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ゼロスタート

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 薄暗い夜道を瑞穂はぼんやりと歩いていた。

『覚えてねー』
『だから、理音りおとの前で三年前の話をするのは禁止!
君が昔の話をする度に、あいつは思い出したくない辛い過去がでてくるんだよ。今もあいつの傷は治ってないんだから、これ以上えぐるような真似をするなよ!』

 頭の中で再生されていたのは今日の昼休みの出来事。
(先輩が覚えていない可能性は考えていた。だけど、それよりも…)
 覚えていてもらえなかった悲しみ以上に、出会った直後に先輩の触れられたくない部分を無神経に触れてしまった自分が許せなかった。
「本っ当、無神経過ぎ…。何やってんだよ…!」
 自嘲しながらクシャッと髪を握りしめ、涙が滲んできた目をゴシゴシとこする。
(ダメダメ!先生が心配しちゃうじゃないか。しっかりしろ、東雲瑞穂!)
 もうすぐ、霧ヶ夜診療所の明かりが見えてくる頃だ。
 ただでさえ、家に居候させてもらってるのに、これ以上先生に心配はかけられない!と、自分の頬を叩き、気合いを入れる。
 そしてできるだけ、今朝、家を出た時と変わらない笑顔をつくり、霧ヶ夜診療所のドアを勢いよく開けた。

「先生、ただいまー!」
 診療所の入口から大声で叫ぶと、診察室から白衣を着た先生がひょこりと顔を出し「おかえり~」と手をふってくれた。
「ごめんね、瑞穂くん。もうすぐ診療所の片付けも終わるから、先に家に行ってて~」
「はーい」
 のんびりとした口調でお出迎えしてくれた先生はそう言ってまた診察室の中に戻っていった。
 僕はいつも通りに診療所の戸締まりを確認してから、外靴を持って診療所の中を進んでいった。

 霧ヶ夜診療所の廊下の奥には鍵付きのドアがあり、そのドアから先生と僕が住んでいる家とこの診療所を行き来することができる。
 鍵を取り出しドアを開けると、電気も点いていない家の廊下が見えてくる。やっぱり、誰も帰っていない家はいつ見ても少し寂しい感じがして切なくなる。
(電気、電気~っと。
…そういえば、最初の頃は電気を点けるスイッチの場所がわからなくて、暗闇の中で「先生助けてー!」って叫んでたっけ…)
 こうして、電気を点けなくてもリビングまで歩けるようになったのは、この家に慣れてきた証かな、とこうしてたまに少し嬉しくなる。

「ただいま」

 電気を点けて明るくなったリビングに向かって挨拶をする。
 当然、誰もいないから返事は返って来ないけど、それでも、「自分の帰るべき場所を確認するために挨拶をすることが大切なんだよ」と先生が言っていたから、毎日欠かさず挨拶はするようにしていた。
 その後は、玄関に外靴を置き、部屋で着替えながら晩ごはんのメニューを考える。
 それがこの家に来てからの僕の毎日のルーティーンだ。
(うーん、確か豚肉があったから、今日のご飯はトンカツにしようかなー?あとはサラダと味噌汁と…)
 制服を脱ぎながら、ある程度メニューを決めた僕は、キッチンに行って、さっそく調理を始める。
 最初は料理なんてしたことがなかったけど、先生から一通ひととおりの切り方や調理方法を教えてもらってからは、レシピさえあれば何とか作れるようになった。
(これも何も知らなかった僕に、先生がいろいろ教えてくれたおかげだな~)
 ご飯も炊けて、あとは盛り付けだけになった頃、「ただいま~」と疲れた顔をした先生がキッチンに現れた。
「おかえりー。今日もお仕事お疲れさまでした!もうすぐご飯できるから、着替えたら座っててね」
「うん。いつもありがとうね、瑞穂くん」
 そして着替えた先生とご飯の準備ができた僕は席につき、「「いただきます」」と一緒に食べ始める。
「う~ん!今日はいつもより美味しくできた気がする!先生どう?」
「うん、すごく美味しいよ!最初の頃より衣が剥がれてないし、すごくジューシーに仕上がってる。腕を上げたね、瑞穂くん」
「やっぱり?僕も日々成長を遂げてしまう自分が恐ろしいよ。…もしかしたらプロの料理人になれるかもっ!?」
「あはは!料理人を目指すのも良さそうだね~」

