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【記録04】氷の神話と適応
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村に滞在して四日目。志村さんは、白石家の本宅にある「書庫」への立ち入りを許可された。
そこは屋敷の北側に突き出した、土蔵造りの重厚な建物だった。中は外の猛暑が嘘のようにひんやりとしていて、古い紙の匂いと、どこか金属的な冷たい香りが混じり合っている。
「……なるほど、これがこの村の家系図ですか」
志村さんは白手袋をはめた手で、机に広げられた古びた巻物を凝視していた。
僕――浅井は、その傍らで図面や記録の複写を撮影する準備を進めていた。
「お待たせー! お茶持ってきたよ。……って、志村さん、また難しい顔してる」
結が盆に乗せた冷茶を運びながら、軽やかな足取りで入ってきた。今日の彼女は、薄手のサマーニットのタンクトップに、白いショートパンツという活動的な格好だ。
「白石さん、丁度いいところに。この村に伝わる『女神』の伝承について、改めて詳しく伺ってもいいですか?」
志村さんが眼鏡の奥の瞳を輝かせながら尋ねた。
結は「いいよー」と僕の隣に腰を下ろし、記憶を辿るように天井を仰いだ。
「昔々、天から羽衣を纏った女神様が、村の風穴に落ちてきたの。女神様はとても寒がりで、この土地が暑すぎるのを嫌がったんだって。だから、自分の冷気で村を凍らせて、地下で眠りについた。私たちはその冷気を分けてもらう代わりに、体を『熱く』しすぎないように約束した……。お爺ちゃんたちは、いつもそう言ってる」
「『熱を忌む』神話……。興味深いですね」
志村さんはペンを走らせる。
「通常、日本の土着信仰では、神は『火』や『太陽』として崇められることが多い。ですが、この村の構造は北欧神話のニヴルヘイム、あるいはシベリアの原住民に見られる『氷河崇拝』に近い。つまり、過酷な冷気を『制御すべき対象』ではなく『同化すべき聖性』として捉えているわけです」
「……どういうこと?」
結が不思議そうに小首を傾げる。
「つまりですね、白石さん。皆さんが冷たいものを食べ、厚着をして体温を下げようとするのは、女神様と同じ状態になることで災厄を避けようとする『模倣魔術』の一種なんです。理にかなっていますよ。伝承という精神的なルールが、皆さんの生活習慣、ひいては生理機能までを規定している。実に合理的な地域社会の防衛本能です」
志村さんが理路整然と語り終えると、結はパッと顔を輝かせた。
「すごーい! 志村さん、天才じゃん! お爺ちゃんたちは『そういう決まりだ』としか言わないから、そんな風に理由を教えてもらったの初めて。模倣……なんとか? かっこいい!」
彼女は椅子を引き寄せ、志村さんの手元のノートを覗き込んだ。
「じゃあ、私がたまに『変な感じ』がするのも、その魔術のせいなのかな?」
「『変な感じ』、ですか?」
「うん。なんか、急に頭が冴え渡って、周りの音が全部消えちゃうみたいな……。あ、でも、志村さんの解説聞いてたら、なんか納得しちゃった。私、女神様のルールをちゃんと守れてるってことだよね」
結は無邪気に笑い、志村さんの腕を軽く叩いた。
志村さんは少し照れたように鼻先を擦り、「あくまで民俗学的な仮説ですがね」と、満足げに微笑んだ。
僕は二人のやり取りをカメラのファインダー越しに見ていた。
志村さんは、この村の異常を「学問」という枠組みに収めることで、安心しているようだった。村人たちの低体温も、奇妙な風習も、すべては歴史と心理学で説明がつく。それが彼の結論だった。
「ねえ、明日は三人で出かけようよ!」
結が立ち上がり、提案した。
「村の奥に、女神様が最初に降りたっていう『風穴』があるんだ。お爺ちゃんたちは危ないから行くなって言うけど、志村さんみたいな詳しい人が一緒なら、私、怖くないもん。案内するよ!」
「風穴……。伝承の核となる場所ですね。ぜひ伺いましょう」
志村さんは即答した。
結は「決まりね!」と嬉しそうに書庫を出ていった。
彼女が去った後、僕は彼女が座っていた椅子に目を向けた。
彼女の体温が触れていたはずの椅子の背もたれに、うっすらと、白い霜の華が咲いていた。
それは夏の湿気が凍りついたものにしては、あまりに幾何学的で、鋭い形をしていた。
「志村さん、これ……」
「ん? ああ、地下からの冷気が書庫に溜まっているんでしょう。古い建物にはよくある現象ですよ」
志村さんはノートを閉じた。
