きみと明日の約束をしないで

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#4 黒い竜の魔物

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 ヤンガルドに行きたいのだとルーファスは言った。さっそく宿屋を出発し、ユーゴたちはヴァッテンを出る。
 獅子王エドモントに会うのになぜヤンガルドなのか、とユーゴは思ったのだが、曰く、病死した第一王子オルトについて知りたいのだという。周囲に人影はないが、なんとなくユーゴは声量を落とす。

「死んでるんだろ?」
「表向きは」

 ルーファスが続けた。
「というのも、私自身がこういった育ちですので、もしかしたら、と」
「生きてるってことか。けど、なんのためにそんなことするんだ?」
 ヴァッテンからヤンガルドへは船がでているが、ユーゴたちは陸路を選んだ。ルーファスを襲った魔物はルーファスに対して「見つけた」と言ったそうだ。船の上で襲われれば身動きが取れない。航路は避けた方がいいという意見で一致した。

 エドモントは河川による内陸水運で発達した国なので、陸路の整備はほとんど行われてこなかったという歴史がある。そのためひとびとは地域の農家や牧場と共用の畑道をゆくのが普通だった。視界がひらけているので野盗に遭遇しにくいのだ。
 牧柵の向こうでウシが鳴いた。ぱたぱたと尻尾を遊ばせるのをめずらしそうに見やりながら、ルーファスが答える。

「それは、四大国の第一王子が四祖の“贄”だからです」
「“贄”?」

 ユーゴの目の前をトンボが横切った。牝牛のそばで遊んでいた子牛がトコトコ寄ってきて柵から顔を出す。
 ルーファスがうなずいた。
「私たちと暮らすようになってから、四祖は神としての力を創世神にお返しになったそうです。しかし、それでは地上を守ることができません。そのため、300年ごとに力を補わなければならなくなった、と」
「……」
「私はずっと不思議でした。なぜ第一王子ではなく王女として名乗らなければならないのか。自分にはなぜ名前が二つあるのか。なぜ王子として『ルーファス』の名をたまわりながら、封じなければならないのか。けれど、誰もその疑問に答えてはくれなかったのです。おばあさま以外は」
「ばーちゃん?」

 山へむかってなだらかに地平を蛇行する畑道を二分するように麦畑と青々と茂った牧草地がある。その外側を囲うように流れているのがエドモントの水運を支えてきたライン河で、あちこちにみえる水車小屋はそこから田畑に水をとりこむためのものだ。河には船が通れる高さの橋がかかっていて、この橋でもだいたいの地図を把握することができる。

 ルーファスがフードの縁を指で寄せた。
「四大国はこの地上が神によってつくられたときからあると言われています。その間ずっと民の生活を守り続けてきた先祖たちを、私は心から尊敬していました。ですが、よもや四祖との約束を違えていたなんて…」
 おだやかな陽気にからりとした風。こんな日は木陰に転がって昼寝としゃれこむのが礼儀というものだ。何度目かのあくびをこらえながら、しかしユーゴはルーファスの話を整理する。

(あー、つまり、…なんだ?)

 世界に終末が訪れるとき、四祖は地上に復活して地上を守ってくれる。だが四祖は神としての力を失っており、それを補充するため300年ごとに地上に復活している。その補充源が四大王家の第一王子だが、第一王子を失いたくない各王家は、それぞれ工夫をこらし長年偽装をはかってきた。
「その通りです」
 ルーファスがうなずいた。ザ、と風が川の方から走ってきて、ルーファスの頭部からフードを奪う。

「魔王が現れたとされる時代ではすでに記録の改ざんは行われていました。それほどに長いあいだ、四祖は力の補充をおこなっていないことになります。何より、一方的に約束を反故にし続けている私たちを、四祖がゆるしてくださるかどうか」
「なるほど、わかった」

 ちかちかと陽光を反射する彼の髪に心もち目を細めて、ユーゴは言った。
「あんたの心配はいざ世界がやばくなったとき、四祖が人間側の裏切りにへそを曲げて地上を守ってくれないんじゃねーかってことなんだ。だから獅子王エドモントに会って、嘆願と謝罪がしたい」
「…はい」
「そんで、あんたの代がちょうどその補給周期の300年目。だから城を出る決意をした。ヤンガルドに行くのは、終末から地上を守るには“四”祖が必要だから?」
 これも肯定。ということは、彼は頭から他国王家の子にまつわる事情がすべて役目をボイコットのための虚偽であると考えているのだろう。
 ルーファスがうつむく。

「各地に起こっている異常を、終末のはじまりとみる方は少なくありません。すでに民のなかにはそうして不安に思い、国王へ訴えた者も多くあります」
 大昔にあった魔王軍による襲来がそうなのではないかという説もあるそうだが、“終末”が世界に訪れたときに何が起こるのかを創世神話は語っていない。だからルーファスは深刻にとらえ、おそれている。

「魔王のときは人間の勇者が倒したって話だからな…」
 傭兵や腕に覚えのある者たちがめいめいに決起し、あるいは団結し、自分たちで地上を守った。「傭兵」が必要とされ、最も需要があった時代。

(それだけ長くだまされてて何もないんじゃ、いっそ四祖の存在じたい怪しいけどな)

