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崩壊の序曲
腐りかけた栄華の臭い
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シレーヌ島での生活が始まって数日が過ぎました。
岩肌がむき出しの古砦は、湿気とカビ、そして持ち込まれた大量の香水の匂いが混じり合い、なんとも言えない腐敗臭を放っていました。
しかし、その「仮の王宮」の中心である大広間だけは、異様な活気に満ちていました。
「見ろ、マリウス! この島の地形は天然の要害だ。 ここに新たな『新王宮』を建設しようではないか! 余の部屋はここ、舞踏会場はここだ!」
クラウディウス国王が、ボロボロの古地図の上にワインのシミを作りながら、夢物語を熱弁していました。
敵軍が迫っているというのに、彼の頭の中は「戦後の復興計画」――いいえ、「現実逃避の夢」で一杯なのです。
「素晴らしい案でございます、陛下! では、この崖の上には私の像を……いえ、偉大なる父バルバロッサと並ぶ、私の巨像を建てましょう!」
新当主マリウス卿もまた、父が愛用していた(そして彼には大きすぎる)真紅のマントを引きずりながら、顔を紅潮させて同意します。
彼らは、自分たちが「世界に見捨てられた難民」であることを認められないのです。
だからこそ、こうして互いに「王よ」「大公よ」と呼び合い、空虚な権威を讃え合うことで、心の平穏を保っているのでしょう。
それはまるで、沈みゆく船の上で開かれる、終わらない仮面舞踏会のようでした。
私はその光景に胸焼けを覚え、逃げるように広間を出ました。
廊下の窓からは、冷たい海風が吹き込んできます。
「……反吐が出るだろう? セシリア」
影から声がしました。 トリスタン公爵が、窓枠に腰掛け、夜の海を見下ろしていました。
彼は広間の宴には参加せず、一人でこの島の防衛線を点検していたのです。その手には、魔法陣を描くためのチョークと、数枚の護符が握られていました。
「トリスタン様……。皆様をお止めにならなくて良いのですか? 資材も食料も有限です。あのような無意味な計画に浪費しては……」
「止めれば、彼らは発狂するさ」
トリスタン様は、薄く笑いました。その瞳は、深海のように冷たく凪いでいます。
「彼らは弱いんだ。現実(ユリウス)という怪物が怖くてたまらないから、必死に『自分は偉いんだ』と叫んで威嚇している。 ……可愛いものじゃないか。震えるチワワのようで」
彼は、実の兄と主君を「チワワ」と呼び捨てにしました。 けれど、その声に憎しみはありません。あるのは、どうしようもない哀れみと、諦観だけでした。
「それに、彼らが騒いでくれているおかげで、私は動きやすい。 ……見ておけ、セシリア」
トリスタン様が指を鳴らすと、砦を取り囲む断崖絶壁に、青白い光の筋が一瞬だけ走りました。 彼がこの数日間、寝る間を惜しんで敷設していた、複雑怪奇な「迎撃魔法陣」です。
「この島は天然の要害だが、裏を返せば袋小路だ。 正面の渦潮を突破されたら終わりだ。……だから」
「だから……?」
「奴らを絡めとるような罠を張っておいた。 ……兄上たちが夢を見ている間に、私が現実の泥を片付ける。それが『弟』の役目らしいからな」
そう言って、トリスタン様は口元を押さえ、ゴホッ、と重い咳をしました。 指の隙間から、どす黒い血が滲み出しています。
彼もまた、限界が近いのです。
兄のマリウス卿は無能ゆえに呪いの進行が遅く、優秀なトリスタン様だけが、その才能の代償として命を削られている。 なんという不条理でしょうか。
「……死に急がないでください、トリスタン様」
私が思わず駆け寄ると、彼は血のついた唇を拭い、妖艶に微笑みました。
「急いでなどいないさ。ただ、退屈な幕切れは御免だ。 どうせ地獄へ落ちるなら、特等席で花火を見たいだろう?」
広間からは、国王とマリウス卿の高笑いが聞こえてきます。
「ヴァーミリオン万歳! アウレリア万歳!」 その虚しい万歳三唱は、トリスタン様が一人で築き上げた防衛線(結界)に守られているからこそ叫べるもの。