その表情は、未知の知性に触れた学徒の喜びで満ちていた。
僕は、言いようのない不安を飲み込み、その霜の華が消えていくのを黙って見つめるしかなかった。
そこは屋敷の北側に突き出した、土蔵造りの重厚な建物だった。中は外の猛暑が嘘のようにひんやりとしていて、古い紙の匂いと、どこか金属的な冷たい香りが混じり合っている。
「……なるほど、これがこの村の家系図ですか」
志村さんは白手袋をはめた手で、机に広げられた古びた巻物を凝視していた。
僕――浅井は、その傍らで図面や記録の複写を撮影する準備を進めていた。
「お待たせー! お茶持ってきたよ。……って、志村さん、また難しい顔してる」
結が盆に乗せた冷茶を運びながら、軽やかな足取りで入ってきた。今日の彼女は、薄手のサマーニットのタンクトップに、白いショートパンツという活動的な格好だ。
「白石さん、丁度いいところに。この村に伝わる『女神』の伝承について、改めて詳しく伺ってもいいですか?」
志村さんが眼鏡の奥の瞳を輝かせながら尋ねた。
結は「いいよー」と僕の隣に腰を下ろし、記憶を辿るように天井を仰いだ。
「昔々、天から羽衣を纏った女神様が、村の風穴に落ちてきたの。女神様はとても寒がりで、この土地が暑すぎるのを嫌がったんだって。だから、自分の冷気で村を凍らせて、地下で眠りについた。私たちはその冷気を分けてもらう代わりに、体を『熱く』しすぎないように約束した……。お爺ちゃんたちは、いつもそう言ってる」
「『熱を忌む』神話……。興味深いですね」
志村さんはペンを走らせる。
「通常、日本の土着信仰では、神は『火』や『太陽』として崇められることが多い。ですが、この村の構造は北欧神話のニヴルヘイム、あるいはシベリアの原住民に見られる『氷河崇拝』に近い。つまり、過酷な冷気を『制御すべき対象』ではなく『同化すべき聖性』として捉えているわけです」
「……どういうこと?」
結が不思議そうに小首を傾げる。
「つまりですね、白石さん。皆さんが冷たいものを食べ、厚着をして体温を下げようとするのは、女神様と同じ状態になることで災厄を避けようとする『模倣魔術』の一種なんです。理にかなっていますよ。伝承という精神的なルールが、皆さんの生活習慣、ひいては生理機能までを規定している。実に合理的な地域社会の防衛本能です」
志村さんが理路整然と語り終えると、結はパッと顔を輝かせた。
「すごーい! 志村さん、天才じゃん! お爺ちゃんたちは『そういう決まりだ』としか言わないから、そんな風に理由を教えてもらったの初めて。模倣……なんとか? かっこいい!」
彼女は椅子を引き寄せ、志村さんの手元のノートを覗き込んだ。
「じゃあ、私がたまに『変な感じ』がするのも、その魔術のせいなのかな?」
「『変な感じ』、ですか?」
「うん。なんか、急に頭が冴え渡って、周りの音が全部消えちゃうみたいな……。あ、でも、志村さんの解説聞いてたら、なんか納得しちゃった。私、女神様のルールをちゃんと守れてるってことだよね」
結は無邪気に笑い、志村さんの腕を軽く叩いた。
志村さんは少し照れたように鼻先を擦り、「あくまで民俗学的な仮説ですがね」と、満足げに微笑んだ。
僕は二人のやり取りをカメラのファインダー越しに見ていた。
志村さんは、この村の異常を「学問」という枠組みに収めることで、安心しているようだった。村人たちの低体温も、奇妙な風習も、すべては歴史と心理学で説明がつく。それが彼の結論だった。
「ねえ、明日は三人で出かけようよ!」
結が立ち上がり、提案した。
「村の奥に、女神様が最初に降りたっていう『風穴』があるんだ。お爺ちゃんたちは危ないから行くなって言うけど、志村さんみたいな詳しい人が一緒なら、私、怖くないもん。案内するよ!」
「風穴……。伝承の核となる場所ですね。ぜひ伺いましょう」
志村さんは即答した。
結は「決まりね!」と嬉しそうに書庫を出ていった。
彼女が去った後、僕は彼女が座っていた椅子に目を向けた。
彼女の体温が触れていたはずの椅子の背もたれに、うっすらと、白い霜の華が咲いていた。
それは夏の湿気が凍りついたものにしては、あまりに幾何学的で、鋭い形をしていた。
「志村さん、これ……」
「ん? ああ、地下からの冷気が書庫に溜まっているんでしょう。古い建物にはよくある現象ですよ」
志村さんはノートを閉じた。
その表情は、未知の知性に触れた学徒の喜びで満ちていた。
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