永遠の命

Hiroko

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「このまま死ぬのもよい。永遠の命を生きるのもよい。どちらを選ぶ?」神様は僕に言った。
「このまま死にます」僕は迷わずそう答えた。
「わかった。そうするがよい」
そこは空だった。
夜の空だった。
ぼんやりと霧のような薄い雲が月の光を受けながら風に流れていた。
このまま上に登れば僕は……、僕はどうなるのだろう。
天国があるのだろうか。
そんな風にも見えない。
ただそこには、暗い空が続くだけだった。
天国と言う場所に行くのではなく、ただこの暗い夜の空の一部になってしまうだけ。
僕は溶けて、消えて、この静かな静かな夜になるのだ。
そんな気がした。
僕は地上を見下ろした。
僕の葬式をやっていた。
幼馴染の和夏子が泣いていた。
和夏子はすぐ泣くやつだ。
どうしていつも、そんなに何かが悲しいのだろう。僕はよくそう思った。
和夏子はとても悲しそうに泣く。
声を上げたりはしない。
時々静かに鼻をすすり、むしろ涙をこらえるように目を閉じて泣く。
ほんの少し顔を赤くして、小さな口を結んで、聞こえないように泣く。
幽霊みたいな子だった。
色白で、痩せてて、幼稚園の頃から同じ髪型をしていた。
前髪は眉毛のところで真っすぐに切りそろえ、うしろの髪の毛は肩甲骨の辺りで五センチほど短くなったり長くなったりした。上目遣いに僕を見て、なにか話を聞いて欲しい時には呼び掛けたりせず、そっと僕の腕に触れた。
「お前はなぜ死んだ?」神様は問いかけた。
なぜ?
苦しかったからだ、生きていることが。
神様なのに、知らないのだろうか。
僕がどんなふうに生きていたのか、見ていなかったのだろうか。
「お前はなぜ死んだ?」神様は同じ質問をした。
「いじめられたんです」
「そうか」と言って、神様はそれ以上聞かなかった。
神様も、お父さんとお母さんと同じだった。
学校に行くのが嫌だと言っても、「どうして?」と聞くだけで、「いじめられているから」と答えても、それ以上何も聞いてくれなかった。
中学に入ると、僕はいじめられた。
特に理由があったわけではないけれど、すれ違いざまに頭を叩かれたり、けられたり。
友達がいなかった。
中学は全部で八クラスあって、僕は同じ小学校からの友達とは誰とも同じクラスになれなかった。
勉強が苦手だった。
体育はもっと苦手だった。
絵を描くことに興味はなかった。
声を出すのが嫌いだったので、音楽の授業も好きではなかった。
だから学校は、何一つおもしろいことがなかった。
放課後いつも、帰り道にある本屋に寄った。
約束をしていたわけではないのだけれど、そこでいつも和夏子が待っていた。
特に何かを話すわけでもなく、僕と和夏子はそれぞれ本屋をぶらぶらと見て回り、それに飽きると一緒に帰った。
きっと和夏子は独りで帰るのが寂しかったのだろう。
僕は勝手にそう思った。
家は同じマンションの二階と三階にあった。
僕は二階で、和夏子は三階だった。
マンションは古い五階建てで、薄暗いエレベーターが付いていた。
僕が二階で降りて閉まるドアの向こうに和夏子を見ると、和夏子はいつも助けを求めるように僕を見つめた。
なににそんなに怯えていたのだろう。
僕は和夏子の笑っている顔を思い出そうとした。
思い出そうとした。
思い出そうとしたけれど……、どこにも見つからなかった。
和夏子はおばあちゃんと二人暮らしだった。
お母さんはいなかった。
お父さんは病気で入院していると言っていた。
「どんな病気?」と僕は尋ねたけれど、和夏子は「わからない」と言った。
和夏子といつから友達だったか思い出せなかった。
保育園に通う時、いつもうちのお母さんが和夏子を一緒に連れて行った。
保育園では、和夏子を僕の妹だと思う友達もいた。
たぶん、その頃からだ。
和夏子と友達になったのは。
僕の名前は和樹と言った。
小学校三年生の時、学校で「和」と言う漢字を習った。
それまで僕は、自分の名前をテスト用紙に書くとき、「かずき」と平仮名で書いた。
和夏子は「子」の漢字だけ一年生の時に習ったので、いつも「わか子」と書いた。
二年生になると、「夏」と言う漢字も習ったので、「わ夏子」になった。
三年生になって「和」と言う漢字を習った時、僕の「かず」と和夏子の「わ」が同じ漢字であることを知った。
そして僕はなんとなく自分の名前を「和き」と書くのが嫌だったので、お父さんに漢字を教えてもらい、三年生の時から「和樹」と書くようになった。
和夏子は名前に「夏」があるのに、冬のような女の子だった。
静かに、雪が降るような小さな音でしか声を出さなかった。
「さあ、行くがよい」神様のその声に、僕は自分が空にいることを思い出した。
空は、どこまで続くのだろう。
ふとそう思った。
本当は宇宙なんてどこにもなく、この空が永遠に続いているのではないだろうか。
僕はそう思った。
ゆっくりと、僕はそのどこまでも続く空に向かって昇り始めた。
見上げた空は、今まで見たこともないほど広かった。
吸い込まれるようなその感覚に、僕は初めて清々しい自由と言う感覚を知った。

