フレンチ Doll of the 明治 era

Hiroko

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「僕がグラビティーコントロールベッドを壊して部屋の外に出たとき、もうラリーとは話せないと思ったよ」
「Ce n'est pas vrai.」
「そんなことはない、と言ったのかい?」
「Oui. Attendez」
「わかった、待つよ……」コバはモニターに映るラリーが指で頭のねじを回すジェスチャーをするのを見ながらそう言った。
太陽が昇るまであと一時間ほどあった。
空には星の光が消え、うっすらと流れる雲が見える。
森はまだ闇に包まれていたが、地面を覆う雪のせいでほんのりと明るい。
「やあ、やあ、これでどうじゃ。直ったろ」
「うん。大丈夫だよ、ラリー」
「で、なんの話だったかな?」
「ああ、できればあと何枚か毛布が欲しいという話さ」コバは横で眠るユリの頭を撫でながら言った。
「そうじゃったな。すぐには無理だが、何とか届けるさ」
「ありがとう。助かるよ」
「ほかにも何か話していたような気がするのだが……」
「ああ、雑談さ。部屋を出たとき、もうラリーとは話せないと思ったって話だよ」
「ああ、そうじゃった」
「とても悪いことをした気になったんだ。グラビティーコントロールベッドを壊してしまったし、部屋も出てしまったからね。もう許してもらえないと思ったんだ」
「仕方あるまい。ユリを助けたかったんじゃろ」
「うん、いや、よくわからないんだ」そう言ってコバは笑った。「あの時は夢中で、いきなり目の前で倒れたユリの姿に頭の中が真っ白になったんだ。助けたかったかどうかなんて考えることもできなかった」
「だが、後悔はしとらんだろ?」
「うん。まったく」
「ならそれが正解だったんじゃ。それに、子供たちが部屋を出ることを禁じる決まりなんてどこにもない」
「自由なんだね」
「ああ、そうじゃ。昔は、わしらがまだ人間として生きていた時代には、法律だのなんだのと、決まりごとがたくさんあった。だが今は何もない。そもそもそれらを守らなければ生きていけないほど、人の数は多くない」
「社会というものを作るほどの人がいないってことだね」
「それに人が人とつながって生きていくには、リスクが高い」
「病気のせいで?」
「ああそうじゃ。できれば子供たちを守りたい。だから部屋を出る手段は教えてはいない。だが出てはいけないと禁じるつもりもない」
「ただ、命が危険にさらされるってことだね」
「ああ、そういうことじゃ」

「ラリー、僕は早くメンテバンクに入りたいんだ」
「それはつまり、肉体を捨て去るということじゃぞ? メンテバンクは、脳のあらゆる情報をデータ化し、コンピューターに移し替える作業じゃ」
「ああ、かまわないよ」
「どうしてそう思うんじゃ?」
「宇宙に興味があるんだ」
「宇宙?」
「ああそうさ。宇宙を旅してみたい」
「それはかまわん。旅をすればいい。かなわぬ夢じゃない。だがまだ早すぎる」
「どうしてだい? 僕は別にこの肉体に未練なんかないんだ」
「そういうことではない。メンテバンクには、欠点があるんじゃ」
「欠点?」
「ああ」
「それはなんだい?」
「想像力というものがない」
「想像力?」
「そうじゃ」
「想像力がないと、何に困るんだい?」
「わかりやすい例をあげるとするならば、わしらは新しい音楽を作り出すことができん」
「音楽?」
「そうじゃ。絵も描けんし、物語を作ることもできん」
「芸術のことを言っているのかい?」
「いや、たとえ話だ。要点はつまり、新しい技術を創り出すことができんということなんじゃ」
「新しい、技術」コバは少し考えて言った。「でも、宇宙を旅する技術を考え出したのは、メンテバンクの技術者たちじゃないのかい?」
「ああ、確かにそうじゃ。じゃがな、新しい何かを作ったわけじゃないんじゃよ」
「どういうことだい?」
「わしらは、既知の技術、既知の知識の複雑な応用や組み合わせでそれを作り出したにすぎんのじゃ」
「じゃあ、今までになかったものを創り出したわけじゃないんだね」
「突き詰めて言うと、そういうことじゃ」
「でも、それとさっきの話とどうつながるんだい?」
「お前さんたち人間は、想像、つまり今まだ誰も考えもつかないものを創り出す可能性があるということなんだ。ましてお前さんは、自らの意思で部屋を出たというイレギュラーな存在じゃ」
「じゃあ僕はまだ、この先人間として生きることで、メンテバンクにない技術や知識を考え出すことを期待されているんだね」
「そう言うことじゃ」
「僕にそんなことできるんだろうか」
「ああ。なにも新しい宇宙船を作って欲しいなどと考えているわけではない。ただ、例えば新しい宇宙船を作るのに必要な、どうしても考え出せない部品があったとする。すると、お前さんが人間でいる間に想像したほんの些細なことが大きなヒントとなり、その部品を作り出す光となるかもしれんということじゃ」
「もしかして、いま人間として生きている子供たちは、みんなそういうふうに考えられているのかい?」
「そうじゃな」
「ふーん……」
「どうした? なにを考えておる?」
「わからないんだ」
「何がじゃ?」
「じゃあ、僕たち子どもは、人間っていう存在は、いったい何に向かって生きているのかと」




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