 楽しく会話をしながらご飯を食べる。
 これもここに来てから学んだことだった。
 あと他に何を話そうかなーと思った時、先生が「それで?」と僕に話しかけてきた。
「ん?」
「それで、瑞穂くんは何でそんなに元気がないの?」
「…いやー、元気いっぱいだよ?さっきも『料理が上手くなった!』って、元気に自画自賛しまくってたじゃん!」
 僕は「もう何言ってるのさ~」と誤魔化そうとしたが、先生は箸を置いて姿勢を正すと、ふわりと笑って僕を見つめた。
「うーん、そうなんだけどね…。
まぁ僕は仕事柄、色んな人を見てきてるから、『この人、嘘をついてるな』とか何となくわかっちゃうんだよ」
「……」
「それに、昔から君のことは知ってるしね。辛かったり、悲しかったりする時ほど、周りに心配をかけないように明るく元気に振る舞うところとか」
 穏やかな口調とは裏腹に図星をグサグサと抉ってくる。僕は必死につくっていた笑顔を崩し、困ったような顔でへらりと笑った。
「…やっぱ、先生には隠せないか…」
「ふっふっふ~。あまり私を見くびらないでね、瑞穂くん。それで?多分瑞穂くんの元気がない理由は、『伊月先輩』に関することだよね?」
「すごいね、そこまでお見通しなんだ…」
 先生は「まあ、瑞穂くんの元気がない理由なんて、『伊月先輩』に関することしか考えられないからね」と答えると、お茶を一口飲み、すっと僕に向き合う。
 先生は診察する時や大事な話を聞くときは、こうして相手の目をしっかり見て、感情の変化とかを見逃さないようにするくせがある。
(大抵、こういう時に嘘を言ったり、誤魔化したりしてもバレちゃうんだよね…)
 僕は覚悟を決めて、ゆっくりと口を開く。

「──だから、僕と会っていた時間は、先輩にとって辛い過去に繋がるから、話をしないでほしいって」
「…………」
「…先生、僕どうすればいいんだろう?あの約束がないと、先輩にとって僕はただの他人と同じなんだ…。でも、昔の話をしちゃうと、まだ治っていない先輩の傷を抉ってしまうことになるし…」
 話終えた僕は膝の上で拳をぎゅっと握り、自分でも分かるくらい情けない声を出しながら先生の顔を見る。そんな僕に対し、先生は穏やかな表情を変えずに「それで、瑞穂くんはどうしたいの?」と問いかけた。
「…え?」
「伊月くんの過去を聞いた今、傷つけてでも思い出してもらって約束を守ってもらう?それとも、傷つけるくらいなら諦める?…瑞穂くんのやりたいことはなんだい?」
 先生からの質問を聞いて、もう一度自分の目的を振り返る。
(僕の最初の目的は先輩にあの時の約束を守ってもらうこと。でも、今は?先輩の過去を聞いた今は…)
 改めて昼休みの先輩との会話、傷ついた表情を思い出して自分のやりたいことが、だんだん見えてきた。
(そうだ…今の僕のやりたいことは…)
 下を向いていた顔をあげ、先生に向かって作り笑いじゃない、覚悟を決めたような笑顔で宣言する。
「僕は…先輩を笑顔にしたい。昔、先輩が僕を救ってくれたみたいに、今度は僕が先輩を救ってあげたい!」
「…そっか。目的が決まったのなら、もう悩むことなく突き進めるね」
「うん!これから頑張……あっ!」
「どうしたの?」
「先生、どうしよう…。過去の話をしないってなったら、僕と先輩には何も繋がりがない…」
 せっかく堂々と宣言したのに、少し情けなくうなだれる瑞穂の姿に澪はくすりと笑みがこぼれる。
「ふふ。約束がなければ傍にいちゃいけない、なんてことはないんだよ。
それに、大抵はお互いのことを何も知らない状態から人との付き合いは始まるんだ。そこから時間をかけてお互いを知っていき、絆を深めていく。
だから、伊月くんとの関係も、まずはお互いを知っていくことから始めたらいいんじゃないかな?」
「お互いを知っていく…」
「学年が違うからね…。例えば昼休みに少し話をするとか、放課後を一緒に過ごしてみたりとか。とにかく関わりを持とうとするのが大切なんじゃないかな?」
「なるほど!先生、僕、明日から先輩にいっぱい話しかけてみるよ!…とりあえず、最初の目標として、先輩の携帯番号をゲットできるように頑張る!」
「その意気だよ、瑞穂くん!」
「ありがとう先生!よーし、これから頑張るぞーっ!」
 二人で一緒に「「えいえいおー!」」とやった後、瑞穂たちは少し長くなった夕食を終えて各々の部屋に戻った。
 
