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海峡の決戦
葬送の海峡
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世界の西の果て、「レクイエム海峡」。
その名の通り、死者の魂が最後に通り抜けると言われるこの海域は、耳を聾するほどの激流の轟音に包まれていました。
潮の流れはまるで白い龍のようにうねり、不用意に入った船を岩礁へと叩きつけようと待ち構えています。
夜明け前。旗艦「紅蓮号」の甲板には、生き残った全将兵が集められていました。
その数はわずか千人足らず。
対するアージェント連合軍は一万を超えます。
しかし、彼らの目に恐怖はありませんでした。
あるのは、死に場所を得た猛獣のような、ぎらついた殺意だけです。
「……諸君。おはよう」
トリスタン公爵が、いつものように気怠げに現れました。
その顔色は死人のように蒼白で、口元には拭いきれない血の跡がありましたが、その立ち姿だけは、かつてのバルバロッサ大公をも凌ぐ凄味を放っていました。
「状況を説明する。敵は三百隻。我々は三十隻。戦力差は十倍だ」
トリスタン様は、淡々と事実を述べました。 兵たちがざわめくこともありません。皆、承知の上なのです。
「だが、この海峡において、数は無意味だ。 ……見ろ、この潮を」
彼が指差した先では、凄まじい激流が東から西へ――つまり、敵側から我々の方へ向かって流れていました。
「アージェントの船は風任せの帆船だ。この激流に乗れば、彼らは壊れた馬車のように、制御不能のまま突っ込んでくるしかない。 対して、我々には『心臓(エンジン)』がある」
トリスタン様は、足元の甲板をブーツで踏み鳴らしました。
ドゥン、ドゥン、と船底の魔導機関が、獣の心音のように呼応します。
「我々は流れに逆らい、この場に踏みとどまることができる。 分かるか? 我々は動く必要すらない。 ただこの場所に『岩』のように立ち、激流に流されてくる哀れな標的を、片っ端から撃ち沈めればいいのだ」
それは、地形と技術の差を極限まで利用した、あまりにも残酷で合理的な作戦でした。
「これは戦争ではない。流れ作業の屠殺だ。 ……存分に楽しめ。我々ヴァーミリオンが地獄へ堕ちる前の、最後の大花火だ」
トリスタン様がニヤリと笑うと、兵士たちは一斉に吼えました。
「応ッ!!」 「ヴァーミリオン万歳! トリスタン公爵万歳!」 「アージェントの奴らを、血の海に沈めてやるぞ!」
彼らは知っているのです。
勝っても生きては帰れないことを。
それでも、最後に一矢報い、敵を道連れにできるなら本望だと。
その熱狂は、希望によるものではなく、絶望が反転した「死への渇望」でした。
一方、船内の空気は、打って変わって氷のように静まり返っていました。
かつての豪華な調度品はすべて防弾のために取り払われ、ガランとした船室には、オクタヴィア大公妃とテオドラ王妃様、そして私だけが残っていました。
大公妃は鏡の前で、入念に紅を引いていました。 その姿は、戦場に向かう武人そのものでした。
「……外は騒がしいね」
「はい。兵たちは、死ぬ気です」
私が答えると、大公妃は満足げに頷きました。
「結構。……セシリア、お前も覚悟はおでき。 私たちはもう、生きて土を踏むことはない。この海が私たちの墓標になるんだ」
大公妃は立ち上がり、黒い喪服のようなドレスの裾を翻しました。
その威厳は、国を失ってもなお、彼女が「大公妃」であることを雄弁に物語っていました。
彼女は懐から短剣を取り出し、自身の帯に差しました。敵に辱められる前に、自ら喉を突くためでしょう。
「テオドラ。準備はいいかい」
「……ええ、お母様」
テオドラ様は、窓の外から聞こえる激流の音に耳を傾けていました。
その腕の中には、ルシアン王子が抱かれています。
不思議なことに、いつもは泣いてばかりの王子が、今日は海を見つめて静かに笑っていました。
「聞こえるわ。……あの方が、迎えに来ている」
テオドラ様の光のない瞳が、恍惚と潤んでいました。 彼女にとって、この激流の轟音は、恐怖の対象ではなく、愛する夫(海神)からのラブソングのように聞こえているのです。
「セシリア」
「はい」
「私の手が震えていたら、握ってちょうだい。……最期の時まで」
私は涙をこらえ、その氷のように冷たい手を強く握りしめました。
「お任せください。……私はどこへも行きません」
その時。 見張り台からの絶叫が、船内まで響き渡りました。
「敵影確認! 数、三百以上! ――海が、白く染まって見えます!」
ついに来たのです。
アージェント連合軍の白い帆が、水平線を埋め尽くし、激流に乗って押し寄せてきました。
それはまるで、私たちを飲み込もうとする白い津波のようでした。
「機関全開(フル・ドライブ)! 位置を固定しろ!」
トリスタン様の怒号と共に、船底のエンジンが咆哮を上げました。 紅蓮号は黒い煙を噴き上げ、激流の中で仁王立ちするように静止しました。
「撃てぇぇぇッ!!」
