やる気ゼロの聖女は、やる気ゼロの王子に溺愛される。

日向雪

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015 『口移し』

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 王子は家庭教師に迫られていた。

 王子である自分に迫ってくる人間は無数にいた。





 毎日の身支度を手伝うメイド。

 遊び相手の貴族の令嬢。





 王子というものは、王子というだけで女が寄ってくるらしい。

 それが、嬉しいと思った事は一度も無いが。





 しかし、目の前の家庭教師は違う。

 食事を取って欲しくて、身を挺しているのだろう。





「目を見せろ」



「目が見たいのですか?」



「既に聖女だという事はバレている。二人の時は変装する必要はないだろう」



「……まあそうですね」



「じゃあ眼鏡をとれ」



「条件があります」



「なんだ?」



「食事をして下さい」





 一瞬場がしんとする。

 分厚い眼鏡越しにアリシアを睨む。





 しかし、僅少の間を挟んで王子は黙ってパンを口にした。

 口にしなければ始まらない。





 パサついた固形物で、喉に詰まりそうになる。

 元より食事など楽しくもない。





 アリシアを見ると、嬉しそうに咥えていたパンを食べていた。

 なんだ、あんなに迫って置いて、口移しなんて本気でする気など無かったんじゃないか。





「時にルーイ様」



「なんだ」



「欲求不満ではないですか?」





 アリシアはニコニコしながら聞いてくる。





「何に対しての欲求か?」



「女性に対しての欲求です」 



「失礼ではないか?」



「申し訳ありません。十七歳の成人男子ですからね、体が元気になればそれなりに求めるものもあるでしょう。どうでしょうか、お相手を見繕いましょうか」



「結構だ」



「それは結構な事だ。という意味ですか?」



「もちろん違う。恋人や愛人はいらない」



「なぜ?」



「無防備になるからだ」



「確かに無防備な格好ではありますね」



「………」





 やはり場がしんと静まり変える。





 この家庭教師はとんでもなく失礼な人間だと思う。

 その上、変わり者。





 話が弾むタイプでもないのだろう。

 それからは黙々と食事が続いた。





 毒を盛られた苦痛と、犯人を思い起こさせられた事が、不愉快だった。

 嫌な気分。

 嫌な感情が体中に広がり出す。



 毒を盛られるという事は、『死ね』と言われたも同義。

 『死ね 死ね 死ね』と食事を通して言われたのだ。





 そんなもの、愉快な人間がいるだろうか。

 あの日あの時から食事が苦痛になった。







 王子は溜息を漏らす。

 念入りに毒味をするから、冷めている。美味しくなんてない。







 恋人や愛人なんて考えられない。

 つまりは自分は毒殺未遂によって食欲と色欲を失った。





 その代わり怠惰が強くなっただろうか?

 金銭欲は元々低く、傲慢や憤怒もそれ程強くない。





 聖教会が掲げる七つの大罪だ。

 食欲、色欲、金欲、怠惰、悲痛、憤怒、傲慢。





 クリスティアンは厳格な宗教が罷り通っている。

 聖教会という組織は大きな存在だ。





 悲痛も強くなっただろうか?

 悲痛と怠惰に埋もれた人間など、生きる価値はあるのだろうか?





 九死に一生を得たのは良いが、後が続かない。

 助かる事だけを考えていた時は、こんなに苦しくはなかったのに。





 再度溜息を吐くと、ニコニコとした笑顔でアリシアがこちらを見ていた。





「何か楽しい事がありましたか? 家庭教師様」





 家庭教師というのは名だけで、アリシアという人間は辺境伯が付けた見張りなんじゃないかと思えてきた。





「ルーイ様が食べてくれるのが嬉しいのです」



「そう」





 飼い犬が元気に食事をすると嬉しいとか、そういう類いのものだろうか。





「食べ終わった後の約束を憶えているか?」



「もちろんですよ。今朝、褒めて頂いたこの眼鏡を取るのですよね?」



「覚悟は出来ているのだろうな」



「安いものです」





 そう言って、アリシアはまたフフフと笑った。





 眼鏡を取る事は、大したことではなかったか……。





「私の目に興味がありますか?」



「多少は」



「私の前世の世界はですね」



「前世?」



「そうです。このクリスティアンに生まれる前に住んでいた世界の事です」



「ほう」



「その前世では、眼鏡を掛けている人間が沢山いました。三人に一人くらいでしょうか? やはり眼鏡をした男女が、それを取る瞬間は楽しいものでしたよ」





 アリシアは前世の話をほくほくとしていた。

 良い思い出があるのだろうか。





「前世の私もやはり教師をしていたのです」



「筋金入りだな」



「そうですね」






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