行かないで。

雪が地面に吸い込まれるような小さな声でそう聞こえた。
和夏子だった。
僕は振り向いた。

行かないで。

和夏子はマンションの屋上にいた。
冷たいコンクリートの上に座り込んで、空を見上げてそう言っていた。
僕のことが見えるのだろうか。
そんなはずはないと思った。
僕はもう死んだのだから。

行かないで。

けれど和夏子は、まるでそこに見えるかのように僕を見上げながら、そう言っていた。

かずき、行かないで。
お願いします。

その言葉が、とてもとても冷たく僕の心に浸み込んできた。
胸の奥が凍えるように冷たかった。
けれどその冷たさは、きっと僕が感じているものではなく、いま和夏子が胸の中に感じているのだろうと思った。
なんだか僕は悲しくなって、涙を流した。
僕がいなくなっても、やはり和夏子は学校の帰りに本屋で僕を待つのだろうか。
けれど僕が来なければ、和夏子は独りでマンションに帰るのだろうか。
独りで薄暗いエレベーターに乗り、三階のボタンだけ押して自分の家に帰るのだろうか。

行かないで。

和夏子はマンションの屋上で、僕が飛び降りた場所にいた。
和夏子の座る隣には、僕に手向けられた花が置かれていた。
和夏子はもう空を見上げてはいなかった。
うつむき、時折小さく肩を震わせていた。

行かないで。

そんな小さな声で、誰に聞こえると言うのだろう。
そこで僕は思い出した。
和夏子は、僕以外の誰にも話しかけているところを見たことがない。
だからきっと、僕にしか聞こえないような小さな声でしか話さないんだ。
「どうした?」神様が尋ねた。
僕は何も言えず、その場から動けなかった。
和夏子を見る目を、背けることができなかった。
「永遠の命を、僕に下さい」それは僕が思ったことではなかった。ただ、口から吸った息が吐き出される時、そんな言葉になって出てきただけだった。
「わかった」神様は言った。
霧のような薄い雲はもうどこにもなかった。
ただでっかく、腕を広げたよりも大きな月が、悲しそうに僕を見ていた。

