悠久のクシナダヒメ 「日本最古の異世界物語」 第二部

Hiroko

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37 佐美良比売命

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 羅城門の左右には、大きな松明に火がともされ、時折バチバチと松の爆ぜる音が響いた。
 僕はその匂いを鼻腔に満たしながら、平城京の羅城門をくぐった。前にここを通った時には、スサノオも一緒だった。自分を信じろと言うスサノオの言葉の意味もわからず、ろくに化け物を倒す力すらなかった。二千年も経とうと言うのに、時を止めたかのようなこの場所に、ノスタルジックな思いに耽る暇もなく、目の前には化け物どもが蠢いていた。僕は天叢雲剣を構えた。黒い靄は炎のように体から吹き出し、僕の体を覆った。陽の光が闇を追いやるの同じように、僕の纏った黒い靄は松明の灯りに照らされた場所から光を追いやって行った。
「とやあああ!!!」っと僕は天叢雲剣で目の前にいる化け物を薙ぎ払った。数十匹、いや、数百匹の化け物どもが、一瞬で塵と消えた。あの時の僕にこの強さがあれば、スサノオを失わずに済んだかもしれないのに……。そんな想いが募れば募るほど、それは強烈な戦いへの渇望へと変わり、僕の心を支配した。
 何者をも、僕を止めることはできない。
 天叢雲剣の一振りは、纏った黒い炎によってその何十倍もの長さとなり、その先にある化け物だけでなく、家々や地面を狂ったようにえぐりとった。
「待ちなさい!」そんな声が平城京のはるか先から聞こえた。「そんな雑魚ども相手にしても興が覚めるだけですよ。そのまままっすぐ、私のところにおいでなさい」まるでその声に恐れをなすかのように、街に溢れかえっていた化け物どもが静まり返り、僕の前に道を作った。
「誰だ?」
「おわかりでしょう、須佐之男命」
「天逆毎だな?」
「二千年の時を経て、あなたをお待ち申しておりました」
「どんなわけがあって僕のことを待っていたかは知らないが、僕の目的はただ一つ、スサノオの敵、お前を倒すことだ!」
「それでいいのです。さあいらっしゃい、須佐之男命」
 あの時は、自分の力を信じられず、こんなところまで来て迷って迷って、何もできなかった。
 スサノオ、これでいいのかい? 尋ねてみたかったけど、僕の横にはスサノオはいない。
 いや違う。スサノオは僕だ。僕の中にスサノオは居る。いまはそれを信じられる。僕はスサノオだ。須佐之男命だ。何者をも恐れない、天叢雲剣を操る神だ。
 朱雀大路は広く長かった。
 僕は徐々にその姿を現す平城宮の門を見据え、その先にいるまだ見えぬ声の主の元へ歩いた。

「やっと現れましたね」
 僕はその声の主の姿を見て心臓が止まりそうになった。
「ス、スサノオ……」平城宮の前の広場、松明の灯りに照らされ、真ん中に胡坐(あぐら)をかいて座るその姿は、二千年前に僕の目の前で牛鬼の角に刺し貫かれて死んだスサノオ、その人だった。
「おやおや、どうしてそんな驚いた顔をしているのです?」
「スサノオ、どうして……」
「おや? これはこれは、困ったもんですねえ。何も聞いていないのですか? 私のことについて」
「私のことにって、何のことを言ってるんだい?」僕は何かにすがるような思いでそう聞いた。
「私は天逆毎、そして私は須佐之男命、あなたの中から生まれたもう一人の須佐之男命です」
「スサノオの中から生まれた、スサノオ……」
「そうです。忘れてしまったのかも知れませんが、あなたはクシナダヒメに出会い、八岐大蛇の退治と引き換えに、その親であるアシナヅチとテナヅチにクシナダヒメとの婚姻を懇願しました。ですが二人はあなたの荒れ狂う心を危ぶみ、己の中の荒ぶる魂を捨て去ることを約束させられた。そして八岐大蛇を倒すと同時に、あなたは自らの中にクシナダヒメに対する愛と優しさを残し、怒りや欲望、荒れ狂う魂の強さの源となる全てを吐き出してしまったのです。そしてそこから生まれたのが私、天逆毎なのですよ?」
 そんな話、初めて聞いた……。
「これがどういうことかわかりますか?」
「なんだ、何が言いたい?」
「あなたは私に勝つことはできないのです。なんせ私は須佐之男命の強さ、あなたは須佐之男命の脆(もろ)さを受け継いだ身なのですから」
「僕に……、僕に勝てないものなどない!」
「いいですねえ! いいですねえ! やってごらんなさい! 強い者は好きですよ? この二千年もの間、私は強き者と出会ったことすらありません。みな私の脚元にひれ伏すばかり。つまらぬ時間を過ごしてまいりました。ぜひ見せてみなさい。あなたの中の、その強さとやらを」
「んあああああああああ!!!!!」僕は天叢雲剣を天に向け、ありったけの戦いへの欲望をそこに込めた。欲望は怒りとなり、怒りは黒い炎となって天を貫いた。天叢雲剣の切先に、ひやりと冷たいものを感じた。空を突き抜け、地球の大気の外側に到達したのだ。そのあまりの冷たさは天叢雲剣を通し、僕の手の平に届いた。手の平が凍り付き、握る力にメリメリと音を立てた。
「ぐわああああああ!!!!!」僕はありったけの力を込め、天逆毎に向け天叢雲剣を振り下ろした。
 ギイイインッ!!! と言って天叢雲剣が跳ね返される。
 天逆毎は立ち上がるそぶりすら見せず、ただにこにこと笑いながら僕を見ている。
「こっのおおお!!!」と言って僕は今度は左下から斜め上に向かって天叢雲剣を振り上げた。天叢雲剣は大地を削り、空に一筋の眩い光の線を描いた。
「効きませんねえ」天逆毎は、やはりその場に座ってにこにこと笑っている。
「ぬおおおおお!!!」僕は地面を蹴り、天逆毎の懐に飛び込みざま、今度はその横っ腹に切り込む形で天叢雲剣を振りぬいた。
 だがしかし、天逆毎はわざとらしくあくびをすると、胡坐をかいたその足に腕を乗せ、つまらなさそうに頬杖をついた。
「やはり、あなたでも駄目なのですかねえ。楽しむことすらできません。二千年も待ってあげたと言うのに」
 そんなはずはない、そんなはずはない、信じろ、自分を信じるんだ……、僕は自分にそう言い聞かせ、何度も何度も天逆毎に切りかかって行った。

