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第一部

第二十三話 犬狼都市(13)いちゃこらタイム

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 ズデンカは振り返り、カーテンを少し開けた。

 空が白んでいた。

 ルナが咳をする音が聞こえた。

「起きてるか」

 ズデンカは声を掛けた。

「うん」

「まだ寝とけ」

「え。もう十分だよ」

 ルナは不満そうだった。

「身体は疲れてる」

「自分の身体のことはよくわかってるよ」

「知らねえから何度も倒れてるんだろ」

 ルナは黙り、

「犬に皮膚を剥がされたらよかったのに」

 ややあってとんでもないことを言い始めた。

「おい!」

 ズデンカは勢いよく立ってベッドに飛び乗った。

 ルナに跨がり、首根っこを掴んで引っぱり起こす。

「あたしはお前だけを助けたかったんだぞ! さっきの奴らなんてどうなってもいい」

「……と思ったんだよ」

 良く聞こえなかった。ズデンカの耳にも届かないほど小さな声、いや、ルナは発音しなかったのかも知れない。

「あ?」

 ズデンカは迫った。

「そしたら、アモスと同じようになれると思ったんだよ。わたしも」

 ズデンカは虚を突かれた気分だった。

「はぁ? アモスとファキイルの話か。何で今さら」

「生きながら皮を剥がされたようなもんだよ。わたしは、だったら実際に剥がれてみるのも悪くない」

 ルナの言っていることが最初はよくわからなかった。だが、過去話したことが思い出されてきて、複雑な思いになった。

「馬鹿みたいなことを言ってるんじゃねえ。何度も口にし続けると本当になるぞ」

 ズデンカは手を離した。ルナの頭が再び枕に沈む。

「……」

 ルナは薄闇のなか目を瞑った。ズデンカはそこに涙が滲んでいるように思った。

「結局のところ、お前が何を考えているのはわからないんだな」

 ズデンカは静かに言った。

「ああ、わたしも君が何を考えているかはわからないさ」

「だがわからないなりに、こうやって」

 と言ってズデンカは布団に潜りルナの横に寝た。

 もちろんその前に靴は脱いだが。

「傍にいることはできるさ」

 ルナの身体の温もりと、鼓動だけが伝わってきた。

「前も言ったことだがな」

 何も言わずルナはズデンカの肩に頭を寄せた。

 細く開けたカーテンから室内の床に差す光が、だんだんと濃くなっていった。

 下の階から騒がしい声が聞こえてくる。

「うるせえ」

 ズデンカは呟いた。

「何かあったのかな」

「見てきてやるよ」

 ズデンカはベットから降りた。

 静かに待っていろよ、と言いかけたが黙った。

 今のルナなら、あえて言葉にしない方が守ってくれるような気がしたからだ。

 下へ摺り落ちていた靴を探して穿き歩き出す。

 ドアを開けて静かに階段を降りた。朝早くなのに、酒場には多くの人が群れていた。

「どうした」

 ぶっきらぼうに訊いた。

「猿が見つかったんだってよ。逃げ出したマテオだ」

 サーカスの団員が答えた。

「生きてやがったか」

 そう言えばいつの間にかオランウータンの姿が見えなくなっていたことに気付いた。サーカスが買っている多くの獣は犬たちに殺されたので、死んだものだと思っていたが違ったようだ。

「どこにいる?」

「酒場の外の木の上に登っている」

 ズデンカはつかつかと外へ出た。

 多くの人が近くの橅《ブナ》の周りを囲み、天辺を指差している。

 見るとオランウータンが間の抜けた顔で見おろしていた。

 ズデンカはニヤリと笑った。

「お前も悪運の強いやつだ」

 ――あまり楽しい気分じゃなかったが、楽しくなってきたぜ。

 ズデンカは凄い勢いでブナを登り、すぐオランウータンのところまで辿り着いた。

「よう」

 挨拶すると猿は怯えた顔でズデンカを見た。捕まえられたときのことを忘れていなかったのだ。

 その頭を軽々と引っ掴んで手繰り寄せると、下を向いて叫んだ。

 「捕まえたぜ。今から降りる」

 ズデンカは意気揚々だった。
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