悠久のクシナダヒメ 「日本最古の異世界物語」 第三部

Hiroko

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正人の話 其の弐伍

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「おや?」天逆毎は言った。

 ヤエは上段に構えた剣を、天逆毎の首めがけて振り下ろした。次の瞬間、天逆毎の首はごとりと下に落ちるはずだった。天逆毎はヤエの目の前に首を差し出し、身動き一つしなかったのだ。それを仕損じるヤエではない。が、天逆毎は「おや?」と言ったのだ。
 俺は口の中がざらざらと乾くような嫌な予感に襲われた。
 ヤエはもう一度剣を振り上げ、天逆毎の首にめがけて勢いよく振り下ろした。しかし、その剣は天逆毎の首に食い込みはしたものの、その傷は浅く、うっすらと血が滲むほどのものでしかなかった。
「これはこれは、どうしたことですか?」
 ヤエはもう一度、さらにもう一度と、何度も剣を天逆毎の首に振り下ろした。
「おかしいですねえ。私の首は、そんなに斬りにくいですか?」
 おかしい。そんなはずはない! 俺は心の中でそう叫びながら、目を疑った。
 なにがあった! いったい、何があったんだ!?!?!? 唖然とする俺の目の前で、天逆毎はみるみる殺気を帯びていった。まずいまずいまずい!!! 俺は「ヤエ! もういい、やめろ!」と叫び、八岐大蛇へと姿を変えると飛びつくようにヤエの体を一飲みにした。
 逃げるんだ! とにかく、とにかくヤエを安全な場所へ! そう思いながら俺はヤエを飲み込んだまま一気に天へ舞い昇ろうとした。
「どこへ行くのです?」天逆毎の声が聞こえると同時に、腹を引き裂かれるような痛みに呻き声を上げた。見下ろすと、天逆毎は素手で俺の腹に穴を開けて手を突っ込み、中にいるヤエの首を絞めていた。
「お待ちなさい。私の首を落とすのではなかったのですか?」
「や、やめろ……、そいつに手を出すな……」そう言いながら、腹を裂かれた俺以外の七頭の八岐大蛇は天逆毎に牙を食い込ませた。
「そんなのではだめですよ。私はこの方に首を落として欲しいのです。それができないのであれば、私はこの方の命を頂きますよ?」そう言って天逆毎は不敵な笑みを漏らした。
 どうなってる……、どうなってるんだ……。
「おかしいですねえ。私は今、片割れを失って人と変わらぬほどの弱さになっているはず。あなたもそれを知り、この時を待って私を殺そうとしたのでしょう。それが、どう言うことなのでしょうねえ」
 そうだ。天逆毎の言う通りだ。こいつの片割れである須佐之男命は首を落とされ死んだ。和也はそれと同時に元の世界に帰っていった。そしていま芹那と一緒にいる和也の方は、香奈子の死で自分を見失い、須佐之男命の力は失っているはずだ。
 だから今、今、この瞬間が、天逆毎にとって最大の弱点となるはずだったんだ。
 それがなぜだ? なぜ八岐大蛇の攻撃をものともしない力を持っている? ま、まさか……。
「どこか遠くに、須佐之男命の気配を感じますねえ。出雲の方でしょうか。これはいったいどう言うことなのでしょう」
 やっぱりそうだ。芹那と一緒にいる和也が、どう言うわけか自分を取り戻し、須佐之男命の力を目覚めさせたんだ。
「はあ……」と天逆毎はため息を漏らし言った。「私は結局死ねないのですね」
「離せ! 今すぐそいつを離しやがれ!」
「ええ、ええ、離しますとも。興醒めです」そう言うと天逆毎は、俺の腹の中からずりゅりと音を出して手を引き抜いた。俺は腹に焼けるような痛みを感じたが、今はそれどころではなかった。
「あなたが飲み込んだ女に、呪いをかけました。私が首をひねって殺すのは容易いことですが、それではあなたも拍子抜けでしょう。死とは美しくあるべきです。悲しみと言う花々に彩られ、美しく訪れるべきものなのです。三日間の時を与えました。その間、あなたは心行くまで悲しみ、この者の死を彩りなさい」
 俺はその声から逃れるように、ヤエを飲み込んだまま天高く昇って行った。






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