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第11話 石油王の陰謀

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 かくして、怪獣によるテロ攻撃という前代未聞の非常事態が母国で起こっている中、サッカーのU-18日本代表は国際ユース選手権の第一戦となるU-18ウルグアイ代表との試合を迎えた。
 ザデラムの犠牲となった日本の人々への黙祷が両チームの選手と観客たちによって捧げられ、それからいよいよキックオフとなる。優勝候補の一角でもある南米の雄・ウルグアイ代表を相手に、格下と見られていた日本代表は二点を先行されながらも懸命に攻め続け、後半に一点を返して追撃。ウルグアイ代表の優勢で進んでいた戦況は大きく傾き、ここが勝負所だと判断したレーマン監督は攻勢を更に強めて畳みかけようと、今回が初めての代表戦となる拓矢の投入を決意した。

「いよいよボーイフレンドさんの日本代表デビューですね。おめでとうございます」

 試合が行われているサッカースタジアムからわずか十キロメートルほどしか離れていない、ドーハの街の中心部にそびえる石油企業アル・ジョハル・オイル・コーポレーション(AJOCアジョック )の本社ビル。同社が所有している巨大な石油コンビナートの施設群を高みから見下ろすその建物の十階にある石油王ラーティブ・アル・ジョハルの社長室は、まるで高級ホテルのロイヤルスイートルームのように広々として優雅である。そんな社長室の壁に掛けられた大型テレビでサッカー中継を見ながら、アミードは手足を縄で縛られてソファーに座らされている未玖に言った。

「ふざけないでよ。せっかくの拓矢のおめでたい記念になる試合を、こんなひどい格好で観戦したくはなかったわ」

 憮然とした顔でそう抗議する未玖を嘲笑うように、アミードはフンと小さく鼻を鳴らしてまたテレビの方に視線を戻す。三人掛けのゆったりとした大きなソファーには、離婚した未玖の両親である宏信と佳那子も同じく縄で縛り上げられた状態で彼女の左右に座らされていた。

「こうして親子三人で会うのも何年ぶりだろうね。未玖の言う通り、こんなむさ苦しい形で家族の再会を迎えることになったのは感動どころか遺憾の極みでしかないが」

 はらわたが煮えくり返りそうになる思いを抑えつつ宏信が言うと、佳那子もそれに同調して鋭く声を尖らせる。

「私たちだけならまだしも、娘にこんなひどいことをさせるのはやめてちょうだい。怪獣を暴れさせて革命を起こすだなんて、正気の沙汰とは思えないわ」

 全ては何年も前から、ラーティブが仕組んだ通りに進行していた陰謀であった。未玖に銅剣を使わせ、ザデラムをコントロールできるかどうか試させたのは決して日本や世界の人々を守るためなどではなく、自分たちの計画のために兵器としてザデラムを利用できるかどうかをテストするためだったのだ。旭川での実験が首尾良く成功した後、アミードの車に乗せられた未玖と宏信はそのまま彼に拉致され、こうしてドーハにいるラーティブの元へ連れて行かれてしまったのである。ロサンゼルスにいた佳那子も二人より一足早く誘拐され、カタールに連行されてこのAJOCの社内に監禁されていたのであった。

「最初は君には内緒で、別れた昔の奥様に協力してもらう予定だったのだがね。ミスター柴崎」

 大会スポンサーとしてスタジアムで試合前のセレモニーに出席してきたラーティブが戻り、部屋の中に入ってきて言った。ウルグアイ代表の有名選手にサインを書いてもらったサッカーボールを片手で鞠のように突いて床にバウンドさせながら、社長専用の黒いプレジデントチェアに腰掛けて彼はわらう。

