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第一部
第九話 人魚の沈黙(5)
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「大した先生じゃあないですか」
子供に別れを告げた後、オドラデクは小さな声で聞いた。
「話すなと言ったろう。誰かに見られたらそれこそ怪しまれるぞ」
オドラデクは黙った。
フランツは無言のまま村中を探した。
行き交う大人たちが何人か、警戒した視線を向けてきたが、フランツは無視して逃げもせず堂々と歩いた。
「やり過ごせますかねえ」
「黙っとけ。こう言う時はむしろ臆病に振る舞うことが猜疑心を増す」
フランツなりの今までの人生で得た処世訓だった。
目指す屋敷は村の奥の方、村長の屋敷の近くにあった。とても豪壮な建築だった。
「ずいぶん認められているんですね」
オドラデクが笑った。
普通、村の中心に家を構えられるのは認められた人間だけだ。一昔前なら魔女呼ばわりされたような地域社会のはぐれ者は村の隅っこで暮らさなければいけないのはどこでも同じことだった。
「いくら認められようがスワスティカはスワスティカだ。虐殺に手を染めた者を許すことはできん」
注意深く周囲を眺め誰も居ないことを確認して、フランツは答えた。
「なるほど」
オドラデクは感心したように答えた。
グルムバッハはスワスティカ崩壊時、現ヒルデガルト共和国領内の炭鉱で労働させていたシエラフィータ族の連行が無理と分かると一列に並べさせ銃殺した疑いがある。被害者は数百人に及んだ。
「裁きは受けさせる」
家に近づいて、普通より遙かに大きく感じられるドアをノックした。
「はい」
女の声が響いた。少し緊張しているように聞こえた。
「ラファエル・ケッセルさまは在宅していらっしゃいますでしょうか?」
「主人は今、出かけております」
とすれば、今の女はグルムバッハの妻らしい。それにしては幾分か若いようだが。
「私はエルンスト・ヴァルドマールという者です。オルランド公国からの移民で、昔先生の教えを受けたものでして」
フランツは顔色一つ変えず嘘を吐いた。これも訓練によって習得したものだった。
「ああ、なんて偶然でしょう!」
女は突然明るい声になってドアを開けた。明るい色をしたブランドの髪が昼の光に照らされた。
「……」
驚くばかりの肌の白さにフランツは少し毒を抜かれた。年齢はフランツよりも何歳か若いと思われたからだ。
「私はケートヒェンと申します。元は孤児だったのですが、名前だけは覚えていました。記憶こそありませんが、あなたと同じオルランドから来たんじゃないかと思っているんです」
「それは奇遇ですね。マダム・ケッセル、どうかよろしくお願い致します。もしや、あなたも先生に教えを受けたのですか?」
「はい、元生徒だったのです。あなたのことはお見かけしたことがありませんが、ラファエルとはどのような関わりで」
ケートヒェンは顔を赤らめて答えた。
「一年ばかりの短い間でしたが、トゥールーズ語を教えて頂いたことには感謝しています」
フランツはしれっと嘘を重ねた。
「今でも主人は言葉の分からない子供たちにトゥールーズ語を教えているんですよ。親のいない子も多いので」
ケートヒェンは目を輝かせながら語った。
「それでは先生がいらっしゃるまでお待ちしても大丈夫ですか?」
フランツは少し疲れたかのように聞いた。
「もちろん! ぜひお上がりください」
絨毯が敷かれた食卓へ坐り、フランツはケートヒェンに入れて貰ったお茶を飲んだ。
子供に別れを告げた後、オドラデクは小さな声で聞いた。
「話すなと言ったろう。誰かに見られたらそれこそ怪しまれるぞ」
オドラデクは黙った。
フランツは無言のまま村中を探した。
行き交う大人たちが何人か、警戒した視線を向けてきたが、フランツは無視して逃げもせず堂々と歩いた。
「やり過ごせますかねえ」
「黙っとけ。こう言う時はむしろ臆病に振る舞うことが猜疑心を増す」
フランツなりの今までの人生で得た処世訓だった。
目指す屋敷は村の奥の方、村長の屋敷の近くにあった。とても豪壮な建築だった。
「ずいぶん認められているんですね」
オドラデクが笑った。
普通、村の中心に家を構えられるのは認められた人間だけだ。一昔前なら魔女呼ばわりされたような地域社会のはぐれ者は村の隅っこで暮らさなければいけないのはどこでも同じことだった。
「いくら認められようがスワスティカはスワスティカだ。虐殺に手を染めた者を許すことはできん」
注意深く周囲を眺め誰も居ないことを確認して、フランツは答えた。
「なるほど」
オドラデクは感心したように答えた。
グルムバッハはスワスティカ崩壊時、現ヒルデガルト共和国領内の炭鉱で労働させていたシエラフィータ族の連行が無理と分かると一列に並べさせ銃殺した疑いがある。被害者は数百人に及んだ。
「裁きは受けさせる」
家に近づいて、普通より遙かに大きく感じられるドアをノックした。
「はい」
女の声が響いた。少し緊張しているように聞こえた。
「ラファエル・ケッセルさまは在宅していらっしゃいますでしょうか?」
「主人は今、出かけております」
とすれば、今の女はグルムバッハの妻らしい。それにしては幾分か若いようだが。
「私はエルンスト・ヴァルドマールという者です。オルランド公国からの移民で、昔先生の教えを受けたものでして」
フランツは顔色一つ変えず嘘を吐いた。これも訓練によって習得したものだった。
「ああ、なんて偶然でしょう!」
女は突然明るい声になってドアを開けた。明るい色をしたブランドの髪が昼の光に照らされた。
「……」
驚くばかりの肌の白さにフランツは少し毒を抜かれた。年齢はフランツよりも何歳か若いと思われたからだ。
「私はケートヒェンと申します。元は孤児だったのですが、名前だけは覚えていました。記憶こそありませんが、あなたと同じオルランドから来たんじゃないかと思っているんです」
「それは奇遇ですね。マダム・ケッセル、どうかよろしくお願い致します。もしや、あなたも先生に教えを受けたのですか?」
「はい、元生徒だったのです。あなたのことはお見かけしたことがありませんが、ラファエルとはどのような関わりで」
ケートヒェンは顔を赤らめて答えた。
「一年ばかりの短い間でしたが、トゥールーズ語を教えて頂いたことには感謝しています」
フランツはしれっと嘘を重ねた。
「今でも主人は言葉の分からない子供たちにトゥールーズ語を教えているんですよ。親のいない子も多いので」
ケートヒェンは目を輝かせながら語った。
「それでは先生がいらっしゃるまでお待ちしても大丈夫ですか?」
フランツは少し疲れたかのように聞いた。
「もちろん! ぜひお上がりください」
絨毯が敷かれた食卓へ坐り、フランツはケートヒェンに入れて貰ったお茶を飲んだ。
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