 人間の驕った行いにペナルティも課さず、姿はおろか気配さえ感じさせない存在。そんなものはもはや架空以外のなにものでもないのではユーゴなどは思うが、現にルーファスをわざわざ探して襲ったという魔物の存在がある以上、滑稽とも言っていられない。
 ンモー、と牛が鳴いた。ンモー、ンモーと高低さまざまに広がっていく。地上を哨戒するようなトンビの旋回を、ユーゴは目を上げて見た。
 得体の知れない気配がユーゴの膚をざわつかせたのは次の瞬間だった。



        *



『いつの時代でまみえても、しあわせそうなツラをしてるなあ、貴君は』
 前方、それから左右、後方。影がユーゴたちが包囲するように地面を走ったと思ったら、ボコボコとそこから水面の泡立つように魔物が姿を現した。
 耳と見まがうほどに飛び出た目、ギザギザとした嘴にただれているような顎はヒレだろうか、二足で立ち、手には槍のようなものを持っている。思わずユーゴが「げ」と声を漏らしたのは、そうして姿をとりながら、それらの体の表面が水分の多い汚れた泥のように溶けていたからだった。

 鼻が曲がりそうだ、とユーゴはそれらの発するひどい臭いに眉根を寄せる。死体の腐ったような臭い、とはまた違う。ヘドロの臭い? 牛や馬の糞の臭い? いろいろ臭いのサンプルをあてていくがいずれも該当しない。はっきりしているのはおよそ「生物」の出す臭いではないということだ。

(黒い、影のような魔物)

 ユーゴ、とルーファスがユーゴの上着をつかんだ。魔物が言う。
『私は貴君のその悩みのなさそうな面構えが好きだったのでね、どうせならば貴君に滅してもらおうと思ったのだ。狐はふぬけているし、私はあの鳥が昔から好かん』
 特定の一個が発しているわけではないようだった。一方的、それもまるで旧知に対するような調子にいぶかしみながら、ユーゴはそれまで人形のように直立していた魔物たちが動き出すのを目に留める。
 ルーファスが悲鳴を上げた。はじめは十数ほどだった魔物が30、50と数を増して、たちまち100を超える群になったからだ。それだけではない、魔物たちは逃げ惑う牛を次々と食らい、さらには牛を食らった魔物を襲い始める。

「ユーゴ!」

 ルーファスに手をかけようとした魔物を、ユーゴはアーガンジュを現して斬り捨てた。無意識に腕と肩をかいてしまったのは、嫌悪感のためだ。黒い泥人形のようでいて、魔物たちの口の中は生々しい血の色をしていたのだった。ルーファスから離れないように、とにかくユーゴは剣を振り回す。
 ユーゴに斬られ、べちゃりと落ちた魔物の接した地面からさらなる臭気がたちのぼったが気にしている場合ではない。牛たちの悲鳴に気づいて牧場主や人が集まれば、いよいよ手に負えなくなってしまう。

「ユーゴ、見てください!」
 次にルーファスがユーゴを呼んだときには、黒い魔物兵のほとんどを殲滅していたが、異常は牧草地と麦畑の向こう側にあった。なんと、ちょうどライン河の位置に水のカーテンが立っていたのである。それも、空の半分はありそうな高さの。

「うわ、すげえ」
 思わずユーゴは子どものようにもらしてしまう。きっとカーテンの前後は底が見えてしまっているに違いない。だがそれだけにひとたび崩れれば、このあたり一帯はすべて押し流されてしまうだろう。
『豊かで清い、よい水だ。貴君の強い守護が国のすみずみまで浸透しているのだな』
 土壌を鑑定する役人のようにうなずいて、ようやく声の主が姿を現した。我知らず身震いしてしまうほどの強烈で邪悪な殺気。下半身に力を入れて耐えながら、竜か? とユーゴは首をかしげる。ほかの魔物同様腐り、皮膚を溶け落ちる黒い泥が鱗のように見えたのと、全体の造形だ。
 ユーゴの表情を読んだように竜が自嘲する。

『貴君には、見られたくなかったな』
「……」

 不意に竜に何かのイメージが重なって、それがユーゴの喉を動かした。 “何か”を彼に言わなければならない、だが、“何”を言えばいいのかがわからない。
 わずか瞬きの間。結局イメージをつかまえることのできないまま、ライン河に立つ水のカーテンが根元からどす黒く色を変える。インクを吸い上げるようなそれがゆっくりと力を失ってこちら側へ傾くの見ながら、ユーゴは絶望的な気持ちになった。
「うそだろ」
 カーテンはただ色を変えただけではなく、よく見るとそれはドットのように集合した魔物のの軍勢だった。さっそくカーテンから飛び出していく魔物たちを見、早く、と竜が苦しげに急かす。

『私が、意識を保っているうちに、早く――でなければ、このような姿を、さらした意味が、ない』
「……」
『私の心が弱いばかりに、すまない、すまない…。私も、あの鳥のように、貴君の隣で、貴君のたすけになりたいと、…ずっと、願って――』

 ふりはじめの雨のようだった表皮の泥がやがて量と勢いを増し、竜におそろしい咆哮をあげさせる。長い尾が大地を叩き、そこから水と、泥が噴きだした。
 わけがわからない。
 これ以上魔物を増やしてなるものかと、ともかくユーゴは夢中で地面を蹴り、アーガンジュを竜に向かって振り下ろす。
 あとは頼んだ。
 そう言って、竜の魔物は消えた。

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