目が覚めると、見知らぬ部屋にいた。
カーテンの隙間から光が見えたが、部屋は暗い。
聞きなれぬ声で、「陽一、ご飯だよ」と言う女の人の声が聞こえた。
僕はもうすぐ死ぬ。
ふとそんな確信が、胸の中にあった。
「陽一? 何してるの? 早く起きなさい?」そう言って女の人が扉を開けて、部屋を覗き込んだ。嗅いだことのない化粧の匂いが鼻を突いた。
「え、ああ……」と僕はわけもわからずその人の顔を見た。
知らない人だった。グレーのスーツを着て、僕のお母さんより少し若く、化粧が濃かった。
「陽一、どうかした?」
陽一と呼ばれているのはどうやら僕のことだと気づいた。で、その知らない女の人は、僕が陽一であることに疑いを持たないようだった。
「ご飯食べて。ちゃんと学校行きなさいよ?」
「わかった」僕はそう言って起き上がった。
女の人はそれを見て気が済んだのか、扉を閉めてどこかに行った。
僕はパジャマを着ていた。
自分の手のひらを見つめた。
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「陽一、なにしてるの?」
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その声に呼ばれ、僕は恐る恐る部屋の外に出た。
見知らぬ家の、見知らぬ台所だった。
僕が住んでいたマンションとそう変わらない狭さの家だった。
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「早く食べちゃって。お母さんももう仕事に行くから」
どうやら僕を陽一と呼ぶその女の人は、僕のお母さんらしかった。
「ほら、早く」
テーブルの上には、目玉焼きとご飯と味噌汁が置かれていた。
僕は座ってそれを食べた。
「あら。ソースは?」
ソース?
「いつもソースかけて食べるじゃない。ほら」そう言って女の人は僕の目の前にソースを置いた。
「それじゃあお母さん、先に出るわよ? 食器はシンクの中に置いてってね。帰ったら片付けるから」そう言って女の人は、慌ただしく台所から出てもう一つの部屋に入り、黒いカバンを持つと家から出て行った。
僕は独り、静まり返った見知らぬ家に取り残された。
半分食べた目玉焼きにソースをかけた。
味噌汁は半分冷めていて、猫舌の僕は食べやすかった。
ただ、いつも食べる味噌汁よりは味が薄く、あまり美味しいとは思えなかった。
全部食べ終えると、食器をまとめてシンクに置いて、僕は自分の部屋に戻った。
僕は自分の置かれた状況に途方に暮れた。
ベッドに腰かけ、何かを見るでもなく、ただぼーっと時間を過ごした。
僕はもうすぐ死ぬ。
なぜかそのことだけが、陽一としての僕が唯一知っている事実として頭の中にあった。
そうだ、和夏子……。
和夏子……。
和夏子は、どうしているのだろう。
今ごろ学校だろうか。
そう思い、僕は時計を見た。
時間は九時十二分だった。
僕は、僕はどうすればいいのだろう。
自分が誰かすらよくわからないのに、学校に行っていいのだろうか。
和夏子に会っていいのだろうか。
どんな顔をされるのだろう。
どうすれば……、いいのだろう。
見るとベッドの片隅に、僕のものと思われる制服を見つけた。
見知らぬ制服だった。
僕の通っていた中学のものとは違う。
学校に行けと言われたが、僕はどこの学校に行けばいいのかわからなかった。
僕はどうやら陽一だ。それしかわからなかった。
鏡の置いてある箪笥を開けて、僕は服を探した。
茶色の綿のズボンと、靴下と青いティーシャツを見つけ、それを着た。
外は寒そうだったので、さらにセーターを見つけてそれも着た。
とりあえず、ここから出よう。
僕はそう思い、靴を履いて外に出た。

まったく見知らぬ場所だった。
この家は、この建物は、マンションと言うより、団地だった。
その言葉は友達から教わった。
白くて同じ見た目の建物がいくつも並び、自分の家がどこだかわからなくなりそうな家、それが団地だった。
エレベーターを探したけれど、どこにもなかった。
短く何度も折れ曲がる階段を、目が回りそうになりながら下に降りた。
すれ違った大人が訝し気な目で僕を見た。
こんな時間だから、きっと学校をサボっていると思われたに違いない。
けど実際、僕は学校をサボっているのだ。
僕は建物の外に出ると、一目散にその建物から遠ざかろうと方向もわからず走り出した。
どちらを向いても同じ景色だった。
団地と思われる建物の一群の中にいて、僕は迷路の中にいるようだった。
けれどかまわず僕は走った。
抜け出すためにはそれしかなかった。
並べられた車の横を走り、めんどくさそうに作られた小さな公園を抜け、「A-1」「A-2」「A-3」と書かれた団地を横目に、なんとかその場所を離れることができた。
車の走る大通りを歩いていると、線路が見えた。
今度はその線路沿いに細い道を歩いていくと、駅が見えた。
知っている駅だった。
僕がいつも使う駅の、二つ隣りの駅だった。
僕は財布を持っていなかった。
財布どころか、カバンも何も持ってはいなかった。
よく考えてみれば、僕はもう自分がどこから来たのかわからなくなっていた。
振り返っても、もう団地がどちらの方向にあったのかすら思い出せなかった。
僕は立ち尽くした。
泣き出しそうだった。
和夏子……。
なぜか僕はその時、無性に和夏子に会いたくなった。
僕が僕であるときは、和夏子のことをそんな風に考えたことはなかった。
けれど今は、頭の中が和夏子の顔でいっぱいになった。
和夏子のとこに行こう。
そう思って、僕は線路沿いの道を歩き出した。