 ベッドに寝転がった瑞穂は明日からの伊月との関係を考える。
「お互いを知っていく…」
 天井にぐっと拳を伸ばしてニヤッと笑った瑞穂は、心の中で伊月に宣戦布告をする。

─ふっふっふ!覚悟しといてくださいね、先輩!僕が必ず先輩を笑顔にしてみせますから!

□□□□□

 翌日の昼休み。
 屋上へと続く階段の踊場で、瑞穂は胸に手をあてて、深呼吸をしていた。
(─大丈夫、大丈夫!自分のやりたいことは決まってる。あとは何があっても全力で取り組むだけだ!)
 気持ちを整えた後、最後にパンッ!と頬を叩いて気合いをいれる。
(─行くぞ!)

 屋上のドアを開くと、昨日と同じ場所で伊月先輩と井川先輩がお昼ごはんを食べていた。井川先輩はドアが開いた音に反応してすぐに僕の方を見たけど、伊月先輩は興味がないのか、全くこっちを向いてくれない。
(それなら…)
「伊月せんぱーい!こんにちはー!」
 僕は自分たち以外に人がいないことをいいことに、元気よく挨拶をし、ブンブンッと手を振りながら先輩たちのもとに向かう。
 そんな僕を見て、井川先輩は「うわぁ~面倒くさそうな奴がこっちに来たよ」という顔をしていたが、肝心の伊月先輩は一瞬こっちを見ただけで、またすぐに目をそらしてしまった。
「あー。東雲くん…だっけ?よく昨日のやり取りを見て、話しかけられたね。…で?今日は何しに来たの?」
 嫌そうな顔をしながらも、井川先輩は食べる手を止めて話しかけてくれる。
 だけど伊月先輩は、まるで僕がいないかのように黙々とお昼ごはんを食べていた。

─大丈夫、大丈夫。落ち着け…。
無視されるなんて予想してたじゃないか

 僕は胸に手を置き、バレないように深呼吸をする。
 そして、覚悟を決めると、すっと右手を差し出し、ずっと家で練習していた完璧な笑顔で伊月先輩を見つめる。

「伊月先輩が好きです!僕と…付き合ってください!!」

 季節は春。
 穏やかな青空の中、三人だけの屋上に、僕の人生初告白の声が響いた。

「ブーっ!」
 僕の告白に真っ先に反応したのは井川先輩だった。コーヒーを吹き出して「ゴホゴホッ!」とむせ返り、それが落ち着くと、頭を抱えて「…えっ、ちょ嘘でしょ!?何で昨日のやり取りの後で告白ができるの!?」とかブツブツ言っていた。
 でも、そんな井川先輩のリアクションには目もくれず、僕は伊月先輩だけを見る。

(─怖い怖い怖い!どうしようどうしよう…。すごく手が震える。手汗すごかったらどうしよう。あっ…笑顔大丈夫だよね?おかしくないよね?ちゃんと笑えてるよね?)
 早くこの時間が終わってほしくて、だけど終わってほしくなくて…。
(どうか、このドキドキが先輩にバレませんようにっ…!)

