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32 そいつは僕が戦わなきゃ

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「なるほどな……」
「なるほど、って、なに?」
「化け物の匂いがぷんぷんするな」スサノオは平城京の羅城門をくぐりながら言った。
僕たちは山を抜け、平城京にたどり着くのにさらに一晩かかった。
次々と現れる化け物たちと戦うのに時間を食ったせいだ。
「明るくなれば化け物はいなくなるんだから、その時進めば?」と僕は提言したのだが、「それだと眠る時間がなくなっちまう。これだけ化け物がいたんじゃあ、ゆっくり休めねーだろ」とスサノオに言われて納得した。
平城京の東側から羅城に沿って羅城門まで数キロの距離があった。
こちらの世界にきてずっと竪穴式の村の景色しか見ていなかったので、この平城京の景色は圧巻だった。と言ってもまだ、羅城、つまり壁の中にすら入っていないのだけれど……。
「このまま中に入ろう」スサノオは羅城門を前に、迷うことなくそう言った。太陽はすでに東の空にあり、これから夕刻までは化け物を気にせず動けるはずだった。
「化け物の匂いなんかわかるの?」
「わからねえ!」そう言ってスサノオは笑った。
「なんだよ、それ……」
「だがあきらかに雰囲気が違う」
「雰囲気?」
「ああ。穏やかじゃねえってことさ」
僕は羅城門の両端から僕らを見据える衛士(えじ)の眼差しに何かを読み取ろうとしたが、無表情な彼らの眼差しからは何もわからなかった。
羅城門を抜けると、道幅が七〇メートルはあろうかと言うだだっ広い道が真っすぐ北に向けて伸びていた。
まるで学校のグラウンドが何百も連なったような広さだ。
しかもその広さを強調するように、そこには誰一人歩いている者はいなかった。
「雰囲気が違うって、前に来た時はどうだったの?」
「ここは都だぜ、いくら朝早いからと言って、こんな静かなはずがない。これじゃあまるで廃墟だ」
確かにそうだった。
これじゃあまだ村の方が、人の活気を感じることができたくらいだ。
「ここを真っすぐ行けば、平城宮だ」
「平城宮?」
「天皇様の住んでいるところだがな、今はどうなっていることやら……」
「このままそこに乗り込むのかい?」
「いや、少し様子を見よう。いきなり乗り込んでも、天逆毎がそこにいるとは限らねえ」
「それもそうだね」
「そもそも昼の間はどこかに身を潜めているだろうからな。見つけ出すだけでも一苦労だ」
「なるほど」
「だがさらにだ。夜になればなったで、山で出会った奴らとは比べ物にならないほどの手強い化け物たちと戦わなければならねえ」
僕は喉の奥に溜まった唾を飲み込んだ。
と、不意にさっき通り過ぎた羅城門の方が騒がしくなり、僕とスサノオは立ち止まって振り返った。
「たのむ! 見逃してくれ! 子供がいるんだ!」そう叫ぶみすぼらしい男を中心に、どこから現れたのか十数人もの衛士が取り囲んでいる。見るとその傍らに小さな子供を抱いた女もいる。どうやら男の女房と子供らしい。
「駄目だ駄目だ! 門より外に出ることは禁じられている! 今すぐ帰れ!」
「たのむ! 殺されちまう! たのむ、女房と子供だけでいい、ここから出してくれ!」そう言ってすがる男を、衛士の男たちは投げ飛ばすように振り払った。
「なあ! お前らだって本当は逃げたいんだろ!? なんでこんなことをする!?」男はなおもそう言い寄ったが、衛士の男たちは相手にせずはねのけた。
「なあおい、あんた!」と、スサノオは気づかぬ間に男に近づき、声をあげていた。
僕も慌ててその後ろを追う。
「あんたさんよ、俺はいま門の外から来た人間だ。外に出るのはやめた方がいいぜ!」そう叫ぶスサノオに、男だけでなく衛士の男たちも注目した。
「あんたどうやら、化け物に家族もろとも食われることを恐れている、そうだろ? だがな、門の外も化け物だらけだ。武器も持たずに子供を連れて逃げられるような状況じゃないぜ!」
「だ、だが、昼間に逃げれば大丈夫だろ?」男は泥だらけの顔を向けながら言った。
「いーや、無理だな。見ろよ」そう言ってスサノオは東にある山を指さした。「俺たちは昨日、あの山の中ほどにいた。あそこからここに来るまで丸一日かかったんだ」
「あんな、すぐそこじゃないか。あそこからここに来るまで一日かかったって言うのかい?」
「ああそうだ。化け物が多すぎて、戦うだけで前に進めねえ」
「戦うって、あんたら化け物と戦うのか」
「まあ、そうだな。そうだが……、その話はあとにしねーか」そう言ってスサノオは衛士たちの方を見た。「あんたらだって何か事情があってここを守ってるんだろ。おおかた女房子供を人質に取られてる、ってところか? 悪さはしねえから、俺たちのことは秘密にしておいてくれ」そうスサノオは言い残し、僕たちは男と女とその子供とともに、その場を離れた。