駅を二駅分歩き、本屋に着いたのはちょうど学校の授業が終わる二時半ごろのことだった。
いつもより、少しだけ早い時間だ。
和夏子は来るだろうか。
来るに違いなかった。
理由はないけれど、僕にはそれがわかった。
五分待ち、十分待ち、二十分ほど待つと和夏子が現れた。
僕はなんだかとてつもなく懐かしい気持ちに胸がいっぱいになり、和夏子の顔を見つけるとそちらの方に近づいていった。
「和夏子」こちらに歩いてくる和夏子に、そう声をかけた。
いつもなら、声をかけたりはしない。
お互いなんとなく雰囲気でそこにいるのを悟り、声を掛け合わなくても気持ちが重なった。
まるでもう一人の自分がそこにいるような感覚だった。
ただ今は、名前を呼ばずにはいられなかった。
それくらい、和夏子の存在を切望していた。
和夏子は僕の声に立ち止まり、じっと僕の顔を見つめた。
そこで僕は思い出した。
僕は僕でないことを。
和夏子は嬉しくも悲しくも怖くも楽しくもない顔で僕を見た。
無表情なところはいつもと変わらない和夏子だったが、僕を見る目はいつもと違う和夏子だった。
僕だよ……、僕なんだ……、和樹なんだ……。
それは言葉に出して言うことができなかった。
やがて和夏子は目を逸らして本屋の奥へと姿を消した。
僕はそれからどうしていいのかわからなかった。
この本屋にいれば、遠くてもいつも自然に和夏子の存在を肌で感じていたのに、今日は何も感じなかった。
離れてしまった和夏子は、もうそこにはいなかった。
離れた距離がそのまま二人の距離だった。
僕はどうしていいかわからず、店の外で和夏子が出てくるのを待った。
和夏子はなかなか本屋から出ては来なかった。
夕方になると、駅が近いせいかたくさんの大人たちが足早に僕の前を通り過ぎて行った。
日は傾き、東の空は暗くなっていた。
僕はこれからどうしようと言うのだろう。
うつ向き、地面の雑草を眺めていると、和夏子が本屋から出てくるのが見えた。
僕は十メートルほど後を和夏子について歩いた。
声をかけることもできず、隣を歩くこともできず、気が付くとマンションのエレベーターで和夏子が三階に上がっていくのを遠くから見送った。
僕は和樹の家にも陽一の家にも帰ることができず、寒い夜を公園で過ごした。
次の日の夕方、僕はまた本屋に行った。
同じ時間に和夏子が本屋に入ってくるのを見つけたけれど、僕はもう声をかけることができなかった。
昨日と同じように日が暮れるまで本屋の外で待つと、僕はまた和夏子の後をついてマンションまで行った。
和夏子がエレベーターに乗って姿を消すと、僕はエレベーターに近づき、エレベーターが何階にいるかを示すランプがゆっくりと昇っていくのを見送った。
エレベーターは、まっすぐ三階には上がらず、一度二階で止まってしばらく動かなかった。
和夏子以外、誰か乗っていただろうか。
いや、乗ってはいなかった。
和夏子は僕のために、二階のボタンも押したのだ。
いつもそうだった。
二人でエレベーターに乗り込むと、和夏子はいつも僕のために二階のボタンも押した。
今でもきっと、和夏子の隣には和樹である僕が亡霊のように立っているのだろう。
僕は……、僕は、和樹はここにいるのに……。
それをどうやって伝えればいいのか、僕にはまったく思い浮かばなかった。

