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第7話『どうか、幸せになってください』

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綾が壊れた。

色々あり、地元に戻ってきていた俺は、妹の奇行にどうするべきかと考える。

警察官を目指して勉強を頑張っているが、それが負担になっているのではないだろうか。

そう。両親が出かけている中、誰もいないハズの綾の部屋で綾が誰かと話をしているのだ。

まぁそれだけなら電話でもしているのかと思う所だが、奇妙な事に綾の独り言はリビングに来ても変わらず続いており、一人でご飯を食べながら誰かと話をしていた。

手に電話は持っていない。しかも目線は正面に向いており、明らかに何かが居るという様な空気で話しているのだ。

これは、なんだろうか?

まさかとは思うが、何か病気にでもなったのだろうか。高熱で幻覚を見てるとか?

もしくは勉強を頑張りすぎて、疲れてしまったのかもしれない。

俺は、綾の事が心配になり、出かけるという綾が何かあった時に駆け付けられる様に外へ出る事にした。

一緒に出掛けつつ、子供と野球をやるという言い訳用にバットを持って綾と一緒に家を出た。

そしてそれとなくどこへ行くのか聞き、何かあったら携帯に連絡をするようにいって、分かれ道を別々の方へ進んでゆく。

離れがたい気持ちもあるが、一応歩いている姿は健康そうだったし、多分受験のストレスか何かなのだろう。

気分転換をすれば変わるかもしれない。

「あ。光佑兄ちゃん!!」

「バット持ってる! 野球か!? 野球か!?」

「うん。まぁ、久しぶりに帰ってきたからね。遊ぼうか」

「やったー!!」

「野球! 野球!」

楽しそうに周りで飛び跳ねる子供たちと共に、かつて俺も通っていた野球クラブの近くにある広場へと向かった。

久しぶりに来て感じるのは、ここがそれほど大きな町ではないという事だった。

この町に引っ越してきた時は、山向こうのもっと田舎から引っ越してきたものだから、凄く広く発展した町に見えたが、こうして大人になってから見ると、ここも田舎なのだなと思う。

「あら。光佑さん。お久しぶりです」

「たま……あ、いえ。東雲さん」

「ふふっ、昔みたいに環って呼んでください」

「あー。いえ。申し訳ない。久しぶりで緊張してしまって」

「もう。今更他人みたいにしないでください。翼の所にも昨日行ってくれたんでしょう? 花が新しくなってましたよ」

「えぇ。ちょっとお願い事もありましたから」

「ならほら。昔みたいに!」

「環さん。お久しぶりです」

「もう。なんだか固いですねぇ。ま、しょうがないですね。ところで今回はどのくらいこちらに居るんですか?」

「あー。ちょっと期間は決まっていなくて」

「そうですか。ならいる間はゆっくりしてください。何もない町ですけど」

「はい。そうさせて貰います」

「あ、そうそう」

「もー!! 環姉ちゃん、話が長いよ!!」

「そうそう! これから兄ちゃんと野球やるんだからさ!!」

「あらあら。怒られちゃいましたね」

「申し訳ない」

「良いんですよ。じゃ、私もみんなの野球を見に行こうかな!」

環さんも加わって、俺たちは広場で遊び始めた。

とは言っても、主に遊んでいるのは子供たちで、環さんは見ているだけだった。

そして、遊んでいる内に、見知った顔を見つけ、俺はその人を呼び止めた。

「西条先生!」

「ん? おぉ、光佑君じゃないか! こっちに戻ってきていたんだね」

呼び止めた先生はこの町で唯一の医者であり、かつてその方面では有名だった人らしい。

見た目は若く、爽やかで格好いい彼に憧れる人も多いと聞く。

「久しぶりだね。あれから体はどうだい?」

「まぁまぁ、という所ですね」

「そうか。どうにもならなかった、か。もっと腕の良い人ならと思ったんだが」

「先生くらい腕のいい人はそうは居ませんよ」

「そんな事は無いさ。僕は結局君の命を繋ぐ事しか出来なかった」

「あの状況じゃあ、それすら奇跡みたいな事だって聞いてますよ。だから俺にとっては多くの人の願いや奇跡で、今もこうしてここに居るんだって思ってます」

「君は……本当に良いのか? それで、また」

「また晄弘や和樹たちと共にあの場所へ行きたいという気持ちに嘘はありませんよ。でも、その為に何かを犠牲にするつもりはありません。叶うなら、先生がいつか手術で治してください」

