フレンチ Doll of the 明治 era

Hiroko

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「私は一緒に行くことができません」ターシャが言った。
「いいわ、大丈夫」
「重力コントロール装置の調整に三分ほどかかります。そのまま待ってください」
「わかった」リナはそう言って目を閉じた。
眠るつもりはなかったのだけれど、いつもの習慣か、リナは意識する間もなく微睡まどろんだ。

リナは夢を見た。
胸に抱いた壊れたアンドロイドが動き出し、リナに話しかけてくる夢だ。

 あなたは可哀想かわいそう

 わたしが? どうして?

 あなたは可哀想。

 なぜそんなことを言うの?

 あなたは可哀想。

 私は……、私は……。

 あなたは可哀想……、なにも知らないから。

微睡まどろみは続いたけれど、アンドロイドが話しかけてくることはもうなかった。
そこはただ眠りと言う何もない空間だった。
闇の中にいるわけでも、光に包まれているわけでもない。
上も下もない。
落ちることも上ることもない。
原始の海の底で生命が始まった瞬間のように。
引き寄せられ、押し戻され、何かを感じることさえなく、ただいつまでも漂っていた。

目を覚ますと、そこはもう研究施設の一室だった。
薄暗い、四角い部屋。
そんなに広くはない。
リナが暮らしている部屋と、同じくらいの大きさだ。
けれどここは、四角い。
壁は透明ではない。
雨の音は聞こえない。
その真ん中に、重力コントロール装置があり、そこにリナは浮かんでいた。
「やあ……、お、起きたかい」ノイズ交じりのその声のする方に目を向けた。
ホログラムの老人が立っていた。
色調調整機能がおかしいのか、老人は緑色をしていた。
「よ……、よく……、schafen……」
「何を言っているのかわからないわ」
老人は何も言わず、手のひらをこちらに見せて「待ってくれ」とジェスチャーで示した。
何かを調整しているのか、老人は自分の両手の平を見つめたまま、動きを止めた。
そしてやがて動き出すと、口を開いた。
「これでいい……、うん、大丈夫なはずじゃ」
「ええ、そうみたい」
「うん。よく来たね。今日はあれかい?」
「ええ、六歳になったの」
「そうか、それはおめでとう」
「わからないわ」
「何がかな?」
「おめでとうの意味が」
「失われた習慣じゃよ。歳を取るごとに、そこまで生きてこられたことを祝福するんじゃ」
「そう。生きてこられたこと……、それもよくわからない」
「まあいいさ。今はもう、意味のないことじゃ」
「そうみたいね」
「その手に持っているものは何かな?」
「壊れたアンドロイドよ」
「アンドロイド? そうは見えないが……」
「直してもらおうと思って持ってきたの」
「わかった。あとで見てみよう」
「ええ、ありがとう」
「じゃあ、とりあえずあずけてくれるかな?」
「いいわ」そう言ってリナが老人にアンドロイドを渡すと、老人はそれをまるで子猫を抱くようにふわりと抱え、部屋の片隅に置いた。
「さあ、フィグツリーの交換をしよう。下を向いてくれるかな」
「いいわ」そう言ってリナは、横になったまま体を下に向けた。

子供たちはみな、生まれた時に、小脳のすぐ下にフィグツリーと呼ばれるコンピューターを埋め込まれる。
これは埋め込まれると、身体に負担の無いよう、時間をかけて脊髄に巻き付くように枝を伸ばし、やがて小脳へと達する。
六歳になると、子供たちはこのフィグツリーのメイン回路の交換のために施設を訪れた。
赤ん坊の頃に埋め込まれたフィグツリーは小型のもので、主に健康管理と運動機能の向上が目的だったが、六歳になるとそれに教育管理プログラムが追加された中型の回路を埋め込まれる。
これによって、昔は十六年もかけて外的に教育されていた内容を、一週間ほどで習得することができる。
フィグツリーの交換は、さらにもう一度ある。
十八になってからだ。その時に埋め込まれる大型のものは、それまでのインプット型ではなく、主に子供たちが成長する過程で進化させた思想や哲学、芸術的思考など、コンピュータではできない発展、創造に関するものなどを収集するのが目的だった。

「眠りたければ眠ってくれていい」
「ええ、けど、もう眠くはないわ」
「そうかい。けれど少し、時間がかかるよ。フィグツリーの交換と、身体の負担をモニターする必要がある」
「できれば何かお話が聞きたいわ」
「お話? 珍しいことを言うね」
「そう? ほかの子供たちは、そう言うことをいわないものかしら」
「そうだね……、みんな必要のないことは口にしないものじゃよ」
「確かにそう、必要のないことを言うなんて、つまらないことね」
「もしかしたらもうすでに、君の中で思考の発展が始まっているのかも知れないね」
「思考の発展? それはいいことなの?」
「ああ。とても素晴らしいことじゃよ」
「ならよかったわ」
「よし、じゃあ、お話をしよう」
「ありがとう。できれば、そうね、あのアンドロイドについて聞きたいわ。さっきあなたが、アンドロイドに見えないと言った理由が知りたい」
「そうかい。よし、そのお話をしよう」
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