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10 午前3時のシンデレラ③
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オーナーの女性は困ったように首に手をあて、思案するような顔をした。
日下が無邪気な声で、説明をする。
「先ほどまで怖い目にあっていた女性を、とって食おうなんて思ってませんよ。いまからコンパニオンでも上司のために手配しようと思って部屋から出ようとしていたので、ちょうどいいかと思って」
ちらりと再度日下に視線を送られ、身がすくむ。
蛇ににらまれたカエルのような心境でいると、おかしそうに日下が笑った。
「君はどうかな? あの医者と一緒に事務所に行って汚い罵声を聞いているより、お金も稼げるし、お得でしょ? Win-Winだと思うけど」
確かに見知らぬ男性だったなら素晴らしい提案だったかもしれないが、いかせん、日下とこれ以上一緒にいてボロが出るのは遠慮したい。
羊子は首を振ろうとしたが、一足先にオーナーの女性が「そうするのがよさそうね」と頷いてしまう。
(私の意見をだれか聞いて~)
オーナーの女性は肩の荷がおりたというふうに、有無を言わせぬ笑顔になった。
「じゃあ、そちらの女性はお任せしますね。お嬢さん、大丈夫よ。こちらの日下様はあの『ウォルフ』の重役だし、変なことは絶対にしない方たちだから」
言うだけ言って、まだ喚いている先生をひきつれ、オーナーは足早に立ち去ってしまった。
着物の背にすがりたかったが、いつのまにか日下に肩をつかまれていた。
「じゃあ、君の会社の電話番号を教えてね。電話しておくから」
にこりと微笑む顔には、特に、羊子に気づいている様子はない。
むしろ、いつものように揶揄うようなことは言わないので、別の女性と思っているのだろう。
(バレてないんだよね。それなら、少しだけ付き合って、時間だからと逃げるしかないか)
ため息をつきたくなるが仕方ない。
覚悟を決めて、羊子は名刺をとりだして渡す。
日下が電話をかけはじめると、先に入っておくようにドアを開けてくれた。
(こんなところでもレディファーストなのね、この人。はあ……)
部屋に入ると、薄暗い室内にソファに腰を落ち着けている男がいるのがわかった。
誰かを確かめようとして、羊子は、心底流されたのを後悔した。
一難去ってまた一難。
部屋の中心には、大神社長が座っていたのだ。
回れ右したくなる羊子の後ろで、ドアが無情にも閉められてしまう。
(ちょっと、日下部長、なんで入ってこないのよ!)
八つ当たり気味に扉を睨んでいると、いたわるような優しい声で大神が話しかけてきた。
「はじめまして、お嬢さん。俺は『ウォルフ』の大神と言う。怪しいものではないので安心していい」
名刺とともに自己紹介される。
仕方なく、社長であることに驚いているリアクションをしながら、こちらも偽名を名乗る。
「コンパニオンのメイプルです」
「外の声は聞こえていた。大変だったようだね。ここで少し休んでいくといい」
(あれ? けっこういい人?)
ケータリングのメニューを差し出され、さらに好感度が増した。
「好きなものを頼むといい」
「いいんですか?」
「ああ」
言質ははとった。
じゃあ、遠慮なく。
ページをめくって、一番高そうなお寿司を選んでも嫌な顔一つしない大神を、羊子は見直してしまった。
自分でお酒を作りながら、気遣うように声をかけられる。
「ああいうことはよくあるのか?」
ハキハキと答えかけて、いまの自分の格好を思い出した。
油断しないで、巨乳おバカキャラを貫かなければ。
「そうですねぇ。わたしたちは普通のコンパニオンなのにぃ、風俗かなにかと勘違いしている人はぁ、たまにいますよぉ」
「難儀な仕事だな。辞めたいとは思わない?」
「時給がぁ、とぉってもぉいいんですぅ」
「君は正直者すぎるな」
グラスを傾けながら、大神が喉の奥で笑う。
「嫌になったら、『ウォルフ』で雇ってもいいと言ったらどうする?」
餌をちらつかせるように、言う。
もう社員なんで、とはもちろん言えないので、羊子は言い訳のように気になっていた噂を口にした。
「ウォルフってぇ、痩せてる人しか採用しないですよねぇ?」
「そんなことはない。もちろん、あまりにも不摂生な体型だと、自己管理ができないとして採用は見送るだろうが、君くらいの子は健康的で問題にならないだろう。確かに、フィットネスには運動経験者しか採用しないようにきつく言ってはあるがね」
(だから筋肉がないのに入れるわけないって言ってたのか)
ひとつ謎がとけてスッキリしていると、大神はスマホを取り出した。
「部下が遅いので一本入れさせてくれないか。君はあんなことがあった後なのに、男と2人きりにするなんて、申し訳なかったね」
言うが早いか、操作したスマホを耳に当てる。
ほどなくして日下が出たようだった。
「どこにいる? 何? いいから戻ってこい。おい!」
すぐに切れてしまったらしい。
耳から離したスマホを呆然と見つめていた大神は、苛立ちをぶつけるように、ソファにそれを投げ捨てた。
「どうかぁ、されたんですかぁ?」
「ああ。部下が急用で帰社したらしい」
考えるように、大神は話を続ける。
「俺はもう少し飲んでいくから、君は帰りなさい。こんな遅い時間に悪かったね」
羊子はすぐに反論した。
「私もぉ、プロですからぁ、いただいたお代分はぁお仕事しますぅ」