「は、はは。それは責任重大だな」

「そうですよ。いずれ先生と環さんの間に子供が出来たら、その子に野球を教えたいので、よろしくお願いしますね」

「なっ」

「ほら。向こうで環さんが見てますよ。ひと打席。どうですか? あの人は俺の姉なので、タダじゃ渡しませんけど」

「勘弁してほしいな。でも、君にも認めてもらいたいからね。勝負お願い出来るかい?」

「よろこんで」

俺は子供たちに話して、西条先生と勝負すると告げた。

無論、環さんへの想いを伝えるための勝負だ。

西条先生は環さんにもそう告げ、環さんは両手を胸の前で握りながら西条先生の歩む姿を見ている。

そして、俺は西条先生がバッターボックスに立った事を確認し、球を強く握りこんだ。

かつての様には投げられないだろう。それでも、野球などあまりやった事がない西条先生には驚異的な球だ。

タダでは打てない。打たせない。

俺は西条先生への、そして環さんへの想いを込めて、ボールを投げる。

鋭く走る球は勢いよくストライクゾーンのど真ん中へと向かい、向こう側にあるフェンスへと突き刺さ……らずに先生が振るったバットに当たり俺の頭上を超えてゆく。

本来の球場であるなら、二塁のちょっと先くらいだろうか。

しかし、ここは狭い広場だ。結果は文句なし。

「ほ、ホームランだ!!」

「先生がやったぞー!!」

「すげぇ! 兄ちゃんから打ち取ったんだ!!」

白い球は俺の後ろにあるフェンスに当たり、力を失って地面に落ちる。

それを拾いながら、俺は環さんの幸せを願い西条先生に頭を下げた。

ずっと、苦労してきた人だ。俺が苦しめてしまった人だ。

どうか、幸せにしてください。

そして、環さん。

西条先生は強い人だ。どんな苦難にも立ち向かえる強い人だ。

諦めずに、戦う事が出来る人だ。

かつて生と死の境に俺が立たされた時も、あきらめずに俺の命を救いあげてくれた人だ。

どうか、幸せになってください。

俺はそんな思いを込めて、二人を見据えた。

俺は昔、多くの人の願いや祈りで大きな奇跡を貰った。

だから、少しでも多くの人に、返していきたいと思う。

人の幸せを思う。優しい奇跡を。



あれから環さんや西条先生を含めて、十分に遊び解散となった。

俺は子供たちを家に送り届け、環さんは西条先生に送ってもらった。

その方が効率がいいからだ。

あの様子じゃ、来年には夫婦かな。と思いながら贈り物はどうするか考える。

とは言っても新婚夫婦への贈り物など分からないし、父さんや母さんに相談しながら決める事になるだろうけど。

なんて事を考えていたら、ちょうど道の端でうずくまっている綾を見つけた。

「綾」

「おにい、ちゃん?」

「あぁ。お兄ちゃんだ」

「どうして、ここが分かったの?」

「まぁ、お兄ちゃんの勘、かな」

さっきまで泣いていたのだろう。

もしかしたら綾もニュースで知ったのかもしれない。

「隣、座っても良いか?」

「いい、けど。お兄ちゃん、忙しいんじゃないの? 陽菜ちゃんのこと」

「あぁ、まぁ、そうなんだけどね。俺は陽菜の所に来るなって言われてるんだ。だから行けないんだよ。俺は近くに居ない方が良いらしい。俺はいつも無力だな」

「でも、行ったらきっと陽菜ちゃん喜ぶよ?」

「そうかもしれないね。ただ、まだ会えないみたいだから。会えるようになったら、行くさ。何処でもね」

綾と話していて、やっぱりかという気持ちがある。

陽菜のニュースを聞いて、動揺して、陽菜の幻覚を見たのだろう。

二人はまるで本当の姉妹の様に仲が良かったから。

いや、もしくは本当に……?

「なら、すぐに都会へ戻った方が良いかもしれない」

「綾?」

「お兄ちゃん。私ね、約束したんだ。陽菜ちゃんと。負けないって。だからさ。私は大丈夫。陽菜ちゃんの所へ行ってあげて」

「……分かった。陽菜の所へ行くよ。ただし、それは綾を家に送り届けてから。それだけは譲れない」

俺は半ば強引に綾の体を背負うと、家に向かって歩き始めた。

「だ、ダメだよ! お兄ちゃん!!」

「何がだ? 俺に触られるのは嫌か?」

「それは、別にいいけど。そうじゃなくて!! 体!!」

「大したことじゃない。綾は羽みたいに軽いからな。負担なんてないよ」

「でも!」

「それに。気になるなら、あんまり暴れないで欲しいな」

「あ、あぅ」

綾は何処か悲しそうな声を出しながら、俺の服を掴んだ。

このまま運ばせてくれるらしい。

優しい妹だ。

「綾。受験勉強。大変じゃないか?」

「ううん。全然大丈夫だよ」

「そっか。なら、もし困ったことが出来たら何でもお兄ちゃんに相談してくれ」

「うん……ありがとう。お兄ちゃん」

それからは言葉もなく、無言で俺は歩き続けた。

背中に感じている重さなど大した重さじゃない。

子供のころからずっと背負い続けてきたのだから。

でも、綾はもう一人で歩こうとしてるんだなぁと考えると、どこか物寂しいものを感じるのだった。

「お兄ちゃん」

「ん? どうした」

「もし、ね。一人で辛かったから、電話とか、しても良いかな」

「あぁ。もちろんだ。どこからでも飛んでくるさ」

「なにそれ」

綾は笑う。

なんでもない事で、楽しそうに。

それが俺にとってはこの世で何よりも大切な事だった。

「そろそろ家、だね」

「そうだな……っと、あれは」

「知らない車、誰だろう」

「あ、あぁ!! 立花さん!! よ、ようやく見つけましたよ!! どこに居たんですか!」

「何処って、その辺をウロウロと」

「もうそれどころじゃないのに!! 聞いてください! 陽菜が、陽菜が目を覚ましたんです!!」

「っ!? それで!?」

「貴方を呼んでいます」

「分かりました。すぐに行きます。あ、でも」

「良いよ。お兄ちゃん。私は、もう大丈夫」

「綾」

「だからさ、陽菜ちゃんの所へ行ってあげて?」

「……分かった。さっきの約束、必ず守って欲しい。約束だ」

「立花さん!! 急いで!!」

俺は背中から降りて、何処か寂しそうに笑う綾を残して車に乗り込んだ。

急発進していく車は俺の感情など一切考えず、愛した故郷の景色を置き去りにしていく。

俺の新たな居場所へ向けて、ただ走っていくのだった。
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