賢い弟が命を削って守る檻の中で、愚かな兄たちが踊り狂う。
シレーヌ島の夜は、そんな歪な兄弟愛と、腐りかけた栄華の臭いに満ちて更けていきました。
岩肌がむき出しの古砦は、湿気とカビ、そして持ち込まれた大量の香水の匂いが混じり合い、なんとも言えない腐敗臭を放っていました。
しかし、その「仮の王宮」の中心である大広間だけは、異様な活気に満ちていました。
「見ろ、マリウス! この島の地形は天然の要害だ。 ここに新たな『新王宮』を建設しようではないか! 余の部屋はここ、舞踏会場はここだ!」
クラウディウス国王が、ボロボロの古地図の上にワインのシミを作りながら、夢物語を熱弁していました。
敵軍が迫っているというのに、彼の頭の中は「戦後の復興計画」――いいえ、「現実逃避の夢」で一杯なのです。
「素晴らしい案でございます、陛下! では、この崖の上には私の像を……いえ、偉大なる父バルバロッサと並ぶ、私の巨像を建てましょう!」
新当主マリウス卿もまた、父が愛用していた(そして彼には大きすぎる)真紅のマントを引きずりながら、顔を紅潮させて同意します。
彼らは、自分たちが「世界に見捨てられた難民」であることを認められないのです。
だからこそ、こうして互いに「王よ」「大公よ」と呼び合い、空虚な権威を讃え合うことで、心の平穏を保っているのでしょう。
それはまるで、沈みゆく船の上で開かれる、終わらない仮面舞踏会のようでした。
私はその光景に胸焼けを覚え、逃げるように広間を出ました。
廊下の窓からは、冷たい海風が吹き込んできます。
「……反吐が出るだろう? セシリア」
影から声がしました。 トリスタン公爵が、窓枠に腰掛け、夜の海を見下ろしていました。
彼は広間の宴には参加せず、一人でこの島の防衛線を点検していたのです。その手には、魔法陣を描くためのチョークと、数枚の護符が握られていました。
「トリスタン様……。皆様をお止めにならなくて良いのですか? 資材も食料も有限です。あのような無意味な計画に浪費しては……」
「止めれば、彼らは発狂するさ」
トリスタン様は、薄く笑いました。その瞳は、深海のように冷たく凪いでいます。
「彼らは弱いんだ。現実(ユリウス)という怪物が怖くてたまらないから、必死に『自分は偉いんだ』と叫んで威嚇している。 ……可愛いものじゃないか。震えるチワワのようで」
彼は、実の兄と主君を「チワワ」と呼び捨てにしました。 けれど、その声に憎しみはありません。あるのは、どうしようもない哀れみと、諦観だけでした。
「それに、彼らが騒いでくれているおかげで、私は動きやすい。 ……見ておけ、セシリア」
トリスタン様が指を鳴らすと、砦を取り囲む断崖絶壁に、青白い光の筋が一瞬だけ走りました。 彼がこの数日間、寝る間を惜しんで敷設していた、複雑怪奇な「迎撃魔法陣」です。
「この島は天然の要害だが、裏を返せば袋小路だ。 正面の渦潮を突破されたら終わりだ。……だから」
「だから……?」
「奴らを絡めとるような罠を張っておいた。 ……兄上たちが夢を見ている間に、私が現実の泥を片付ける。それが『弟』の役目らしいからな」
そう言って、トリスタン様は口元を押さえ、ゴホッ、と重い咳をしました。 指の隙間から、どす黒い血が滲み出しています。
彼もまた、限界が近いのです。
兄のマリウス卿は無能ゆえに呪いの進行が遅く、優秀なトリスタン様だけが、その才能の代償として命を削られている。 なんという不条理でしょうか。
「……死に急がないでください、トリスタン様」
私が思わず駆け寄ると、彼は血のついた唇を拭い、妖艶に微笑みました。
「急いでなどいないさ。ただ、退屈な幕切れは御免だ。 どうせ地獄へ落ちるなら、特等席で花火を見たいだろう?」
広間からは、国王とマリウス卿の高笑いが聞こえてきます。
「ヴァーミリオン万歳! アウレリア万歳!」 その虚しい万歳三唱は、トリスタン様が一人で築き上げた防衛線(結界)に守られているからこそ叫べるもの。
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