「残念ながら彼女はこの銅剣とはシンクロできなかった。超古代の魔術師の血も長い時間が経つ内に薄まってしまい、彼らの子孫なら誰でも剣を扱えるというわけではなくなっていたようだ。そこで急遽、君の娘さんに代役を務めてもらうことになったのだが、見事に剣を使いこなせて良かったよ。いわゆる隔世遺伝という奴で、遠い先祖の血が彼女には母親よりも濃く現れたのだろう」

「始めからこうするつもりで私を利用していたのか」

 悔しさを隠そうともせず、宏信はラーティブを問い詰めた。宏信の考古学研究のパトロンとなることを申し出てくれたこのアラブの石油王は、単なる羽振りのいい歴史マニアなどではなかったのだ。ロシアのテロ組織であるウラルヴォールクを密かに資金援助し、八年前の壊滅から立ち直らせて手駒として飼い慣らしていたラーティブが超古代文明の秘密に興味を持ったのは、強力な戦闘兵器であるザデラムを手に入れ、それを操って己の野望のために用いようという企てからであった。

「そうでなければ、大昔の遺跡の研究なんぞにわざわざ金を出すものかね。超古代のゴーレムを操る方法を、君は詳しく解き明かして私に教えてくれた。あのザデラムを使ってロシアに私の息のかかった革命政権を打ち立て、更にこの中東に腐るほどある油田をあちこち焼き払って石油価格を高騰させれば、私は今よりもっと大儲けできる。君の有能で勤勉な働きぶりには心から感謝するよ」

「迂闊だったな。研究資金を好きなだけ使わせてくれる外国のスポンサーなんて、そんな上手い話に裏がないはずがなかったんだ」

 宏信はがっくりとうなだれた。まさかこんなことになるなどとは夢にも思っていなかった彼だが、後悔しても時既に遅しである。

「日本とロシアの警察どもは自分たちの国の中を血眼になって探し回っておるようだが、まさかザデラムがこのカタールから指令を受けて動いているとは思うまい。例え世界中を虱潰しに調べて行ったとしても、この場所を特定するのは気の遠くなるような作業だ」

 勝ち誇ったようにラーティブは言った。日本を標的としたロシアのテロ組織のアジトがどちらの国とも無関係のカタールにあるというのは盲点であり、そう簡単に突き止められるものではないだろう。

「つまり助けは来ないということだ。諦めて大人しく私たちに従ってさえくれれば、君やご両親の身に危害は加えん」

 怯えた表情の未玖に、ラーティブはにやにやと笑いながらそう言った。
 自分の手でザデラムを操って街を破壊させるなど到底できるはずもない未玖だったが、ラーティブは人間の脳に電気信号を流し込んでマインドコントロールする装置を大金をかけて極秘に開発させており、それによって未玖を強制的に自分たちの言いなりにさせていた。未玖は銅剣を使ってザデラムを自分の意思通りに動かせるのだから、この装置で未玖の意思を操作してしまえば、すなわちラーティブらは未玖を媒介にして間接的にザデラムを意のままに操れるというわけである。

「日本政府からの回答はまだないようだ」

 ウラルヴォールクの幹部であるセルゲイが社長室に入って来て、険しい表情を浮かべながらラーティブに報告した。提示された期限までに要求の受諾がなければ、予告通りに実力行使あるのみ。彼の視線は、組織の実権を握っているオーナーにそう訴えかけているようである。

「残念ながらタイムアップだな」

 銀色の煌びやかな腕時計で現在時刻を確認して、言葉とは裏腹にどこか楽しげな声でラーティブは言った。足で弄んでいたサッカーボールを爪先で蹴飛ばし、開いた扉の外の廊下へと転がした彼は、テロ組織のオーナーの権限において作戦開始の許可を下す。

「分かっているとは思うが、我々は決して口先だけの人間ではない。かくなる上は事前の警告通り、日本人の大切な宝である歴史ある京都の街をザデラムに破壊させるしかあるまい」

「嫌です! 私、そんなことできないわ!」

「君に選択権などはない。大人しくするんだ」

 精一杯の勇気を振り絞って強く拒絶の意思を示す未玖だったが、アミードはソファーに座っていた彼女の首を掴んで強引に立ち上がらせ、長いコードでコンピューターと接続されたヘルメット型の装置を頭に被せた。それを見たセルゲイがコンピューターを操作し、繋がれたコードを通して電気信号を未玖の脳に流し込む。これによって未玖の意思は外部からコントロールされ、コンピューターに入力されたコマンド通りの思考や行動をするようになってしまうのだ。

(拓矢、助けて……!)

