上 下
260 / 342
第一部

第二十五話 隊商(7)

しおりを挟む
 取り返しのつかないことをしてしまったという、激しい後悔の思いが胸の中で溢れました。

 走りに走ります。もう、血が流れようが気にならなくなっていました。

 新しい駱駝は次々と目の前に現れ出ます。

 隊商は果てしなく動いているのです。地平線の向こうまで。

 コレットを見付けないと。一番大事に思っている存在を。

 他のやつなんてどうでもいい。

『今の俺にはコレットだけいればよかったのに、軟弱なせいで姿を見失ってしまうとは』

 絶望的な走行を続けながら、小生は自分を責め続けていました。

 そうこうしているうちに、列が途切れる瞬間が来ました。

 突然、隊商が動きを休めたのです。

 ですが、その先が――。

 まるで、靄が懸かったように、白く煙っていて見えずらくなっているのです。

 先ほど確認された男の姿は見当たりませんでした。

 この靄の中にいるのでしょうか?

 小生は躊躇せずにそこへ入り込みました。

 あたりは真っ白で良く見えません。とても冷たくて、全身の骨に錐を通されたような鋭い痛みが走るほどでした。

『このまま凍え死んでしまえば、どんなにか楽なのに。コレットが見つからないなら、もう俺は……』

 やけっぱちになってそう考えていました。

 でも、その靄のようなものも、じきに消え去っていきました。

 あたりは、さっきまでの光景が嘘かと思われるほど緑が生い茂り、椰子やサボテンの影が闇の中で黒々と卵のように膨れ上がっていました。

 そして、水。

 綺麗に澄んだ色のオアシスが目の前に広がっていたのです。

 これまで後ろに続いていた隊商の列は、不思議と見えなくなっていました。

『やっとコレットに会える』

 そう期待を抱いたのも束の間。

 鋭いシャムシールが喉元に突き付けられているのがわかりました。

 隊商の先頭にいた男でした。オアシスのほとりに腰を掛け、アズィームに負けずとも劣らない鋭い眼光で、小生を睨み付けていました。

「なぜ、ここまで尾けてきた?」

「コレットを返してくれ!」

 小生は命も省みず、叫んでいました。

「コレット? ああ、あの娘か」

 初めてその老人の顔に笑みが浮かびました。同時に突き付けられていたシャムシールが下ろされます。

「やつなら、あそこにいるぞ」

 皺だらけの指で差す椰子の幹に、コレットが猿轡を噛まされて縄で結び付けられています。

「コレット!」

 そう駈け出した小生の足を、老人は無言で払いました。思わず前のめりに転げ、地面に顎を強く打ち付けました。

「まあ話を聞け。お前ら、俺について来ると言うことは、何か目当てのものがあるのだろう。俺の隊商では、お前らの望みのものは何でも取り揃えている」

「俺は何も欲しくない。俺にはコレットだけがいればいい」

 目の前にその相手がいるのに、小生は叫んでしまっていました。若かったですからね。

「だが、その娘は欲しいのだろう。おい」

 と老人は椰子の傍に立っていた手下に合図をし、コレットの猿轡を剥がさせました。

「月の雫だ! 月の雫をアズィームに売ってくれ!」

 コレットは叫びました。

「なるほど、そんなものか。もちろんアズィームという名前の王族のことは知っているが」

 さもつまらないものをとでも言うかのように老人は、唾と共に吐き捨てました。

「それで、皆の命が助かるんだ!」

 コレットは叫びました。

「どういう意味だ?」

 老人は怪訝そうに言いました。

「月の雫を商う隊商を、アズィームの元へ連れていけば、あたしの家族――サーカス団のみんなの命を助けると言われてる」

 コレットは必死に説明しました。

「なるほど、あらかた得心した。なら、命を命で購うか?」

「命で命をだと?」

 小生はビックリして叫びました。

「お前らのうち、どちらかの命と引き替えに、アズィームに月の雫を売ってやることにしよう」

 老人は厳かに言いました。
しおりを挟む

処理中です...