男は僕たちを自分の家に招いてくれた。
男は名前をタイジと言った。その女房はタヤで、三歳の娘はシノと言った。
「なあここに、天逆毎と言う化け物がいるってーのは本当かい?」
「あんたらそれを知っててここに来たのか?」
「ああ。そいつと戦うために来た」スサノオがそう言うと、タイジは顎が外れたように口を開け、「あんた正気か? あいつは神でも倒せない化け物だぞ」と言った。
「そいつが知りたかったんだ」
「そいつとは……?」
「神どもはいったい何をしている? どこに行っちまったんだ? まさかあんたらを見捨てて黙ってるわけもあるまい」
「そんなこと、俺たちが知るはずもない」
「まあ、そりゃそうか……」そう言ってスサノオは柱にもたれ、腕を組んだ。
家は質素だが広く、庭には畑もあるようだった。
タヤとシノは畑にできた何かの葉を摘み取っていた。
「天逆毎は普段どこにいる?」
「夜は平城宮にいるようだが、それも確かじゃない。なんせあいつらにとっちゃ俺らはただの食い物だからな。見たら最後だ」
「戦おうとしたものは?」
「最初はいたが、みんなやられちまったよ。そもそも化け物は天逆毎だけじゃない。数え切れないほどの化け物がいるし、天逆毎にたどり着けたと言うやつすらいない」
「どんな化け物がいる?」
「わからんが、一番強いのは牛鬼だと言われている」
その名前を聞いた瞬間、僕は心臓がどくりっと気持ちが悪くなるほど大きな鼓動をあげるのを感じ、痛みを覚えた。
な、なんだ今の……。
「牛鬼? そいつあ、海辺に出る化け物じゃないのかい?」
「俺にはよくわからんよ。人に聞いた話だ。ただ真っ黒な毛に覆われて、クマのようにも見えるが角が生えているらしい。体は牛だが顔は鬼のような形相で人に襲い掛かって来るらしい」
「わしはそいつにやられた……」それは僕の口から出た。僕の口から出た言葉ではあったけれど、僕が言った言葉ではなかった。
スサノオとタイジは顔を見合わせ、僕の方を見た。
「わしの家族も仲間も、みんなそいつにやられた……、いと憎し化け物め……」
「おい和也、今のまさか……」
「うん……、僕の中にいる弓矢の亡霊が言ったみたいだ」僕は痛む胸を押さえて言った。
「てことは、そいつの仇ってことになるな」
「うん。そいつは僕が戦わなきゃ……」
「無理するなよ、おい。確かに和也は驚くほど強くなった。だがそんな奴と張り合えるほどまだ力をつけちゃいないぜ」
「うん……、確かにそうだ。でも……、僕はこの亡霊に何度も命を救われたんだ。それに報いなきゃいけないよ。それに……」
「それになんだ?」
「僕は美津子を見つけ出し、守らなくちゃいけない。どれだけ強い化け物だろうと、例えスサノオに助けてもらえなくても、僕は僕一人の力で美津子を守らなくちゃいけないんだ」
「そうか……、そうだったな」そう言ってスサノオは、なにやら物思いに耽るように目を閉じ、言った。「おい和也」
「なんだい?」
「今日から天叢雲剣はお前さんのもんだ。これからはずっと和也が持て。わかったな?」

















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