兎獣人《ラビリアン》は高く跳ぶ❗️ 〜最弱と謳われた獣人族の娘が、闘技会《グラディア》の頂点へと上り詰めるまでの物語〜

来我 春天(らいが しゅんてん)

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◆第26話 アレンの過去

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 静かな森の夜。
 風もなく、枝葉の擦れる音も無い。
 ただどこからか梟の鳴き声が聞こえてくる、そんな夜。

 俺とシュトルさんは、小さなランプの炎の照らされて向き合っていた。


「ア……アレンの親父さんが……獣人奴隷売買を……!?」

「そうです。ピノラは、父親がいた闇組織で売り飛ばされようとしていたのを、偶然俺が保護したんです」


 驚きの表情を隠さないシュトルさんに、俺は静かに事実を伝えた。
 シュトルさんは言葉を詰まらせ、手に持っていたマグを落とさないようテーブルの上に置く。


「お、おいおいおい……冗談か何かじゃないのか? アレンの親父さんは、協会認定の訓練士トレーナーだったんだろう? そんな立場の人間が、獣人奴隷の売買なんかに関わったりしたら…………!」

「はい、認定訓練士トレーナーの身でありながら獣人奴隷犯罪に関われば、その量刑は一般人のものよりも重くなり、例外なく終身刑です。父親も……南方にある離島の収容所に入ったと聞きましたが、それ以降は何も」

「……な……何てこった……………………しかも、通報したのがアレン、お前なのか…………?」


 左手で口元を押さえながら、シュトルさんは視線を泳がせた。


 そう
 2年前のあの日 ────────

 ピノラを含む獣人族たちを商品として奴隷売買が行われている現場を官憲に通報したのは、他でもない俺自身だ。
 俺は、その獣人奴隷売買の現場に……父親がいることを知っていた。
 父親が悪事に加担している事も、何もかも。

 路地裏の建物の中、人相の悪い連中と父親が頻繁に会っていたのを知っていた。
 そいつらが違法な獣人奴隷を監禁し、売買している事も知っていた。
 父親が……協会認定の訓練士トレーナーという立場を悪用して、獣人族の奴隷を調達していたことも、全て────────

 そして
 自分が通報することで、もう2度と父親には会えなくなる事も、承知の上だった。


 突入した官憲に取り押さえられ、一列に縄で縛られて連行される奴隷商人たちの最後尾。
 何の感情も無い、暗い目で俺を見つめていた父親の顔を見て、俺は最後まで何の言葉もかけずにいたんだ。
 その背中は薄暗い建物から出て、日の光の中に消えて行き……以後、見ることは無かった。


「俺がわずか18歳で協会認定の訓練士トレーナーとしての資格を得られたのは……闘技会グラディアの協会が、きっと俺が父親と一緒に親子2代で訓練士トレーナー業をやっていくものだと思っていたんでしょう。実際に2年前のあの頃、俺は例外的に『17人目の認定訓練士トレーナー』として協会に登録されようとしていたんです」


 闘技会グラディアの開催される街で登録される訓練士トレーナーの数は、最大で16人までと決まっている。
 これはトーナメント制の闘技会グラディアを不公平なくエントリーできるようにする配慮でもあるが、それとは別に訓練士トレーナーの社会的地位を高めるための側面もある。
 だが当時の俺は、父親が現役の協会認定の訓練士トレーナーであった。
 筆記試験に合格し、認定訓練士トレーナーの枠が空くのを待つ状態であったのだが、当時の協会は『若すぎる俺は父親と共に訓練士トレーナーをすべき』と判断し、例外的に父親と同列の扱いで『17人目』として認定を受けたのだ。


 しかし


「父親が違法奴隷売買の現行犯で捕縛されたことで、父親は協会に即日登録を抹消されました。俺はその父親に代わって、認定訓練士トレーナーの末席にひとりで入る事になったんです」


 手元のマグに入った黒い液体を見つめながら、俺はただ淡々と話した。
 

「…………今でも、時々思うんですよ。もし父親が『まっとうな』訓練士トレーナーであったなら……もし俺が、2年前のあの日に通報していなければ……俺は今頃、父親とともにサンティカで今よりも訓練士トレーナーとして活躍していたんじゃないかって。でも────────」


 俺は、顔を上げた。
 黙って俺の話を聞いてくれているシュトルさんは、神妙な面持ちで顎髭に手を当てている。


「俺は……華々しい名声の裏で、獣人奴隷を売り捌き膨大な金を稼ぐ父親が許せなかったんです。小さい頃から、ずっと憧れていたのは『訓練士トレーナーとしての父親』だったのに……その訓練士トレーナーの立場を悪用して、獣人族の人たちの尊厳や人生を平気で踏み躙っている父親の事を……俺は、どうしても受け入れられなかったんですよ」