まだ帰るわけにはいかない。
だって、高級お寿司を食べていないのだから。
日下が無邪気な声で、説明をする。
「先ほどまで怖い目にあっていた女性を、とって食おうなんて思ってませんよ。いまからコンパニオンでも上司のために手配しようと思って部屋から出ようとしていたので、ちょうどいいかと思って」
ちらりと再度日下に視線を送られ、身がすくむ。
蛇ににらまれたカエルのような心境でいると、おかしそうに日下が笑った。
「君はどうかな? あの医者と一緒に事務所に行って汚い罵声を聞いているより、お金も稼げるし、お得でしょ? Win-Winだと思うけど」
確かに見知らぬ男性だったなら素晴らしい提案だったかもしれないが、いかせん、日下とこれ以上一緒にいてボロが出るのは遠慮したい。
羊子は首を振ろうとしたが、一足先にオーナーの女性が「そうするのがよさそうね」と頷いてしまう。
(私の意見をだれか聞いて~)
オーナーの女性は肩の荷がおりたというふうに、有無を言わせぬ笑顔になった。
「じゃあ、そちらの女性はお任せしますね。お嬢さん、大丈夫よ。こちらの日下様はあの『ウォルフ』の重役だし、変なことは絶対にしない方たちだから」
言うだけ言って、まだ喚いている先生をひきつれ、オーナーは足早に立ち去ってしまった。
着物の背にすがりたかったが、いつのまにか日下に肩をつかまれていた。
「じゃあ、君の会社の電話番号を教えてね。電話しておくから」
にこりと微笑む顔には、特に、羊子に気づいている様子はない。
むしろ、いつものように揶揄うようなことは言わないので、別の女性と思っているのだろう。
(バレてないんだよね。それなら、少しだけ付き合って、時間だからと逃げるしかないか)
ため息をつきたくなるが仕方ない。
覚悟を決めて、羊子は名刺をとりだして渡す。
日下が電話をかけはじめると、先に入っておくようにドアを開けてくれた。
(こんなところでもレディファーストなのね、この人。はあ……)
部屋に入ると、薄暗い室内にソファに腰を落ち着けている男がいるのがわかった。
誰かを確かめようとして、羊子は、心底流されたのを後悔した。
一難去ってまた一難。
部屋の中心には、大神社長が座っていたのだ。
回れ右したくなる羊子の後ろで、ドアが無情にも閉められてしまう。
(ちょっと、日下部長、なんで入ってこないのよ!)
八つ当たり気味に扉を睨んでいると、いたわるような優しい声で大神が話しかけてきた。
「はじめまして、お嬢さん。俺は『ウォルフ』の大神と言う。怪しいものではないので安心していい」
名刺とともに自己紹介される。
仕方なく、社長であることに驚いているリアクションをしながら、こちらも偽名を名乗る。
「コンパニオンのメイプルです」
「外の声は聞こえていた。大変だったようだね。ここで少し休んでいくといい」
(あれ? けっこういい人?)
ケータリングのメニューを差し出され、さらに好感度が増した。
「好きなものを頼むといい」
「いいんですか?」
「ああ」
言質ははとった。
じゃあ、遠慮なく。
ページをめくって、一番高そうなお寿司を選んでも嫌な顔一つしない大神を、羊子は見直してしまった。
自分でお酒を作りながら、気遣うように声をかけられる。
「ああいうことはよくあるのか?」
ハキハキと答えかけて、いまの自分の格好を思い出した。
油断しないで、巨乳おバカキャラを貫かなければ。
「そうですねぇ。わたしたちは普通のコンパニオンなのにぃ、風俗かなにかと勘違いしている人はぁ、たまにいますよぉ」
「難儀な仕事だな。辞めたいとは思わない?」
「時給がぁ、とぉってもぉいいんですぅ」
「君は正直者すぎるな」
グラスを傾けながら、大神が喉の奥で笑う。
「嫌になったら、『ウォルフ』で雇ってもいいと言ったらどうする?」
餌をちらつかせるように、言う。
もう社員なんで、とはもちろん言えないので、羊子は言い訳のように気になっていた噂を口にした。
「ウォルフってぇ、痩せてる人しか採用しないですよねぇ?」
「そんなことはない。もちろん、あまりにも不摂生な体型だと、自己管理ができないとして採用は見送るだろうが、君くらいの子は健康的で問題にならないだろう。確かに、フィットネスには運動経験者しか採用しないようにきつく言ってはあるがね」
(だから筋肉がないのに入れるわけないって言ってたのか)
ひとつ謎がとけてスッキリしていると、大神はスマホを取り出した。
「部下が遅いので一本入れさせてくれないか。君はあんなことがあった後なのに、男と2人きりにするなんて、申し訳なかったね」
言うが早いか、操作したスマホを耳に当てる。
ほどなくして日下が出たようだった。
「どこにいる? 何? いいから戻ってこい。おい!」
すぐに切れてしまったらしい。
耳から離したスマホを呆然と見つめていた大神は、苛立ちをぶつけるように、ソファにそれを投げ捨てた。
「どうかぁ、されたんですかぁ?」
「ああ。部下が急用で帰社したらしい」
考えるように、大神は話を続ける。
「俺はもう少し飲んでいくから、君は帰りなさい。こんな遅い時間に悪かったね」
羊子はすぐに反論した。
「私もぉ、プロですからぁ、いただいたお代分はぁお仕事しますぅ」
まだ帰るわけにはいかない。
だって、高級お寿司を食べていないのだから。
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