の客席からルナが声をかける。
「怒ってるさ」
ズデンカは御者台に坐り、背中を向けたまま言った。
「理由が分からない。急に行き先を決めたりなんて日常茶飯事だから、それで怒ってるわけじゃないだろ?」
「……お前があの、アデーレって好きでもない女にだな」
「ほうほう」
「色目を使ったことだよ!」
ズデンカの声はまた震えた。怒りや悲しみではなく羞恥の色合いが籠もっていた。
「なーんだ。娼婦や酒場の女はお金のために客の男に使いたくもない色目を使うんじゃないか。わたしはお金に困らず、男にもアデーレにも興味ないけど、目的のために同じことをしたまでだよ」
「お前にそんなことして貰いたくなかった。だいたい気色が悪い」
「わたしの柄に合わないってことかな?」
ルナは不思議そうに言った。
「いや、なんかあたしの中で収まりがつかないだけだ。言葉にはしにくいな」
「ふーん」
「そもそも、男に色目を使うこと自体あたしは嫌いだしな」
「わかるよ、君らしい」
「なんでだよ」
「じゃあ逆に、わたしに男に色目を使って欲しいのかい」
「嫌だよ。なんでそんなこと言うんだ!」
ズデンカの声が沈んでいた。
「君は不思議だな」
ルナは理解していないようだった。
「お前が不思議なんだよ」
「そうかなあ」
「……」
ズデンカは黙っていた。
「詩は書けた?」
ルナは話題を変えた。
「書ける訳ねえよ。最近お前の面倒見るので精一杯だったからな」
「そうなんだ。わたしは君の詩がたまに読みたくなる」
「たまにかよ」
そう吐き捨てたズデンカだったが何やら嬉しそうだった。
「本にでもしてみたらいいじゃないか。詩人として名前が知られるようになるかも知れないよ」
「あたしの書いた詩なんで誰も読まねえよ……それに」
「それに、なんだい?」
ルナは興味津々だった。
「恥ずかしい」
ぼそっとズデンカは言った。
「自分のためだけの一冊の本にしてみるのもいいだろう」
「なら紙に書いたままでいい」
「ハンス君の音楽みたく、詩で名を立てることを目指しては?」
「詩で食っていけるやつなんていねえよ。できたとして、あたしはやる気ねえが」
「もったいないな」
「ルナは残酷なやつだよ。ハンスだって後で食っていけるかわかんねえのに。捕まるかも知れねえし」
早い話ズデンカは心配していたのだ。
「そうだね。わたしは残酷だ」
ときどき小石を車輪で蹴飛ばしながら、馬車は進んだ。
二人はしばらく会話をしなかった。
「馬車、止めてよ」
もうすっかり夜だった。空にかかった月は半分になっていた。
馬車は静かに止まる。
「なんだよ」
そう言ったズデンカに覆い被さるようにルナが立った。御者台へ身を乗り出したのだ。
絹の黒マントが翻る。
ルナは指先を差し出していた。ナイフで切られ、赤い血が流れている。
「労いだ」
「気取ってるぜ」
月光を頼りに、ズデンカは跪くように身を屈め、ルナの指に口を寄せ啜った。
「君はまだ怒ってるね」
幌を外した馬車の客席からルナが声をかける。
「怒ってるさ」
ズデンカは御者台に坐り、背中を向けたまま言った。
「理由が分からない。急に行き先を決めたりなんて日常茶飯事だから、それで怒ってるわけじゃないだろ?」
「……お前があの、アデーレって好きでもない女にだな」
「ほうほう」
「色目を使ったことだよ!」
ズデンカの声はまた震えた。怒りや悲しみではなく羞恥の色合いが籠もっていた。
「なーんだ。娼婦や酒場の女はお金のために客の男に使いたくもない色目を使うんじゃないか。わたしはお金に困らず、男にもアデーレにも興味ないけど、目的のために同じことをしたまでだよ」
「お前にそんなことして貰いたくなかった。だいたい気色が悪い」
「わたしの柄に合わないってことかな?」
ルナは不思議そうに言った。
「いや、なんかあたしの中で収まりがつかないだけだ。言葉にはしにくいな」
「ふーん」
「そもそも、男に色目を使うこと自体あたしは嫌いだしな」
「わかるよ、君らしい」
「なんでだよ」
「じゃあ逆に、わたしに男に色目を使って欲しいのかい」
「嫌だよ。なんでそんなこと言うんだ!」
ズデンカの声が沈んでいた。
「君は不思議だな」
ルナは理解していないようだった。
「お前が不思議なんだよ」
「そうかなあ」
「……」
ズデンカは黙っていた。
「詩は書けた?」
ルナは話題を変えた。
「書ける訳ねえよ。最近お前の面倒見るので精一杯だったからな」
「そうなんだ。わたしは君の詩がたまに読みたくなる」
「たまにかよ」
そう吐き捨てたズデンカだったが何やら嬉しそうだった。
「本にでもしてみたらいいじゃないか。詩人として名前が知られるようになるかも知れないよ」
「あたしの書いた詩なんで誰も読まねえよ……それに」
「それに、なんだい?」
ルナは興味津々だった。
「恥ずかしい」
ぼそっとズデンカは言った。
「自分のためだけの一冊の本にしてみるのもいいだろう」
「なら紙に書いたままでいい」
「ハンス君の音楽みたく、詩で名を立てることを目指しては?」
「詩で食っていけるやつなんていねえよ。できたとして、あたしはやる気ねえが」
「もったいないな」
「ルナは残酷なやつだよ。ハンスだって後で食っていけるかわかんねえのに。捕まるかも知れねえし」
早い話ズデンカは心配していたのだ。
「そうだね。わたしは残酷だ」
ときどき小石を車輪で蹴飛ばしながら、馬車は進んだ。
二人はしばらく会話をしなかった。
「馬車、止めてよ」
もうすっかり夜だった。空にかかった月は半分になっていた。
馬車は静かに止まる。
「なんだよ」
そう言ったズデンカに覆い被さるようにルナが立った。御者台へ身を乗り出したのだ。
絹の黒マントが翻る。
ルナは指先を差し出していた。ナイフで切られ、赤い血が流れている。
「労いだ」
「気取ってるぜ」
月光を頼りに、ズデンカは跪くように身を屈め、ルナの指に口を寄せ啜った。
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