ズドドドドンッ!! ヴァーミリオン艦隊の一斉射撃が火蓋を切り、レクイエム海峡の白い波が、瞬く間に赤く染まり始めました。 滅びの歌が、始まります。
その名の通り、死者の魂が最後に通り抜けると言われるこの海域は、耳を聾するほどの激流の轟音に包まれていました。
潮の流れはまるで白い龍のようにうねり、不用意に入った船を岩礁へと叩きつけようと待ち構えています。
夜明け前。旗艦「紅蓮号」の甲板には、生き残った全将兵が集められていました。
その数はわずか千人足らず。
対するアージェント連合軍は一万を超えます。
しかし、彼らの目に恐怖はありませんでした。
あるのは、死に場所を得た猛獣のような、ぎらついた殺意だけです。
「……諸君。おはよう」
トリスタン公爵が、いつものように気怠げに現れました。
その顔色は死人のように蒼白で、口元には拭いきれない血の跡がありましたが、その立ち姿だけは、かつてのバルバロッサ大公をも凌ぐ凄味を放っていました。
「状況を説明する。敵は三百隻。我々は三十隻。戦力差は十倍だ」
トリスタン様は、淡々と事実を述べました。 兵たちがざわめくこともありません。皆、承知の上なのです。
「だが、この海峡において、数は無意味だ。 ……見ろ、この潮を」
彼が指差した先では、凄まじい激流が東から西へ――つまり、敵側から我々の方へ向かって流れていました。
「アージェントの船は風任せの帆船だ。この激流に乗れば、彼らは壊れた馬車のように、制御不能のまま突っ込んでくるしかない。 対して、我々には『心臓(エンジン)』がある」
トリスタン様は、足元の甲板をブーツで踏み鳴らしました。
ドゥン、ドゥン、と船底の魔導機関が、獣の心音のように呼応します。
「我々は流れに逆らい、この場に踏みとどまることができる。 分かるか? 我々は動く必要すらない。 ただこの場所に『岩』のように立ち、激流に流されてくる哀れな標的を、片っ端から撃ち沈めればいいのだ」
それは、地形と技術の差を極限まで利用した、あまりにも残酷で合理的な作戦でした。
「これは戦争ではない。流れ作業の屠殺だ。 ……存分に楽しめ。我々ヴァーミリオンが地獄へ堕ちる前の、最後の大花火だ」
トリスタン様がニヤリと笑うと、兵士たちは一斉に吼えました。
「応ッ!!」 「ヴァーミリオン万歳! トリスタン公爵万歳!」 「アージェントの奴らを、血の海に沈めてやるぞ!」
彼らは知っているのです。
勝っても生きては帰れないことを。
それでも、最後に一矢報い、敵を道連れにできるなら本望だと。
その熱狂は、希望によるものではなく、絶望が反転した「死への渇望」でした。
一方、船内の空気は、打って変わって氷のように静まり返っていました。
かつての豪華な調度品はすべて防弾のために取り払われ、ガランとした船室には、オクタヴィア大公妃とテオドラ王妃様、そして私だけが残っていました。
大公妃は鏡の前で、入念に紅を引いていました。 その姿は、戦場に向かう武人そのものでした。
「……外は騒がしいね」
「はい。兵たちは、死ぬ気です」
私が答えると、大公妃は満足げに頷きました。
「結構。……セシリア、お前も覚悟はおでき。 私たちはもう、生きて土を踏むことはない。この海が私たちの墓標になるんだ」
大公妃は立ち上がり、黒い喪服のようなドレスの裾を翻しました。
その威厳は、国を失ってもなお、彼女が「大公妃」であることを雄弁に物語っていました。
彼女は懐から短剣を取り出し、自身の帯に差しました。敵に辱められる前に、自ら喉を突くためでしょう。
「テオドラ。準備はいいかい」
「……ええ、お母様」
テオドラ様は、窓の外から聞こえる激流の音に耳を傾けていました。
その腕の中には、ルシアン王子が抱かれています。
不思議なことに、いつもは泣いてばかりの王子が、今日は海を見つめて静かに笑っていました。
「聞こえるわ。……あの方が、迎えに来ている」
テオドラ様の光のない瞳が、恍惚と潤んでいました。 彼女にとって、この激流の轟音は、恐怖の対象ではなく、愛する夫(海神)からのラブソングのように聞こえているのです。
「セシリア」
「はい」
「私の手が震えていたら、握ってちょうだい。……最期の時まで」
私は涙をこらえ、その氷のように冷たい手を強く握りしめました。
「お任せください。……私はどこへも行きません」
その時。 見張り台からの絶叫が、船内まで響き渡りました。
「敵影確認! 数、三百以上! ――海が、白く染まって見えます!」
ついに来たのです。
アージェント連合軍の白い帆が、水平線を埋め尽くし、激流に乗って押し寄せてきました。
それはまるで、私たちを飲み込もうとする白い津波のようでした。
「機関全開(フル・ドライブ)! 位置を固定しろ!」
トリスタン様の怒号と共に、船底のエンジンが咆哮を上げました。 紅蓮号は黒い煙を噴き上げ、激流の中で仁王立ちするように静止しました。
「撃てぇぇぇッ!!」
ズドドドドンッ!! ヴァーミリオン艦隊の一斉射撃が火蓋を切り、レクイエム海峡の白い波が、瞬く間に赤く染まり始めました。 滅びの歌が、始まります。
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