「そろそろ終わりにしますか? 須佐之男命」天逆毎が退屈そうな顔でそう言った時だった。
「おや?」と言って天逆毎は横を見た。そして晴れやかなほどに顔をほころばせると、「この宴に花を添えてくれる客人が参られたようです。二人で歓迎いたしましょう」と言ってゆっくりと手を叩いた。
「何をふざけたことを言っている!」
「牛鬼、さあ、客人をこちらへ」そこに現れたのはまさに、あの時僕の目の前でスサノオを突き殺した牛鬼だった。けれど天逆毎に「客人」と呼ばれたのは牛鬼のことではなかった。その口に咥えられていたのは……。
「和也!!!」
「か、香奈子……、どうしてここに!? 香奈子!!!」そう言って僕は香奈子の体を咥えた牛鬼の首を落とすべく、天叢雲剣を構え、地面を蹴って一直線に宙を飛んだ。
「困りますねえ」そう言って天逆毎は手の平を前に差し出すと、見えない壁でも作るように僕の体をはじき返した。
「せっかくの余興です。客人に対してそのように振舞うのは、少しばかり失礼ですよ?」
「な、何だこれは! 何だこれは!」僕はそう言って目の前にできた見えない壁に何度も天叢雲剣を叩きつけた。
「どうです? 私の作った顛倒結界は」
「顛倒結界?」
「そうですよ。それも知らないと言うのですか? この国にある顛倒結界は、すべて私が二千年前に造り上げたもの。化け物たちが外に出て、私どもの食となる人を食いつくさないよう、壁を作って閉じ込めた物です」
「そんな。顛倒結界は、人を守るために……」
「その考えは間違ってはいませんよ? 確かに人を守っていますからね。あなたたち人間が、食料となる鶏をイタチやキツネから守るように」そう言って天逆毎は笑った。
「このおおおおお!!!」そう言って僕はまた何度も天叢雲剣に黒い炎を纏わせ、天逆毎に切りかかって行った。
 けれど……、けれど何度やっても……、スサノオ、スサノオ、やっぱり僕には無理だと言うのかい?
「和也、なにしてるの? 頑張って! 頑張って! 思い切り戦うって約束したじゃない!」
「まあ、何と素晴らしき姫君でありましょうぞ。感動で胸が熱くなります」
「和也、あなたは負けないわ。誰よりも強く、どんな化け物にも勝って見せると約束したわ。信じて! 私との約束を、自分自身を信じて戦って!」
「ああ、ああ、思い出しました。姫君、あなたは佐美良比売命ですね? 何ということでしょう。光栄です。こんなところであなたにお会いできるのは!」
 香奈子は笑顔で僕を見つめていた。僕を信じ、何も恐れず、眉を開き、一心に僕を見つめていた。
「ぬおおおおおお!!!!!」
 出会った頃から香奈子は勇敢だった。どんな強い化け物にも背を向けず立ち向かっていった。そんな香奈子を僕は尊び、心から愛した。
「ぐああああああ!!!!!」
 こんな弱い僕を、何一つ守れない僕を、香奈子は強いと信じ、愛してくれた。
「負けてなるものかあああああ!!!!!」
「なんと美しき姿でしょう。私は生まれて初めて涙を流しています。たとえあなた方が私に勝てずとも、これほどまでに大きな感動を与えてくれたのならば、これは感謝に値するものです」
「でやあああああ!!!!!」
「佐美良比売命、ぜひ私はあなたにお礼をしたい。これほどまで私の心を揺さぶり、熱くしてくれたお礼に、須佐之男命にさらなる強さを与えましょう」そう言うと天逆毎は立ち上がり天を仰ぐように深呼吸をすると、目の前に跪く香奈子の髪の毛を左手でつかみ、その顔を僕に見せつけるように宙にぶら下げた。
「何をする!!!!!」
 天逆毎は慈しむような目で僕を見た。
 香奈子は苦し気な表情一つせず、僕をじっと見つめにこりと笑っていた。
「香奈子……、香奈子香奈子香奈子……、香奈子!!!」
「和也……、愛してる……」その言葉は声になっていなかった。けれど確かに聞こえた。この胸の中に、香奈子はそっと両手で大切なものを置くように、僕の胸の中に、僕の胸の中に、その言葉を置いた。
 そして天逆毎は、右手に持った短刀を香奈子の首元に押し付けると、一気に……。

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

「ごとり」と言う音を最後に、僕は記憶を失った。









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