フレンチ Doll of the 明治 era

Hiroko

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ソフィとの話は夜中まで続いた。
部屋は壁から天井まですべてガラスでできていたので、明かりを消すと部屋は外の景色に溶け込んだ。
まるで暗い森の中にぽつんと椅子を一つ置いて、そこに独りで座っているような気分になった。
リナはよく独りでそうやって時間を過ごした。
風とはどういうものかしら? と想像を巡らせた。
気圧の変化で起こる空気の流れだと言うことは、フィグツリーからの知識で学んでいた。
けれど「風を頬に受ける」とはどういうことか、「風に髪を流される」とはどういうことか、生まれた時から外に出たことのないリナにはわからないことだらけだった。
時折森の木々や葉が揺れることがあった。
「あれが風ですよ」とターシャに教わった。
それは目には見えなかった。
目に見えない力が、景色を動かしていた。
時には穏やかに、時には激しく。

「ソフィ、あなたには、どうして昔の記憶があるの? ラリーは言ったわ。あなたは人形だから、思考や記憶、意識を有することはないって。ラリーがあなたに人工脳を移植したのよ? それまでの記憶があるのはなぜ?」
「私は今でも人形よ? それは変わらない。確かに私の中にはいま培養された脳が入れられているわ。私はその助けを借りてこうして話している。けれど、思考や記憶、意識と言うのは、脳だけに頼って存在するものではないわ。私を作った人は、私に魂を込めた。昔の人は、みんなそうしたの。自分の作るものに、魂を込めたのよ」
「タマシイ? それはなに?」
「存在そのものよ」
「わからないわ」
「簡単よ。目を閉じてみて」
リナは言われるまま目を閉じた。
「あなたはそこにいるかしら?」
「ええ、いるわ」
「どうしてそう言えるの?」
「どうして?」
「あなたはあなた自身を見ることはできないはずよ?」
「ええ、言う通り。私は私を見ることができない。目を閉じているもの」
「なのにどうして、あなたは自分が存在していると言い切れるの?」
「だって……、だってそれは、私はここにいるから」
「そこにいるあなたは誰?」
「私は……、私よ」
「それが魂よ」
「私は……、私の存在そのものが、魂なの?」
「ええそうよ。肉体があるかないか、肉体を認識できるかどうかは関係ないの。あなたが自分は存在すると認識する存在、それが魂なのよ」
「それが、ソフィの中にはあったのね」
「ええ、そうよ。私は最初からここにいたの。ずっと存在していた。私を作った人は、ただ私を作ったのではない。土から私を形作り、海の色を宿した瞳を埋め込み、自分の娘の髪の毛を私に植え、私を産みだしたのよ」

2300年代、アンドロイドが作り始められた頃、アンドロイドに使われた脳は、実際の人間の脳を0.3㎜にスライスしたものが使われていた。およそ1ミリのガラス板に培養樹脂で密閉されたそれは、品質上問題のあるものではなかったが、30年に一度、避けられない劣化による交換を強いられた。また交換の際、それまでのすべての経験や知識がリセットされると言う欠点もあった。
けれど同時に2000年初めから研究されていた培養脳が、2500年代に実用化に漕ぎつけると、あっという間に従来のものにとって代わるようになった。培養脳の特色は、循環する培養液の中でさらに分化することで、アンドロイドが置かれた環境、求められる役割に沿って進化していくことにあった。また劣化の速度も従来の十分の一と遅く、フィグツリーの応用で、それまでの経験や知識を失うことなく新しい培養脳にコピーすることもできた。

「ソフィ、あなたはこの部屋に来る前に、外で暮らしていたこともあるのね」
「ええ、あるわ」
「その記憶もあるのね」
「ええ、もちろんよ」
「風を、知っている?」
「ええ、知っているわ。風の匂いを覚えている。いろんな場所で、いろんな空を見上げながら嗅いだ風の匂いを」
「風に匂いがあると言うの?」
「ええそうよ。風には匂いがある。大地が発するもの、海が発するもの、木々や花、雨や太陽、人や家やあらゆるものが発する匂いが混ざり合い、そこを通り過ぎる風に匂いを与えるのよ」
「まるでそんな風景を、風の中に感じることができると言うの?」
「ええ、そうよ。風の中に風景を見ることができる」
「想像もできないわ。けれど……」
けれど……、私はどこかでそれを知っているような気がする。
目を閉じて、吸い込んだ風の中に、匂いを感じる……、風景が見える。
私は……、けれど私は、どうしてそれを知っていると言うのだろう。
「それが魂よ」リナはそんなソフィの声が聞こえた気がした。





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