 どうやら得点が入ったらしく、サッカー中継を映しているテレビからは興奮したアナウンサーの叫び声が聞こえてくる。彼が早口でまくし立てているアラビア語の中に、恋人の苗字であるスギウラという単語が混ざっていたのが未玖にははっきりと聞き取れた。奇しくも同じこのドーハに来ている拓矢のことを想いながら、脳に電気信号を流されて未玖の自我は消えていった。

「未玖! くっ……何て残酷なことをするんだ」

「私たちの子供にこんなひどいことをするなんて、あなた方には人の心ってものがないのね」

 何とか縄をほどこうともがきながら、宏信と佳那子は目を怒らせてラーティブらを罵倒したが、そのような言葉が心に刺さるほど善良な彼らではない。銅剣を持ってきたアミードが未玖の手足を縛っていた縄をほどいて剣の柄を握らせ、それを確かめたセルゲイがコンピューターを動かして、銅剣からザデラムにテレパシーを送るよう未玖の脳に命令する。強制的に発せられた未玖の心の声に従って、伊勢湾の上空に待機していたザデラムは京都を目指して動き出した。

「番組の途中ですが、ここで臨時ニュースをお伝えします」

 試合終了まであと数分というクライマックスを迎えていたサッカー中継が突然中断され、緊急速報を伝えるニュース番組に画面が切り替わったのはその時であった。

「トルクメニスタンのダルヴァザで眠りについていた赤い竜が飛び立ち、南の方角へ高速で移動しているという情報が入りました。イランを越えてカタールに侵入する恐れもあることから、政府は先ほどカタール軍にパトリオットミサイルの発射準備も含めた迎撃態勢を取るよう命じています」

 ダルヴァザのガスクレーターから飛翔したファルハードは真っ直ぐ南へ向かってマッハ三の速度で飛んでおり、このまま行けば数十分もしない内にイランを突っ切ってこのカタールに到達する。以前に旭川でザデラムと交戦しているファルハードがこちらに接近しているという急報に、ラーティブらは驚いて色めき立った。

「これはまずいことになりそうです。ご主人様」

 起きている事態の意味を悟ったアミードが、蒼ざめた顔でラーティブに言った。

「旭川での剣のテストの際、あの怪獣は栗原未玖をザデラムから守るために彼女の元に飛来しました。つまり彼女がどこにいるかを本能的に察知できているのです。今回もひょっとすると……」

「あのドラゴンが、ここを襲いに来るというのか? この小娘を助けに……」

 そんなバカな、という言葉を口から出すことはラーティブにはできなかった。アミードが指摘した可能性は現実のものとなる公算が高いのだ。恐るべき巨大怪獣が凄まじい速さでこちらに向かっているという一大事に、彼らは恐慌をきたした。

「ジルコフ! 急いでザデラムをここに呼べ! あの竜をザデラムに退治させるんだ。早くしないと我々の命はないぞ!」

「了解。京都への攻撃を中止し、ザデラムを全速力でこちらに向かわせる」

 セルゲイは素早い手つきでコンピューターにコマンドを打ち込み、京都市の上空に到着して今まさに空爆を始めようとしていたザデラムを直ちにドーハへ急行させるよう未玖の脳に指令を送った。ファルハードをも凌ぐマッハ五という高速で、飛行形態のザデラムは日本を離れてカタールへ向かったのである。
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