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 2年前のあの頃、サンティカでは頻発する奴隷売買への取り締まりが一斉に強化されたせいで、父親たちが商品にしようとしていた獣人族にも一向に買い手がつかないようだった
 通報の前日に、俺は目撃していた。
 家に押しかけてきた人相の悪い連中と、父親が口論をしているところを。
 苦労して20人を超える獣人奴隷を手に入れたのに、全く売れない。
 奴隷たちを押し込めている『倉庫』では、飢えや疾病により獣人族たちの死体が増える一方だ。
 なんとかして、奴隷を貨幣ガルドに替えなければ。

 俺が寝ていると思い込んで、そんな話をしている父親を、俺は自室の扉の向こう側で泣きながら見ていたのだ。

 ただ、悔しかった。
 悲しさよりも、悔しさばかりが頭を埋め尽くした。
 幼少の頃、訓練士トレーナーの仕事ばかりで家庭を顧みない父親が嫌いだった。
 たまに書斎にいるのを見かけたと思えば、貨幣ガルドだけ置いてすぐに家から出て行く父親を心底嫌っていた。
 12歳の頃に母親が病でこの世を去った時も、『父親がもっとそばに居てやらなかったから死んだのだ』と決め付けていた。

 だが獣人医学とともに訓練士トレーナーの事を学び始めた頃から、父親への侮蔑は徐々に薄らいで行った。
 協会認定の訓練士トレーナーになることがどれほど難しい事なのかを知った時、嫌っていたはずの父親という存在にいつしか尊敬の念を抱き、目標にさえしていた。

 それなのに────────
 余りにも安易と道を踏み外した父親の姿を、もうそれ以上見たく無かったんだ。



「アレン…………お前…………」


 唇を噛み締める俺を見て、シュトルさんは険しい顔をしていた。
 言葉をかけようにも、何と言えばいいのか解らないといった表情だ。
 そんなシュトルさんに、俺は少し表情を和らげて見せた。 
 

「あの日、もし俺が官憲へ通報していなかったら……きっとピノラはどこかへ売り飛ばされていたか、もしくは衰弱死していたと思います。あの子は父親が商品扱いしていた獣人奴隷たちの、最後の生き残りです。檻に閉じ込められて、身体中汚れて、痩せ細っていて……ピノラを助けられたのは、本当に偶然だったんです。だから────────」


 マグを握りしめたまま、シュトルさんに向けて微笑みを返す。
 何故、こんな顔をできるのか自分でも解らない。
 だが父親の犯した過ちを振り返ったところでどうにもならないし、自分の選んだ道を悔いるような事もしたくない。
 だから、笑う。


「俺は父親を官憲へ突き出したことで、ピノラに出会えました。きっと俺の運命は、どちらかを選択するしか無かったと思います」


 言い終えると同時に、訪れる沈黙。
 風のないオール樹の森は、葉擦れも無い。
 テーブルに置かれた小さなランプの、芯が燃える音すらも聞こえてきそうな長い無音が続く。


「アレン」


 突如、名前を呼ばれた。
 その時、俺は内心緊張していたんだ。
 こんな話を他者にしたのは、初めてだ。
 この後、俺は何を言われるのだろうか。
 そもそもこんな話をしてしまって、迷惑ではなかっただろうか。

 そんな様々な思いが頭の中を駆け巡る中
 シュトルさんは呟いた。




「独りで、辛かったな」




 思いもよらない言葉だった。
 同時に、シュトルさんは手を伸ばすと俺の肩に置いた。
 日に焼けた色のごつごつした大きな手が、まるで慰めてくれているかのように優しく肩を叩く。


「シュトル、さん…………」

「よく聞け、アレン」


 光を宿したシュトルさんの灰色の瞳が、俺の目を覗き込む。


「お前のやった事は何も間違っちゃいない。むしろ万人に褒められても良いほどに、立派な事だ。お前が親父さんの悪事を通報したことで、今こうして1人の兎獣人ラビリアンが幸せになったじゃねえか」


 シュトルさんは、奥の部屋で眠るピノラを見た。
 ランプの光がうっすらと届く寝室で、ピノラはくうくうと可愛らしい寝息を立てて眠っている。
 その寝顔は、激しい戦いを繰り広げる獣闘士グラディオビスタとは思えない程に可憐だ。


「幸せ、ですかね……。ピノラをこんなにも辛く、厳しい生活に引き込んでしまって、本当に…………」


 こんなにも愛らしいピノラを、俺は戦いの場へと導いた。
 闘技会グラディアという、絶え間ない努力と痛みの伴う世界へといざなってしまった。

 これしか生きる道が無かった訳ではない。 
 ピノラにはもっと平穏な暮らしをさせてやれたかも知れないのに。
 だが、シュトルさんは大きく頷いて答えた。


「ああ、幸せだとも。間違いなく、お嬢ちゃんは幸せさ。奴隷扱いされ、何もかも失ったのはこの上ない不幸だったかも知れねえ。だが……アレン、お前に助けられた。地獄のような日々から救い出してくれた人間が居た。そして一番信頼している人間と共に、同じ目標に向かって歩んでいける。これ以上の幸せなんてありゃしないさ。そしてお嬢ちゃんにその幸せを齎してやれたのは、他ならぬお前だよ。胸を張れ、アレン。お前は立派な訓練士トレーナーだ。『伝説の訓練士トレーナー』なんて言われた俺が言うんだ、間違いねえさ」