次の日もやはり、僕は本屋で和夏子を待ち、日が暮れるとその後をついてマンションまで行った。
和夏子がエレベーターに乗り込み、視界から消えると、僕はまた後を追うようにエレベーターのところまで行った。
きっとまた、二階でエレベーターは止まるだろう。
僕はそう思った。
けれど和夏子を乗せたエレベーターは二階には止まらず……、三階にも止まらず……、そのまま五階まで行った。
なぜだろう?
僕は不思議に思ってエレベーターのボタンを押した。
降りてきたエレベーターには誰も乗ってはいなかった。
僕は開いた扉に吸い込まれるようにエレベーターに乗り、五階のボタンを押した。
通り過ぎる二階と三階の廊下の向こうに和夏子を探したけれど、姿はなかった。
和夏子はいったいどこに行ったのだろう。
五階に着くと、僕はエレベーターを降りた。
そこにもやはり、和夏子はいなかった。
どこに行ったのだろう。
もし和夏子が五階で降りたなら、考えられる行く先が一つだけあった。
僕は廊下の真ん中にある非常階段のところに行き、階段の上を見上げた。
屋上への階段は、そこから先に行けないように柵がしてあったが、反対側に手を回せば簡単に鍵は開いた。
僕はその柵を開け、屋上への階段を上がった。
扉を開け、外に出ると、給水塔を回り込んで反対側を見た。
いた、和夏子だ。
和夏子は僕が飛び降りたその場所にいた。

和夏子……。

そう声をかけようとした瞬間、和夏子は柵の向こうの暗闇に姿を消した。
「和夏子!」僕はいままで聞いたこともないような大きな声でそう叫んでいた。
和夏子、和夏子、和夏子……。
僕はその場所まで走った。
和夏子が飛び降りた柵のところまで走った。
けれど僕は、そこから下を見ることができなかった。
柵を力いっぱい握り締めたまま、歯を食いしばり、声を出すことも動くこともできなかった。
足元に、死んだ僕のために置かれた花がしおれていた。
僕はその花を踏んだ。
何度もなんども踏みつけて、汚くコンクリートの染みになるまでその花を踏んだ。
そして僕は柵を乗り越え、和夏子の後を追ってそこから飛び降りた。


そこは空だった。
夜の空だった。
ぼんやりと霧のような薄い雲が月の光を受けながら風に流れていた。
このまま上に登れば僕は……、僕はどうなるのだろう。
天国があるのだろうか。
和夏子はそこにいるのだろうか。
和夏子に会いたい。
僕はそう思い、そこからさらに上に登ろうとした。
「駄目だ」
その声に振り向くと、神様がいた。
「でも、僕は和夏子に会いたい」
「あの子はもう、死んだんだ」
「死んだ?」
「そうだ。上に登って行ったんだ」
「じゃあ僕も行く。和夏子と同じ場所に行く」
「それは駄目だ」
「どうして?」
「お前はそれを選ばなかった」
「僕は死んだんだ」
「いや違う。お前は死ぬことを選ばなかった」
「あの時は……」
「永遠の命を選んだ者に、この先に行く資格はない」
「そんな……、ねえ、行くよ。僕はこのまま死ぬよ。和夏子と一緒に……」
「駄目だ」
その言葉を最後に、僕はまた暗闇の待つ地上に落とされた。
そしてまた知らない部屋の中、見知らぬ窓の光に目を細めながら目を覚ました。








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感想 1

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みんなの感想(1件)

2021.08.07 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

2021.08.08 Hiroko

ありがとうございます。
寂しいお話になっちゃったので、誰も読んでくれないかなと思っていたのですが、そんな風に思っていただけたなら嬉しいです。

解除

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