 僕が内心でアワアワしている間に、落ち着いたのか井川先輩がじっと伊月先輩を見ていた。三人だけの空間に静かな時間が流れる。
 二人の視線を受けていた伊月先輩は「はぁ」と面倒臭そうにため息をついた。
 そして僕には目もくれずに、ゆっくりと口を開く。

「無理、男に興味ねぇ」

─それは、瑞穂が告白を決心した時に、一番言われる可能性があると予想していた言葉。
(だよね…。先輩にとって、僕はよく知らない人で…『同性』。
…っダメ元の告白だったじゃないか…傷つかなくていい。…大丈夫、大丈夫。だから、僕は─)

「…そうですよね、昨日会ったばかりの僕から急に告白されても胡散臭うさんくさいだけだと思います」
 一旦言葉を区切ると、瑞穂は「そこで」とパンッと手を叩いた。

「一年でいいので僕を伊月先輩の友達としてそばに置いてもらえませんか?その一年で僕のことをたくさん知ってもらって、また一年後に告白の返事を聞かせてください!」

 再び訪れる静寂の時間。
 相変わらず伊月先輩の表情は変わらないが、隣にいる井川先輩が今度はパンを喉に詰まらせていた。
「ぐっ!ごほっ、ごほっ!
……はぁはぁ…はぁ!?いやいや、東雲くん!今、告白断られたよね!?それなのに、一度告白を断った相手に『一年後に告白の返事を聞く』って…諦め悪過ぎでしょっ!」
「……むぅ。僕がお話しているのは伊月先輩ですよ!井川先輩には聞いてません!」
「うっ…それはそうだけど…。でも、いくら理音でも、好きって言ってきた相手を友達としてそばに置くわけないじゃん!もう諦めなって!」
 井川先輩が必死で止めようとしているのを無視して、伊月先輩から目をそらさないようにする。

(お願いです。どうか、どうか…僕に先輩のそばにいられる口実をください…!)

 再び瑞穂と井川からの強い視線を感じる中、伊月は食べ終わったパンの袋をグシャッと握り潰すと、フッと笑って瑞穂の方を向いた。
「…まぁ、勝手にすれば」
「っ!?おい、理音っ!」
「ーーーっ!!ありがとうございます!」
 瑞穂は勢いよく頭を下げた後に、バッと顔を上げ、ニヤリとした表情で伊月に指を差し宣言する。
「覚悟しといてくださいね、伊月先輩!この一年で必ず僕のことを好きにさせてみせますから!」
 そう言って、伊月の返事を聞かずに「わーはっはっは!」と屋上から走り去る。
 その後ろ姿を井川はポカーンと見ていた。
「…え?なんなの…あの子?」
 ポツリと呟いた後に、そっと伊月の方を見ると、何にも興味がないような無機質な目はいつも通りだったが、珍しくいつもよりほんの少しだけ、口角があがっていた。
「……理音?」

□□□□□

 ドアがバタンと閉まった後、ドアを背にして瑞穂は「はぁー」とへたりこんでいた。思い出しているのは先程の伊月の返事。

『…まぁ、勝手にすれば』

(勝手にすればってことは、そばにいてもいいってことだよね!?
…やった…!やったやったー!一年間は堂々と先輩のそばにいられる!)

 僕はニヤニヤする顔を必死で抑えながら、軽やかに階段を下りていき、明日からの先輩との時間におもいをせる。

□□□□□

 たとえ先輩の『勝手にすれば』がそばにいてもいいって意味じゃなくても、先輩のそばにいるために僕は都合よく解釈をする。

 僕はあなたが笑ってくれるなら、仮面をつけて、愉快に踊るよ。
…だから、笑って?あの頃みたいに。
─残された時間は、あなたの笑顔を取り戻すためにつかうと決めたから
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