 優しく肩を撫でてくれたシュトルさんの顔を見て
 俺は、思わず涙を零しそうになった。

 『間違っちゃいない』
 『立派な訓練士トレーナーだ』
 『胸を張れ』

 そのどれもが、俺が無意識に求めていた言葉だった。
 ずっと長い間、誰かにそう言って欲しかった。
 本来、そんな言葉をかけてくれる存在は父親であったはずだ。
 だがその父親を、自らの意思で投獄させた。
 そして俺は、孤独になった。

 もし、今の俺のそばに『父親』が居たならば────────
 シュトルさんのような言葉を、かけてくれていただろうか……?
 いや、あり得ない。
 家族を顧みる事の無かった父親は、息子を労う言葉など持ち合わせてはいないだろう。

 訓練士トレーナーとしての師であり、俺の存在を認めてくれる
 そうだ
 シュトルさんのような人こそが、父親のような────────



「…………アレン、大丈夫か?」

「あ…………」


 気付けば、シュトルさんが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
 ランプの炎が映る灰色の瞳が、真っ直ぐに俺の目を見つめている。
 そうだ、こんなところで泣く訳にはいかない。
 まだ壁を乗り越える準備ができただけなのだから。
 俺は大きく息を吸い込むと、シュトルさんに向けて口を開いた。


「はい、大丈夫です。シュトルさん、すみませんでした」

「いいや、俺の方こそすまなかった。闘技会グラディアの直前だってのに、こんな話をさせちまって……」

「いえ、シュトルさんに話せたおかげで、凄くスッキリしましたよ。今まで誰にも言えなかったものですから」


 何もかも吐露できた事で、俺はどこか肩の荷が降りたような感覚があった。
 思えば、2年前に協会認定の訓練士トレーナーになってからずっと後ろめたさを感じていた。
 永遠に光の見えない、泥の中を泳いでいるような。
 だが今の俺の心には、確かに希望が灯っている。
 それはまだ、今目の前にあるランプの炎のようにか細い灯火かも知れない。
 それでもその光は、これから灯してくれるだろう。
 俺と、ピノラと、シュトルさんの歩んで行く未来を。


「シュトルさん、聞いてくれてありがとうございました」


 マグの中に残っていた暖かなワインを飲み干し、俺は立ち上がった。
 シュトルさんは俺の笑みを見ると、いつも通り『いい、いい』と言うかのように左手をひらひらとさせて微笑んだ。


「俺で良ければ、愚痴くらい何時いつでも吐きな。見ての通り、俺は暇人だからよ。だが今日はここまでにしよう。話し込んでいたらすっかり遅くなっちまった……明日は昼前の馬車に乗るんだろう? もう休んでおかないと寝坊しちまうぞ」

「そうですね、日程を考えると、明日の午前にはヴェセットを出発しないと」

「だな。なんせ、5日後にはもう始まっちまう」


 宿場町を経由してサンティカに帰ることを想定すれば、道程に2日はかかるだろう。
 サンティカに戻ったあと、ピノラのコンディションを整える時間も欲しい。
 そう考えると、明日の早い時間にここを出なければ。
 

「アレン、2ヶ月半の間、よく頑張ったな。だが気を抜くなよ、ここからが本番だぞ」

「ええ、解っています」


 前回の敗退から、3ヶ月。
 しかしこの3ヶ月は、俺が訓練士トレーナーになってからの2年間で最も充実した時間だった。
 きっと踏み出せる。
 俺たちは、新たな世界へ歩みを進めるんだ。

 そんな俺の決心が伝わったのか、シュトルさんは俺の顔を見て小さく頷いた。



「予備の寝具をお嬢ちゃんの部屋に用意しておいたから、使ってくれ。それじゃ、おやすみ」

「はい、おやすみなさい」


 空になったマグをキッチンに戻しながら、シュトルさんは穏やかな表情で呟く。
 ランプを持って自室へと入って行くシュトルさんの背中を見て
 俺はまるで、本当の家族と暮らしているような感覚を抱いた。

 ふと、窓から覗くオール樹の森をひとり眺める。
 暗くなった部屋から覗く森は、生い茂る針葉樹の葉で闇に覆われている。
 下ばかりを見ていたら、進む方向さえ見失ってしまうだろう、深い闇。
 だが見上げれば、その木々の合間には燦然と輝く天頂の星が瞬いているのが見えた。





 見据えるのは、頂点。

 火蜥蜴サラマンダの月、最後の週。

 運命の闘技会グラディアが、始まる。
 
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